【三題噺(宝くじ・花・やまびこ)】雪山に描く色
「ねぇ、京一君。明日暇? 山登ろうよ! 山!!」
「……九条先輩。今度は何を見たんですか」
相手が断るとは一ミリも考えていない誘い文句に、誘った相手が目の前にいるにもかかわらず、いやむしろ、目の前にいるからこそ一ノ瀬京一はこれでもかというほど肩を落として見せた。
バスの一人席から膝立ちになって後ろを向き、良く似合う栗色のショートカットをかき上げながら、既に推薦で大学入学を勝ち取った暇人こと九条羽矢がフッと芝居がかった笑みを浮かべる。
「ちっちっち。薄っぺらい理由じゃないよ。実はさ、宝くじっ!! 当たったんだよ」
「ほぇ~、そっすか~。よかったすね~」
「反応薄過ぎない!?」
「じゃあ、聞きますけど。いくら当たったんですか?」
「10万円」
「っぶ!!」
思わず口から息が漏れる。
口から息と共に飛び出た唾を袖で拭いながら、京一は慌てて周りを確認した。幸い、京一と九条が乗るバスには、二人のほかにニット帽を目深にかぶったご婦人が転寝をしているくらいで、九条の得た幸運を盗み聞いた人はいなさそうだ。
いや、それにしても。
10万円。10万円。田舎の高校生が得るには大金だ。間違っても、他人に話していい金額じゃない。
「先輩。大きな声で話す話じゃないですよ。てか、なんで俺に話してるんですか?」
「知ったからには断れないでしょ」
「いやいやいや。意味わかんないです」
「意味は後から付いてくるから。とりあえず、明日は7時に駅集合で。チケットは二人分取ってあるから」
「普通にめちゃくちゃ早いし! 行くなんて言ってませんし」
「行かないとも言わなかったでしょ。……あ、運転手さーん。次おりまーす」
細い指先で降車のベルを押し、九条が席に座り直す。暖房の利いた車内で外していたマフラーを首に巻き、陸上部で培った体幹の良さで停車の揺れをものともせず立ちあがる。
あっけにとられる京一に、悪戯っぽく片目を閉じた九条は先ほど降車ベルを押した指先を京一の鼻先にそっと添えた。
「もうすぐお別れの先輩が、全国大会を完璧にサポートしてくれたマネージャー君に最後の恩返しだよ。ありがたく受け取りに来な」
暖房であったまったのか、頬をほんのり上気させる九条は、そのままリズムよくバスのステップを降りきって……
発射するバスに向けて振り向こうとしたところで、それはもう見ごたえばっちりにずっこけた。
翻るスカート。黒いタイツの奥で一瞬だけ覗く花柄の刺繡。
なんで女子はこの雪の時期にもスカートを履くのだろうか。
男子には一生理解できない摂理に思いを馳せながら、京一を乗せたバスは何事もなかったようにのんびりと走り始めた。
そしてこの時、京一はまさかこんなそこそこガチの山登りをさせられるなんて夢にも思っていなかった。
「九条先輩……、ケーブルカーの後がこんなにキツイなんて聞いてないですよ」
マネージャーとはいえ、陸上部の遠征に付き合い、走り込みなどにも参加して身体を鍛えていた京一が、汗で張り付く前髪をぬぐいながら批難を零す。
その避難を受け止めた体力お化けは、部活を引退してそこそこ日が経っているにもかかわらず、まだまだ余力たっぷりな笑みで返した。
「がんばれがんばれ。若人よ」
「一歳しか、変わらない、でしょ!」
ざくざくと、雪山を上るための登山シューズが薄く積もった雪を踏みしめる。陸上部の冬の合宿で高地トレーニングをするので雪山を上る服や靴が充実しているのが逆に恨めしい。
それでも、そこは京一にも男子としての意地がある。
女子としては破格のペースで上る九条のペースに何とか食らいつき、雪帽子をかぶった山頂に到着する。
早いペースで上ってきたこともあり、山頂には二人以外はまだ誰も到着しておらず、処女雪が静かに二人を出迎えた。
「ふはぁ~……。登ったねぇ~」
来た道を振り返り、鼻の頭を赤くした九条が白い息を吐き出しながら満足げに微笑む。
京一もつられて振り返ると、付き合わされたとはいえ充実感で胸がいっぱいになった。青い絵の具を零したかのような蒼空と、軽く線を引いただけでほとんど筆を入れていないキャッパスのような純白の斜面。その先に、自分が普段住んでいる街並みが、色を添えている。
「すぅ~~~……やっっ、ほー!」
胸を大きくふくらまし、手袋に包まれた両手を頬に添えて九条が叫ぶ。しかし、その声に反響するものはない。雪に彩られた冬山は、やまびこさえも冬眠中だ。
雪に吸い込まれ、九条の声はしんっと空白になる。
その空いた空間を埋めたのは、やっぱり九条の声だった。
さっと身を翻し、九条の両腕がふわりと京一を包み込む
頬をくすぐる柔らかな髪の毛に続き耳をくすぐった声には、少し恥ずかしそうで、それでいて、言いたくてたまらないという思いが溢れ出ていた。
囁くには大きく、叫ぶには小さな声が、京一の鼓膜をそっと撫でる。
「京一君、ありがとう。ずっとサポートしてくれて。ずっとずっと、私のわがままに付き合ってくれて、本当にありがとう」
ぎゅ~っと、京一を抱きしめる九条の両腕に力が籠る。汗と、仄かな柑橘系の制汗剤の香りが熱を帯びて京一の鼻腔をくすぐる。
そっと顔を離した九条の双眸が、まっすぐに京一の双眸を射抜く。
「私、大学でも待ってるから。さいっこうのマネージャー君を。今度は、世界一を狙って行こうぜ!!」
「……また、大きく出ましたね」
いつものように大きな夢を口にして、そして、また九条はその夢を叶えるのだろう。
そんな未来予想図を脳裏に浮かべた京一の唇が、疲れ果てていたにもかかわらず弧を描いた。
「九条先輩。待っててくださいね。ちゃんと、俺も大学受かりますから」
「うん、その意気だ! 心配してたんだよ。私の大学が決まってから、京一君、露骨に落ち込んでたでしょ」
「まぁ、俺の学力じゃあ。まぁまぁ厳しいですからね」
現実はいつだって厳しい。どれだけ好きなことでも、才能やセンス、もって生まれた天才的なギフトは存在する。
それが、選手の道からマネージャーの道に転身した京一の結論だ。
ただ、ただ一つだけ
もし、そんな才能やセンスが無関係な、自分で決めれることがあるとすれば、それは……
「え、ええ!? どうしたの、京一君」
逃げてしまわないように、逃がしてしまわないように、京一が九条を抱きしめ返す。
躊躇いは一瞬。
叫ぶよりも小さく、でも、この腕の中にある大切な人にだけは絶対に聞こえる声で、京一は思いを届けた。
「九条先輩。俺にも夢を見させてくれてありがとうございました。九条先輩は俺のあこがれで、選手としても、女性としても大好きです」
びくっと、九条の身体が震える。
その次の瞬間、ぐにゃっと九条身の体から力が抜けた。
慌てて京一が細い身体を抱きしめる。その目の前で、九条の両腕が跳ね上がった。
顔を隠す九条に、京一が首をかしげる。
「どうしたんです? 先輩」
「だめ、見ないで。私今、ものすごく気持ち悪い顔してるから」
必死に顔を隠す九条の耳元は、山頂の雪を全部溶かしてしまいそうなほど真っ赤になっていた。




