7 狩人の本懐
アカシは夜の森林を警戒しながら進む。光といえば遥か天井の生物が放つ僅かな光点のみで、辺りは暗い。
この地域に夜に活動する生物はかなり少ない、例外は夜に徘徊する大型の肉食獣だ。
体が大きく、高い能力を持つ生物ほど原精を多く体内に宿し、原精が活発に活動するほど放つ光度は増す。
アカシは周囲を観察し、特に生物が放つ光を見逃すまいと注意していた。
「――!?」
アカシの進行方向左前方数メートル先に突如緑と青の鮮やかな光の模様が浮かび上がった。
アカシはその光に気付いた直後、転がるように植物の生い茂る木の幹に飛び込み、頭だけ出るようにして察知した光の模様の方向を確認する。
その模様は立つ樹木の樹皮であった。
模様はゆっくりと根元から枝先へと進んでいる。
そして、その一本の樹木を皮切りに、森の木々が一本また一本と光を宿し、その周辺の植物たちも木々から光が浸透するように脈に淡い光を灯していく。
その様子はまるで各所から光の波が広がっていくような幻想的な一幕だった。
「すごい……」
アカシは四方八方で巻き起こる色とりどりの光の波に何度も翻り、興奮した様子で見回した。
森の中に位置する黒泉寺村では、森が完全に光を取り戻したのを確認し、合図が出されるまでは外に出ることはできない。それは肉食獣を警戒した安全面の理由であったが、そうした理由からアカシは『朝』を初めて体験することとなった。
――森に光が完全に生き渡ったところでアカシの歩みは再び再開した。
△▼△▼△▼△
――二日後、アカシの持参していた食料が尽きかけていた時、アカシは森の中に辛うじて道と呼べなくもない物を発見した。
『獣道か、足跡的に四足歩行だし複数個体いる、恐らく大型の鹿系統』
『うむ、何も無さ過ぎて退屈していた所じゃ、狩り殺すぞ』
『待て待て、獣道の3メートルぐらい上の枝が折れてる。つまりそれぐらい大きいってことだ、そんな奴を狩るなんて無理だぞ』
クルはアカシの否定的な言葉を聞き、呆れたような仕草で首を振った。
『お主は解っておらん、既にお主は捕食者の側じゃ、その程度の肉塊に怖気づくでない』
アカシはクルの言葉に否定的な訳ではないが、未だ強くなったという実感が伴っていない為、体躯が自分の何倍もある獣に勝てるという話は完全に信用できない状態であった。
だが、クルがそこまで言う己の力を確かめたいという気持ちも確かにある、アカシは熟考の末心を決めた。
『わかったよ、但しやり方は俺の好きなようにやるからな』
『良いぞ、我は何も言わぬし端から言うつもりもなかった』
クルは催しを楽しむ観客の様に好奇の目で微笑んでいる。
最初からアカシを助けるつもりなど無くて、困難に抗うアカシを傍観し、どんな方法で進むのか、アカシがどんな反応をするのか、それを観て楽しむつもりなのだとクルの表情から伝わっていた。
『……』
それがわかったとして、アカシが成すべきことは何も変わらない。
アカシは獣道の脇にある木々から匂いの強く、葉の多い物を選定し、幹をよじ登る。
アカシは通る獣に上から奇襲を掛ける算段だ。匂いが強く葉の多い物を選んだのは潜伏がばれない為である。
数秒で地上から四メートル程度の太い枝に到達した。
クルは枝に膝裏でぶら下がり振り子の様に揺れている。
『獣道の近くだから寄生虫が多そうだな』
『それなら問題ないぞ、お主の血肉は汚染されておる。虫共が食いついたが最後、悶え苦しんで死ぬのじゃ。クハハッ』
『虫に耐性があるのは嬉しいけど、自分が化け物じみていると実感するのはあまりいい気分じゃない……』
アカシは太い枝の上で獲物が通るのをひたすら待ち続けた。
――木の上で待つこと三時間。
草や枝の微かな破砕音が近づいてきた。
アカシは呼吸を殺し、音の鳴る方向を凝視する。
現れたのはツルギジカという名の森林に広く分布する草食動物。特徴は闘牛の様な屈強な肉体と頭蓋から伸びる人の腕程の長さを誇る諸刃の剣だ。
アカシは対象が二メートル強程度の身長であり、剣角を有していることからツルギジカの若い雄だと判断する。
若いツルギジカは速くも遅くもない速度で近づいている、アカシは緊張で心拍数が上がらないように己の精神を落ち着かせ、異常に長く感じる時の終焉を待ち続けた。
――若いツルギジカがアカシのほぼ真下に来た絶好のタイミング、アカシは落下するように空中へと自然に身を投げた。
突如落下してきたアカシの存在に若いツルギジカは全く反応できなかった。
空中で一回転したアカシはその勢いのまま左脇腹から心臓のある方向へと赤水晶の槍で貫く。
アカシは空中で槍を突いた反動で横方向へと力が加わり、受け身の為に回転しながら植物の生い茂る地面へと突っ込んだ。
地面へ着地した横方向への力を拒むことなく錐揉み回転しながら若いツルギジカから距離を取る。
アカシは直ぐに体勢を立て直し、若いツルギジカの方向へと目をやった。
腹に走る突然の痛烈な痛みに錯乱した若いツルギジカは、その頭を狙いも定めず滅茶苦茶に振り回し、周りの草木を木端微塵に破壊する。
色とりどりの光を反射する剣角が振るわれる様はまるで光の剣捌きだ。
「確かな手ごたえだったが外したか」
力尽きることの無い若いツルギジカの様子にアカシは心臓を貫けなかったと察した。
アカシは槍を失った今の状況で、次なる一手を思案していると、
「KLKLKLKLKLKLLLL……!!」
思わず耳を塞ぎたくなる耳障りな高音の鳴き声が若いツルギジカから響き渡る。
槍が肺を貫いた影響か若いツルギジカは吐血しながらも、左前脚を引きずって必死に逃げ出した。
アカシは腰に下げた山刀を抜き、付かず離れずの距離で隙を窺いながら逃走する若いツルギジカの後を追う。
アカシが警戒しているのは鋭い剣角と強靭な足から繰り出される後ろ蹴りだ。
若いツルギジカの覚束無くなっていく足取りから体力の限界が近いとアカシは読み、止めを刺すのはその限界が来てからで良いと判断した。
――走り出して百メートル程の所で若いツルギジカが木の根に躓き転倒した。
もう起き上がる体力も残っておらず、横たわって息を荒くしている。
アカシの望んでいた展開だった。
「LLLL……」
既に鳴き声も弱々しい。
アカシは横たわる巨体に近づき、腹に刺さる槍を引き抜いた。
「やった……」
アカシの鼓動が太鼓の様に鳴り響いている。
自分の手で大物を仕留めた、その事実がアカシを高揚させ、留まる所を知らない興奮が全身を支配していた。
だがそれは致命的な隙を生んでいた。
アカシは高ぶる鼓動を鎮め、冷静に止めを刺そうかと考えたその時、こちらへと近づく気配があることにアカシは気付いた。
その気配は自分自身を隠す様な真似は一切せずに、堂々とした足取りで迷いなくこちらの方へと歩を進めている。
その気配の正体がアカシの視界に入った時、アカシの体に鳥肌が立った。
それは今仕留めたツルギジカが赤子に思える程巨大な雄のツルギジカだ。
象を連想させる程巨大な体躯と二振りの巨剣、一目で群れの長だと判断できる存在感を放っている。
アカシは一目で勝てないと判断し、逃げる為に後方へと振り返った時戦慄した。
片や一角、片や白毛、二頭のツルギジカが既に退路を断つように陣取っていたのだ。
その二頭も長ツルギジカ程ではないが歴戦の兵であるとそのオーラが物語っていた。
「不味い……」
冷静なアカシなら囲まれる前に察知することができていた。
しかし、狩りが上手くいっていた事が返ってアカシの視野を狭め、気付けば窮地に立たされている。
『クハハッ、さあどう切り抜けるかのう?』
今まで視界から消えていたクルがアカシの背から耳元で可笑しそうに囁く。
アカシの狩猟、狩る側と狩られる側、その立場は現時刻を持って完全に逆転した。




