テスト勉強とあいつ
昼過ぎの授業。7月の夏の下、教室で私は日差しによって死にそうだった。
「あづ~……」
ちょっとカーテン閉めてくれる、と言おうとした所で前の生徒がうつ伏せで寝ているので諦めざるを得なかった。
ブラウスが汗で肌に張り付いて気持ち悪い……。
こんなことなら窓側の席なんかに席替えしたくなかったなあ。でもくじ引きだしどうしようもないんだけどね。はぁ。
私はこの窓から入ってくる燦々とした太陽光線を恨みつつ、ノートに板書していると背中をシャーペンで突かれる。仕方なく後ろを向く。
「なによ」
後ろにいるこいつは樹、授業中暇だからシャーペンで背中を突いてくる厄介な奴。
普段は馬鹿な友達と相撲ごっことかプロレスをしている関わりたくないサイドだ。
その中の一人が樹で、周りに話す人がいないから私をいじるらしい。
しかも、たまに目が合うと手を振ってきたりする変な奴。
正直迷惑の方が強い。
「お前、なんで夏なのにベストなんか着てんだ?」
樹はそう言いつつ人差し指で背中のベストをつつく。
それ軽くセクハラだから! と私は睨みつけるが樹はそれを気にする節がない。
駄目だこりゃ。
「あんたには分からないことよ。女子には色々とあるのよ」
「へぇ、京子にそんなポリシーがあったとは」
「うるさい」
確かに私は見た目とか女の子らしさだなんて気にしちゃいないけど、いざらしくないと言われるとちょっと癪だ。
「あづ~……」
「ほら、暑いんだろ。脱げばいいじゃん」
「誰が脱ぐか!」
しまった。てっきり服全部かと思ってツッコんでしまった。
「おい、お前らうるさいぞ!」
案の定先生に注意される。
あはははは、とクラス全体が私を見て笑いに包まれる。うわああ。
ああ恥ずかしい! もう、全てこいつが悪い!
「……絶対許さないわ」
「ごめんごめん、あとでジュースでも奢るよ」
それで気を許すほど子供じゃない!
またツッコむと注意されるし、というか騒ぐと余計暑いので私は口をつぐんで黒板の方を向いた。
昼休み。
「俺が悪かったって、ほんとごめん」
「そうそう、京子ちゃんも許してあげなよ~」
そう言ってきたのは樹と早見だ。早見は数少ない同性の友達である。
私は元々人見知りのせいか、よく話す友達もいないし、話題も合わない。
しかし早見はそんな私にすら話しかけてこようとする。基本的に私は聞き手というか半分聞き流しているぐらいなんだけど。
早見は話し上手で、男女隔てなく話せて専らこの教室の中心人物って感じだ。
多分クラスの空気を良くしなければいけないとかそういう役割でなんだろうなあって心の中で呟く。
「……まだ怒ってるか?」
「何も言ってないし、怒ってもない。……というかジュースは?」
「あ、やべ! 忘れてた。何がいい?」
「早見、私こいつ殴っていいよね?」
「まぁまぁ京子ちゃん。せっかくタダで飲めるんだから奢ってもらおうよ。樹くん、フルーツ牛乳お願い」
おう、それで京子は? と私のリクエストを待つ樹。
えーこいつに奢られても嬉しくないなー。
とはいえ私も小市民、貰える時はちゃんと貰う側よ。
「……ポカリでいい」
「おう……ってあれ?」
「どうしたの樹くん?」
「百円しか持ってねえ」
「……はぁ」
仕方ないので私はスカートのポケットから財布を取り出し、百円を机の端に置く。
「あっ別にいいよ京子ちゃん気を使わなくても! 私はノリで注文しただけだし」
早見が慌てて両手を振って断ろうとする。
「ううん、大丈夫気にしないで。みんなで飲んだ方がいいでしょ」
「わ、悪い京子」
樹は申し訳なさそうに頭を下げる。
「そう思うならさっさと買って来なさいよ。フルーツ牛乳とポカリ」
「うし、じゃあ超特急で行くから!!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
「三分でね~」
何気なく早見が黒い気がしたのは私だけ?
廊下を全力疾走する樹を目で軽く見送って、すぐに机に突っ伏した。
窓から微かに涼しい風が頬を撫でる。
春の季節には桜の花びらは入ってくることもあるので、何気なく窓際の席は好きだ。
ただし夏、お前は駄目だ。暑いのは勘弁して欲しい。
本当に。
「京子ちゃん、今日もあっついね~」
早見が私の背中に抱きついてべったりしてくる。
どうして私の周りはシャーペンでつつく奴と抱きつく奴だけなんだよ。
ああもう。人間は恒温動物なんだから、くっついたら余計暑くなるだろうが!
「……早見、喋るという行為自体がすでに熱エネルギーが出るんだよ……」
「ぐはっ! 今日も毒舌的ツッコミだね!」
早見は大してというか全く気にせず、尚私に抱きついてくる。
「抱きつくな、暑苦しい、だるい、どけ」
「そっけない京子ちゃんも可愛い!」
どれだけ言葉を羅列しても早見を止められない。はぁ。
「うう……抵抗するのもだるい……」
「……ふぅー」
「ひゃ!」
早見に耳元に息を吹きかけられてくすぐったい。思わず声が漏れる。
そして周りのクラスメイト、こっち見ながらひそひそ話をするのは止めて欲しい。
百合とかレズとか受けとか不名誉な単語が聞こえるのは気のせいだと思いたい。
はぁ、本当に悪い事は積み重なるから嫌な記憶になるのね……。
泣きっ面に蜂。
弱り目に祟り目。
私の予感は悪いことに限って的中し、狙ったかのように樹が教室に戻ってきた。
「戻ってきたぞ~……ってもしかしてお取り込み中?」
ほら、樹は早速勘違いしやがった。
ぱっと見女子同士でスキンシップしている様子は勘違いされるから困る。
だから私はノーマルだって。
「違うわよ」
「あっ気にしなくていいよ樹君。これは京子ちゃん成分を補給しているだけだから」
「なるほど」
いやいや突っ込めよ! そして、早見もう喋らないで。
「ほら京子、買ってきたぞ」
「ありがと」
樹からポカリを受け取る。
プルタブを開けようとすると上手く開けられなかった。
そういや昨日爪切ったっけ。
背後からプシュっと音を立てて私の頬に冷たいのが当たる。
「ひゃ……!」
「ほら開けてやったぞ」
「あ、うん……」
私は思わず頬が熱くなる。何も言ってないのに分かるとは。
「樹くん、私のフルーツ牛乳も!」
「いやお前は紙パックじゃん」
「はっしまったわ!」
一口飲むと、普段と違う味がした。いつも飲んでるポカリと一緒なはずなのに。
心の中で一瞬だけあいつに感謝した。
「テスト勉強教えてくれ!」
「だが断る」
帰りのホームルーム。担任が二週間後に期末テストがあることを知らされた。
そして放課後。
「そこを頼むよ! お前がいないと赤点なんだ!」
「分かった。教えてやる」
「おお! やった――」
「範囲表見ろ、教科書見ろ、勉強しろ、私は帰る」
そう言って私はバッグを肩に背負って席を発とうとするとポニーテールを引っ張られる。
頭皮が悲鳴あげるほど、こいつの握力が意外とあるから……ってああもう痛いからやめて!!
「痛っ、なにすんのよ」
涙目になる。禿げたらどうする!
「俺、午後の授業寝てたしノートも写させてもらおうかなっと」
「それはあんたの責任でしょうがっ」
「はいはいお二人さん、渡したいものがあるぞよ」
「早見、その謎の口調はなによ?」
「まぁまぁ京子ちゃんもそう言わずに。はい」
早見がそう言いつつ渡してきたのはファミレスのクーポンだった。
「おっ貰っていいのか早見」
「もちのろん! せっかくだから二人でファミレスで勉強してきなよ!」
「ありがとな!」
「ちょっと待て」
なんで私がこいつと行く事になってんだ?
「ドリンクバーなら俺が奢るし、気にせず教えてくれ!」
「髪を引っ張る奴に教えてやる義務はない」
「サイドメニューも奢るぞ!」
「いらん」
「アイスも奢るぞ!」
「……いらない」
「ケーキも付けよう!」
「樹くん、貢ぐね~」
「うーん……ケーキとアイスあるなら」
タダで食べられるなら……ねえ?
「だってさ、樹くん」
「よっしゃ。なら一緒に行こうぜ」
「うん」
「あ、ちょっと悪いけど。京子ちゃん先行ってて」
「え……」
「大丈夫大丈夫、ほんの数分で済むことだから! 昇降口で待ってて」
半ば強制的に早見に背中を押され、廊下に出される。
後ろを見ると早見が樹の側に寄って、耳元で何かを言っているのが見えた。
「……!」
樹が嬉しそうに早見からチケットのようなものを貰っていた。
なんだろう。モヤモヤする。
早見がいつも一緒にいるのは樹といたいが為?
気のせいだよね。
あいつがあんなに嬉しそうな顔をするのは少しだけ心が痛かった。
放課後。あの後、樹が妙に嬉しそうな感じで隣を歩いていた。
なんかイライラする。でも何があったのか聞くのも癪だった。
ファミレスに着くと入り口の店員に大して、あっ二人です、と樹が言ってテーブル席に案内される。
最初私の隣に座ろうとしたから顔面でも殴ろうとしたら冗談だって、と樹は向かい側の席に座った。
「にしても本当に私で良かったの? 私なんかより頭良い奴とか教え上手もいるんじゃないの?」
「京子だからに決まってるだろ。いきなりどうしたんだ?」
「別に……早見でも教えてくれたんじゃないのってこと」
「いやあいつ部活忙しいからパスだって」
そういうこと聞きたいわけじゃないのに。
樹はスイッチを押して店員を呼び出し、ドリンクバー二人分頼んでグラスを取りに行った。
「はぁ」
ため息が出る。どうして私が樹なんかを気にしてんだろう。
いつもちょっかいばかりでむしろムカツクっていうのに。
「来ないから勝手に取ってきたけどこれでいいか」
「うん……」
ドリンクを受け取る。
私はノートと教科書とルーズリーフを出して勉強の準備をする。
樹は早速私のノートを使って、自分にノートに書き写している。
私は勉強する気が起きなかったので、ちびちびと飲み物を飲んだ。
「ふぅ、写し終わったっと。どうした京子。勉強しないのか?」
「別に……」
「そうか! 俺ばっか得してるもんな。実は俺からも良い物を――」
「それチケットでしょ」
「お、おう。なんで知っているんだ?」
「早見と行くんでしょ、それ。別に見せなくていいから」
何故か不機嫌な口調になってしまう。
所詮私は勉強を教えてあげるだけの便利な人でしかないんだ。
「ははっ違うよ」
「えっ」
「確かに早見に貰ったけど、これ今度のテストを赤点取らなかったら、そのチケットを二人にあげるって言われたんだ」
早見……。
「サプライズのつもりであんたに渡したのね……」
そもそも樹も早見も難しいこと考えないもんね。
私何一人で勘違いしてんだろ……。
「ならいっか……」
「それはお前とデート出来るってことか!」
「まだ行くとは答えてないっ」
「ええー、だって赤点取らなければ京子とデート出来るんだろ?」
「……断ると言ったら?」
「それならもっと点数取ってお前と付き合う。それでも駄目なら教えてもらって満点取ってやる。俺は諦めが悪いぜ?」
「うう……」
どうしてファミレスという公の場でこんなこっ恥ずかしいこと言えるのよ!
しかも樹が立ち上がって言うもんだから、少ないながらも客の目線が私達に注目される。
だるいなぁ。
でも、ちゃんと答えないと収まりが悪いってものよね。
「…………いいわよ」
「ん?」
聞けよ、馬鹿。こっちは恥ずかしくて死にそうなのに。
「教えるって言ったのよ、私のせいで中退されても後味悪いし!」
早見の余計な気遣いされたのがムカツクけれど。
「ああ! ありがとう」
樹はそう言って白い歯を見せながら笑った。
私には樹の笑顔が眩しすぎて見れなかった。
だって、顔が熱くて仕方ない。きっと赤面してるんだ。
どうしてそんなに楽しそうな顔をするんだろう。
もっと彼のことを知りたい。そんな恥ずかしいことは言えないけれど。
ただ私はこう思った。
こんな私でも笑うことって出来るのかなって。<了>