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第7話

長崎県対馬島。

日本海の西の入り口に位置するこの島は、九州本土より玄界灘と対馬海峡東水道をはさんで約132キロメートル、朝鮮半島へは対馬海峡西水道(朝鮮海峡)をはさんで約49.5キロメートルの距離にある。形状は、南北に82キロメートル、東西に18キロメートルと細長く、面積は約700km2で、日本の島では第10位の広さである。

地理的に朝鮮半島に近いため、古くからユーラシア大陸と日本列島の文物が往来し、日本にとっては大陸との文化的・経済的交流の窓口の役割を果たしてきた。一方では、日本の最前線としての歴史を刻んできた

鎌倉時代の元寇で元(モンゴル帝国)と高麗(朝鮮)の侵略を受けた地でもあり、幕末にはロシア帝国海軍の強襲により対馬の一部が一時占領されるポサドニック号事件もあった。対ロシア帝国、対ソビエト連邦の防衛上の重要拠点であり、冷戦時代はソ連軍の軍用機や潜水艦が頻繁に出没していたこと等、地政学的にはチョークポイント(戦略的に重要となる海上水路)にあたるところから、古代より国境の島として国防上重視された。明治時代から大日本帝国陸軍(日本陸軍)は対馬警備隊・対馬要塞を置き、戦後は1956年より航空自衛隊の海栗島分屯基地が設けられ、1961年より陸上自衛隊の対馬駐屯地も置かれ、対馬警備隊へと発展している。また、明治時代には大日本帝国海軍(日本海軍)の施設が置かれたこともあり、現在は海上自衛隊の対馬防備隊も所在している。

江戸時代の鎖国期にも江戸幕府公認の朝鮮交易港として、同時に朝鮮通信使の中継港として大きな役割を果たしていた厳原港で、毎年8月の第1土日曜日に厳原港厳原地区をメイン会場にして開催される「厳原港まつり」は対馬最大の祭りであり、メインイベントの厳原町の金石城跡から厳原港までを江戸時代の朝鮮通信使を模して練り歩く「朝鮮通信使行列」と、祭りのフィナーレとなる花火大会が行われる。韓国K-POP歌謡ショーや朝鮮民族の舞踊、朝鮮通信使行列を再現して韓国人を歓迎するパレード等へ港まつりの内容を大幅に改変して「厳原港まつり対馬アリラン祭」という朝鮮通信使の歴史を偲ぶ観光物産イベントとしたが、2012年に起こった対馬仏像盗難事件のため、2013年に祭の名前からサブタイトルの「対馬アリラン」を削除した。


202X年 8月


この年の厳原港まつりも盛大に開催されていた。

対馬でも新型肺炎ウィルスによる混乱から一応の終息を取り戻しつつあったが、対馬仏像盗難事件に続き徴用工訴訟問題とそれに対する日本企業への一方的な賠償請求による日韓関係の悪化から、韓国からの旅行客は大幅に減っていた。韓国人絡みの混乱(事件)を警戒してか、長崎県警の機動隊も大幅に動員され、テロ警戒のための銃器対策部隊も含まれる等物々しさを感じさせていた。

そんな状況の中でも、「韓国親善観光団」なる韓国人団体が厳原港まつりを見に対馬を訪れていた。50人程のグループで日韓関係の改善と修復が目的とされていたが、屈強な体格と鋭い目つきを持つ、“男性客”ばかりの「韓国親善観光団」は一般人とは違うどこか異様な空気を漂わせていた。


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