第一章
あの頃の俺たちは、弱い心を護るので必死だった。
あらゆるものから逃げるだけで精一杯だった。
そして、今も弱い心を護り続けている。
――けれど、弱いことを隠そうとはしなくなった。
今の俺たちは、弱いことを恥じてはいない。
弱いなりに、二人で支えあっているから。
独りで駄目ならば、二人で生きていけばいい。
俺たちは、互いの弱さを知っているから。
これは、そんな俺たちの本当のプロローグだ。
相合い傘 -水溜まりの向こう側アフターストーリー-
ビニール傘越しに、灰色の空を見上げる。それはまるで、不機嫌の塊だった。誰のものでもない、世界中の不機嫌がそこにある。それは苛立たしげに、憂さ晴らしするかのように雨を降らし、全てを切りつける。
そんな空にまた苛立ちを覚え、睨み返す不機嫌がここにいた。
「全く、クリスマスイブまで学校なんてどうかしてるよね。おまけに大雨だしさ」
同じ傘に入る優希が、憎らしげに愚痴る。それを見て、思わず笑みをこぼしてしまった。すぐそこにある非難めいた視線が、こちらに向く。
「なに笑ってるのよっ」
いつの間にか、怒りの矛先が変わっていた。強さを増す雨との板挟みになる。
「いや、微笑ましくてついな」
「だから、何が微笑ましいの!?」
「怒るなって。雨に喧嘩腰になる優希が、可愛かっただけだ」
「か、かわっ!?」
途端に頬を朱に染め、何も言えなくなる優希。何を言えば優希がどういう反応をするのかも、それなりに掴めつつあった。
「そ、それよりさ。千歳ちゃんのプレゼント、考えなくていいの?」
「……そうだった」
あの日、奇跡のような目覚め方をした千歳。それ自体は、当然のことながらとても喜ばしいことだった。
だが、一つ問題があった。少し考えればわかることなのだが、千歳の心は眠った時のままだったのだ。心の成長が止まったままだった彼女は、あらゆる思考も幼いままなのである。となると、クリスマスになれば当然彼女は一つの要求をしてくることになる。
そう、クリスマスプレゼントである。
昔は俺たちも、優希の両親にプレゼントしてもらう側だった。けれど、もうプレゼントなんて貰う年でもないし、与えてくれる人もいない。それで終わるはずだったんだ。
だが、千歳は違った。千歳の心は、プレゼントを貰っていた頃のままなのだ。誰かが優希の両親の代わりに与えてやらなければならない。つまり、俺たちが与えるほかにないのである。
「何かいいアイデアあるか?」
「うーん……」
優希が考えをめぐらせる。俺もいろいろ考えはしたが、これといったアイデアが浮かばなかったのだ。結果、優希なら俺よりも女の子に相応しいプレゼントを思いついてくれるだろう、なんて人任せな結論に至ったのである。
「形として残るものがいいよね?」
「ん、そうだな」
「じゃあさ――」
あまり高くないものだったらいいな、などと思いつつ優希の言葉を待つ。紡がれた言葉は、
「ぬいぐるみ、なんかどう?」
だった。その単語を聞いて、思わず黙り込んでしまう。優希は、無意識で言っているのだろうか。
「優希は……それでいいのか」
幼き日の事故。優希からも、俺からも、そして千歳からも多くのものを奪っていったあの出来事。そのきっかけとなったのは、優希に買い与えられたぬいぐるみだった。それを憶えていながら、なおも優希はそれを提案したのだろうか。
「……何か、不満でもあった?」
怒りでも悲しみでもない、無色な表情で優希が言う。
「あたし的には、結構いいアイデアだと思ったんだけど」
「それは、あの時のことを憶えていながら言ってるのか」
「……当たり前じゃん。忘れるわけ、ないよ」
それもそうか。簡単に忘れられるなら、最初からそうしている。
「……そうか。うん、いいアイデアだと思う」
「なら、決まり?」
「ああ」
「採用、ありがとうございます」
優希がおどけてみせる。
「……強くなったよな」
それを見て、思わずそうこぼしていた。優希は言葉の意を汲んだのか、あの日を見るように空を眺めた。
「……そんなことないよ。和哉がいるから、強くなった気になれるだけ」
そう言って、笑顔を咲かせる。少しだけ、世界が明るくなったような気がした。
「ほら、行こう?」
優希が、空いているほうの手を握ってくる。自然な風を装いつつも、少しだけ頬を染めているのが微笑ましい。
「手、冷たいな」
「……寒いからね。この方が、お互いあたたかいでしょ?」
「そうだな。このまま行くか」
繋いでいる手に、優しくもしっかりと力を込める。その手を、離すことがないように。
いつまでも、幸せでいられるように。
淡い願いを、その手に託した。




