9.委員長フェクソル
班長 菲克索
平凡な日々は、さらさらと流れる小川のように過ぎていく。だが今日は、グループ発表があるせいか、少しだけ特別な気配があった。
昨日、チャイムが鳴って僕が教室を出ようとしたとき、突然、委員長が僕の前に現れた。
彼女は迷いなく僕の行く手をふさぎ、真剣さと焦りが混ざったような目でこう言った。
「オットーくん、明日は絶対、授業に来てね。」
僕は面食らって、曖昧にうなずいただけだった。その言葉を思い出したのは、今朝になってからのことだ。
僕は自分の担当部分を早めに渡してあったし、訂正の連絡もなかった。なら、きっと問題ないだろう。そんな気楽な気持ちで、僕はのんびり教室に入った。
発表が始まり、僕は教壇のすみっこに立っていた。ただそこに立っているだけの、飾りのような存在だった。
僕の意識はあてもなく彷徨っていたが、いつの間にか時間が過ぎていたことにふと気づいた。
我に返った瞬間、先生の声が教室に響いた。
「素晴らしい!さすがは委員長が率いるチームだ!」
先生の拍手につられるように、教室にもパラパラと拍手が起こる。派手ではないが、十分に「悪くなかった」と証明している。
僕は相変わらず隅に立ち尽くし、まるで迷い込んだ部外者のようにどうすればいいのかわからず、ひそかに「今のうちに逃げ出せないかな」とまで思っていた。
そのときだった。
委員長が突然、僕の手首をつかんでぐいっと引っぱり、壁際から無理やり壇上の中央へと連れていった。
呆然としていた僕の頭を、彼女は勢いよく押し下げ、ほぼ腰の高さまで折り曲げさせられた。そしてはっきりとした声で言った。
「ご清聴ありがとうございました。以上で、私たちの発表を終わります。」
教室には拍手が起こる。僕は状況が飲み込めないまま、ぎこちなくお辞儀をし、されるがまま壇を降りた。
壇を降りたあと、僕はそっと委員長の方を見た。
彼女は達成感に満ちた表情で微笑み、まるで一つの舞台を完璧に演じきったかのような満足感をにじませていた。
軽くうなずいたあと、何事もなかったかのように次のグループの発表に耳を傾けはじめた彼女。
その一方で僕の頭の中には、ひとつの疑問しか残っていなかった――僕、いったい何をしたんだ?
その後の授業、僕はいつものように上の空で、ただチャイムが鳴るのを待っていた。
鐘の音がようやく鳴り、僕はぼんやりと荷物をまとめて教室を出ようとする。
するとその瞬間、背後から誰かが僕の肩をツンツンとつついた。
「ん?」
振り返ると、そこにはあの委員長がいた。ニコッと眩しい笑顔を浮かべ、軽やかに言った。
「オットーくん、今回の発表、なかなかよかったよ!」
一瞬言葉が出ず、頭の中で返しを探しているうちに、とりあえず曖昧にうなずく。
彼女はまわりを見回して、誰にも聞かれていないことを確認すると、手を差し出して言った。
「私はフィクソ。みんなからは“委員長”とか“小フィ”って呼ばれてる。……そういえば、まだ君の名前聞いてなかったね?」
僕は少し戸惑いながらも、その手を握り返し、小さな声で答えた。
「ラフィール。」
彼女は満足そうに微笑むと、こう続けた。
「このあと暇でしょ? だったら、図書館付き合って。」
「えっ?」
戸惑う間もなく、彼女は僕の腕をつかみ、そのまま強引に歩き出した。
フィクソの足取りは速くて、僕は小走りでついていくしかなかった。
なんで突然、図書館なのかなんて考える余裕もない。
彼女のような優等生にとって、図書館はまさにテリトリー――勉強、試験、レポート、すべての中心だ。
図書館に着くと、彼女は特に説明もせず、窓際の机に座り、厚い本を開いた。
大きな窓から陽が差し込み、開かれたページを明るく照らす。その光景はまるで、彼女がひとりの学者であるかのように見せた。
……さっきの舞台上で僕の頭を無理やり下げた同一人物とは、とても思えない。
「いつまで突っ立ってるの?」
彼女は顔を上げて、からかうように笑った。
「……あ、うん。」
僕はしどろもどろになりながら近くの席に腰を下ろした。こんな状況になるなんて、想像すらしていなかった。
フィクソはもうそれ以上しゃべらず、静かに読書に没頭した。
僕は視線を本棚にやるが、どうにも集中できない。何かを聞いてみたいけど、下手に疑ってると思われるのもイヤだった。
時間は静寂の中でゆっくりと過ぎていく。
ページをめくる音、誰かのささやき声、それ以外に音はない。
僕はそろそろ気まずさを感じはじめた頃だった。
フィクソがふいに本を閉じ、こちらに視線を向けた。
「ねえ、私ずっと君に興味あったんだ。」
それは、まるで雑談でも始めるような気軽なトーンだった。
「僕に?」
僕は眉を上げる。その言葉は、ちょっと意外だった。
「うん。君っていつも目立たないし、いわゆる“ボンボン学生”って感じでさ。でも今回のレポート、ちょっと驚いたよ。……君、意外とできるでしょ?」
そう言って、彼女はまるでパズルのピースを見るような眼差しを僕に向けていた。
僕は苦笑しながら、なんとなく居心地の悪さを感じた。
「別に……単位が欲しかっただけだよ。」
「ほんとに?」
フィクソはさらに明るく笑い、僕の言葉をあまり信じていないようだった。
「君って、実は“適当に過ごすだけの人”じゃないんでしょ。」
その言葉が胸に引っかかった。
ラフィール――かつての狩人は、今この大学で過去と力を隠して、ただの学生として過ごしている。
でも、彼女の言葉は、僕の内側にある何かをそっと突いた。
「ま、別に無理に聞き出そうってわけじゃないけどね。」
彼女は肩をすくめて、少しだけリラックスした顔を見せた。
「なんとなく、私たち……友達になれる気がする。」
「友達?」
意外だった。
「うん、たぶん。」
フィクソは意味ありげに微笑んで、席を立つ。
「さ、次の授業で使いそうな本、ちょっと一緒に選んでよ。」
窓の外では雪が静かに舞いはじめていた。
街全体が白いベールに包まれ、図書館の中はぬくもりに満ちていた。
そのぬくもりは、まるで柔らかな毛布のように僕の心を包み込み、ゆるやかな眠気を誘ってくる。
文字がぼやけはじめ、まぶたが重くなる。もう少しで眠りに落ちるそのとき――
「コツ、コツ。」
軽やかなノックの音が机の上に響いた。
僕はハッと目を覚まし、視線を上げると、フィクソが指先で机を軽く叩いて僕に合図していた。
その動きは控えめだったが、その瞳にはかすかな叱責の色が宿っていて、まるで教師が生徒に「集中しなさい」と注意しているようだった。
僕は気まずそうに笑い、頭を振ってあの厄介な眠気を振り払おうとした。
そして無理やり、目の前の本に意識を戻そうとした。
――が、内容はまるで頭の中で踊っているかのように捉えどころがなく、読み進めるうちにすぐに飽きてしまった。
気がつけば、またしても僕の思考はどこかへ彷徨い出していた。
そして、今回目が止まったのは、目の前に座るフィクソの姿だった。
彼女は小さな体を机に寄せ、まるでこの世界には彼女とその本しか存在しないかのように集中していた。
可愛らしい顔立ちに、繊細なフレームの眼鏡がよく似合い、どこか学者のような雰囲気を漂わせている。
……ただ、僕の個人的な好みから言えば、少し“小柄すぎる”かな、という気もする。
けれども、その外見や体格と、彼女の性格との間には、不思議なコントラストがあった。
本に向き合う彼女は真剣そのもので、まるでその一冊一冊が、彼女にとって“学びの道具”ではなく“未来への鍵”なのだと物語っているようだった。
僕たち二人は、同じ机に並んで座っていながら、まるでまったく別の世界から来た人間のようだった。
僕がこの大学都市に来たのは、ただ少し気晴らしがしたかっただけ。適当に単位を取って、静かな生活を楽しめればそれでよかった。
でも、フィクソは違う。
彼女は本気でここに向き合っている。彼女の人生は、この本や知識に賭けられていると、僕にもわかる。
彼女にとって、この学校は人生を決める戦場。
一つひとつの試験、一つひとつのレポートが、彼女の未来への挑戦なんだ。
そんな彼女の真剣な表情を見ていると、言葉にはできない感情が胸の奥に湧き上がってきた。
かつての僕も、別の場所ではあったけれど、あんなふうに集中し、すべてを懸けていたことがあった。
けれど今は……あの情熱は遠い昔のものになってしまった。代わりにあるのは、何となく日々を流していく静かな暮らし。
僕は心の中で小さくため息をついて、再び目の前の本に視線を戻した。
もしかしたら、この見知らぬ大学都市で、
この少女との出会いを通して、僕は何か新しいものを見つけられるのかもしれない。




