3.気だるげな学生
混日子的學生
翌日、ラフィエルは入学手続きを終え、広大な大学都市の中に立っていた。
その周囲は、まるで別世界のような空間だった。
午後の陽光が斜めに彼の体に降り注ぎ、地面には真っすぐな影が伸びていた。
ラフィエルはふと顔を上げて、学院の建物群を眺める。
その目には、どこか退屈そうな色が浮かんでいた。
この大学都市では単位制が採用されており、学生は自分の興味に応じて自由に科目を選ぶことができる。
ひとつの授業を修了し、試験に合格すれば単位を得られる仕組みだ。
この自由な学びのスタイルは、さまざまな年齢層の学生を惹きつけている。
10歳の少年から20代の若き学者まで、幅広い世代の者たちがこの大学都市に集い、豊かな学術の雰囲気を形作っている。
中には、20歳を過ぎてもこの地に残り、さらに深く学術にのめり込む者もいる。
そうした者たちは研究生として未知の分野へ挑み続けているのだ。
だが、ラフィエルにとって、そうしたことはまるで他人事だった。
彼は授業の内容にも興味を持たず、ここに来たのもただ祖母の勧めに従っただけ。
気分を変えるための逃避――それが目的だった。
受付カウンターの前で、彼は学校が16歳向けに勧めてくる科目一覧に目を通し、
興味もないまま、すすめられるがままにいくつかを選んで登録した。
授業など彼にとってはどうでもよく、すべてはただの形式にすぎなかった。
「どうせここに来たって、時間を潰すだけだしな。」
心の中でそうぼやくと、彼は新たな教室へと足を踏み入れた。
長年にわたる学者たちの研究、そして古文書に残された断片的な知識、さらに考古学者たちが遺跡から掘り出した数々の手がかり――
それらをつなぎ合わせて、ようやく現在の大陸史に関する仮説が形づくられた。
太古の時代、旧人類はかつて高度な科学文明を築いていた。
彼らは今では到底理解できない数々の技術を操り、驚くべき奇跡のような建造物をいくつも築き上げていた。
だが、人類がその科学の輝きを謳歌していたその時、突如として災厄が訪れた――機械獣である。
その正体不明の巨大な生物たちは突如として現れ、大地を蹂躙し始めた。
彼らは無慈悲に人類の都市と科学を破壊し、すべての生命を飲み込んでいった。
その姿は、まさに全てを呑み込む漆黒の波――「黒潮」と呼ばれる所以である。
この壊滅的な力を前に、偉大だった旧人類の文明は一瞬にして崩壊した。
わずかに生き延びた者たちは、原始的な生活へと後退し、荒れ果てた大地で細々と命を繋いだ。
無数の世代が過ぎ去るうちに、人類はかつての栄光を忘れ、高度な科学が存在していたことすら思い出せなくなっていた。
――そしてある時、新たな時代が幕を開ける。
新しい人類が「駆動石」の使い方をついに発見したのだ。
これは古代のエネルギー源であり、機械獣に立ち向かうための力を人間に与えるものであった。
この発見によって、人類に再び希望の光が差し込んだ。
人々は駆動石を用いて黒潮の脅威に抗う術を学び始め、文明は復興と発展の道を歩み出した。
やがて、大陸に最初の真の国家が誕生する――それが「日譽王国」である。
この王国は強大な軍事力をもって黒潮を撃退し、大陸の大部分を制圧することに成功した。
その象徴こそが、空を突くようにそびえ立つ「太陽塔」であり、王国の信仰と繁栄の中心地として存在していた。
さらに、大陸の南端に築かれた「万里の長城」は、黒潮を食い止める最後の防壁として、人類の不屈の意思を体現していた。
しかし、いかなる繁栄も人の欲望には勝てない。
それから三百年の時を経た頃、「日譽王朝」となったこの偉大な王国は、堕落した後継王たちの圧政と貪欲によって次第に衰退していった。
民を虐げ、生け贄を捧げるという闇の儀式にまで手を染め、己の権力を保とうとした。
最終的に、耐えかねた民衆が大規模な反乱を起こし、このかつて強大だった王朝は滅び去る。
大陸は長きにわたる分裂と混乱の時代へと突入した。
その後も勢力争いは絶えなかったが、「長城同盟」だけは生き残った。
なぜなら、そこは黒潮の最前線に位置し、人類の存続を担う最後の砦であったからだ。
一方で北方大陸は、より激しい戦乱と分裂に見舞われた。
そんな中、各地の学者や魔法使いたちが、かつての太陽塔周辺に集い、中立区域「大学都市」を築いた。
そこは戦火の届かぬ学問と知恵の中心地となったのだ。
やがて、強大な軍事力をもった「戦国」が勃興し、北方と西方を次々と平定。
混乱を終わらせ、大陸に安定をもたらしたのであった。
教室では、歴史の教師が講壇に立ち、真剣な面持ちでこの古代の物語を語っていた。
その声は静かでありながらも力強く、彼の語る一言一言が、まるで鍵のように生徒たちの未来を開こうとしているかのようだった。
生徒たちはノートを取りながら、あるいはじっと耳を傾けながら、教師の話に集中していた。
この歴史の断片が、自分たちの将来への道を指し示してくれると信じているように。
だが――
ラフィエルの心は、すでにここにはなかった。
彼にとって、こうした物語はどうでもいいものだった。
視線は窓の外へと向き、心は遠く別の世界をさまよっていた。
木々をなでる微風、木漏れ日のきらめき、時折聞こえる鳥のさえずり……
そんな何気ない自然の音の方が、教室の中の講義よりも、よほど彼の気を引いた。
彼はじっと席に座り続けていた。
やがて授業の終了を告げる鐘の音が鳴り、ようやく我に返る。
机の上の教科書をしまい、何かを「済ませた」かのように、無言で立ち上がった。
この重々しい歴史も、彼にとっては自分とは無関係な、ただの「昔話」に過ぎなかったのだ。
授業が終わると、生徒たちは次々と教科書を片付け、仲間たちとその日の課題について語り合い始めた。
教室はたちまち喧騒に包まれ、活気を取り戻す。
しかし、ラフィエルだけはその中で孤立していた。
まるで自分だけが異物であるかのように、誰とも言葉を交わさず、静かに立ち上がり、淡々と鞄を片付ける。
行き先も決めず、彼はゆっくりと歩き出す。時間は余るほどあるが、特に行く当てもない。
最終的に彼が向かったのは、やはり自室――静寂な避難所だった。
寮の部屋には誰もおらず、音もない。だが、その静けさは彼にとって、騒がしい教室よりもずっと心地よかった。
この知識と希望に満ちた学び舎の中で、彼はあたかも距離を置くように、誰にも気づかれない場所へと身を置いていた。
時は流れ、一ヶ月が経過した。
ラフィエルは相変わらずほとんどの授業に無関心で、目は宙を彷徨い、心は教室にあらず。
講義内容は彼にとってただの雑音に過ぎず、心を動かすものはほとんどなかった。
唯一、彼の興味をかろうじて惹いたのが、彼自身が選択した「戦闘科目」だった。
必修の「体育」とは違い、この戦闘科目は武器の扱いや模擬戦の技術に特化しており、ラフィエルは多少なりとも期待を抱いていた。
だが、現実は彼の期待を大きく裏切った。
かつて「黒潮」と命を懸けて戦っていた彼にとって、講師が用意するお決まりのパターンや、安全第一の訓練など、まるで子供の遊びに思えた。
彼は剣を手に立っていた。耳元で教師の指導が飛び交い、周囲では生徒たちが息を切らしていた。
だが、ラフィエルの心は冷めきっていた。
そのため、彼は次第に「別の楽しみ方」を見出すようになる。
彼は毎回、クラス内で最も腕の立つ者に指名して決闘を挑み、遠慮なく実力でねじ伏せることで、相手に本気を引き出させようとした。
だが、ほとんどの相手は数合ももたずに敗れ去った。
相手に物足りなさを感じ始めた彼は、ついに教師へと狙いを変える。
何度か教師との手合わせがあったが、それですら彼にとっては本気を引き出すには至らなかった。
それでも、かすかな実戦感があるだけ、他の授業よりはましだった。
戦闘科目以外で、ラフィエルが一時的に興味を示したのが「魔法プログラム科目」だった。
しかし、その興味も半コマ分しかもたなかった。
授業では、教師が最も基礎的な魔法陣の構築方法を丁寧に解説していた。
だが、ラフィエルにとってはその手順があまりにも冗長で遅すぎた。
マクィス城で彼が学んできた魔法陣の構築法は、遥かに速く、洗練されたものだった。
比べるのもばからしいと思った彼は、あっさりとこの授業への関心を失った。
大学都市では自由選択制が取られているとはいえ、同じ年齢の学生は似たような科目を選びがちだった。
そのため、時間が経つにつれて、ラフィエルも徐々にクラスメートの顔ぶれを覚えるようになった。
もっとも、彼は誰の名前も背景も気にかけなかったが。
そんな彼が唯一、強く印象に残ったのが――「ジョコ(Joko)」という名の男だった。
ラフィエルは今でも覚えている。
入学して三日目、ジョコが数人の取り巻きを連れて、彼に「洗礼」を与えに来たあの日を。
ジョコはクラスの有名人だった。
多少の才能と、多数の取り巻きを武器に、新入生を威圧するのが常だった。
物静かな新入生――ラフィエルは、まさに格好の標的だった。
教室には、まだ微かに松の木の香りが漂っていた。
机と椅子に刻まれた無数の傷が、幾千もの学生たちの学びの痕跡を語っているようだった。
座席は半円形の段状に配置されており、生徒の視線は自然と教室の前方へと向かう構造だった。
教師は教室中央に立ち、穏やかながら力強い声で授業を進めていた。
その一言一句が、知識の火種として生徒たちの心に灯っていく。
だが、その静寂は、下校の鐘の音とともに破られる。
ラフィエルが鞄をまとめて教室を出ようとしたその時――
背後に、何やら不穏な空気が満ち始めたのを感じた。
振り返ると、数人の生徒が彼を取り囲んでいた。
無言のまま挑発的な雰囲気を放ち、教室に残っていた静けさを一気に打ち砕いた。
「おい、新入りか? 名前を言え!」
誰かの声が響く。その語気には、明確な威圧が込められていた。
「聞こえなかったのか?」
「ジョコ様に会ったら、まずは頭を下げろって教わらなかったか?」
取り巻きたちが次々と口を開き、威勢を張っている。
ラフィエルはそれでも沈黙を守った。
冷ややかな視線を彼らに向けるだけだった。その眼差しは鋭く、刃のようで、囲んでいた生徒たちは一瞬ひるんだ。
輪の中央に立っていたのは、丸々とした体格の少年――そう、これがジョコだった。
彼は目を吊り上げ、怒鳴った。
「何者だてめぇ、俺を無視するなんざいい度胸だな!」
そう言うなり、ラフィエルの肩を掴もうと手を伸ばした。
しかしラフィエルは、その手をすっと身をひねってかわし、バランスを崩したジョコは勢い余って床に突っ伏した。
その様子に取り巻きたちは一瞬呆然となる。
ラフィエルはその隙を逃さず、風のように教室を抜け出し、その姿を消した。
取り巻きが我に返った時にはもう遅く、教室にはジョコだけが、うつ伏せで顔を真っ赤にして残されていた。
昼食を取ろうと考えながら歩いていたラフィエルは、先ほどの出来事を思い返していた。
すると、角を曲がったところで、どこかで聞いたことのある声が耳に飛び込んできた。
「オットー様、こんにちは〜」
制服姿の少年が、にこやかに手を振って近づいてきた。
彼の瞳には、どこか狡猾な光が宿っている。
ラフィエルは少し驚いた様子で問い返す。
「お前も学生だったのか?」
少年――あの「万事屋」の彼は、肩をすくめて答えた。
「学費が高いですからね。こっちも時間を見つけて、働かないといけないんですよ。」
ラフィエルは一瞬言葉に詰まり、やがて小さくうなずいた。
「それで、何の用だ? 万事屋先生。」
少年はますますにこやかな笑みを浮かべ、茶目っ気のある声で言った。
「ランディ(Randy)って呼んでくださいよ、大人のお気に召すなら、ですが。」
「じゃあ、ランディ。授業では見かけなかったな。」
「僕は旦那様より一つ下の学年ですからね。残念ながら同じ教室にはなれません。」
無邪気な顔の裏に、やはりどこか計算高い気配が滲む。
「……で?」
ランディは手をこすり合わせ、まるで商売人のような顔になった。
「さっきの連中の情報、お知りになりませんか?」
ラフィエルは眉をひそめた。興味を抱いたのは確かだ。
「情報売りか。なるほど、だから待ち伏せしてたんだな。聞こうか。」
ランディはにやりと笑い、語り始めた。
「あの真ん中のデブ、名前はジョコ。ドゥーク城の名門家系の次男坊です。
勉強はそこそこできて、成績はいつもトップ3に入る優等生。
あとの連中はただの取り巻き、気にするほどでもありません。
ただ、奴らは新入生にちょっかいを出して、自分の存在感を見せつけるのが大好きなんですよ。
後ろ盾の家族もあって、気に入らない相手には遠慮しないタイプです。」
ラフィエルはそれを聞いて鼻で笑い、報酬の小銭を投げ渡して立ち去った。
(ここが文化の中心だって? マクィス城と大して変わらない、くだらない連中であふれている。)
その後数日、ジョコとその取り巻きたちはあの手この手でラフィエルの授業を邪魔しようとした。
一見巧妙にも思えるそのやり口だったが――
実際のところ、彼らとラフィエルの間にはあまりにも大きな「実力差」があった。
彼らはただの一般学生にすぎず、ラフィエルにとっては脅威にすらならなかった。
特に「戦闘科目」においては、その差が如実に表れた。
ラフィエルは一切の遠慮なく教師に質問を投げ、熟練者との対戦を望み、時には教師にまで挑戦した。
その姿は、もはやクラスの中で浮いているどころか、異質な存在だった。
ラフィエルの強さと真剣さは、ジョコたちの心を次第に打ち砕いていった。
結局、彼らは自分たちでは太刀打ちできないと悟り、ターゲットを別の弱い学生へと向けていった。




