第一葉:その不文律は、翡翠に溶ける
世界の頭頂にそびえる大樹は、あまねく命のマナを紡ぐ揺籠であった。
『翡翠の揺籠』
そう呼ばれる精霊たちの聖郷において、光と闇は決して争うことなく、ただ静かに混ざり合い、美しい薄暮の情景を維持し続けていた。
本来、光の精霊と闇の精霊は交わらぬ。それが世界の不文律であり、理であるはずだった。
しかし、その揺籠の玉座に佇む若き王太子、アルヴィス・アルカディアの瞳には、金色の光と、夜を溶かしたような深い闇が同時に宿っている。
「アルヴィス様、本日のマナの循環、すべて滞りなく完了いたしました。民たちも、次代の王たる貴方様の慈悲深き采配に、深く感謝しております」
老臣が恭しく頭を垂れる。
アルヴィスは、非の打ち所のない優雅な微笑みを浮かべ、穏やかな声で応じた。
「皆が健やかに暮らせているのなら、それに勝る喜びはありません。私はただ、この美しい楽園と、愛すべき民を守りたいだけなのですから」
非の打ち所のない、聖人君子のような統治者。
それが彼の表の顔であった。
しかし、老臣が退室し、一人きりになった広大な執務室で、アルヴィスはふっとその完璧な微笑みを消す。椅子の背もたれに深く身を預け、金と黒の双眸に冷徹な光を灯した。
「……やれやれ、今日も『完璧な王太子』の配役は上出来だな。裏で回した予算の不正流用ルートも、これで完全に潰せた。民を騙す手合いは、根こそぎ駆除するに限る」
上品な仮面の裏に隠された、やや腹黒く、冷徹なまでの計算高さ。
それこそが彼の本質であった。
しかし、それすらも国を愛するがゆえの二面性。
アルヴィスは懐からこっそりと、精霊たちが運んできた希少な甘い木の実を取り出し、口に運ぶ。
その瞬間だけは、張り詰めた眉間が少しだけ緩んだ。
だが、そのささやかな平穏は、突如として切り裂かれる。
地響きと共に、世界樹の葉が悲鳴のような音を立てて震えだした。
結界を侵食する、不自然なほどにぎらついた「純白」の光。
それは、精霊をただの資源と見做し、世界の夜を消し去らんとする異端の教団――『エクリプス・アルビオン』の急襲を告げる警笛の音であった。




