25.Code-1.黑潮
Code-1黑潮
ちょうどそのとき、遠くの廃墟の向こう側から、巨大な黒い影が高層ビルの後方にゆっくりと現れた。最初は輪郭がぼんやりとしており、影の中に隠れていたが、徐々に接近するにつれ、その巨大な姿がはっきりと見えてきた。
それはまるでティラノサウルスのような機械生命体で、山のように高い鋼鉄の体からは、見る者を震え上がらせる金属の冷たさが放たれていた。頭部のデザインは太古の恐竜を忠実に再現しながらも、そこには冷酷で無機質なテクノロジーの気配が漂っていた。
赤く光る両眼は、感情のないセンサーのように戦場を冷ややかに見渡し、まるで次なる獲物を選んでいるかのようだった。上下の顎には鋭利な金属の歯が並び、一本一本がギザギザに加工され、硬い装甲を引き裂くために設計されていた。
低く唸るたびに、喉元から炎がほとばしり出し、その赤い光が周囲の影を地獄のような光景に染め上げる。
背中にはさまざまな重火器が装備されており、まるで移動する軍事兵器庫のようだった。榴弾やミサイルが発射の命令を待ち構え、一斉に放てば、周囲一帯を瞬時に瓦礫の山に変えるだろう。
胸の中央には重機関銃が埋め込まれており、その冷たい銃口は動きに合わせて自在に旋回し、まるで死神の視線のように、次の瞬間に鉄の嵐を無慈悲に解き放とうとしていた。
一歩踏み出すたびに地面が砕けて震動し、巨大な鋼鉄の爪は岩を粉々に押し潰す。そのティラノサウルスのような姿は、疑いようのない「力の象徴」だった。
それは視覚だけで感じる脅威ではない。骨の髄まで届くような、圧倒的な存在感だった。目にしたすべての生命が、ただ身震いするしかなかった。
「恐竜? こんな時にCode-1級の黒潮が出てくるなんて……悪質なドッキリ番組か何か?」
姐御はなんとか引きつった笑みを浮かべたが、その声には明らかな震えと恐怖がにじんでいた。
「全然笑えない。」
隊長が口笛を吹いた。それは恐狼を呼ぶための合図だった。次の瞬間、遠くから低く唸るような音が響いた。
その巨大な黒潮は、そのかすかな音を即座に察知し、機関銃システムを起動させた。銃口が高速で回転し、灼熱の火蛇のような銃弾が吐き出される。銃弾は突風のように駆け抜け、隊長が隠れていた位置を正確に狙い撃ち、周囲の壁を一瞬で引き裂いた。
砕けた瓦礫と粉塵が四方に飛び散り、轟音とともに大地を揺るがす。壁が崩れ落ち、その破片が鋭利な刃のように空気を切り裂いて飛んでくる。二人はとっさに身を伏せ、地面に這いつくばりながら、なんとか銃弾の嵐を避けた。
姐御は地面に這いながら、歯を食いしばって唸った。
「ふざけんな、あれはいったい何なんだよ!」
「暴君だ。ティラノサウルス型で、遠距離火力に特化した第一級黒潮。ハンターの間じゃ……」
「やめて! 死ぬ前に解説なんて聞きたくない!」
隊長は苦笑いを浮かべ、姐御の青ざめた顔をちらりと見て、低く言った。
「動けるか? 俺に包帯を頼む。ラフィルを逃がすんだ。せめて、あの方の命令だけは……最後までやり遂げる。」
姐御はそれを聞き、眉をひそめつつも苦笑した。彼女は左手で体を支えながら、額を伝う汗に顔をしかめた。右肩と背中には深い切り傷があり、鎧の裂け目から鮮血が溢れ出していた。その傷は見ているだけで痛々しく、絶え間なく血が滲んでいた。
わずかに動くだけでも顔が歪むほどの激痛が走ったが、それでも彼女は微笑もうとし、苦々しい声で言った。
「アンタがイヴェットの人間だって知ってたら、最初からこの任務、押し付けてやったのに。」
隊長は目をひとつ回し、やれやれと返した。
「アンタがアメリンの人間だって知ってたら、こっちだって最初からこの面倒ごと、丸投げして隠居してたさ……」
隊長の言葉が終わると、突然、周囲が不気味なほど静まり返った。恐狼の応答がないばかりか、あの黒潮の機械音さえも、少し弱まったかのようだった。
「……どうなってる? 反応がない。」
「お前、吹くのが弱すぎたんじゃないの?」
「そんなはずない……」
「だって、吹くのは私のほうが得意だし?」
「……ちっとも笑えねぇよ。」
口ではそう言いながらも、隊長は彼女のひどすぎる下ネタに思わず笑ってしまった。首を振り、傷だらけの体を引きずりながら、両手を使って少しずつ姐御のもとへと這っていく。
ようやく彼女のすぐそばにたどり着いた隊長は、力尽きたように彼女の太ももに頭を乗せ、大きく息を吐いた。汗が顔を伝って流れ落ちる。
「重いんだけど!」
姐御は彼を睨みながらも、その声には呆れとほんの少しの怒りが混じっていた。それでも彼女は彼を押しのけることなく、埃まみれの彼の髪をそっと撫でた。その仕草は声とは裏腹に、とても優しかった。
隊長は彼女の瞳を見つめ、珍しく穏やかな表情を浮かべた。そして、静かに名を呼ぶ。
「エリノア。」
彼女はすぐには答えず、ただ黙って彼を見下ろしていた。その目には複雑な思いが揺れており、葛藤のようでもあり、迷いのようでもあった。数秒後、彼女はそっと隊長の手を握った。指先はかすかに震えていたが、手を離すことはなかった。
「アクセル……」
それは、ずっと昔に交わした約束への静かな返答のようだった。
そのとき、巨獣の背中から再び低く唸るような音が響いた。太い砲身がゆっくりと持ち上がり、廃墟の方向へと狙いを定める。
「ドオォォォンッ!」
轟音とともに、巨大な砲弾が空へと撃ち上げられた。灼熱の尾を引いて、濃煙に覆われた空を裂くように飛翔する。やがて砲弾は空中で炸裂し、無数の小型爆弾へと変わった。それはまるで死神が振るう鎌のように、破滅の気配をまといながら降り注いだ。
爆弾の一つひとつが残酷な軌跡を描き、逃げ場のない場所を正確に覆い尽くす。
砕けた空がアクセルの瞳に映り込む。その光景はまるで時間を引き裂くかのようで、炎と煙が交錯する地獄の中で、一瞬一瞬が永遠のように引き延ばされていった。彼の視線はただ一つの場所に向けられていた――エリノアの顔。
彼女の瞳は静かで、それでいて揺るぎなかった。周囲の爆発音と炎の狂乱とは対照的に、深く穏やかなその眼差しは、アクセルの胸の奥底にある恐怖と後悔を、ひとつずつ溶かしていった。
「アクセル……」
その声はかすかで優しく、嵐の中で灯る小さな火のように温かく、そして力強く、彼の心に直接届いた。
彼には、彼女の最後の言葉がはっきりとは聞き取れなかった。しかし彼女の唇の動きを見た瞬間、アクセルの心はわずかに震えた。彼は読み取った――その三文字。
「愛してる」と。
死神の雨のような無数の爆弾が降り注ぎ、ふたりの影を完全に覆い隠していく。空を舞う金属片が光を反射し、まるで死の残光のように煌めくなかで、アクセルの手はしっかりとエリノアの手を握っていた。その指先に残る温もりと信念だけが、すべてを照らしていた。
二日後、ボンブロール市の廃墟の南東端で、オットー拠点にて衝撃的な光景が現れた。
拠点の門前に、一匹の恐狼がふらふらと姿を現した。全身血まみれで、足取りはおぼつかず、体は震えていた。それは、何度も死と隣り合わせの戦いを潜り抜け、ようやく生き延びたような様子だった。
その背には、一人のハンターが背負われていた。そのハンターは意識を失っており、激しい戦闘を経て瀕死の状態であることは明らかだった。
恐狼の体には無数の銃痕と火傷の跡があり、特に右前足の骨折は深刻だった。それでもなお、その足で一歩一歩、拠点に向かって進み続けた。
誰も、この恐狼がどこからこのハンターを運んできたのか知らなかったし、どんな戦いを経てきたのかも知る由もなかった。門前にたどり着いた恐狼は、そっとハンターを地面に横たえた。それはまるで、自らの最後の使命を果たしたかのようだった。
そして、ひと息ついたあと、恐狼の瞳から光が消え、静かにその場に倒れた――二度と目を覚ますことはなかった。
人々はすぐに昏睡状態のハンターを運び出して治療を行い、間もなくその正体が判明した。彼は「鋼の心」の異名を持つハンター――ラフィルであった。
三日後、ラフィルはようやく意識を取り戻した。目を開けたその瞬間、彼は隣の治療師を強く掴み、必死の面持ちで何が起こったのかを問い詰めた。
彼が知ったのは――自分を救ったのは“老兄”であり、隊長、見習い、姐御、そしておじさんが消息不明となっているということだった。その知らせに、ラフィルの心はまるで引き裂かれたかのようだった。
オットー拠点はすぐに25人からなる捜索救助隊を編成し、ボンブロールの廃墟へと失われた仲間たちを捜しに向かった。
数日後、捜索隊は戻ってきた。そして、隊長と見習いの遺体を持ち帰った。しかし、姐御とおじさんに関しては、彼らの装備やいくつかの遺留品が見つかっただけで、行方は依然として分からなかった。
捜索隊が現場の状況を語ったとき、その場にいた誰もが息を呑んだ。
そこはまさに地獄だったという。十数棟の高層ビルが無惨に倒壊し、まるで無言の証人のように、あの破滅的な戦いの痕跡を物語っていた。
中でも最も衝撃的だったのは――瓦礫の中央で発見された、Code-1級黒潮の死骸だった。
その巨大な機体は、まるで最後の瞬間まで戦い抜いたかのように、静かに横たわっていた。
一体どれほど激しい戦闘があったのか、誰にも想像がつかなかった。あれほど恐ろしい存在と渡り合った者たちが支払った代償は、あまりにも大きく、そこに立つ者すべての心を、畏怖と深い悲しみに沈ませた。
翌日、イヴェットは息を切らしながらラフィルの部屋へと飛び込んできた。ドアを開けるなり、彼に駆け寄って叫ぶ。
「無事だったの⁉︎」
ラフィルは虚ろな瞳のまま、何も答えなかった。絶望の底に沈み込んだような彼の姿を見て、イヴェットは何も構わず彼を強く抱きしめた。
その身体から伝わる冷たい感触と深い悲しみに、彼女は胸が張り裂けそうになった。
治療師からすでに聞いていたのだ――ラフィルはこの数日、ほとんど食事も取らず、誰とも話さず、痛みに閉じこもっていたと。
彼女は決めた。どんなことがあっても、彼のそばを離れないと。
数日後、トムリンとイリーザもようやく拠点に到着した。
ラフィルがトムリンの姿を見た瞬間、それまで抑えていた感情が一気に崩れた。
彼はトムリンにしがみつき、声をあげて泣きじゃくった。
あふれ出す涙は、これまで溜め込んできた悲しみ、悔しさ、どうしようもない無力感をすべてぶつけるかのようだった。
その泣き声には、亡き仲間への深い罪悪感と、自分には何もできなかったという痛みが詰まっていた。
それから時が少しずつ流れ――
妹のイリーザの献身的な看病のおかげで、ラフィルは依然として無口ではあったが、ゆっくりと回復していった。
ようやく食事を口にするようになり、まだ悲しみの影に包まれてはいたが、彼の心は、ほんの少しずつ、確かに癒え始めていた。




