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進路って嘘つき


 異能士資格試験の受験申し込み、今回も拒否された。俺もダメ元と言うか、年賀状感覚で申し込んでいる部分はあるが、ヘコむものはヘコむ。事務所への道中、赤いポストが敵に見えて仕方なかった。


「……切り替えよ」


 だがそれでも、事務所に着く頃には顔を上げた。三階建ての雑居ビルの階段を、ぐっと踏み締めるつもりで上がっていく。一階の喫茶店が潰れたせいで、またこのビルの胡散臭さのレベルが増した。せっかく一生懸命に階段を掃除していても、この溢れ出すダメダメ臭だけはどうしようもない。なんか、今の俺みたいで仲良くなれそう。


「東雲入ります。おはようございます」


 二階のロータリー、事務所の半透明のガラス扉には「依頼募集! お気軽にどうぞ!」の張り紙がど真ん中に貼り付けられている。これを作ったのは二週間前だが、お気軽な依頼客はまだ訪れていない。ガラス扉を開けた瞬間、ドタドタと音がして、奥から少年がひょっこり顔を出した。まつ毛の長い大きな瞳が俺を見てガッカリする。


「なんだ、君か」


「ご希望通り、先に名前を言ってから入ってきましたよ。依頼客だとぬか喜びさせないように」


「いや、私の知らない東雲さんかと思って」


「どうしてわざわざガッカリするためのウォームアップをするんですかね」


「違いますぅ。喜ぶためのウォームアップなんですぅ」


 つまらなそうに上等な来客用ソファへダイブしたのは、俺の上司である山田すばるC級異能士だ。学校指定のグレーの靴下と、紺色のズボンの裾から除く白い肌がチラリズムする。因みに、俺より二つ歳下。中学三年生。


「その様子だと、依頼は来てないみたいですね」


 奉仕委員の活動をやらされていたため、俺はいつもより出勤が遅い。学ランの上着を脱いでハンガーにかける。隣にある空色のブレザーは山田士長のものだ。


「ふっふっふ。実はそれなんだけどね」


「え」


 ソファからにゅっと現れた士長の顔が上気している。ハートのピノを見つけた時くらい嬉しそうだ。


「何と今日、久しぶりに依頼が来ました!」


「マジっすか!」


 思わずハイタッチしようとした瞬間、俺の身体から呪力が吸われた感覚がした。風が通り抜けたみたいな気分を味わって、全てを察する。


「もちろん、嘘です」


 士長は真顔だった。してやったりの顔でもされれば腹も立つが、その真顔から滲み出す悲しさのせいで、こっちも虚しい気持ちになってしまう。一日経った縁日のヨーヨーみたいだ。


「その手の嘘は良くないと思う」


「いや、さっきまでの流れで気付こうよ」


「呪力吸うのも勘弁してください」


「それはまぁ、私の異能だし、ほぼ無意識だから」


「あー。二重に損だよ」


「ソンなもんさ」


「殴りてー」


 自分の嘘を信じ込ませることで、相手の呪力を奪う。士長のいやらしくも便利な異能が、俺に発揮された。この人は度々こうして俺の呪力を奪っていく。どっかに貯めとけるわけでもないのに、こんなの奪われ損だ。


「佐倉さんからカステラを頂きました。食べます?」


「食べます。じゃあ、コーヒー淹れますよ」


 佐倉さんとは、上の階で鍼灸院を営む三十八歳の中年男性だ。儚げな美少年が大好き紳士なので、うちの士長の前ではいつも真夏の蝉くらいテンションが高い。士長目当てでよく差し入れを持ってきてくれる。


「ついでにテーブルも拭いてくれると、何とカステラが一切れプラスされます」


「カステラが一切れプラスされないと、コーヒーがブラックになります」


「……良いでしょう」


 勝った。テーブルを拭いてしまえば、俺のカステラは四切れである。晩飯前にそんなにいらねぇが、勝てる時に勝っておくのが男ってもの。


「そう言えば、今日、所長はいらっしゃいました?」


「いや、来てませんね」


「またですか。いつになったら顔を出すんですかね」


 うちの所長は一人息子の山田士長に事務所を任せ、もう六年もどこぞをふらついている。実力のある異能士なのだが、親や男としてはまるで信用の置けない人だった。所長が不在で、正規の所員は未成年二人だけ。一般からの依頼がないのも、さもありなんではある。その所員も片っぽは中学生だし、片っぽは異能士資格持ってないし。この事務所、何で潰れてないんだろ。

 不安を通り越して不思議になってくる我が事務所の状態について考えていると、テーブルの上に一枚の用紙が置かれていることに気が付いた。それは、士長の進路希望調査書だった。


「あぁ、士長も三年生ですからね。どうするんです、これ」


 背を向けている士長にわかるよう、紙を揺らしてペラペラ音をさせる。


「あ、出しっぱなしになってましたか」


「これ見よがしに。ですが、普通に内部進学で良いんじゃないですか。勝手もわかってるでしょう」


 士長は中高一貫の私立学園に通っている。自宅と事務所からも丁度良い距離にあるし、わざわざ別の高校を受験する意味はないはずだ。


「まぁ、そうなんだけど……」


「? もしかして学費が心配なんですか? それなら、所長が残して下さった分で足りますし、そもそも貴方も働いてるんだから……」


「別に学費じゃない」


 カツンカツンと言う、カステラを切り分けるにしては乱暴な音が気になって、士長に目を向ける。なんだか肩がイラついているように見えなくもない。


「別に良いでしょう。私がどこ受けるかなんて」


「つまり、内部進学しないと?」


「……しない」


「じゃあ、どこを受けるつもりなんです? 正直、士長の学力だと選択肢は多くないですよ。せっかく強い異能を持ってるんですから、そっちの方面の修行に時間を当てた方が……」


「……あぁもううるさい! 君は私のお母さんか! それ以上うるさくするならジアースと契約させますよ!」


 瞬間湯沸かし機みたいなピーキーさで士長が怒り始めた。今時な思春期ギザギザハートとは思えないような語彙で死ねって言われた。凹みはしないが、幼い頃から知っている歳下に怒られると、何かシュンとしちゃう。結局カステラも二切れしか持ってきてくれなかったし。歳下の思春期男子が上司と言うのはやはり難しい。だが、俺も所長から一人息子のことを任されている。簡単に身を引くわけにもいかない。


「でも、これだけは言っておきます。士長の異能は本当に強力なんです。小さな嘘一つでこの私が手も足も出せなくなるんですから。この業界で成り上がるには十分過ぎるものです。所長も、それを望んでましたよ」


 嘘の重みや騙している期間によって奪える呪力が増えるのが士長の異能だ。本来、異能とは長い下準備や大きなリスクがあって初めて、大きなリターンを得るもの。だが、士長の場合は小さな嘘でも莫大な呪力を奪ってしまう。正直、異能のコスパ、実力だけならA級だ。


「…….ないもん」


「え?」


 士長が小さく何かを言ったが、それからはすっかり黙ってしまった。ツンとした顔でカステラにナイフをブッ刺している。どうしたものかと思っていると、


「お」


 所長の机の上に置いてある、木製の電話が鳴った。これはすなわち、


「協会からの依頼ですね」


 この木製電話は、協会の支部とのみ繋がっている。協会に持ち込まれた依頼を地方事務所に回してくれているのだ。基本的には面倒くさかったり、しょうもなかったりする雑務の押し付けである。ただ、これが無いとうちのような弱小事務所はマジで仕事がない。


「私が出ます」


 士長がちょっと咳払いしてから受話器を取った。メモを取ろうとして、右手に持っているのがカステラの刺さったナイフだと気付く。こっちをちょっと見てから、受話器を肩で挟んで所長のメモ帳を手にした。


「はい。山田すばるC級異能士です。はい、はい。直ぐですか? 大丈夫です。東雲は……わかりました。いつものように」


 学ランに袖を通していると、士長がメモ帳を見せてくる。そこには、「稲村さんに連絡、十五分後、北森島交差点」とあった。稲村さんはうちが契約している非正規所員だ。彼女は少し扱いの難しい異能を有しており、協会や事務所に所属していない。彼女のようなタイプは個人で異能士をやった方が仕事が多いのだ。


「それでは。はい。またよろしくお願いします」


 これでめでたく契約成立。俺は受話器を置いた士長に上着を差し出す。


「どんな依頼でした?」


「見えない壁のようなものがあって交差点が通れないと近隣住民から報告があったそうです。呪象ですね」


「……それで稲村さん?」


「だめ?」


 士長はカステラを一口で平らげ、俺から上着を受け取った。壁の鍵掛けから自転車の鍵を二つ取り、一つを俺に投げて寄越した。


「北森島交差点までは少し距離があります。自転車で行きましょう」


 貧乏事務所の移動手段は基本徒歩か自転車。タクシーはもちろん、電車すら予算オーバーである。ただ、二人で自転車を漕いで現場に向かうこと自体は、俺は嫌いではなかった。士長の機嫌も、少しは良くなっているようだし。


















 北森島交差点はごく普通の十字路だ。南北と東西、それぞれ一車線の道がほぼ直角に交わっており、車の交通量自体は決して多くない。ただ、すぐ近くに中学校があり、ここで異常が起きているとなると学生には結構不便だ。今は運良く下校時刻を過ぎていて閑散としているが、明日の朝までには事態を解決しておきたい。


「ふむ。報告とは少し違いますね」


 うちにきた依頼は、交差点が通れないから何とかして欲しい、だった。だが、正確にはこの交差点の南側部分に見えない壁があるだけで、東西には普通に通れる。まぁ不便なことには変わりないが、一般人の報告は不確実で困る。こう言うほんの少しの確認や認識のズレが、現場を混乱させるのだ。


「協会も確認が適当ですね。ワンナウトライトフライで客席にファンサするタイプですわ」


 訳わからんことを言っている士長を横目に、見えない壁に手を付いてみる。なんかブヨブヨしている。クラゲみたいだった。何でこんなものが出現したのかもよくわからん。なので、


「それじゃ、いっちょよろしくお願いします」


「はいはーい」


 俺と士長より十分ほど遅れて現着した稲村さんに、全て丸投げすることにした。稲村由恵さん、二十二歳。界隈ではちょっとした有名人のB級異能士だ。隣町の私立大学に通う女子大生でもあり、うちの事務所は度々お世話になっている。最近髪を茶色に染めて、オシャレ度が増している。背も高いしスタイルも良いので、外国人さんみたいだった。


「じゃ、危ないから下がっててね」


 ウインクしながらそう言うと、稲村さんは右拳に呪力を込め、そして思いっきり振り抜いた。鉄拳を叩き込まれた見えない壁は、ボアァンと言う震動音を響かせる。


「うん、もういっちょ」


 一息吐いた稲村さんは、もう一回、同じ動作で壁をぶん殴る。今度の一撃は一度目の丁度二倍の呪力が込められていた。これが稲村さんの異能。呪力を持った攻撃を当てる度にその威力を倍にすると言うものだ。


「うら!」


 三発目。二倍の二倍だから四倍だ。もうこの時点で軽トラくらいならペシャンコに出来る威力がある。


「相変わらず規格外の異能ですね」


「おかげで仕事が無くてねー」


 初撃の八倍の四発目。近隣住民からクレームが来そうな音がこだまする。壁はまだびくともしていないが、もし物理攻撃だけで壊れる代物であれば、いつかは耐えきれなくなる。彼女の異能には、限界がないのだ。


「理論上は地球を叩き破れるって聞いた時にはおったまげましたよ」


「君的には浪漫だと思いました?」


「いや、普通に危ねぇ異能だと思いました」


 効果は至ってシンプル。それでいて強力。対物質に置いて、稲村さんほど心強い異能士はいない。

 だが、その能力に反して、依頼される仕事は多くない。一見、便利極まりないと思われるが、その実、穴や制限が多いのだ。

 まず、威力の微調整ができない。次の一撃は必ず二倍になる。技を重ねれば重ねるほど、不必要な破壊を引き起こすことになる。また反対に、序盤の威力は決して高くない。攻撃を当てれなけば一からやり直しになってしまう点も含めると、強力な呪獣との相性は悪い。複雑な対処が必要な現場では、全く使い所のない異能なのだ。


「うーん、意外と粘るなぁ」


「次が十発目ですからね」


「もう二、三発打ってダメなら、やめた方がいいかも」


 力で壊せないのなら、稲村さんにはもうどうしようもない。呪象の案件で彼女が出てくるのは稀なのだ。基本的に彼女の仕事は、呪具の完全破壊を望まれた時だけだ。そしてそれは少ない。だから稲村さんは仕事が無いのだ。


「感触的にはどうです?」


 士長が遠目から声をかける。そろそろ呪力の余波だけでこっちまで危なくなってきそうだ。


「多分いけるとは……思うよ! ただの呪力の塊みたいだし! いてて……」


 稲村さんを指名したのは士長だ。壁なら取り敢えずぶち壊せば良いんじゃね? と言う実に少年らしい脳筋作戦だが、不発に終わった場合、別の対処法を一から考え直さないといけない。呪象の解呪は最初の案で躓くと長引くことが多い。これは経験豊富な異能士でも起こり得ることだから恥じる必要はないが、うちの事務所と契約している非正規所員の異能レパートリーだと、異なる対処は難しいかもしれない。異能士は事件との相性がとにかく大事なのだ。


「ふん、が!」


「いよいよ危なくなってきましたね」


「ね」


 交差点下のコンクリにヒビが入ったのが見えた。民家も近いし、二次災害を人災で起こすのは良くない。事件対処のためにご理解ご協力をお願いしますとかの域を越えてしまう。


「このまま未決だと、もっと依頼が来なくなります。閑古鳥もいなくなっちゃうのは笑えないですからね」


「そっちの心配かーい」


「あ、近隣住民の皆さんの命も心配してますよ、ちゃんと」


「最終ラインを一番上に持ってこないでください」


 わかってますよーって顔してぜんぜんわかってない。こりゃ撤退かなとそう思った時、


「お、おぉ!?」


 弾道ミサイルでも撃ったのかと思うほどの爆音を起こしながら、稲村さんの剛腕が壁を破壊した。忍の三重羅生門くらいなら貫通するであろう威力は、流石にあのブヨブヨボディでは耐えられなかったらしい。


「あ」


「おお」


 ブヨブヨの感触は何だったのか、見えなく壁は砂時計みたいにサラサラと崩れていった。沈みかけた夕陽に照らされ、幻想的に流れる滝のようだった。ただ、人間が交差点で吐きがちな悪態や罵倒文句やらが凄い音量で聞こえてきて、全く良い心持ちにはならなかった。色々と吹き溜まる場所だったらしい。


「いや、よかったよかった。これ解決でしょ?」


「はい。どうもお疲れ様でした」


 ボクシングジムから出てきたOLさんは、多分いつもこう言う顔をしているのだろう。汗を拭う稲村さんは爽快な笑顔だった。


「被害もなかったようだし。これ、もし車が通ってたら大事故だったよ」


「確かに。運が良かったですね」


「いや、士長。不幸中の幸いってやつです。呪象が起きてる時点でバットマス踏み抜いてますから」


 呪象はそもそも珍しいのだ。


「これも第四霊脈が乱れてる影響かな。仕事があるのは嬉しいけど、被害者が出るのは嫌だよ」


 俺は即座に同意した。


「……そうですね」


「いや、君、ちょっと迷っただろ。人の心とかないんか?」


「あるから迷うんです」


 霊脈とは、この星を動かす力の流れ、人で言うところの血管だ。これが乱れたり澱んだりすると、呪力となって漏れ出て地上に悪影響を及ぼす。霊脈は人の手で精密管理できるものではないが、わずかながらでも乱れの原因を取り除いたり、事前に防いだりはできる。


「ま、私みたいな下っ端が考えてもしょうがないか! じゃあ、お金の振り込みよろしくね!」


「またよろしくお願いします」


「あ、でも来週はレポートの提出期限だから、ちょっと無理かも」


「大変っすね」


「なに、中高生二人とは比べ物にならんよ。異能士も私にはバイト感覚だし」


 異能士の仕事だけで食べていこうと思えば、大手の事務所に入るか、協会の専任異能士になるかしかない。そのどちらもがA級異能士であることが大前提だ。ようするにエリートだけ。

 原付に跨る稲村さん。ヘルメットの顎紐を結びながら、何とは無しに尋ねてきた。


「でも、君らはどうするの。君らくらいの歳で将来を異能士一本に絞るのは、ちょっとおススメできないよ。モテなくなるし」


 モテないのは別に良くないか? 良くないな。だが、


「俺は所長に恩がありますし、士長のことも任されてます。取り敢えずは所長が戻ってくるまでは今の生活を続けますよ」


「二つしか離れてないのに、すっかり親代わりだねぇ」


「ホンット、迷惑極まりないですね」


 士長がマジな口調で言ってくるもんだから、お父さん悲しくなっちゃう。


「山田ちゃんは?」


「私は……」


 士長が何か言いかけた時、交差点の向こうからクラクションの音が聞こえてきた。呪象事件解決まで道路封鎖していたのに、直ぐ近くまで乗ってきたドライバーがいたらしい。標識とか見ないで一体どこ見て運転してんだ。


「俺、道路封鎖解いてきますね」


 俺は気を利かせて二人から離れた。今日の士長は何か様子がおかしかった。進路のことで悩んでいるのだろうが、俺にはその悩みがまるでわからない。なら、歳の離れた異性に相談するのも良いだろう。稲村さんは異能こそはちゃめちゃだが、あれで教員免許を取るつもりの人だ。


「……だ言ってな……!? マジ!?」


「しーっ! しーっ! で、あ……校は、私の……値的に……かな?」


「無……ないけど、でも、せ……くは?」


「それ……だ迷っ……」


 二人が凄い近い距離でヒソヒソ話をしている。四つ重ねたカラーコンと仲良くしてる自分と比べて虚し…….いや、比べてどうするよ。無機物だぞ。


「終わりましたー?」


「あ、お、終わっ、りましたよ」


 慌てて振り返る士長と、そんな士長をじめっとした目付きで見る稲村さん。俺にはよくわからないが、おかしな密談が交わされたらしい。


「もうすぐ日も暮れますよ」


「だね。それじゃ、今度こそさよなら。あ、山田くん!」


「わ!」


 稲村さんが士長の背を叩く。


「進路なんてね、どこ行こうがそこそこに後悔するもんなの! ずっと良い選択をし続けるのなんて無理なんだから! だから」


「だから?」


「今、君が頑張りたいことを頑張れる方に、歩いていくのさ! じゃーね! 悩め若人!」


 あんたも若いでしょ、そう声をかけると、稲村さんは豪快に笑いながら原付を飛ばして帰って行った。二十歳そこそこなのに、なんかおっさんくさい女性なんだよなぁ。一緒にいて気後れしないから楽でいいんだけどさ。


「……帰りますか」


 稲村さんを見送る士長が、背中越しにそう言った。喧嘩してしまったが、今回のは後に引くタイプではなさそうだ。


「ですね」


 東雲九十九しののめつくも、十六歳の春。山田異能士事務所は一件の呪象事件を解決した。これによって支払われる給料は雀の涙だが、それでも山田士長の昇級ポイントを獲得することができた。

 事務所までの帰り道、俺と士長は一言も言葉を交わさなかった。ただ、事務所に着くと、士長はカステラを全部持って帰って良いと言ってくれた。


「ん?」


 翌朝、俺は事務所で昨日の事件の報告書を書いていると、机から何かはみ出しているのを見つけた。


「……」


 それは、白紙のままの進路希望調査書だった。


「あ」


「あぁ、おはようございます」


 寝癖がついたままの士長が、ドアの所に立っていた。私と同じく、登校前に寄ったらしい。


「……まぁ、ゆっくり決めれば良いですよ」


 おそらくお目当てであろう調査書を手渡した。


「私も手伝いますから」


 十割の善意でそう言ったのに、士長はしかめっ面をした。


「……嘘つけ」


 そして、俺から調査書をひったくって階段を駆け降りて行った。遠くなっていくブレザーの背を、俺は窓から眺めていた。


「どうしたんだろうな、士長」


 嘘をついているのは、貴方の方だろうに。

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