参02・影力測定
『……想像以上だ。あの馬鹿ウサギもいい拾い物をしたな』
三十分が経過した。
ハクは庭に面した建物の壁を見上げる。
そこには、影の腕を使って建物を素早く上り、鋭く尖った影から流れるイオルの姿があった。
「本気で、死ぬかとッ、思った!」
あの狼、加減の仕方を間違えてはいまいか?
ハクの攻撃を耐え続けていた彼の顔には一筋血の跡が。服もよく見れば切れたり、土で汚れている。
息を切らしながら、イオルは自分の足先を見た。
あと少し逃げるのが遅かったら、身体を貫かれていたかもしれない尖った影が、これ以上は伸びないと震えている。
「これが、ハクの攻撃できる限界。使える影には制限がある……」
ハクは攻撃を初めてから一歩たりともあの場所を動いていない。あそこから、影の身体を操るだけで攻撃をしていた。
イオルも影がどこまでも伸ばせる都合の良いものだとは思っていなかったはずなのだが、ここまで追い詰められるまでそのことに気が付かなかった。
『そうだ。影の力は無限じゃない』
ハクの声が脳に響くと、影はスルスル狼の足元にできた影に戻っていく。
『影は自分から離れれば離れるほど、操ることが難しくなる。人間の達人だと、1kmくらい伸ばすのが限界だったな』
「1キロ!?」
『防御に割く影を捨てて、集中して影を伸ばせばかなり遠くまで伸ばせる。まあ、それが戦闘や索敵に使えるかは別の問題だが』
降りてこい、と言われてイオルは警戒したまま地面に降りる。
『ただ距離を取ればいいところを、オレを止めようと隙を狙って危険を顧みないとはな。隙あらば逃げ出すどこかのウサギとは大違いだ』
ハクは人間のようにため息を吐く。
言わずもがな、そのウサギとはシウのことだった。
イオルは攻撃が始まる前、ハクは死ぬ気で逃げてみろと言っていたことを思い出す。
(そうか。俺はハクを止められないかばかり考えてた)
無意識に狼の意図とは違うことをやってしまったようだ。
『今ので大体、小僧がどんな影法師たちを見てきたのかはわかった。実際、やってみてどうだ?』
「鎧の維持が難しい。気を張っていないとただ影の服を着てるだけになる」
『そうだな。ほぼ全身に影をまとわせて、半日は維持できねぇと話にならない』
鎧は、作ることには作れる。
イメージは攻撃を通さないインナー。
ただそれをずっと意識して纏うことが難しい。
『正しい姿勢を意識して過ごすのと、感覚は似たようなものだ。慣れればずっと使える。つまるところ、光影術ってのは精神的な修行で成り立つ』
「……なあ、影法は無限じゃないってさっき言ってたけど、影の量とか質はどうなってるんだ?」
相対的に見て、自分の力量とはどのようなものなのかイオルにはまだ測れない。
影それ自体に差があれば、何を優先して鍛えなければいけないかも変わってくる。
彼にはそこが気になっていた。
『操れる影の大きさや質に個人差はほぼない。力の差異を生むのはその使い方だけだ』
「え。達人だろうと凡人だろうと影のポテンシャルは変わらないのか?」
『そうだ。良くも悪くも、お天道様は平等だからな。強いて言うなら身体の大きさで、影の量も少しだけ大きくなるが、戦闘になればあまり関係ない』
「へぇ……」
意外な話だった。
イオルは影の強さは生まれ持って差がつくものだと思っていた。
『影の使い方とフィジカルで、影法師の能力は決まる。お前は土台がそこそこいいから、伸び代たっぷりだな』
ハクはペロリと舌なめずりをする。
「じゃあ、影の濃淡っていうのは?」
『影っていうのは、自分に近ければ近いほど濃くて強い。接触面にできる影の濃さをMAXとして、薄さは調節できる。伸ばせば伸ばすほど薄く、弱くなる』
「なるほど」
絵本で読んだ海外で使われる魔法のような華やかさは全く感じられないが、影法は影法で割と応用が効くらしい。
「魔法と違って、極めがいのある力なんだな」
『魔法……? 突拍子もない話をするな?』
イオルは昔、影の力が使えないのなら海の外の理で使われる魔法とやらを使えないかと、色んな書物を漁ったことを思い出していた。
「……興味があって昔、調べてたんだ……」
ヒト・モノの移動が制限される世界だが、本なら輸入に制限がない。絵本から始まって、何やら怪しい研究書に目を通した。
結論から言えば、イオルが火や水を出したりするような魔法を使えることはなかった。
彼らの信じるのと、ヤシマの民が信じるものは違う。そして信じるものが違えば、見えるものもまた違って。それはつまり、違う世界を生きているのと同じだった。
だからハクが精神的な修行だというのにも、納得できた。
そして何よりイオルが魔法を使えない決定的な理由は、血筋が適応していないということにある。
単刀直入に言えば、人種が違う。
この世界には、影使い、魔法使い、精霊使い、気功使い、神の使いなど様々な理を持つ人間たちがいる。
ちなみに国土の関係から、影使いはどちらかというとマイナーで特殊な一族である。
何が特殊かというと、魔法使いや他の能力者はその土地以外の場所では力を使うことができなかったり、弱まったりするが、影使いは土地に左右されない。
自分の身体とお天道様の恩恵があれば、彼らはどこの土地でも力を使えた。
『あれと比べたら、確かに影の量やら質やらが気になるだろうな。魔力の量がうんたら〜ってやつだろ? まあ、似たようなところはあるが、全くの別物だ』
「ああ。なんとなくわかったよ」
今まで能力者は全て一括りにして考えていたが、自分が調べていたものと影法師の性質が違うのはもう理解できる。
『ん。なら、オレもお前も理解が深まったところで、影力測定といくか』
「影力測定?」
『体力測定みたいなもんだ』
ハクは一枚の紙を取り出す。
目の前に提示されたその紙に、イオルは目を通す。お手製のようで、綺麗な字が並んでいた。
「影伸ばし、影走、影纏い、影握り……」
『国が定めた項目だ。それぞれ最高記録保持者がいて、かなりいい賞金も出るぞ。ちなみに、さっき言った限界守備範囲は影広げの項目に該当する。オレの記憶じゃ、浅田ハンゾウも昔は影纏いの記録保持者だったはずだ』
「えっ!? マジ? 知らなかった……」
身近に過去記録保持者がいたことを知り、イオルは目をギョッと見開いた。
『んじゃ、やるぞ。お前ならもう測れるだろ』
ハクは器用に影の手で、くるりとペンを回す。
『まずは影伸ばし。一本だけ集中して、影をできる限り伸ばしてみろ』
「……わかった」
光影術で動く影は、自分の影から伸びる。
その時、自分の影は何も変化しないのが不思議だ。自分の影という箱から、変幻自在に使える影を取り出す形になる。
イオルは日の光に向き合う形で立つと、爪先から影を伸ばした。
『自分の影の長さは誰にでも伸ばせる。その長さを半径とした範囲が、“絶対領域”ってやつだ』
「絶対領域……」
『この内側で操る影は常時、MAXの硬度を発揮することができる。ちなみにさっきから言ってるこのMAXっていうのは、全員共通の硬さだ』
「どれくらい硬いんだ?」
『ただの刃と銃弾は通さない』
話している間にも、影はぐんぐん伸びる。
「……これ、が限界かも……」
イオルはじっと影の先を見つめ、ハクに申告した。
遠くに行けば行くほど影が薄くなり、その先っぽはぼやけている。なんとか感覚が残っている、そんな状態だ。
『絶対領域分を引くと、153m。平均より少し短いな。それじゃあ次。合図するから、その影を最速で自分の影に戻してみろ』
よーい、どん。と男の声が響き、グンと一気に影を戻す。
結果は秒速5m。これは平均だった。
『影纏いは持久力だから後に回す。影握りは影の腕の握力だな。握ってみろ』
イオルは渡された機械を影で作った腕で握る。
『86kg。ん、まあ、こんなもんだな』
「ハクは、どのくらいなんだ?」
『あ? オレか?』
好奇心で聞いてみれば、ハクが徐に機械を握った。
『これで測れるのは、200までだからな。本気でやればもっと出る』
「……」
示されたのは、196という数字。
どうやら加減してこの値らしい。
「……強すぎないか?」
『オレ様だからな。人間と比べるな』
ハクは自慢げに鼻を鳴らす。
『まあ、心配するな。お前ら人間とバケモノたちが今も生存してるってことは、それなりの均衡を保って世界は回っている。バケモノたちの強さにも限度があるってことだ。お前がどこを目指すかは知らねぇが、オレからすれば全部どんぐりの背比べ。ひとつの指標として測ってやってるが、正直人間が定めたこの数値だってどうでもいい』
ヒラヒラ紙を揺らし、ハクは青い目を細める。
『自分の力を知って、それをどう使うかが重要であって、数字がいいから生き残れるとは限らない』
「……俺もそう思う」
イオルは素直に肯定した。
『相対的な弱者が絶対に強者に勝てないなんてことはない。ま、お前のほうがよく知ってるか』
「そう、かもな……」
狼は話疲れたのか、大きな欠伸をする。
『んぁ、次は鎧を作って耐久な。旅に出るには半日キープは最低ラインだ』
「ハイ」
イオルは返事をして、測定に集中した。