5 どうじゃ?
アカシはクルの声を聞き辺りを見回す。しかし、辺りは森閑としてどこにもクルの姿はない。聞こえた言葉はアカシの恐怖が生み出した幻聴なのではないかと、疑念さえ浮かぶ。
「どこだ?」
『お主の左目じゃ、水面を見てみよ』
アカシの肩が跳ねる。
呼びかけに返事が返ってきたのを確かにアカシは聞いた。
言葉の内容に訝しみながらも、言われた通りアカシは水面を見る。そこには本来この暗さでは見ることのできない自分の顔が映り、左目の金と右目の青が例外的に色を灯していた。
『我の片目と自我をお主に植え付けた』
クルの言葉を聞いたアカシが左目を意識した時、寄生虫が体内に根を貼り鼓動している様な感覚が悪寒と吐き気を引き起こす。だが、クルのいる手前弱みを見せるわけにもいかず、アカシは不快感を抑え込んだ。
そして今の状況と自身の状態が一体どうなっているのか全く理解できないアカシは現状把握に徹する。
「今の俺はどうなってる? お前……呼び方はクル……でいいのか?」
『まっこと遺憾ではあるが、一応対等な契約を結んだ相手じゃからの、真に真に遺憾ではあるが敬称は不要じゃ。して、契約の締結に当たり、お主が我の心臓を収集する約束じゃが、お主が弱っちい故に一つも手に入らずに野垂れ死ぬのは火を見るよりも明らかじゃ」
アカシは水中での契約内容を思い出す。「簒奪された三つの心臓の奪還」そうクルは言っていた。邪神とまで呼ばれ人知を超えし力を持つ彼女から心臓を簒奪できる程の実力者、その相手から心臓を奪い返すとなれば、アカシが力不足であることは明確であった。
『故に、お主を強化する為、我が魔眼を与えたのじゃ。……ついでに青眼の調整やらなんやらもやっておる』
クルの説明でアカシは異常に夜目が効く現状等に大体説明がついた。だが、新たに浮かぶ疑問も複数ある。
アカシが口を開こうとしたその時、視界に変化があった。
一度の瞬き、その一瞬の暗転の以前に無かったものが、水中で出会った全裸の人外少女がさも当たり前の様に、元から居たかの様にアカシの膝に跨って座っている。
その唐突な出来事にアカシは一瞬硬直するが、すぐさま一緒に漂着していた赤水晶の槍に手を伸ばそうとし。
『止めよ』
クルの静止の言葉にアカシの手は止まった。止められたのではなく、止めるべきだとアカシ自身が判断していた。ダメもとで手を伸ばしたがこの距離では間に合わないと先に分かっていた。
『この姿はお主の左目に映した虚像に過ぎぬ』
クルはそう言うと、伸びているアカシの右腕に手をかざした。……かと思えば、一切の感触無く二人の手はすり抜けた。
アカシはそれを見て驚愕した表情を見せたが、クルはそれが可笑しかったのか「クハハッ」と上機嫌に笑う。
『なに、面と向かった方が話しやすかろう』
「な、なるほど……」
クルなりの気遣いの類だとアカシは理解したが、話しやすさの尺度で言うとむしろ悪化している。クルへの恐怖もそうだが、女子の裸体は年頃のアカシにはかなり刺激の強いものだし、現状眼を離す訳にもいかず顔が熱くなるばかりだ。
「取り敢えず服を着ないか? 虚像なのなら出せるだろ……?」
『……? ああ、そうじゃな』
クルは首をひねったが、何かに納得したように返事をする。そこに羞恥の色は無く、基底の倫理観に大きなズレがあることをアカシは実感した。
そしてどこからかクルの肌に黒い線が現れる。それは肌の上を走り、何度も方向を変え線を描いていく。動いていた線が止まると、有機的な模様が完成した。
『どうじゃ?』
自信満々という言葉がこれほど似合う表情はないだろうという様子でクルは胸を張っている。しかし、出来上がったものはアカシの基準では絶対に服ではない。相手が人なら突っ込みを入れるし着替えさせるだろうが、クルの期待の眼差しの手前否定する訳にもいかず、局部も一応隠せている為ぎりぎり許容した。
「……いいと思う」
『そうじゃろう? そうじゃろう?』
簡単に上機嫌になるクルを見て、意外と見た目通りの感性の持ち主なのではないかとアカシは思った。