龍の押し売り
「こんにちは。ぼく、押し売りにきました『りゅう』です」
女の子が、朝から忙しいお母様に代わって扉を開けて応対したら、目の前には小さな男の子がいました。
黒檀のような真っ黒な髪はおかっぱに切り揃え、目がくりくりした可愛らしい男の子です。
女の子は「私と同じ位かしら?」と思いながら、その子が言った言葉に耳元に垂らした艶やかな黒髪を揺らし、首を傾げます。
「『押し売り』? 『りゅう』? って、なあに?」
女の子にとって『押し売り』も『りゅう』も、初めて耳にする言葉だったからです。
そうしたら男の子も一緒に首を傾げて、
「うんとね……『押し売り』は分からない。でも、『りゅう』は知ってるよ。ぼくなの。ぼくが『りゅう』なの」
と、また言いました。
「『りゅう』?」
「うん! 『りゅう』! ねえ、押し売りにきたの!」
「『りゅう』ってなあに? ニャンコちゃんや、ワンコちゃんと一緒? それとも果物? お野菜?」
女の子は、それが何なのか想像できません。
それに『押し売り』も初めて聞いたから一度に二つも分からない言葉を聞いて、頭の中がごちゃごちゃになっていたのです。
「『りゅう』知らないの? 」
「うん!」
「ちょっと待ってね。元に戻るから!」
男の子はばんざいして、ぐい、って空に向かって背伸びをしました。
そしたら
ぼん、
って音がして、男の子が真っ白なモヤモヤに包まれて――
緑色の長い身体をした宙を浮く獣が現れたのです。
ギョロっとしたお目めに小さなお髭が付いていて、四本の短い小さな足がついています。
小さな獣は、お髭としっぽを揺らし宙を浮きながら、
「ぼく、『りゅう』なの! 押し売りにきたの! おねがいします!」
「おかーさまーーーーー! ウナギが! 緑色の変なウナギが押し売りに来たーーー!!」
「……ぼく、『りゅう』なの……」
『りゅう』に戻った男の子はショボンと尻尾を垂らしました。
※※※※※※※
女の子のお父様は、『りゅう』の男の子から色々と聞き出そうと質問をします。
名前は天耀
神界にいる、お父様のお友達の子供だと分かりました。
「一人でここまで来たのかい?」
「うん! 『せんかい』の道は分かるもん! 後はね、桃の樹が沢山植えてある場所にある、黒い屋根のお家って聞いてたから分かったの!」
それだけで、よくここまで迷子にならずに来れたものだと感心した女の子のお父様とお母様でしたが、まだ、疑問が色々とあります。
自分の娘と同じ年頃の子供の龍がたった一人で、この仙界である切り立った断崖の先にある桃園まで来たわけなのですから。
それに『押し売り』とは何でしょう?
まさか、この小さな龍の子を買えと言うのでしょうか?
お父様とお母様は、お互い顔をあわせて眉を寄せました。
「いや、私の友は自分の子を売るなんてことはしないだろう。あやつは子煩悩だし」
「もしや、神界で何か起きたのかもしれませんよ?」
今度は、お母様が小さな龍の子に尋ねます。
「ねえ、天耀。ここには、お父様かお母様に言われて来たの?」
天耀はう~ん、と首を傾げます。
「うんとね、お父様が僕に『お前は大きくなったら押し売りにいくか?』って聞いたの。それで僕、『うん!』って言ったの」
あやつがそんなことを? と女の子のお父様は、ますます眉間に皺を増やします。
「他に聞いたことはありませんか?」
と、女の子のお母様が尋ねます。
天耀は頭を捻り、一生懸命思い出そうとします。
「えーと、えーと……ぼく、嬉しかったの! ぼくのお兄さまと同じように、お嫁さんを見付けてくれたから!」
元気に答えた内容に
「――!?」
龍の子のその言葉に、お父様とお母様は目を大きく開いて唖然とします。
「それでね、ぼく、嬉しくて『じゃあ、今から行きます!』って言ったらお父さんが『まだ早いから、それにお嫁さんのお家に聞いてからだよ』って言ったの。でも、ぼく、嬉しくて我慢できなくて夜にお家を出てきて聞きに来たの!」
そして天耀は、女の子の手を両手でギュッと握りました。
「この子がぼくのお嫁さん? ねえ、お名前は? なんて呼べば良いの?」
女の子は手を握られたまま固まったままです。
だって『押し売り』で『お嫁さん』ですよ?
龍の子は無邪気に女の子の手を握り、クルクルと回り始めるし。
女の子のお父様とお母様は次第に可笑しくなってきて、最後には辛抱堪らんと大笑いしました。
龍の子は、足を止めてそんな大人二人を見て不思議そうに見上げます。
女の子に至ってはクルクルと回されて目が回ってしまいました。
「『押し売り』か! いやいや! なるほど! しかし天耀、家族に黙って家を出るのは良くないぞ。君はまだ子供だ。きっと心配していらっしゃるだろう」
龍の子は、たちまち萎れた野菜のように元気をなくして、
「ごめんなさい……」
と、小さな声で謝りました。
※※※※※※※
女の子のお父様は早速神界に出向き、友達である龍に会いに行きました。
勿論、女の子のお母様と女の子と龍の子も一緒に。
そこで改めて、子供二人にお互いに自己紹介させたわけです。
「天耀と言います!」
「鈴玉です」
天耀のお父様とお母様は話を聞いて、こちらも大笑いしました。
小さな二人は訳がわからず、仲良く首を傾げます。
天耀のお父様は鈴玉に尋ねました。
「家の天耀が鈴玉のお家に『押し売り』に言っても良いかな?」
鈴玉はまたまた首を傾げます。
「『お嫁さん』は分かるけど……『押し売り』と関係あるの?」
そうです。
小さな鈴玉には『押し売り』と『お嫁さん』のどう繋がるか、てんで分かりません。
「じゃあ、天耀が君のお婿さんになるのは嫌?」
今度は、天耀のお母様が尋ねます。
「わたしのお婿さんになることが『押し売り』なの?」
「そうよ」
大人四人は口を揃えて言いました。
う~ん、と鈴玉は考えます。
『りゅう』という姿が緑のウナギみたいでビックリしましたが、ここに来るまでの間に見かけた『りゅう』達はとても立派な姿でした。
天耀も今はウナギですが、きっと大きくて立派な『りゅう』になるにちがいありません。
それに天耀のことは嫌いじゃありません。
いきなり手を握ってきてクルクルと回された時に、ちょっと強引かな?と思うところもありましたが。
「はい、分かりました」
鈴玉はハッキリと返事をしました。
「あい、分かった。押し売りを認めよう!」
鈴玉のお父様が天耀に言うと
「わあい! ありがとう!」
と天耀は、ばんざいと手を上げました。拍子にりゅうに戻り、長い身体をくねらせてそのまま宙を舞っています。
女の子も、その男の子の様子を見て嬉しくなって、一緒になって床の上を跳び跳ねていました。
「押し売りだー! おっし売りだー!」
男の子と女の子は声を揃えて「押し売り」を連呼します。
「まぁまぁ、待ちなさい。まだ『押し売り』は成立していないよ」
女の子のお父様は、はしゃいでいる子供二人に落ち着くよう低く優しい声で伝えます。
人間の子供の姿になった男の子に、女の子のお父様はこう言いました。
「『押し売り』に来たのなら、私達は代金、つまり『お金』を払わなくてはならない。だけど、まだお金を君に払っていない」
「……『押し売り』ってそういう意味なの?」
男の子も女の子も目をパッチリと開けて驚きました。
「君が私の家で私の仕事を手伝ったり、勉強したり、お稽古に励んだりして立派な『龍』になったら『押し売り』のお金を君の家に支払うよ。分かるかな?」
「うん! 分かる! ぼく、頑張る! 立派なりゅうになるよ!」
「後ね、お嫁さんになる鈴玉とも仲良くね」
と、女の子のお母様は愛娘を引き寄せて、改めて挨拶をしました。
「はい! 仲良くするよ! 鈴玉は、ぼくのお嫁さんだもの!」
小さな龍の子の天耀は、元気よく言いました。
――それから幾年が過ぎて、天耀は立派な龍の青年になり
鈴玉は見目麗しい乙女になった頃、二人は夫婦になりました。
長くてピンと張りのある髭をたなびかせ、素晴らしい龍の身体をくねらせて天耀は空を飛びます。
彼の首元には美しく髪を結い上げた鈴玉を乗せて。
今日は天帝に結婚のご挨拶に行くのです。
「覚えてる? 天耀。私達が初めて会った時のことを」
「覚えているとも、鈴玉。君は俺のことを『鰻』だと勘違いしたね」
「もう! そのことは悪かったと何度も謝ったじゃないの!」
鈴玉は紅梅のような唇を尖らし、ふん! と拗ねてしまいました。
ごめんごめん、と天耀は謝りますが、いつも口だけです。
天耀はいつもすましている自分のお嫁さんが、こうして拗ねる姿が可愛くて仕方がないのです。
だけども、お嫁さんになった鈴玉も負けてはいません。
「だけど、その時のことはわたくしも生涯忘れることが出来ないわ。――だって貴方ってば『婿入り』を『押し売り』に聞き間違えてるんですもの」
「――なっ!」
龍の姿の天耀の身体が、たちまち緑から朱に変わります。
「あの時は本当に『押し売り』と聞いたんだ!後半の『嫁』の方は間違ってない……それに」
「それに?」
「……鈴玉を見て一目で惚れたから、『早くこの女の子の許嫁になりたい』と思った。なれるんだったら強引に婿入りしても良かった。『押し売り』とそう変わらないだろう?」
全身を朱に染めたままそう告白してきた夫に、鈴玉も頬を朱に染めました。
「……もう! 突然、急にそのようなことを仰られて!」
「では、これからは毎日欠かさないずに言ってやろう」
「……このようにお身体を真っ赤にされて、ですか?」
「嫌なら言わない。俺だって恥ずかしさに朱色の龍に変化しなくても済むのだし」
天耀の言葉に、しばらく静寂がありました。
それから、ゆっくりと鈴玉の手が天耀の首筋を撫でます。
その動作と同じ位にゆっくりと鈴玉が言葉を紡ぎました。
「……いいえ、嫌ではありませんから……言ってくださいし。必ずわたくしも……貴方にこう返事をしますから」
『わたくしも、貴方が『押し売り』に来てくださって良かった。お慕いしております。これからも」
それからこの夫婦は、いつまでも仲睦まじく暮らしていきましたが、
どうしてか、夫の龍の姿は他の龍達と違う朱色の身体であったということです。