19.1 卒業試験(2)
朝の陽射しがカーテンの隙間から差し込み、ベッドの上に柔らかく落ちていた。目を開けると、昨夜の卒業パーティーの余韻がまだ耳に残っている気がした。音楽、笑い声、抱擁、そして最後の名残惜しい別れの言葉……それらが次々と頭に浮かぶ。
私は寝返りを打ち、見慣れた天井を見上げながら、この三年間の訓練の日々を思い返した。あの日々の一つ一つが鮮やかに蘇り、まるで時間が止まったかのようだった。苦しい訓練、流れる汗、仲間たちとの絆——どれも昨日のことのように思える。
卒業試験に合格した瞬間はすでに少し前の出来事なのに、今でもその時の胸の高鳴りや息の詰まるような緊張感が、鮮明に心に刻まれている。その一つ一つが、消えることのない記憶として私の中に残っている。
朝食を済ませた後、私は荷造りを始めた。どの品にも物語があり、長い日々を共に過ごしてきたものばかりだった。最後の一つを収めた後、私は部屋の真ん中に立ち、周囲をゆっくりと見渡す。この見慣れた光景に、なかなか足が動かなかった。
この部屋は、ただ寝る場所ではなかった。嵐の日も心を落ち着ける避難所であり、数々の思い出が詰まった特別な空間だった。ぼんやりと立ち尽くし、私は深い感慨に包まれていた。
「もう少しここで訓練していきたいかい?」
突然、ドアの外から祖母の声が聞こえた。振り向くと、彼女が杖を突きながらゆっくりと歩いてきた。足取りは以前より重いが、その瞳には変わらぬ知恵の光が宿っていた。
私は微笑んだ。別れは避けられないことを、心のどこかで理解していた。
「昨日、小熊と一緒に村をひと通り見て回ったし、そろそろ行く時かな。」
まるで独り言のようにそう呟いて、私は荷物を手に取った。足取りは重かったが、決意もまた確かだった。
家の外には、父とイヴェットがすでに待っていた。昨日のうちに村へ来てくれており、盛大な送別会にも同席してくれていた。
私は大きく深呼吸をして、この三年間を共に過ごした部屋を最後にもう一度見つめ、そして一歩を踏み出した。未来へと続くその一歩を。
村の門前には、見慣れた顔ぶれが次々と現れ、手を振って見送ってくれていた。親しい人々を前にして、心の中には複雑な感情が渦巻く。喉の奥に、言葉にならない別れの想いが詰まっていく。
「アンおばあちゃん……また会いに来るよ。」
私はそっと言った。その視線には、名残惜しさがにじんでいた。
祖母はやさしく微笑んだだけだった。目元のしわが、ほんの少し深くなった気がした。
「コグマ、アン先生の授業はちゃんと聞くんだよ。こっそり居眠りしないでね!」
私は冗談交じりに小熊へと声をかけた。彼はふくれっ面で笑いながらうなずき、私もつい笑顔になった。
「みんな、訓練がんばって。立派に卒業する日を楽しみにしてる。」
仲の良い友人たちにそう言うと、彼らの瞳には憧れと期待の光が宿っていた。
村の人たちから寄せられる温かな祝福の言葉が、波のように押し寄せてくる。私は彼らの心からの応援を、全身で受け止めていた。
そのとき、小熊が突然抱きついてきた。太い腕でぎゅっと締め付けられ、息が詰まりそうになる。私はなんとか力を振り絞ってその抱擁から抜け出したが、胸の中には言葉にできない温もりが広がっていた。
祖母は変わらずそこに座っていた。いつものように、厳格な表情を浮かべている。私はそっと彼女の元へと歩み寄った。彼女の静かな時間を邪魔しないように、慎重に足を運んだ。
「……おばあちゃん、身体に気をつけて……」
私は静かに声をかけた。声は自然と小さくなり、彼女の前ではいつも子どもに戻ったような気分になる。感情がうまく言葉にならない。
祖母は言葉を返さず、ただ静かにうなずいた。その沈黙は、何千の言葉よりも重みがあった。その眼差しの中に、私への深い想いと、これからへの期待が込められていた。
そして、私と共に卒業するふたりの生徒とともに、私たちは地面に膝をつき、手を床につけて深く頭を下げた。
「アメリン先生……アン先生……本当にありがとうございました!」
私たちは声を揃えて言った。この一礼には、これまで受けてきた訓練と教えへの、心からの感謝が込められていた。
別れの挨拶を終え、私は馬車に乗り込もうとしていた。だが、心の奥にひっかかる感情があった。何か、まだやり残したことがある——そんな衝動に駆られて、私はふと振り返った。
そして、杖をついて立ち上がろうとしていた祖母のもとへ走って戻った。
彼女がまだ反応する前に、私はぎゅっとその身体を抱きしめた。
「おばあちゃん……これまでの訓練、本当にありがとう。きっと、また会いに来るから。」
その抱擁には、言葉では伝えきれないほどの感謝と別れの寂しさが込められていた。
かつて祖母を見上げていた子どもだった私は、今や背丈もほとんど同じくらいになった。けれど、記憶にある祖母の身体は、昔よりもずっと細く、そして小さく感じられた。それでも、抱きしめたぬくもりは変わらず、どこまでも優しかった。
しばらくの間、祖母は動かなかったが、やがてゆっくりと両腕を伸ばし、私をそっと抱き返してくれた。
その瞬間、私は彼女の心の奥底にある優しさに触れた。それは、これまで厳しい訓練の裏に隠されていた愛情であり、私の魂の奥深くに染み込んでいくような、温かく強い感情だった。
村を出発した馬車は、ゆっくりと進み始めた。マクイス城までは三日ほどの道のりだ。
揺れる馬車の中、私は窓の外を眺めていた。風景が流れ去っていく中で、心の中にはまだあの村の面影が色濃く残っていた。
時間をつぶすために、私は時おり家族と会話を交わし、やがて同乗していた二人の普通生とも口を開くようになった。
ひとりはアリッサ(Alissa)という女性で、私より二歳年上。引退したハンターの娘で、商業に強い関心を持っており、まずはマクイス城で仕事を探し、この分野の世界を知ろうとしているという。
もうひとりはナクセム(Naxem)という十七歳の青年で、孤児院の出身だった。マクイス城でお金を貯めて、その後は旅に出るつもりらしい。彼はアン先生のクラスにいたこともあり、私とは比較的親しい仲だった。面倒見がよく、まるでみんなの兄のような存在だった。
そして、私自身のこと——
マクイス城に戻ったら、すぐにでもハンターのチームに入りたいと思っていた。ずっと夢見ていた、本物のハンターとしての冒険の日々を体験したくて仕方なかった。
……けれど、ふと疑問が浮かぶ。
私は、いったい何のためにあの村で訓練を受けようと決めたのだろう?
馬車に揺られながら、私はしばしの沈黙に包まれた。車輪のリズムに合わせるように、記憶が少しずつよみがえる。
——まだ幼かったあの日、胸に宿った冒険へのあこがれが、私をあの村へ導いた。そして今、それが再び、新たな旅の扉を開こうとしていたのだ。
*
マクイス城に戻った翌日、ラフィールの胸には期待が燃え上がっていた。小さな荷物を背負い、見慣れた街路を軽やかに歩きながら、彼の頭の中にはハンターとしての未来の姿が何度も浮かんでいた。
これから始まる冒険の数々——それは単なる職業の始まりではなく、彼の夢そのものだった。
しかし、その夢は突然、現実によって打ち砕かれる。
公会のカウンターの前に立ったとき、職員が無表情で放ったひと言が彼の胸に突き刺さった。
「申し訳ありませんが、公会では12歳未満の登録はできません。」
その言葉は、まるで花火が心の中で爆発したような衝撃だった。
ラフィールはあまりのことに、思わず声を荒げてしまう。
「えっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!?」
帰り道、その冷たく無機質なルールが脳内で何度もリフレインされた。怒りと絶望が一気に押し寄せ、彼は打ちひしがれていた。
家に帰ると、ラフィールはソファに座ったまま動かず、眉をしかめていた。その様子を見て、帰宅したトムリンは事態を悟った。
「……もう知ってたんでしょ?」
ラフィールは遠慮のない口調で問い詰めた。そこには責めるような響きがあった。
トムリンは少し気まずそうに顔をそらし、心の中で後悔した。今朝、言いかけた話をちゃんと伝えられていなかったことを思い出し、小声で言った。
「……朝、お前が話を最後まで聞かなかったからさ。」
「アンタ、公会の会長なんだろ? このルール、なんで反対しなかったんだよ?」
ラフィールの声は怒りに震え、その目には明らかな不満が宿っていた。
トムリンは眉をひそめながらも、冷静さを保とうと努めた。
「この規定は、俺は良いと思ってる。年齢が低いほど、ハンターの仕事はリスクが高すぎる。」
そして心の中で小さくつぶやいた。
(おばあちゃんの手段、完璧だったな……)
ラフィールはあからさまに舌打ちし、不満のオーラを全身に放っていた。
「チッ……じゃあ、今の俺はどうすればいいんだよ?」
トムリンは息子をなだめるように、静かに提案した。
「普通の同年代の子どもみたいに、ちょっとゆっくりした生活をしてみるってのはどうだ? リリーと一緒に過ごす時間も増やせるしな。」
「……一年以上も待つのかよ? だったら、俺……魔法を学ぶ!」
ラフィールの目は輝きを取り戻し、その心にはまだ燃えるような情熱が残っていた。
日々が過ぎる中で、ラフィールは自らの衝動を必死に抑えていた。
最初のうちは、祖母に仕込まれた日々の鍛錬を守り、落ち着いた生活を送っていたが、次第にマクイス城の華やかさと喧騒が彼を引き寄せていく。
持ち前の実力はすでに並の子どもではなかったが、その力ゆえに些細なことで人とぶつかり、ときには喧嘩にまで発展することもあった。それは家族を悩ませる原因にもなっていた。
そんなある日、彼はふたりの人物と出会う——アクセルとエリノア。
この新たな友人たちは、ただの遊び相手ではなかった。彼らとの出会いが、ラフィールの中に眠っていたハンターとしての志と技術を再び呼び覚ます。
ふたりは彼を導き、磨き直し、鍛え直してくれた。
アクセルの鋭い洞察と、エリノアの安定した判断力。そして、ふたりの助けを借りて、ラフィールは魔法の基礎を習得し始める。
彼の心に、新しい世界の扉が開かれた。
それはまるで、新たな風が胸の奥から吹き抜けていくような感覚だった。
忘れかけていた夢が、もう一度燃え上がったのだ。
そしてついに、ラフィールの12歳の誕生日が訪れる。
家族と共にハンター公会を訪れ、彼の目には抑えきれない喜びの光が宿っていた。
カウンターの前に立ち、ついにその瞬間を迎える。
彼は正式にハンターとして登録され、アクセルのチームに加わることが決まった。
その瞬間、ラフィールの夢はようやく、羽ばたくための翼を得た。
彼の心は高鳴り、憧れの空へと向かって飛び立っていく——それは、少年が本物のハンターとなる、まさにその第一歩だった。




