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逆光の影法師  作者: 冬瀬
6/18

壱05・月の子



「わ、忘れてた……」

『馬鹿なのか。あぁ、馬鹿だったな。馬鹿ウサギ』


 どこか抜けてるところがあるとは思っていたが、相方にこの言われよう。

 五七五のリズムに合わせて容赦なく馬鹿にされ、シウはうぐっとダメージを食らっている。


(……だから、宇佐美って苗字が嫌なのか)


 馬鹿ウサギなんて呼び方で、イオルは察した。

 別にウサギと例えるのは、悪口でもないはずだが、それで揶揄われるなら話は違う。彼女にとっては嫌な呼び方なのだろう。穏やかだった表情には、雲がかかっていた。

 

「桃幻郷に夢中になりすぎて、すっかり抜け落ちてたよ。宿に戻ったら考えないと」


 これは自分の落ち度だと、彼女はハクに言い返すことはしない。


『ここに価値がわかる奴がいるなら話は簡単なんだがな』

「そうだね」


 シウはすっかり落ち込んだ様子で頷いた。

 彼女は何か言いたそうな瞳で、ちらりとイオルを見る。


「……どうかしたか?」

「いや、その……。なんでもないや」


 そんな話の切り方をされては、後に続けようとした言葉が気になるのだが、深掘りする気にはなれなかった。

 どうせ短い付き合いだ。


 イオルはなるべく大きな道を選びながら、薄暗くなって来た街並みを抜けていく。

 彼女がまた道場に行くときに分かりやすいよう、細い脇道は避けた。

 ただその分、人の目が多い。

 いつもはこんな表に出てこないイオルと、立派な狼犬を連れて歩くシウに視線がちくちく刺さった。


「人目が気になるときはあまり喋らないんだ」


 イオルの横を歩いていたシウが、急に全く話さなくなった狼犬のフォローを入れる。

 犬に向かって喋っているのがバレたら、それは面倒くさいことになるだろう。

 シウの側をぴったりとくっついて歩いているハクに、イオルは視線を落とす。

 だんだんと、影が闇に溶けていくのを確認してから彼は顔を上げた。

 月の目が次に視界に入れたのは、先程からずっとシウとハクを尾けている不届き者たち。

 夏は日が延びるせいか、ここにたどり着ける武人の団体客が多く、またその質も悪い。

 イオルの視線に気がついた男三人は、何食わぬ顔で談笑する素振りを見せる。


「シウ」

「ん?」


 穢れなど知らなそうな緑の綺麗な目を開き、こてんと首を傾げた彼女に、イオルは不安が募った。

 女の一人旅は危ないと言われても、里の女子についてはあまり心配したことがなかったが、シウ相手ではそうとも言えぬ。


「目をつけられてる。師範に連絡するから、道場に泊めてもらった方がいい」


 ここまで歩いて来たが、ハクが悪目立ちしている。このまま宿に戻ったら、奴らに絡まれるかもしれない。

 イオルはモバイルを取り出した。


「心配ありがとう。でも、大丈夫だよ」


 しかし、シウは微笑してそれを止める。


「師匠とふたりで旅してると、いつもこんな感じなんだ。対処には慣れてる。もしものときは師匠が何とかしてくれるから平気」


 彼女はどこか諦めたような表情で、乾いた笑いをこぼした。

 シウには他に仲間がいないことが確定して、イオルは眉間に皺を寄せる。


「ほぼ確実に、ひとりになったところを狙われるぞ」

「だいじょぶ、だいじょぶ」


 のんびりと落ち着いた彼女の声には、緊張感が微塵もない。

 こちらに心配をかけさせないつもりなのかもしれないが、逆効果だ。

 明後日合わせる顔がなくなるようなことにだけは、勘弁してほしい。


『気にするな。コイツは宿の夕餉を食べたいんだ』


 主人がこれと来れば、連れの狼犬も呑気に大きな欠伸をしている。

 イオルはグッと言いたいことを我慢してから口を開く。


「…………わかった。けど、とにかく気をつけろ。今の時期が一番この里は危ないんだ」


 忠告はした。これ以上、今日会ったばかりの彼女に無理やり聞かせても仕方ない。

 いきなり道場に泊まれと言われても困るのは分かる。宿が溢れるほど人が来たときには、民泊を勧めることは普通なのだが、拒否されたものを押し付けることはしない。


(今夜は仕事が多そうだ……)


 イオルは長い溜息を吐いた。


『なぁ、小僧』


 呆れていると、それよりもと言わんばかりの展開でハクに話しかけられる。

 そちらに顔を向けると、青い目と視線がぶつかった。


『この里は、桃の木が【御守体】だろう』

「……それがどうかしたか」


 セーフティーゾーンには必ずその核となるものがあり、それを【御守体】と言う。

 御守体になるものは植物、鉱物、動物など様々な形がある。ヤシマにある都は全て、御守体で守られた安全地を人の手で拡げて出来たものだ。


 桃の木は、この里が【桃幻郷】と呼ばれる由縁。

 この土地がセーフティーゾーンとして機能しているのは、里を囲むその桃の木がケモノを寄せ付けないからである。

 勿論ただの桃の木ではないので、里の者は仙木と呼んでいる。

 

『お前たちが話している間、外を回って来たが……人間に折られているだろう。かなり損傷が激しくて穴が出来そうだ』

「えっ」


 ぎょっと、シウが目を見開く。

 桃の木の効果がなくなれば、里にケモノが入ってくる。非常に危険な大問題だ。


「………」


 痛いところを突かれて、イオルは押し黙る。

 頭には彼女を引き止めろとのハンゾウからのメッセージが、右から左に横切っていく。


「御守体の密売……。桃の木はいい的なんだ……」


 シウは蒼然として、歩みを止めてしまった。

 桃幻郷は幻の里。たとえ仙木が出回っても、出どころが不明となればそれを取り締まるのは困難。ここまで来ることさえできれば、簡単に入手できてしまう手頃な品である。


「春は落ちた花を拾って、夏には実を収穫する。それ以外の目的で仙木を傷つける、命知らずが来るのはいつものことだ」


 これは、今年に限った話ではない。

 毎年一定数の馬鹿が、高額で売れる仙木を狙って桃幻郷にやってくる。

 

「夏は日が長いから特に多い。しばらくすれば収まるから、そんなに気にしなくていい」


 立ち止まってしまったシウに、イオルは告げた。


「そ、そっか……」


 彼女は、この国の一番安全な場所に住みたいそうなので、ショックが大きかったみたいだ。


「桃幻郷も大変なんだね……」


 シウはしみじみと、呟く。

 これで彼女が里に住むことを諦めたら、自分のせいになるのだろうか。

 イオルの脳裏にハンゾウの顔が浮かんだ。







 ◆







「ありがとね! また明後日!」

「いいから、早く中に入れ」


 宿まで送ると、呑気に手を振ってきたシウに別れを告げて、イオルはそちらに背を向ける。


(なんで、あんなにマイペースなんだ)


 内心呆れつつ、彼は来た道を戻っていく。

 すると、さっきしまったばかりのモバイルが震えて、イオルはそれを耳に当てた。


「風間です」

『ちゃんと送れたか』

「ちょうど今、宿まで送ったところです」


 通話の相手はハンゾウだ。

 先程の会話を思い出して、少し声が硬くなる。


『そうか。そろそろ時間だ。早く戻ってこい』

「はい」

『今年は仙木を折る罰当たりに、お尋ね者が多くて困る』


 ハンゾウの声音は、冷たく厳しい。


『不届き者に容赦はいらない。わかっているな』

「――ハイ」


 一気にあたりが暗くなった道で、イオルは感情の感じられない機械的な返事をした。

 通話を切ると、彼は脇道の前で足を止める。


「なんだ? お前?」


 そこにいたのは、下手くそな尾行でこちらを尾けていた男たち。




「なぁ。郷に入れば郷に従えって言葉。知ってるか?」




 鋭さの増した月の眼が、挑発的に彼らを睨む。


「あー? もしかして、護衛気取りかぁ?」

「フード被って、マスクして。おれは闇の暗躍者! なんつって!」


 げらげらと下品な笑い声をあげる男たちからは、強く酒の匂いがする。この里に昼間から酒を出す店はひとつもない。持参したものだろう。この里までたどり着けて、気分が舞い上がってしまったようだ。

 しかしここは、宴会場ではない。強者たちの安息地だ。行儀が悪のはいただけない。


「俺、一言も誰かを守ってるなんて言ってないけど?」


 イオルはへらっと、薄っぺらい笑いを返す。


「ははッ。じゃあ、なんだ。あの女と犬を横取りするなってかぁ?」


 一番体のでかい男が、一歩前に出て彼を見下した。


「人のこと物扱いするとか終わってんな」


 馬鹿にしてイオルが吹っ掛けた瞬間、男の腕が胸ぐら目掛けて伸びてくる。


(短気だよな。こういう奴らは)


 きっと、理性に立ち返って物事を判断することをしないから、手が出てしまうのだ。

 昼間とは違い、イオルには余裕があった。

 酒が回っているのか、のろまな動きに小さく息を吐き、彼はその腕を掴んで肩を捻りあげる。


「あぁあッ!!」


 痛みに声をあげるその男の足を払って地面に倒すと、残りふたりの攻撃を避けて拳を入れた。


(弱い……)


 彼の瞳に浮かぶのは、失望。

 そこには、持たざる者の怨念が混ざっている。



(それなのに、どうして俺はこいつらより弱いんだろうな)



 イオルは仙木に囲まれたこの里の向こう側に行けない。



 なんでこんな奴らは、外から里に来ることが出来るのに、自分は外に出られないのかといえば、【サガ】がそれを邪魔するからだ。

 月の子は、御守体で守られた土地以外で生きることは難しい。ほぼ確実に死ぬ。

 外に出ればすぐに【オヌ】に当てられ、【イタツキ】になってしまうのが主な理由だ。


 【オヌ】。隠。海の外の言葉では「瘴気(miasma)」。

 影の体に耐性を持たない月の子は、外気を漂う目には見えない悪い気によって簡単に体を蝕まれる。

 そして、隠に体が侵される状態のことを、イタツキ。「病(disease)」という。

 イタツキの治し方は、光の体と影の体のふたつからアプローチの仕方があるが、月の子は前者も後者も治す方法が確立されていない。


 太陽を受け付けないサガが、全てを悪い方へと導いていく。

 連れていかれる先は、ことごとく死。

 光側の肉体も、光に耐性を持たないせいで、短命だと告げられている。影も光も元は同じ。どちらかが欠ければ、片方も欠ける。生まれたときから、人生ハードモードだ。


 このサガさえなければ、人と同じように光影術を使うことができたはずだったのに。

 今頃自分も他の里の子と同じように、この小さくて大きいけれど広くて狭いと呼ばれるヤシマを旅していただろうに。


 諦めたことが多すぎて、涙はとうに枯れた。



「ぐがっ……。わ、わるかった、もう、やめ」



 夜になると、自分の影を実体化させることが難しくなり、弱体化する影法師。

 普段は太陽の恩恵でバフがかかっているが、実体はこんなものか。

 群れてこの里にたどり着くのが、そんなにすごいか?

 こんな無力な自分も倒すことができない力量のくせに?



「二度と彼女たちに近づくな」



 ギリギリと、男の首を絞める力が強くなる。


「わ、わかったから、離してくれ!」


 仲間が声の出ないそいつの代わりに叫ぶのが聞こえて、イオルは手を離した。

 夜には何もできない雑魚が、よくも偉そうにできたものだ。

 彼はモバイルを取り出すと、男たちの写真を撮る。小さなコミュニティだ。里全体に情報が回るのも一瞬である。


「荷物をまとめて里を出ることを勧める」


 そう言い残し、彼は暗い脇道へ消えていく。


 月の光る夜はまだ長い。

 今日も今日とて、自分より強くて弱い厄介者たちのおもてなしだ。こんな無能に仕事をいただけるのは恐縮だが、丁重にお引き取り願わねばなるまい。

 自嘲混じりにひとつ息を吐くと、


「……ッ、」


 不意に胸の奥から何かが込み上げてくる。

 イオルは嫌な予感に焦ってマスクをとり、口を手で押さえた。

 べちゃりと、手袋をつけたその手についたのは、赤。


「調子、いいと、思ってたんだけどな」


 彼女にもらった薬のおかげか今日はいつもより体が軽く感じていたのたが、気のせいだったらしい。最近、午前中に起きるのがだるくなってきて、何も予定がないと昼過ぎまで寝てしまう。

 口の端を流れるそれを拳で拭い、手袋は外した。そうして何も見なかったふりをして、彼は再び歩き出す。

 これくらいのことにはもう慣れた。任務を休むことはしない。


 ハンゾウに一線引かれ、道場に通うのを辞めたあの日から。夜の里を守ることが、イオルに残された存在意義だった。







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