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逆光の影法師  作者: 冬瀬
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壱03・彼女じゃない



 偶然出会った少女と一匹と共に、入り組んだ細い道を進みしばらくすると白い塀で囲まれた家屋が見えてくる。


「――遅い」


 目的の道場に到着すると、引き戸を開けた先にはハンゾウが仁王立ちしていた。


「すみません。師範……」


 イオルはフードとマスクを取って、謝罪を口にする。

 何年経っても老いを感じさせない彼の背負うオーラに、イオルは背筋を伸ばした。

 道場で学ぶことを辞めてからも、ずっとハンゾウのことを師範と呼んでしまうのは、里の者は彼を皆そう呼ぶから。そして、いつだって彼はイオルにとって尊敬すべき師であるからだ。


「飯が冷めるだろうが、バカタレ。早く上がれ」


 だからこそ割烹着姿のハンゾウに、イオルは背後の客人へと思いを馳せる。

 果たして、このまま彼女たちを案内してよいものか。


「あ、あの、師範」


 もうすぐ着くと連絡するついでに客人がいると言ったはずなのだが、この人は全くブレない。

 以前それとなく聞いてみたが、機能性だけを重視しているので、デザインは気にしないそうだ。

 ――明らかに女物でも……。


「なんだ? ちゃんと客人の分まで用意してある。早くあげてやれ」

「……わかりました」


 師範が気にしないのであれば、別に良いのだ。そうだ。何もおかしなことはない。

 イオルはそう割り切って、後ろを振り返る。


「入って」


 彼は暑い外に待たせていたシウたちに声をかけた。


「お邪魔します」


 中に入って来たのは、シウひとり。

 外を確認すれば、ハクの姿がない。


「ハクは?」

「散歩してくるって。いつものことだから、気にしなくて大丈夫」


 念話を使う狼犬など、欲しがる人間もいそうだ。それでなくてもハクは目を惹く。

 少し不安に思いつつも、いなくなってしまったものは仕方ない。シウに師匠と呼ばれている犬だ。そう簡単にやられはしないと願おう。

 イオルは彼女のことを紹介せねばと前を向いた。


「師範。こっちがさっき連絡した」

「宇佐美シウと申します。各地を転々と旅して、東の方から来ました。今日は突然お邪魔してしまい、すみません」


 シウがぺこりと頭を下げる。

 ハンゾウはそんな彼女とイオルの間を、何故か視線で往復する。

 それから、しばらくの沈黙がその場を支配した。


(門前払いされるようなやつじゃないはずだけど……)


 助けてもらって案内してきた手前、イオルもヒヤヒヤしながらハンゾウの答えを待つ。


「……イオル」

「はい」


 どうしてだか彼女ではなく自分が呼ばれて、彼は固唾を呑んだ。





「…………まさか彼女か?」





 何を言われるのかと身構えたイオルに飛んできたのは、変化球。


「――――ハイ?」


 キャッチャーミッドを大きく超えてきたそれを、彼もすぐには受け止めることができない。

 どうした。頭でも打ったか。ついにボケたか?



「残念ながら、違いますね!」



 代わりにその流れたボールを爽快に打ち返したのはシウだった。

 イオルが道場に年の近い異性を連れてきたのは、振り返ってみればこれが初めてのことだった。

 彼女は師弟二人の間抜けな様子を見て、軽快に話を笑い飛ばす。





 ◆





「いや、悪かったな。変なところを見せて」

「いえ。とんでもない」


 ハンゾウが気まずそうに言って、シウは笑って小さく両手を振った。


「この里まで来るのは大変だったろう。浅田ハンゾウだ。――あがりなさい」

「ありがとうございます」


 彼に許しをもらって、シウが上がり框に腰掛け靴を脱ぐ。

 彼女がミリタリーブーツの紐を解いている間、ハンゾウはイオルの姿を見て顔を顰める。

 顔や服に、血痕が残っていた。


「もしやお前、また喧嘩でもしてきたのか?」

「…………」


 無言は肯定と同義だ。

 ハンゾウは嘆息をもらす。

 どうしようもないやつだと言わんばかりの、長い溜息だった。


「彼は悪くなかったですよ、どう考えても」

「……!」


 だが、シウの強い言葉選びが、悪くなりかけた空気を破る。

 行儀の悪い輩に絡まれるたびに、相手をするなと言われてきたイオル。

 悪いのは相手だったとシウが明言したのを聞いて、胸の中ですとんと何かが落ちていく。


「……そうか」


 ハンゾウも何か察したのだろう。

 それ以上イオルを責めるようなことはしなかった。


「怪我は?」

「彼女が回復薬を譲ってくれました」

「……なるほどな」


 ハンゾウはふむ、と顎に手を置いた。


「教え子が世話になったみたいだ。大したものはないが、ゆっくりしていってくれ。昼餉はもう食べたか?」

「実はまだなんです」

「なら、食べていくといい」

「では、お言葉に甘えさせてもらって……。たくさん歩いて、お腹がぺこぺこだったんです」


 シウはへへへ、と人懐っこい笑みを浮かべる。

 なんとなくハンゾウも機嫌が良さそうだ。


「イオル。お前は早く汚れを落としてこい」

「……はい」


 イオルは、先に勝手が分かっている室内へと上がって行った。

 廊下を進み、洗面所に入って顔を洗う。

 薬が効いて、擦り傷ひとつなくなった自分の顔が鏡に映った。


「また伸びてきたな」


 視界に入るのが嫌で、白い髪は短く切っている。濡れた髪から、ぽとりぽとりと雫が落ちた。

 イオルはタオルで髪をごしごし拭く。


(……そういえば、まだ何も言われてない)


 シウはここまで歩いてくる間にも特別髪と目について、触れることはなかった。

 誰でも、初めて自分の姿をみれば触れる話題なのだが、彼女は違うらしい。


「…………」


 イオルはタオルを離すと、少し考える。

 道場ではハンゾウに言われるので、フードを外すようにしている。いつもは、他に人がいれば面倒なので別室に籠っていた。

 しかし、今回は助けてもらった恩もあるので、イオルは彼女が案内されたであろう客室に行くことを決めた。

 フードは背中乗ったまま、彼は歩き出す。


(……いや、キッチンか)


 その途中、師範は昼餉にすると言っていたことを思い出して、彼は向かう先を変える。

 歩いていると、料理の匂いが強くなり食欲を刺激した。

 物音が聞こえるので、予想通りハンゾウはそこにいるのだろう。


「来たか。お前も一緒に食え。これ持ってけ」

「はい」


 部屋に顔を出してみれば、長手盆にはハンゾウ手製の料理が載せられている。

 イオルはそれを持って廊下を進み、客室に入った。


「あ、イオル」

「座ってていい」


 そこには、ひとりでぽつんと正座したシウが待っていた。彼女はイオルの姿を見つけると、腰を浮かす。


「うわぁ。おいしそ。手伝う」


 客人なので座っていていいのだが、シウはぱあっと顔を輝かせ、るんるんで皿を並べて準備を手伝う。

 そうして支度ができると、ハンゾウも揃って三人は手を合わせた。


「おいしい!」


 食事を始めると、シウは満面の笑み。

 始終にっこにこで、小さな口で料理を頬張っている。


(外にも、これくらいの料理はいくらだってあるだろうに)


 そのリアクションは大袈裟なのではないかと思ったが、彼女にこちらを気遣うような下心が感じられない。

 イオルは不思議に思いながら、ほぼ里で自給自足しているものでできた代わり映えのない料理を口に入れた。


「口にあったみたいでよかった。この里にはいつから? さっきは東から来たと言っていたが、宇佐美くんはこの里には観光で来たのか?」


 ハンゾウは単刀直入に、シウに尋ねる。

 シウはもぐもぐと口を動かして、食べたものを飲み込んだ。



「里には二日前に。桃幻郷に住もうかなと思って、ここまで来ました。土地を買いたいなら浅田さんに相談しろと言われて、伺った次第です」



 そして彼女が言ったのは、イオルには到底理解できない答えで。


「――は?」


 彼は箸を動かす手を止めて、眉間に皺を寄せた。


「こんなド田舎に住む? 桃幻郷なんて言われてるけど、たまに渡りや流れが来るだけの、なんの刺激もない隔離された里だぞ。外のほうがいいに決まってる」


 それだけはやめておけと、つい本音をぶつけてしまう。

 十七年とこの地図には名もなき辺境の里で生きてきたが、ここがいい場所だと心の底から思ったことは一度もない。

 どうして、こんなところが「桃幻郷」なんて呼ばれるのか、イオルは耳にする度に理解に苦しむ。

 彼の勢いにシウは驚いたようで、瞬きを繰り返した。


「イオル。お前な……」


 思いっきり故郷を否定するイオルに、ハンゾウは呆れた表情だ。


「だがまぁ、確かに若い子が住むには刺激がない場所ではあるかもしれない」


 ただ、ハンゾウもそれを訂正することはしない。

 実際に、この里の若者はこの道場を無事卒業すると、すぐに外へと旅立ってしまう。

 一向に里を出る見通しが立たないのは、イオルだけだった。

 ――いや、その表現は少し違うか。



 彼がこの里を出られる日はきっとこない。



 それを分かっているハンゾウは、気まずそうに茶を啜った。


「それは優先順位の低い条件なので大丈夫です。わたしからすると、鬼が出ない土地というのがかなり重要ですね」


 シウはイオルの話を聞いても、気に留める様子がない。


「セーフティーゾーンなら他にもあるだろ? ここである必要は全くない」


 だが、彼のその反論にシウは顔色を変える。

 彼女はわなわなと肩を震わせた。


(怒らせたか?)


 そう思ったが、間違ったことは言っていない。

 イオルはじっと彼女を観察する。

 すると、




「――都心は土地が馬ッ鹿みたいに高いんだよ!!」




 今度はシウが身を乗り出す勢いで、イオルにそう言い放った。

 何かスイッチが入ってしまったらしく、緑の瞳がめらめら燃える。


「わたしも色んな藩を回って土地を探してるけど、条件がいい都心部はどこも土地が高い! そもそもそんな場所に家を建てられる土地なんて残ってないんだよ。ついでに言えば、物価も高いし水道光熱費も普通に高い。何より、都の中心に行けばいくほど環境管理費が、頭おかしい。馬鹿高い! 無事に家を建てれたとしても、生活費がすっからかんなんだよ! 休むための家に首締められるなんて本末転倒すぎる!!」


 シウの叫びは切実だった。


「こんなんじゃ、いつまで経ってもマイホームは夢のまた夢……」


 力説して、自分の言葉に項垂れている。

 勢いよく語った後に、しゅんとしてしまった彼女に、ハンゾウからは諌めるような視線が飛んできた。

 が。たぶん、これについては自分は何も悪くないと思う。


「ヤシマは広くて狭いからな。ケモノや【イタツキ】から逃れようと思ったら、治安がいい大きな都に住むしかない。土地を探してわざわざこの里に来てくれたのは嬉しいが、レッドゾーンを超えなければたどり着けないはずだ。大変だったろう……」


 口をつぐんでいると、ハンゾウがシウに慰めの言葉をかけた。


(また始まった)


 イオルは耳にタコができるほど聞いたことがある話題に、ひっそり顔を顰める。

 いつもこうだ。

 ハンゾウに限らず、この里の人間は皆外から来た旅人たちを歓迎し称賛する。

 彼らがそう言うのだから、きっとここまで来るということは、それだけすごいことなのだろう。

 しかし、里の外を知らないイオルには、いまいちそれが咀嚼できていなかった。

 彼は本や写真、言伝にしか聞いたことがない、この国のことを想像して黙り込む。

 ただ。


(こんな田舎より、都のほうが絶対に栄えてる)


 外に出たことがなくても、それだけはイオルにも断言できた。



 六十八の藩から成る島国――ヤシマ合藩国。

 地図にはどこにも書かれていないこの里は、その西にある中備藩のどこかに存在している。

 周囲は深い森と険しい渓谷に囲まれたケモノたちの巣窟。危険度が最も高いレッドゾーンとして、地図は真っ赤に塗られているようなところらしい。一般人は無論、影法師ですら避けて通る場所だそうだ。

 つまり、ここは強者の中の強者だけがたどり着ける秘匿の集落。

 では、どうして彼らはそんな危険を犯してまでこの里に来るのか。ただのケモノが寄り付かない安全地帯―セーフティーゾーン―であれば、わざわざここまで来ない。

 


 理由はひとつ。

 彼らはこの里が【鬼】の出ない唯一無二の理想郷だと思っているからだ。




 ――ピリリリリリ、と。

 イオルが思考に更けていると、モバイルの初期設定の無機質な音が、部屋に鳴り響いた。







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