04
ゴホゴホと咳き込む音。
熟睡している筈の命世がそれに気付いて跳ね起きる。
「兄さん、大丈夫?」
時刻は明け方の様で、家の中が薄ぼんやりと明るい。
なので、布団の上で上半身を起こし、肩で息をしている兄の姿が見て取れた。
「ええ、もう収まりました」
青白い顔で力無く微笑む兄。
今日は具合が悪い様だ。
薄暗い中、土間に行く命世。
そして水瓶からお椀一杯の水を汲み、布団で躓かない様に慎重に兄の許に戻る。
「はい、お水」
「ありがとう」
水を飲んだ兄がフゥと一息吐いた様子を見て、妹も肩の力を抜いた。
兄の様子が気が気でならない。
と、自分の心臓が激しく鼓動している事に今更ながら気付く命世。
勢い良く布団から飛び出したせいだな。
「今日は少し肌寒いですね。雨でしょうか」
兄に言われ、そう言えば寒いねと応えながら窓板を外す命世。
霧雨が音も無く降っていた。
背の低い垣根と畑の向こうに有る隣りの家が白くぼやけて見える。
風弥と命世の兄妹は畑仕事をしなくても生きて行ける為、この家の畑は育てるのが簡単な野菜が適当に埋まっているだけだ。
「雨だわ。今日はみんなが来るかも」
雨粒が入って来ない様に窓板を戻し、壁際に寄せてある衝立を無造作に移動させる命世。
その影で寝巻きからオレンジの着物に着替える。
本当は衝立なんか使わずにさくっと着替えたいのだが、十才になった時から、女の子なんだから羞恥心を持てと兄に言われる様になった。
面倒なので渋ると、目の前で着替えられると兄の方が恥ずかしくなるとかで、仕方無く言う事を聞く事にしている。
兄妹なのに照れ屋な人だ。
着替え終わって衝立を壁に寄せると、兄もいつもの水色の着物に着替え終わっていて布団を畳んでいた。
具合が悪いのかと思っていたが、普通に動けるのなら大丈夫みたいだ。
でも、無理をしている可能性も有るので目を離せない。
命世も自分の布団を畳み、朝食の準備に取り掛かる。
兄は文机に着き、書類の整理を始める。
いつもの朝の風景。
そして朝食が始まる。
鳥肉の水炊きとカボチャの煮付け。
香草を取りに行った時に運良く掴まえられた鳥だ。
食費が浮いてラッキー。
そんな事を笑顔で語る妹を微笑んで見守る兄。
しかし、やはり妹が頻りに長い前髪を指で払っている仕草が気になる。
「やはり髪が邪魔そうですね」
「ん?うん、ちょっとね」
少しの間動きを止めて妹に優しい眼差しを向けていた兄は、水炊きを膳に下ろして箸を置いた。
「…?どうしたの?」
「命世は、もうすぐ十三歳でしたか」
「うん」
「本当なら女子の成人となる十五歳の誕生日に、と思っていたのですが…」
座ったまま横を向いた兄は、自分の私物入れである小さなタンスの引き出しを開けた。
「少し早いですが、十三歳の誕生日のお祝いです」
「え?なになに?」
興味を笑顔で現している妹に掌サイズの木箱を手渡す兄。
その木箱を開けると、白い綿で位置が固定されている髪止めが入っていた。
葡萄の房の様な形をしていて、髪止めにしては少し大きい。
「…綺麗…。これ、宝石?…まさかね。ガラスよね」
金色の土台に乗っかる六つの緑色の石。
その輝きには心躍る魅力が有るが、こんな貧しい村に本物の宝石貴金属が有る訳が無い。
「命世の母の形見です。大切にしなさい」
普段ならわざわざ『命世の母』と指す兄の言い方に引っ掛かった筈だが、髪飾りの美しさに気を取られていた命世はそれを聞き流した。
「それで前髪を止めれば邪魔にならないでしょう」
「うん、そうだね!じゃ、早速止めてみようかな」
左手で前髪を一纏めにし、左側に寄せる命世。
そして左目と左耳の中間辺りの前髪に髪止めの金具を食わせた。
「これで良いのかな。どう?」
「ええ。艶やかな黒髪に緑色の石が良く映えています。似合っていますよ」
「うへへへぇ。ありがとう、兄さん」
美少女らしからぬ笑い声を上げて礼を言う命世。
男の子っぽい言動をしていても、やはり女の子。
素敵な装飾品を身に着けている事が最高に嬉しい。
とろけた笑顔のまま朝食を終えた命世は、食器を洗う為に桶に張った水に映る自分の顔を長い間見詰めていた。




