Chapter0:虎卍打ーいづみ
「頼む!いづみ!!」
必死な声が私を求めてくる。瞬間、私の両手に納まる物体から光が声の主へと繋がる。
─必!─
まるで、何処かの漫画のように赤色の力強いフォントが空に表示された。それに合わせて間髪を入れず、物体にある幾つかの突起を素早く押す。
ΔΔ○←↑→→←↓○
それらを打った瞬間、声の主の周囲に赤色のオーラが出現した。
「こおぉぉぉ!」
空間が暗転し、敵と声の主だけが色鮮やかに映し出される。敵は防御の構えをとったが、先手必勝天下無敵の必殺コマンドにかなう筈もなく。
「秘剣!鋼舞殺戮斬!」
今のハードより二代程前の据置きゲームで流行ったような、厨二病真っ只中な学生も真っ青になりそうな技名を彼は叫んだ。
声と共に現れたのは目にも止まらぬ斬撃、閃光と要らない位焚かれた意味なしスモーク。必殺技様の華美な演出って奴だ。豪華な演出と必殺コマンド専用BGMが流れ、敵が傷つくSEが連続して響く。こまめに削ってきた為か相手方の体力は必殺技により一気に削られた。最終的に体力バーがゼロになり、相手は「くっ!あああああ!」と叫んでスローモーションで床へと倒れていった。
チャラッチャッチャチャッチャチャラッチャラッチャッチャー。
勝利のファンファーレのような効果音が流れ、彼は敵に背を向け鞘に剣を戻した。何故か、彼の周りのみ強風が吹く。演出の為なので、天候は至って穏やかである。
「待っていてくれ、みぞれ」
ポケットから取り出した花柄のハンカチを見つめる彼の名は雪成・久我。攫われた恋人を取り戻すために魔王十宮を目指す者。
「くそぉっ!この魔王十宮第九魔臣アルヌルフ様が配下アウレールが負けるなど、負ける……な…ど!あって、たまるものかぁぁぁぁぁ!」
倒れている敵は断末魔をあげ、元の姿──割れた手鏡へ戻った。落ちたソレを拾い上げた勝者は、自身の手提げ袋に入れる。そして、光で繋がれた相手に(正式に言えば繋がれた相手は無機物だが)手を差し出した。
「また一歩前進したな!」
差し伸べられた勢いと、手のゴツさに毎度怖がっているのだが「みぞれ」にしか興味のない彼は女性の機微に疎い。
ゆっくりと息を吐き出し「私」は人差し指を雪成の手に合わせた。
(…くそぅ、早く帰りたい)
満足そうに笑っている雪成だが、実は総敵数から見るとまだまだ序盤だって事を知っているのは私だけであろう。
……格ゲー「明鏡破空伝」の世界にまさかのトリップをしたなんて、信じたくはなかった。
数年前に発売された「明鏡破空伝」はぼちぼちヒットした格闘ゲームの一つだった。兄が「エーファちゃんやべえ強すぎる」と興奮しながら翠髪のエルフを操作していた記憶があった。兄とは仲も良い訳ではなかった為、適当な会話からしか「明鏡破空伝」の事は知らない。
魔王のいる魔王十宮に主人公「雪成・久我」の恋人「みぞれ・甘白」が攫われ、恋人を助ける為に北にある魔王十宮を目指していること。最強キャラはエルフのエーファ。最弱キャラは魔人のクラウス。ストーリーモードが恐ろしく苦行の長さらしい。今倒したアウレールなんてチュートリアル最後に出てくる弱ボスだった。…先を思うと気が遠くなる。
早く帰りたい。
そもそも何故私がこの世界にいるのか。あれは冬の寒さが厳しい日だった。大学の講義が終わり、暖かいコーヒーを自動販売機で買おうとしたら急に足元が崩れ落ち、浮遊感に目をつぶった。全く空気抵抗のない滑り台に乗っかったような感覚が数秒続いたら、尻餅をつき、痛みに目を開くと東国・里久之国──「明鏡破空伝」の主人公の故郷であり、物語のスタート地点である──にいた。不思議な方陣の上に座った私を取り囲んでいたのは、よくある王子様やお姫様、素敵な魔導師様なんかではなく。筋骨隆々な気功使いのおじ様方だった。凄まじい盛り上がった筋肉が沢山あり、それに囲まれている事に気付いた私は卒倒した。
意識を取り戻してなお周囲を取り囲む筋肉達磨達に、再び気を失いかけたが運悪く意識を失えなかった。頭をぶつけた痛みが私に現実を知らしめる。多分、怯えていた私に彼らは何を思ったのか服を脱ぎ始めた。服を脱ぐ事で何も武器は持っていない事と害意はないと伝えたかったらしいが、生憎ただの女子大生である私には大ダメージ。貞操の危機、殺されるとか散々喚き散らした。半狂乱の私は暴れて疲れてしまい、床にへたれこんだ。そこに手を差し伸べてきたのが竜誠・郭老師であった。筋肉達磨達の師匠であり、里久之国の武術指南役のその方はとても柔和な顔つきをされていた。周囲の筋肉達磨達に比べたら、やや小柄な竜誠老師の姿にやっと安堵した私は、会話を始める。実は竜誠老師こそあの集団の中で最凶の戦士であったが、それは後日に知った話で割愛。
姫里と呼ばれる里久之国の平和と安寧を象徴する一族・甘白一族。今代のみぞれ嬢が魔王ハーゼンクレファーに攫われてしまい、困っていると。みぞれ嬢の恋人である雪成・久我が助けにいくと志願した。しかし、魔王十宮に行くには各地にいる魔臣下らを下さねばならない。彼らを倒すことにより臣下達の力で隠されていた魔王十宮を引きずり出す事が出来るのだ。それは厳しく、長い道のりとなる。
攫われた桃色なお姫様を配管工が助けにいく某ゲームを私は説明を聞いてる横で思い出していた。よくあるテンプレート展開だが、目的も解りやすくシンプルだ。要はお姫様を取り戻すために向かってくる敵を倒せばよい。
長い説明をテンプレ展開で片付けた所で、竜誠老師が「折り入って頼みがある」と告げた。老師は土下座をし、彼に続いて部屋にいた全員が土下座する。
「救世主「虎卍打ー」様、どうか我が弟子にその偉大なる力を貸して頂けないでしょうか」
筋肉達磨さん達の沢山の頭を私は混乱した頭で眺めた。
「私は普通の大学生です。元の場所に帰して下さい」
「勝手に呼び出した我々も申し訳なく思っております。しかし、姫里様がいなければ里久之国は滅んでしまいます。どうか、慈悲の手を伸ばして頂けないでしょうか」
「いや、仕上げなくちゃいけないレポートもあるし単位を落としたくないし、留年したくないので早く返してください。私には何の力もないんです」
学費も親に出してもらっている脛齧りとしては、切実なのだ。この世界の悲劇なんて、他人事だ。薄情かもしれないが私の未来の方が大事だ。
「いいえ、貴女様には「虎卍打ー」としての素晴らしい力の脈動が感じられます。貴女様には力があるのです。どうか、その一部を我らに…!」
「いやいや非力な大学生に無茶言わないでください。そもそもコマンダーって何ですか」
「虎卍打ーとは我々に力を与え、敵を倒すための的確な指示を下さる異世界からの救世主を意味します。国史にもかつて異世界からいらした虎卍打ー様が神具「魂塗弄良亞ー」を使い、戦士の道を示してくださったと記されています」
コマンダーがコントローラーを使って、道を示す。それはつまりゲームにおいてのプレイヤーとして、キャラクターを操作しろ?兄が操作していたのは専らエーファであった為、主人公雪成の姿はパッケージに描かれたものしか知らない。ただ、格闘ゲームであるからして主人公も筋肉番長だった記憶がある。いやだ、筋肉怖い。スマート美形なんて贅沢な事は言わない。中肉中背でいいから、筋肉だけはやめてほしい。この世界に来てからの数分間で筋肉に恐怖した私は切なる思いで郭老師に「いいえ」の選択を示し続けた。
しかし、郭老師は何時までも諦めなかった。一見「はい」と「いいえ」と選択肢があるように見えて、実質「はい」しか選べない。そんなゲームを思わせた。
「私は帰りたいんです。あなた方に暮らしがあるように、私にも私の暮らしがある!両親や友人達がいるんです!」
「…呼び出した我々に送還の知識はありません。大変申し訳なく思います。ただ、古い文献によればかつての虎卍打ー様は国の宿敵を倒した後、英雄「士郎・郡司」様の前から姿を消したとあります。推測でしかありませんが虎卍打ー様が救世主としての役目を全うされれば、帰還の道が開かれるのではないでしょうか」
「…」
帰れる可能性がある?召喚して、自分たちの都合良く相手を動かす為の嘘かもしれない。少々調べてから判断したいと思い「少し時間を下さい」とだけ答えた。
筈が、奴らは何を勘違いしたのか「(心が決まったけれど、少し休みたいの)少し時間を下さい(そしたら出発するから)」と解釈したらしい。ポジティブ通り越して狂っている。
そんな訳で主人公と私、お付きのメイドさん(私が女性であるため配慮してくれたらしい)の三人で気が付いたら外に居た。いや、用意して貰った部屋で寝ていた筈が、メイドさんの背中で寝ていた。しかも着替えていた。
意外といかつい背中をしているメイドさんはにこりと笑いもせず、寝起きの私に声をかける。
「虎卍打ー様、起きられましたか。専属メイドの「ヴィー」と申します。これから宜しくお願い申し上げます」
「──は?」
急展開についていけない寝呆け頭を覚醒させたのは、私の背中を叩きながら快活に笑う主人公だ。
「先をこされちまった!オレは「雪成・久我」だ。よろしくな虎卍打ーさん。急な出発でわりぃな。みぞれの為、お互い頑張ろうぜ!!」
「──は?」
怒涛の力技展開に言葉を無くした。それから二日間、三人と戦闘があった。ヴィーさんから渡された「魂塗弄良亞ー」を手に持つなり、雪成と魂塗弄良亞ーが光の線で結ばれた。そして、私は技コマンドを色々試させられ──慣れてきた今日、弱ボスで必殺技コマンドを実践したのである。
高速コマンド打ち込みで親指の付け根が痛い。ヴィーさんに相談したら揉んでくれ、治った。料理、野宿の準備、着替え、入浴場等を不思議な力で準備してくれる敏腕メイド、ヴィーさんのなぞは深まるばかりだった。
反対にみぞれ・甘白嬢のことばかりな主人公は裏も何もなく解りやすい人だった。取り敢えず鼾がうるさい。声大きい。暑苦しい。恥ずかしい。暑苦シューゾーと心の中で私は呼んでいる。
無理矢理連れ出された格闘ゲームの旅が何時まで続くのか。帰れる日がいつ訪れるのか。
零れたため息は、とても深いものであった。
コマンダーの「虎」を「鼓」にすれば良かったかも。