4)お祖父さんの遺言
今日、2話目の投稿になります。
窓を開け放しながら、ふたりで家の中を見て回った。
台所には、古い流しとコンロ台があった。
広さは8畳ほどで、食堂と兼用。いわゆる、ダイニングキッチン。
ひとが住んでいたころは、テーブルがあったんだろうなぁ。
食器棚の類いも無く、ガランとしている。
「祖父ちゃんが入院して、亡くなったあと、一応、親族が片付けたんだってさ。
売ることも考えて、だいたい、空にした、という話しだ。
衣類やら布団やら雑多な荷物も、処分したり、形見分けをして。
でも、けっきょく、家も土地も、事情があって、売らなかったんだ。
その事情っていうのが、祖父ちゃんの遺言でさ」
「へぇ。
どんな遺言?」
「家を継いで、修繕して住んでくれる親族に、金を残すって。
祖父ちゃんの精一杯の貯金。
400万」
「うわ~。
大金じゃないですか」
「それがさ、そうでもないんだよ。
こんなボロ家だから。400万では直らないんじゃないかな。
それで、遺言執行人に、旭輝大叔父さんが指名されてたんだけどさ。
けっきょく、祖父ちゃんが亡くなったころは、家を継ぎたいって親族が居なかったんだ。
みんな、家はすでに持っていたり、あるいは、もっと交通の便が良いところに行きたかったりで。
そんなわけで、この家と土地は、今は、旭輝大叔父さんの名義になってるんだ。
で、もしも、俺が、家を住めるように修繕して、実際に住む計画を立てられれば、貰える予定なんだ」
「なる。
で、予算は400万なんですね」
「そうなんだよ。
敷地の整備もしたいし。
なるたけ、自分の力でやって、節約して、予算内で終わらせたいところなんだよなぁ」
「私の猫の手は、ボランティアでいいです」
「悪いな。助かるよ。
家が綺麗になったら、別荘代わりに自由に使っていいから」
「頑張りがいがありますね」
「うん。居心地良い家にする予定だからさ」
・・とまぁ、賢哉さんの理想はうかがった・・。
でも、家の中を見回して、その理想は、遠く険しい道のりの果てにあるような気がした。
床は歩くごとにギィシギィシうるさく鳴り響いて、まるで清水寺の鶯張りの大音量版みたいな感じ。こりゃ、張り替えなきゃダメじゃないかな。
畳は、ぶよぶよにたわんでて、実に柔らかい。布団の上を歩いているみたいだ。
天上を見上げれば雨漏りのシミだらけ。
壁も汚いし、漆喰にはひび入ってるし。
家の中に家具類はなにもないが、なんとなく、雑然としている。
きれいに片付けようとして、途中で放棄されたように見える。
実際、賢哉さんの話しによると、そうなんだろう。
お祖父さんの遺言によって、家を売る計画は取りやめになったのだから。
家を見ながら、
「400万のお金を貰えても、この家、欲しいひとが居なかったんですね」
と私が言うと、
「法定相続人である親族は3人だけだったからね。その3人の中には、欲しいひとは居なかった、ということさ。
うちの親も、住まない家なんか、持ってたって、経費と手間がかかるだけだから、放って置いた方がいいとか言ってたんだ。
そんなに悪い家じゃないと思うんだけどな。
近くの集落は、年々、それなりに大きくなってるから、将来性あるんじゃないかな」
と賢哉さん。
「ふうん」
「それに、俺は、家具のデザインの仕事をしたいと思ってるから、この家は、アトリエに使えると思ってさ」
「家具の仕事をするの?」
「まぁ、その予定」
「じゃぁ、大学は、デザインの?」
「大学では、設計をやりたいと思ってる。CAD設計の方とか。
家具で食っていけるか判らないし。
他の設計の仕事をしながら、自分でデザインした家具を売るとか。
その辺は、大学行きながら考えようかと思ってる」
しっかり、将来のこととか、やりたい仕事とか、考えてるんだなぁ、賢哉さん。
私は、将来の希望なんか・・ゼロだな。
マジ、ゼロだもんな。
どうしよ。
納戸を開いたら、クワとか、古民家にありそうな千歯こきみたいな農作業用具とかが出てきた。
「手入れしたら使えるかな」
「これ、売れるかも」
とか賢哉さんと言いながら漁っているうちに時間が過ぎ、私たちは、昼ご飯を作ることにした。
「外で、バーベキューにすべ」
と賢哉さんが言い、
「うん! 賛成!」
と私は諸手を挙げた。
そこいらにあったブロックを積み上げ、ジムニーから炭や焼き網を運んできた。
水は井戸水だった。なんと、手押しポンプのやつ。
「すごいな。江戸時代くらいの?」
「あのな。
飛びすぎだろ。
昭和のころだと思うよ。
その井戸水は、旭輝叔父さんが、年に一度くらい汲み出してたって言うから、使えるはず。
美千留は、水がきれいになるまで、出しといて」
「ラジャ」
私は、コキコキと井戸水を汲み上げ続け、しばらくすると、綺麗な水が出てきた。
賢哉さんは、その間に、焼き網に油を塗り、炭に火を付けた。
網に肉を乗せ、隣にはピーマンとアスパラも置いてる。
ご飯は、朝、沙月叔母さんがおにぎりを作ってくれてた。
「手押しポンプも趣があっていいよな」
肉を返しながら賢哉さんが言う。
「家の水は、どうなってんの?」
「家の方も、井戸水だよ。
ここには、深井戸と浅井戸と、ふたつもあるんだ。
庭の浅井戸は古いんだ。よく水が出てるよな。
家には、深井戸を使ってるってさ。
飲用には、深い地層からの水が良いだろうからって、うんと深く掘ったらしい。
電動ポンプで汲み上げてる。
電動ポンプは、物置の裏にあるよ。板と波板で覆って雨風を避けるようにして置いてある。
使えればいいんだけどな。
大叔父さんが、5,6年前に、自家発電機を持ち込んで、電気を入れて試したときは使えたらしい。
ポンプの裏の日付見たら、祖父ちゃんが亡くなるちょっと前に買い換えたものらしいから、年数は古いけど、そんなに使ってないという話しなんだよね。
ダメになってたら、修理か、取り替えか」
「そっか・・。
電気は?」
と私が尋ねると、
「今朝のうちに使えるようになってるはず。
旭輝大叔父さんが、電力会社に電話してくれてたから。
ま、壊れてなきゃ、だけど。
そういえば、ブレーカーのスイッチ入れて使えるかテストするの忘れてた」
と賢哉さん。
なんか、色々と、道は遠いなぁ。
肉の焼ける匂いが漂い始めた。焼き肉のタレが香ばしい。
お腹が鳴りそう。生唾が出てきた。
賢哉さんが、用意したお皿に肉を取り分けてくれたので、私は、菜箸でピーマンとアスパラを盛り付けた。
ふたりで、「いただきます」と箸を手に取った。
青空の下、フィトンチッドやオゾンがたっぷりの中で、焼き肉をいただいた。
幸せだ。
高校、落ちて良かった・・と一瞬、思ってしまった。我ながら不謹慎だ。
大満足の食事を終えると、食器を片付けた。
賢哉さんは、炭の火の始末をしてから、さっそく、家の電気が使えるか、試しに行った。
私は、手押しポンプでキコキコと、バケツに水を汲み入れ、石けん洗剤とスポンジで食器や焼き網を洗う。
石けんを使うのは、自然に返したときに、合成洗剤よりも分解されやすいから、と沙月叔母さんから聞いている。
汚れた水を雑木林に捨てて、水を替えてすすぎ、洗い物を終えた。
食器類や焼き網の入ったバケツを持って家に向かった。
賢哉さんは、家の掃除を始めてた。野ネズミのお家だった籾殻を片付けている。
私も手伝わなきゃ。
でも、その前に、トイレに行きたい。
台所にバケツを置くと、トイレを探した。
トイレとお風呂場らしきドアは、窓から侵入したときに目星を付けて置いたのだ。
お風呂場は、古かったけれど、きれいに掃除すれば、まぁ、使えるかな。あ、でも、ガスとかどうなってるのかな。
井戸水と電気はあるけど。
ガスはプロパンだよな。
ガスのボンベらしきものは家の周りにはなかったので、今は使えないだろう。
トイレは・・。
私は、トイレのドアを開けて、愕然とした。
トイレの痕跡はあった。
・・でも、トイレがない。
トイレは、半壊していた。
元は、おそらく、タイル貼りのトイレだったんだと思う。
でもタイルが貼られているのは、ドアのそばの数十センチまでで、あとは、打ち壊されて、コンクリや床下が見えている。
トイレが設置されていたと思われる部分には、ただ塩ビパイプがにょっきり突き出ていて、パイプは、どこか、床下の彼方へと繋がっていた。
賢哉さんのところに行くと、彼は、野ネズミのお家の始末を終えて、掃き掃除を始めていた。
「あのさ、賢哉さん」
「ん?」
賢哉さんは、箒を動かしながら応えた。
「おトイレ・・どうなってんの? この家・・」
「ないよ・。っつうか、壊れてる。
直さなきゃな」
「そ、そんな~。マジですか。
で、でも・・。
私、今、切羽詰まってんですけど」
私が訴えると、賢哉さんは、
「そこらでやればいい」
と、箒で塵を窓の外に掃き出しながら、当たり前のように言う。
「ぬぁんだって?」
私は、思わず呟いた。
そろそろ、限界が近い。余裕がないというのに。
「だからさ、この家、ずっと、使われてなかったから・・」
「んなバカな・・。
お祖父ちゃんが、最後までひとりで生きてたって・・」
私は、思わず、柱にしがみついた。
「19年前までな。
俺が生まれたときには、祖父ちゃん、もうお空のひとだったから。
祖父ちゃんが最後までここで暮らしてたって話しは、大叔父さんと、うちのお袋の情報」
「で、でも、でもね、あのね」
「大の方か?
小の方だったら、そこらで立ちションして来いよ」
「・・た、立ちショんだとおぉ~」
ショックで小の方が引っ込んだらしい。
あるいは、膀胱が膨らんだのかもしれない。
ほんの少し、限界が遠のいた。
今のうちに、なにか手を考えよう。
ここには誰も居ないし、見渡す限り、草むらや雑木林だった。
立ちションは身体の構造的にムリだが、座りションなら出来る・・っつうか、座りションしか出来ないんだよ、このぉ~。
なんなんだよ、こいつ。
少しでも、優しい~とか思った私がバカだった。
彼氏が出来るかも、とか思った私がアホだった。
とりあえず、ティッシュを持って・・。
私がティッシュを求めて鞄を漁っていると、
「そう言えばさ、美千留って、女に間違われることない?」
と、相変わらず、のんきに箒を動かしながら、賢哉がほざきやがった。
「・・そういう変な冗談、止めて欲しいな」
「あ、ごめん。
気に障ったか。
そういうの、気にする年頃だよな」
「そうだよ!」
「でもさ、たまに、女言葉が出るから・・」
「・・ちょい待ち・・。
あんた、もしかして、アタシを男だとか、思ってないよね?」
「へ・・?
男・・だろ?」
私は賢哉の問いには答えず、ティッシュを掴んで、外に駈け出た。
◇◇◇
見渡す限りの雑木林や草むらの中で、私は快く、膀胱を空にした。
ワイルドだぜ。
けっこう、爽快だった。
なにしろ、見上げると青空が広がっている。
可愛らしい鳥の鳴き声がBGMでさ。
春の花が咲き始めた阿蘇の大自然を感じながら、放尿・・涙がこみ上げてくるぜ。
なんで、うら若き15の乙女が、こんな目に遭ってんだよ。
私は、使い終わったティッシュを、枯れ枝で穴を掘って埋めた。
家に戻りたくないな。
戻りたくないけど・・。
戻らないとダメだよね。
足を引きずるように、お化け屋敷めいた家に向かう。
疲れた。
大したことやってないのに、もう1週間くらい、ここで暮らしているような気がしてくる。
たぶん、通常の1週間ぶんくらいの体験をすでにしているからだろう。
1週間ぶんでは済まないかもしれない。
野ネズミの家族連れを見たり。
野ションなんて、日本では、一生体験しないひとの方が多いよ。15の乙女に限定すれば、0.1パーセントも居ないだろう。
家に戻ると、いきなり、賢哉が土下座した。
「ごめんっ。
大叔母さんが、『湊斗さんちの坊やが来るよ』って言ってたんで、てっきり、男の子だと・・」
「・・おかしいと思ったよ。
みんなして、『美千留くん』って呼ぶし・・」
私は、脱力して座り込んだ。
いわゆる、体育座りという格好で、はぁ、とため息をついた。
「大叔母さん、ちょっと目が悪いから・・。
たぶん、大叔父さんも、美千留のこと、『湊斗さんちの子』としか話してなかったんだと思う。
それで、男の子だと勘違いしてたんだ」
「もしかして、叔母さんと賢哉って、私の名前、『ミツル』と思ってない?
正しくは、『ミチル』なんだけど・・」
「あ・・・・」
と、賢哉の目が見開かれた。愕然、という感じに。
「やっぱり・・。
ミチルがミツルって発音になるのは、熊本なまりなんだと思ってた・・」
私を、美千留と命名したのは母だ。
くっそぉ~。母の呪いは、すでに、生後数日目から、私の運命を祟っていたのか。
私が、「あぁ・・もぅ・・」と力なく膝に顔を埋めていると、
「美千留・・今夜は、大叔父さんちに送ってくからさ。
そんなにがっくりしないでくれよ・・。
せめてさ、せっかくだから、夕飯は一緒に食ってさ・・」
と賢哉が、私のそばに座り、なだめるように言う。
「ううん。ここに居る。
大叔父さんちには帰らない。
帰るもんか。
手伝うって宣言したんだから、やる」
「でもさ、俺、男だし。
美千留は、一応、女だし。
やっぱ、二人きりってのはさ、マズイって言うか・・」
ここで、また、「一応、女」とか言うんかい。
一応、かい。
アタシは、100パー女なんだよ、女!
「ぜんぜん、マズくないから、気にせんで。
私、賢哉に襲われるとか、0.1ミクロンも思ってないから。
なにしろ、女だと判らなかったくらい、色気がないって、よっく判りましたから。
ご心配なく!
二人暮らし、おっけ~だから。
野ネズミの家族と同じ部屋でなければ、どこでもいいです。
なんなら、賢哉と同じ部屋でも・・」
「あのさ、そこまでイジケなくても・・」
「イジケてません。
真実を言ってるだけだから!」
「美千留と会ったとき、ずいぶん、可愛い男の子だなぁ、と思ってたんだよ。
男だと思い込んでただけだから。
髪、短いし。
勘違いして、悪かった」
「謝らんでいいです。
もう、ホント、いいですから。
ぜんっぜん、気にしてませんから」
「ごめんって」
「野ションも慣れましたから。
さぁ、家を修繕しましょう。
どこからやりましょうか?
畳を剥がして、捨ててくるとか?」
「でも・・」
「大叔父さんちには、帰らないったら、帰らない!
ここで仕事するんだからっ。
私、福岡には、帰りたくないし、働かないでここに居るのも嫌だし。
幸い、色気ないし」
「美千留・・悪かった、ホントに」
「じゃ、私、畳剥がしてくる」
無理矢理、気を取り直した私は、すっくと立ち上がった。
「・・判った。
段取り、話し合おう・・」
また明日、午後6時に投稿いたします(^^)