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第四の魔女:消えた痕跡  作者: Test No. 55
第2卷 - 大学城編
61/105

5.闘技場

挿絵(By みてみん)

 競技場


 数日後の午後。

 ラフィエルは図書館の片隅にひとりで座り、机の上には本やノート、各種資料がびっしりと並べられていた。

 静寂に包まれた図書館の雰囲気は集中力を高め、彼はあっという間にグループ発表で自分が担当する部分を仕上げた。

 ペンを置き、大きく伸びをすると、張っていた肩の力が少し抜けていく。

 目の前の整理された資料を見て、彼は小さくうなずき、心の中にかすかな満足感が広がった。

「そろそろ行くか。」

 そう思い、机の上のものを片付け始めた。

 最後の一冊を棚に戻し、図書館を出ようとしたとき、入り口のそばに見覚えのある人物が立っていた。

 扉のそばにもたれかかるようにして、礼儀正しく立っていたその人物は、明らかに長く待っていた様子だった。


 ラフィエルは目を細めながら近づき、彼がランディであることを認識する。

「……いつからそこにいた?」

 いつも通りの軽い調子で、どこか皮肉のような笑みを浮かべながらランディが答える。

「大したことじゃありませんよ。だって、お坊ちゃまをお迎えできたんですから。」

 ラフィエルは眉を少しだけ上げ、曖昧に流す。

 彼の目の前に立ち止まり、淡々と尋ねる。

「で? 何の用だ。」

 珍しく、ランディが少し遠慮がちな様子でうつむき、しばらく考え込んでから顔を上げた。

「その……オットー様、明後日のご予定はいかがでしょう?」

 ラフィエルは訝しげに彼を見やる。

 ランディは一度深呼吸し、思い切ったように言った。

「実はですね、お坊ちゃまを競技場の試合にお誘いしたいんです。」

「競技場?」

「はい!」

 ランディはうれしそうにうなずき、目を輝かせて続けた。

「旦那様、商業区の反対側には行かれたことがないですよね? そこにあるんですよ、巨大な円形建築物が。それが競技場です。ちょうど明後日、試合があるんですよ。きっと面白いに違いありません!」

 ラフィエルは黙ったまま、ランディのあとに続いて図書館を出る。

 頭の中で素早く考えを巡らせながらも、すぐには答えなかった。

 だが数歩歩いたところで、ふと息を吐くように答えた。

「……いいだろう、見に行ってみるか。」

 その言葉を聞いた瞬間、ランディの顔がぱっと明るくなり、満面の笑みを浮かべた。

 目にははっきりとした喜びの光が宿っていた。

「やった! では、明後日の朝、お迎えに参ります!」

 うれしそうにそう言い残すと、ランディは名残惜しげに手を振りながら去っていった。

 ラフィエルはその背中をしばらく見つめた後、ふっと小さく笑みを浮かべた。

(競技場の試合……さて、どんなものか。)

 そのまま、彼は夕暮れに沈む図書館の影へと、静かに姿を消した。



 約束の朝。

 ラフィエルが寮の玄関を出ると、道路脇に一台の馬車が静かに停まっていた。

 その傍らにはランディが立っており、どこか得意げな表情を浮かべていた。

 馬車は磨き上げられており、車体はつややかで、馬具まできちんと整えられている。

 それを見てラフィエルは心の中でふとつぶやいた。

(……こいつ、本当に執事向きかもしれんな。)


 馬車はゆっくりと商業区を進んでいく。

 ランディはまるで専属ガイドのように、沿道の建物や歴史について楽しげに語り続けた。

「旦那様、あちらの建物は昔、王国の使節団が使っていた会館だそうです。

 そして、目的地の競技場ですが……デザインの元になったのは古代ローマの円形闘技場なんですよ。

 当時の戦士たちは、名誉と生き残りを懸けて、命を削る戦いを繰り広げていたそうです。」

 ラフィエルは車窓に肘をつき、街の景色に目をやっていた。

 賑わう露店と往来を行き交う人々、そして壮麗な石造りの建物――

 都市の熱気と歴史が交差する風景は、どこか彼の心を打った。

 やがて、馬車は大きく曲がり、堂々たる姿を現した建物の前で止まった。


 眩しい午後の陽光の下、競技場は街の一角に堂々とそびえ立っていた。

 その荘厳な佇まいに、ラフィエルは思わず息を呑んだ。

 この「ローマ競技場」と呼ばれる施設は、書物で見た古代建築に勝るとも劣らない壮麗さを持っていた。

 円形構造は四階層に及び、外壁は石灰岩とコンクリートで築かれ、見事なアーチと列柱が青空を背景に映えている。

 陽光に照らされた彫刻には、神聖かつ古めかしい雰囲気が漂っていた。

 馬車が停まると、ランディは手慣れた様子で軽やかに降り、ラフィエルの前に手を差し出してにこりと笑った。

 その口元には、どこか抜け目ない狡猾さがにじんでいた。

「旦那様、こちらがチケット二枚分と馬車代、あわせて六千ルクスになります。」

 ラフィエルは眉をひそめ、ようやくランディの真意を察した。

 ――なるほど、そういうことか。こいつの狙いは俺の財布だったわけだ。

 しかしラフィエルは特に何も言わず、財布から数枚の紙幣を取り出してランディに手渡す。

(まったく、抜け目のないやつだ。)

 彼はそう心の中で苦笑しながらも、特に否定もせず支払いを済ませた。


 周囲を見渡せば、高くそびえる観客席が取り囲み、石造りの壁面には無数のアーチが連なっていた。

 その一つひとつが、まるで過去の戦士たちの息遣いを今も宿しているかのようだった。

 重厚な石材と洗練された建築美は、見る者に圧倒的な存在感を与え、ラフィエルの足取りも自然と慎重になっていった。

 やがて、観客の波に押されるように彼らはアーチの下をくぐり抜け、競技場の内部へと足を踏み入れた。

 観客の喧騒、石の壁に響く足音、差し込む光と影の模様――

 すべてが、この場所に刻まれた数多の物語を語っているように感じられた。

 そして、ラフィエルの目に映ったのは、闘技場の中央に広がる黄金色の砂地だった。

 強い日差しを受け、細かな砂粒はきらきらと輝いている。

 まるで過去に流された血と汗、そして勝利と敗北の記憶をその一粒一粒が抱えているかのようだった。

 ラフィエルは、その眩しい光の中で、かつてこの場所で命を懸けて戦った者たちの幻を見たような気がした――

 夢を追い、誇りを懸けて戦った者たちの、無言の叫びが今なおこの地に染みついているように。


 2人は観客席に着き、すでに熱気に包まれた競技場の中で席を探した。

 スタンドはすでに満席に近く、あちこちから歓声や掛け声が飛び交っていた。

 彼らがようやく腰を下ろした時、すでに中央の砂地では一組の戦士たちが激しい戦いを繰り広げていた。

 ラフィエルは場内をちらりと見渡し、ランディに尋ねた。

「もう始まってるのか?」

 ランディは肩をすくめて、気にした様子もなく言った。

「大丈夫です、最初の試合は前座みたいなものでして。本番はこの後、もっと盛り上がりますから!」

 そう言うと、彼はまたしても熱弁を振るい始めた。

 行きの馬車の中でも語っていた競技場の仕組みだが、今回はさらに詳しく、熱がこもっていた。


「この競技場に立つには、まず“榜外ぼうがい”という身分を得る必要があります。」

 ランディは力強く語りながら、視線を場内からラフィエルへと向ける。

「榜外とは、各地から集まった実力者たちに与えられる称号です。

 太陽塔に住む“予言者”や“千里眼”と呼ばれる存在たちが、世界中から有望な者を見出し、彼らに戦う資格を与えるんです。」

 ラフィエルは自然と視線をランディに戻し、眉をひそめながら黙って耳を傾けていた。

「榜外に選ばれた戦士は、この競技場で他の榜外と戦います。

 一定の勝利を収めると、次に挑戦できるのが“日輪英雄榜にちりんえいゆうぼう”の戦士たちです。」

 その言葉に込められた興奮が、ランディの声にしっかりと表れていた。

「英雄榜は十人。その中でも上下の位があり、挑戦者は一戦一戦、下から順に戦っていきます。

 勝てば賞金、名声、地位……そして、最も人々を惹きつけるのは“ある伝説の報酬”です。」

 ラフィエルは思わず問い返す。

「……伝説?」

「はい。」

 ランディは声を潜めつつも、目を輝かせて言った。

「“太陽塔の頂上に上がれる”という伝説です。

 何度も勝利して英雄榜の頂点に立ち続けた者は、塔の最上階に招かれ、最も深い願いを叶えることができる――

 そう言われているんです。」


「太陽塔の頂上……願いが叶う……」

 ラフィエルはその言葉を繰り返し、視線を遠くにやった。

(そんなものが、本当に存在するのか……)

「ちなみに、現在の英雄榜に名を連ねる者たちは、全員が一騎当千の強者ばかりです。

 ただし、“第四位”だけは未だ誰も姿を見たことがない謎の人物だと言われています。」

 そう語るランディの声には、畏怖と敬意が入り混じっていた。

「この競技場内での勝利だけでなく、場外で強者を倒しても得点が加算されるらしく……

 太陽塔の情報網は、それほどまでに精密で徹底しているんです。」

 ラフィエルは小さくうなずきながら、心の中でこの塔の“力”を再評価していた。


「試合の流れとしては、まず榜外同士の対決から始まり、

 次に榜外が英雄榜の下位と戦い、最後に上位へ挑戦――という順序です。」

 ランディが補足し終えると、ラフィエルの目線は再び競技場へと戻った。

 現在行われている戦いでは、両者が拮抗した攻防を繰り広げていた。

 技も速さも互角に見えるが、その動きの端々には明確な戦闘スタイルの違いがあった。

 ランディはその様子を察し、静かに語る。

「今戦ってるのは、“狩人派”と“戦国派”ですね。」

「狩人派?」

 ラフィエルが問い返すと、ランディはうなずいて続けた。

「狩人派は、ラフィエル様のように素早い連撃とテンポを重視したスタイルです。

 隙を与えず、一気に畳みかけるのが特徴です。」

 ラフィエルはうっすらと笑みを浮かべる。

 それは、彼が最も馴染み深い戦い方だったからだ。

「一方、“戦国派”は北方の戦士に多く見られるスタイルです。」

 ランディの口調に、自然と敬意がにじむ。

「彼らは一撃必殺を信条とし、力と緻密な間合いで勝負を決めます。

 攻撃の機会をじっくり待ち、的確に一撃を叩き込む。まさに剣術の真髄です。」


 それを聞いたラフィエルは、より注意深く場内の対戦相手たちを観察し始めた。

 彼は一人の選手の戦術が明らかに北方スタイルに属していることに気づく。動きは慎重かつ正確で、一切の無駄がなかった。

 対するもう一人は、典型的な「狩人派」の代表であり、素早い攻撃を次々と繰り出しては、相手の防御を絶えず圧迫していた。

 このまったく異なる二つの戦闘スタイルを前にして、ラフィエルは深く思索に沈んだ。

 彼は、この競技場で繰り広げられる戦いが、単なる力や技のぶつかり合いではなく、

 それぞれ異なる「戦いの哲学」が正面から衝突する場でもあることを、はっきりと感じ取っていた。

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