第四章
「和哉……信じてたのに……」
優希が抱き合うの俺達を指差し、泣きそうな目をする。俺はすぐさま新城を解放し、両手を上げた。
「ち、違うんだ!」
「浮気がバレた人は、みんなそう言うのよ!」
優希はそう言うと同時に、俺の背後に隠れていた新城に目を向けた。
「ねぇ、新城さん、どういうことなの!?」
怒りの矛先を向けられた新城が、ビクッと怯える。優希はその様子がおかしいことに気づいたのか、訝しげな表情をした。
「新城さん……泣いてるの?」
「えっ……?」
新城自身も言われて初めて気がついたのか、溢れる涙を慌てて拭って言った。
「な、泣いてませんよ?」
「吐くなら、もうちょっとマシな嘘にしてほしいんだけど……」
「うぅ……」
新城は誤魔化せないとわかったのか、新たに溢れてくる涙を拭おうとはしない。
「どうしたの、新城さん?」
優希がそう言いつつも、俺の方を見て訊いてくる。俺が答えていいものか……と悩んでいると、新城が今度は優希に抱きついた。
「ちょ、ちょっと……」
狼狽えながらも、優希はしっかりと新城を抱きとめた。身長差から、若干優希が包み込むような形になる。
「もしかして、こういうことだったの?」
優希が新城の頭を撫でながら訊いてくる。その声にはもう、怒りの色はなかった。
「まあ、そういうことだ」
「泣かしたの、和哉じゃないでしょうね」
「違う。俺からは言えないから、本人に訊いてくれ」
「そう」
それっきり、優希は何も言わなかった。ただ、子供をあやす母親のように、静かに新城の頭を撫でていた。
新城は落ち着きを取り戻すと、俺にした話を優希にも明かした。世話焼きな優希は親身になって話を聞いてあげていたし、きっと俺よりも力になってくれるだろう。話をしている新城の表情も、かなりほぐれてきていた。
「あ、新城さん、今のもう一度!」
「えっ?」
優希が声を上げたのは、新城が優希に礼を言った時だった。
「今の笑顔、凄くよかったよ!」
「そ、そうですか?」
俺も逃すことなく、その瞬間を見届けていた。初めて見た、新城の自然な笑顔。プラスチックのような冷やかさではなく、人間の感情が詰まった温かい笑顔だった。
「笑うのは、嬉しかった時。嬉しくない時まで嬉しそうだと、相手に本心が伝わらないでしょ? でも、嬉しい時に嬉しそうじゃない笑顔もダメ。今の笑顔を嬉しい時に浮かべられれば、きっとみんなも笑顔になってくれるよ」
優希がそう言うと、新城は一瞬迷ったような表情をした。けれど、次の瞬間にはまた、先程のような笑みを浮かべていた。
優希や俺が頑張れば、クラスにも新城の居場所が出来るかもしれない。教室の冷たい空気が俺達の笑顔によって温かいものになれば、また違った日々を送れることだろう。
千歳にプレゼントするぬいぐるみを買い、俺達は玩具屋をあとにした。俺と優希は千歳のいる病院に向かい、新城は帰宅する。また独りになってしまう新城だったが、表情は出会う前よりも晴れやかだ。そんな新城は別れ際、灰色の空を見上げながら話をしてきた。
「そういえば、天野くん言ってましたよね。雨は嫌いだって」
「ああ……ちょっとトラウマみたいなものがあってな。優希なんかは特に酷かったんだけど、今は二人とも大丈夫だ。まあ、好きか嫌いかで言えば今でも嫌いだけど」
「そう……ですか」
そもそも雨といえば、どちらかといえば負のイメージ。トラウマがなかったとしても、好きな人なんていないだろう。なんて思っていると、新城が懐かしげに言った。
「前に一度言いましたけど……私は雨、好きなんですよ」
「ああ、なんだっけ。はしゃぎたくなるんだっけか?」
「そうそう。その時は、そう言いました」
つまり、あれは嘘だったってわけだ。そういえばあの時の笑顔も、作り物のような感情のないそれだった気がする。
「本音を言いますと……雨が降ってれば、悲しそうにしてても目立たないから。悲しいことしかなかった私にとっては、恵みの雨だったんです。だから、雨が好きだったんですよ」
よく見ればすぐにわかったはずの嘘だ。なのに気づかなかったということは、あの時の俺は冷たいクラスメートと大差なかったのだろう。自分達のことで手一杯だったとはいえ、気づいてやれなかった自分が情けない。新城はこんなにも、助けを求めていたのに。
「……悪い、気づいてやれなくて」
「え!? そんな、気にしないでください! それに……」
「……それに?」
「天野くんは、気づいてくれました。朝凪さんと、助けてくれました。私は、とても感謝してるんです。ありがとうございましたっ!」
「俺達こそ、文化祭の手伝いしてくれてありがとな。助かったよ」
「いえいえっ」
通り過ぎていった日々を見るように、空を見遣る新城。その表情は、今の空とは対照的に晴れやかなものだった。
「これからは私も、空も晴れたくなるような笑顔で頑張ります!」
そう言って、小さな握り拳をつくる。
「ああ……これからもよろしくな、新城」
「はい、天野くんっ!」
その瞬間、ほんの少しだけ、雨が弱まったような気がした。




