二章 帝都侵攻(1)
ミール帝国帝都〈オールダム〉近郊の街道沿いに、無数の巨大な人影が蠢いていた。
「……勇者が召喚されたようだな」
雷鳴のように降り響いた重低の声音が、蠢く巨人たちの注意を一点に集中させる。彼らの視線の先には小高い丘を椅子代わりにして腰かける一際巨大な男が、筋肉質な腕を組んで帝都のある方角を見詰めていた。
彼の名はゴライアス。『巨峰の魔王』と称される巨人たちの王だ。
「捕らわれていた同胞が殺された。恐らく、人間どもが勇者の力を計るために使ったのだろうな。醜い真似を」
だが、おかげでゴライアスも勇者の存在を知ることができた。同胞を屠った者はたったの三人だが、勇者が三人も現れたのであれば魔王側としての脅威度は非常に高い。
それに、勇者の中に混じって異質な力を発する存在が一つある。
ゴライアスと近しい、魔王の魔力を持つ者だ。
「……ふむ」
勇者と共に在る魔王がいないわけではない。かつての〝魔帝〟――『黒き劫火の魔王』を始めとして、稀にそのような酔狂な魔王が出現することはゴライアスも知っている。
裏切り者などとは呼ばない。
魔王同士で連合なども作ってはいるが、基本的に魔王同士の仲間意識は限りなく薄い。同じ世界に侵攻すれば互いに潰し合うことは寧ろ自然な流れだ。
その魔王同士の連合にはゴライアスも加入している。
連合のルールでは、世界侵攻は先に手を出した方に譲ることになっている。それを無視するということは……連合に加入していないか、勇者に完全に飼い慣らされているか。
どちらにしろ、この『巨峰の魔王』に踏み潰される覚悟はあるのだろう。
――面白い。
せめてこのくらいの抵抗がなければ張り合いがないというものである。
「武器を取れ」
ゴライアスは立ち上がり、自分の腰ほどの大きさしかない巨人兵たちに命令する。
「帝都に攻め入るぞ。勇者どもを捻じ伏せ、この世界の人間に消えることのない恐怖の傷を負わせてやれ!」
武器を天に翳す巨人兵たち鬨の声が、大地を、大気を、弾き飛ばすように激しく揺さぶった。
†
巨人を倒した陽炎たちは、目を覚ました大臣たちとの夕食の席に招待されていた。
「いやぁ、素晴らしい! あの魔族をいとも簡単に討ち倒すとは!」
「流石は勇者様ですなぁ! 一撃で巨体を薙ぎ飛ばす様は爽快でしたなぁ」
「まったくじゃのう。我が帝国兵にも見習ってほしいものじゃ」
「フハハ、勇者様がいてくれたら魔王など恐るるに足らぬわ!」
極厚のステーキをナイフとフォークで品の欠片もなく切り分けて食べながら、大臣たちは上機嫌な様子で勇者を誉め倒している。陽炎たちの戦いなど気絶して見ていなかっただろうに、兵士たちから聞いた話を勝手に過大妄想しているようだ。
ちなみにミール帝国の皇帝はこの場にいない。病に臥せっているらしく、帝都に残らず民間人と同様に避難させたとか。
「ささ、勇者様方、お食べになってくだされ。我が国最高級のオールダム牛のロースステーキですぞ」
「国宝級のワインもありますぞ。おっと、勇者様の年齢で飲めますかなハハハ」
「女性の勇者様は甘い物がお好きと聞きましたからのう。このケーキやパフェは宮廷お抱えの菓子職人が腕を振るって作りましたですじゃ」
「おかわりはいくらでもあります故、気軽に申し付けてくださいな」
満面の笑顔で大臣たちが料理を勧めてくる。初顔合わせの時と比べたらもう手の平クルックルだった。
「……戦時中に美味い飯食うとはいい御身分だな」
陽炎の皮肉を込めに込めた呟きは大臣たちの談笑に掻き消されて届かなかった。この料理を兵士たちに振る舞えばそれだけで士気も上がるだろう。まあ、人数的にも金銭的にもとても無理な話だろうが……。
「どうしたの? 全然食べてないみたいだけど?」
「陽炎様、どこかお体の調子が悪いのでございましょうか?」
両隣から心配そうな声がかけられた。姫華と夢優はどこかのお姫様と言っても通じそうな品のある所作で出された料理を食べている。遠慮気味ではあるが、一応この世界の人間と協力関係を結ぶためにも必要なご機嫌取りなのだろう。陽炎には関係ないが。
陽炎は盛り上がっている大臣たちには聞こえないように――
「あんな屑どもから出された飯なんて食えるか」
料理に毒も薬も入っていないことだけは確認しているが、それ以上は水しか飲んでいない。この料理を食べるということは、あの肥え太った権力者どもに与することを意味する。どうしてもそうしなければならないのであれば、陽炎は魔王側に加担してこの世界を滅ぼすだろう。
これが勇者と陽炎の大きな違い。あくまで人間の味方である勇者では思いつきすらしない考えだ。
それに悠長に飯など食っている暇はない。
「そろそろ教えろ、魔王の居場所を」
今度は大臣たちにも聞こえるようにはっきりと陽炎は声を出した。さっさと話しておけば一瞬で片がついたものの、ここまで辿り着くのにかなりの時間を浪費してしまった。
もういい加減に我慢の限界だった。
「それは私から説明しましょう」
不愉快そうに顔を見合す大臣に代わってそう言ったのは、宮廷魔術師のオーレリア・アズールと共に扉の脇に控えていた将軍だった。
「魔王軍の大部分は帝都近郊に陣取っております。魔王ゴライアスは魔王城――最初に奴が現れた南のマレット公国にいることを三日前に偵察兵から報告を受けています」
「南か。距離はどのくらいだ?」
「マレット公国の魔王城までですか? 馬を駆けて五日といったところですが」
「なら、その情報はあてにならんな」
偵察兵が魔王の所在を確認して報告するまで五日。それからさらに三日経っている。通信技術が発達しているのであれば報告が五日も空くはずがないので、確認から最低でも八日経過していることは間違いないだろう。今も魔王がそこにいる保証はどこにもない。
だが、いない保証もない。たとえ魔王が留守でも魔王城に行けば手掛かりを掴めるかもしれない。
充分だ。あとは陽炎一人でもいい。
「ダメよ。勝手な行動は許さないわ」
席を立とうとした陽炎を姫華が先手を打って制した。『呪怨の魔王』の呪いで陽炎は姫華から一定距離以上離れられない。姫華がまだ動かないのであれば、陽炎は待つしかないのだ。
陽炎は小さく舌打ちして座り直す。
「まずは帝都近郊の魔王軍を駆逐することが先決でございます。焦らずとも、魔王の居場所は配下の魔族に吐かせればよろしいかと」
「……ま、それもそうだな」
夢優の案に一応納得し、陽炎はグラスを手に取り水を啜った。やはり料理には頑としても手を出さない陽炎である。
「帝都近郊に陣取っている魔王軍の規模はどのくらいですか?」
という姫華の質問に将軍は苦い顔をして答える。
「およそ三千。それも全て巨人や巨獣で編成されております。申し上げ難いことですが、勇者様が倒されたあの巨人は最下級の雑兵だと思われます」
「当然でございましょう。あの程度が幹部だとすれば、この世界を襲っている魔王は大したことありませんわ」
「おお、なんと頼もしいお言葉!」
「我々はその雑兵一匹にすら手こずるというに」
「流石勇者様じゃ!」
「どんどん食べてくだされ!」
なんともなしに言った様子の夢優に大臣たちが歓声を上げる。こいつら説明できないならいらないんじゃないか? と陽炎は見ていてイライラしながら思った。
姫華は気にせず続ける。
「こちらの兵力を聞いても大丈夫でしょうか?」
「はい。これも大変申し上げ難いのですが、元々五千あった我が軍の兵力は先の戦闘で二千ほどまで減っております。既にお聞きになっているかと思いますが、敵の雑兵一人に対しこちらは五百以上の兵で挑まねば戦いにすらなりません」
兵士の練度が決して低いわけではない故に、将軍は悔しそうに語る。だというのに、大臣たちは状況を正しく理解できていないのか勝利を疑わない表情で飲み食いしている。
その大臣の一人がニヤリと笑った。
「なに、兵士が足りぬなら技術力でカバーすればよいのじゃ。――オーレリアよ」
なにやら自信ありげにそう言うと、大臣は手招きしてオーレリアを呼んだ。呼ばれたオーレリアはその大臣の斜め後ろに立って一礼する。
「魔王軍の侵攻に備え、私たちはなにも勇者召喚だけに頼っていたわけではありません。ある魔術兵器を宮廷の地下で開発しており、既にいつでも発動できる段階にまで進めています」
「魔術兵器?」
姫華が首を傾げる。オーレリアは頷く。
「はい。〈集束魔力砲〉――千人の魔術師が同時詠唱し魔力を集め、その魔力を何十倍にも高めて撃ち放つ兵器です。一撃で数千の巨人巨獣を薙ぎ払える計算です」
「それが機密ってやつか?」
「はい、そうなります」
その計算が正しければ勇者など必要ないように思える。しかし、淡々と説明するオーレリアの様子は心の底から兵器を信頼し切っているわけではないようだ。
「くくく、〈集束魔力砲〉と勇者様がいれば我が国は無敵じゃな!」
大臣はそうでもないようだが……。
とそこで、陽炎は一つ重要なことを思いだした。
「俺からも一ついいか?」
小さく挙手して質問の許可を求める。まあ、却下されようが問答無用で聞き出すのだが。
「この世界の『守護者』はどうなった?」
陽炎の質問に対し、大臣たちは揃ってキョトンとした。将軍も意味がわからないと言った様子で眉を顰めている。オーレリアだけは変わらず無表情だった。
姫華と夢優は陽炎の質問の意図を理解したようで黙っている。
「『守護者』……とは、つまり我々のことですかな?」
という大臣の一人の言葉で、陽炎は全て察した。
「いや、いい。今の質問は忘れてくれ」
世界の『守護者』とは文字通りの意味だ。魔王などの外界からの攻撃を防ぎ、排除するために世界そのものが生み出した存在である。
今回のように魔王が出現し侵攻を始めれば真っ先に動くはずの防衛機能。それが働いていないということは、既に倒された後と考えるのが自然だ。
大臣たちが知らないのは無理もない。『守護者』は基本的に表立って自分の世界には関わらないからだ。一部の人間にしかその存在を知られていないことが多い。
この中で知っているとすれば、一人――
「報告します!!」
その時、扉がノックもなしに開け放たれ、一人の兵士が血相を変えて飛び込んできた。
「こりゃ無礼者! 今は勇者様たちとの会食中じゃぞ!」
「も、申し訳ございません! ですが、緊急事態ですのでどうかお赦しを!」
大臣の一喝にビクリと怯えた兵士は、すぐに将軍の方へと目を向ける。
「帝都近郊の魔王軍が動き出しました! このオールダムに向けて進軍しております!」
「なんだと!?」
将軍が大声を上げる。さっきまで楽しげに談笑していた大臣たちは顔を真っ青にして今にも失神しそうだ。
「さらに恐ろしいことに」
兵士は大臣たちよりもさらに顔面を蒼白させて――
「彼の『巨峰の魔王』の姿も、軍勢の中に確認されました!」