12.1 祖母の家へ(2)
旅の一日目は、まだ活気のある景色が続いていた。馬車はにぎやかな道を進み、時折すれ違う商人や旅人の呼び声や笑い声が空気に溶け込んでいた。
ラフィールは馬車の窓から、そんな賑わいを眺め、ほんの少しだけ心を和らげていた。
だが、二日目の朝、再び太陽が昇る頃には、その風景は一変していた。
にぎわいは徐々に姿を消し、周囲は静かで寂れた雰囲気に包まれていった。
まるで、この土地が長い間忘れ去られていたかのように。
馬車は曲がりくねった小道を進み、広い幹線道路はいつの間にか低木や雑草に覆われていた。
ときおり鳥が羽ばたく音だけが耳に届き、その静けさをより際立たせていた。
その静寂は、ラフィールにとって耐えがたい退屈さだった。
車内の沈黙と外の無音が彼を不安にさせ、身体をそわそわと動かし始めた。
時々ぶつぶつと文句を言いながら、手近なものをいじってみたりするが、落ち着かない様子だった。
トムリンはその様子を見て、内心で小さなため息をついた。
この長旅が、まだ幼いラフィールには大きな試練であることは分かっていた。
そこで、彼は小さな約束で息子をなだめることにした。
「ララ、もうすぐ大きな遺跡に着くよ。あとで一緒に見学しようか?」
「遺跡?」
ラフィールの伏せがちだった目が、ぱっと輝いた。
聞き慣れないその言葉が、彼の好奇心をくすぐったのだ。
彼は身を乗り出しながら、大きな目でトムリンを見つめて訊いた。
「遺跡って、なに?」
トムリンは微笑み、丁寧に答えた。
「遺跡っていうのはね、今の時代のものじゃなくて、“旧人類”が残した建物なんだ。とても古くて、不思議な話がたくさん詰まってる。まるで時間に忘れられたような歴史のかけらだよ。」
ラフィールの目は、ますますキラキラと輝いた。
彼の心は一気に弾み、古びた遺跡をこの目で見るのが待ちきれないという様子で言った。
「うわー、すっごい!見てみたい!」
彼の興奮と好奇心はトムリンにも伝わり、馬車の中の空気はほんの少しだけ軽くなった。
馬車は相変わらず曲がりくねった道を進んでいたが、ラフィールの心の中では、すでに“冒険”が始まりつつあった。
蔦がびっしりと這いまわったその傾いた建物は、すでに本来の姿を判別することすら難しいほどだった。
その壁を覆う植物たちは、まるで過去を静かに語りかけてくるようで、一枚一枚の葉、一本一本の蔓が、時の流れの中で何を見てきたのかを物語っているかのようだった。
数羽の小鳥が驚いて飛び立つ。彼らの巣は、遺跡の隅に静かに作られており、この人工の建物がすでに自然と一体化していることを物語っていた。
そこにあるすべてが、どこか寂しげで、それでいて調和のとれた空気をまとっていた。
ラフィールは目を輝かせ、好奇心でいっぱいだった。
もう我慢できないといった様子で、風のように駆け出していくと、目の前の遺跡へと飛び込むように探索を始めた。
「これ、なに?」
興奮を抑えきれずに次々と質問を浴びせる。
目に映るものすべてが初めて見るもので、彼は立ち止まるごとに指を差し、父へ矢継ぎ早に問いかけていく。
トムリンは口を開いて説明を始めようとするも、答える暇もなく、ララはもう次の物に目を奪われていた。
その様子に苦笑しながらも、彼の後を追いかけていくトムリン。
遺跡の正面に立ち止まり、彼は言った。
「ここは、前の王国が調査したことのある古代の遺跡なんだ。」
「パパ、この壁……どうしてこんなに長い間倒れないの?」
ラフィールは驚きに満ちた声で言いながら、壁に手を当ててじっと見つめていた。
「これはね、旧人類だけが作ることができた特殊な建材でできてるんだ。とても耐久性が高くて、何百年経っても崩れないんだよ。」
ラフィールの目はさらに丸くなり、顔には驚きの表情が浮かんだ。
「すごい!こんなに大きくて……中は洞窟みたいになってる!」
彼はきょろきょろと辺りを見回し、目に映るすべてのものをしっかりと焼き付けようとしていた。
「でも、どうしてこんなところに遺跡があるの?」
「それはね、旧人類が消えてしまったからさ。」
トムリンは穏やかな口調で答えた。
「彼らが姿を消したあとに残された建物が、いま僕たちが“遺跡”と呼んでいるものなんだ。」
「そんなにすごい人たちなのに、なんで消えたの?」
ラフィールは不思議そうに首を傾げた。
トムリンはため息をつきながら、忍耐強く答えた。
「それは、“黒潮”のせいだよ。黒潮が、旧人類の文明を破壊して、大陸を支配してしまった。
でも、新人類が現れて、それを撃退して“日譽王朝”を建てたんだ。
王朝が滅びたあとも、僕たちはずっと黒潮と戦い続けてる。……前にもこの話、しただろ?」
「うーん……忘れちゃった。」
ラフィールは頭をかきながら、すぐにまた別の方向を指差して叫んだ。
「じゃあ、あれはなに!?」
こうして、父と息子のやり取りはおよそ30分近く続いた。
ララが何かを発見するたびに、目を輝かせて質問を重ね、トムリンは微笑みながら、根気よくそれに答えた。
やがて二人が元の場所に戻ると、イヴェットと他の者たちは昼食の準備を終えていた。
食べ物の香りが辺りにふんわりと漂っていた。
この小さな寄り道のせいで、一行は夜になってようやく山のふもとにたどり着いた。
慌ただしく野営を始め、ラフィールは遺跡の話で盛り上がったまま、やがて父の腕の中で眠りに落ちた。
三日目の朝、馬車はでこぼこした山道を揺れながら進んでいた。
車輪は石やぬかるみを乗り越えるたびに鈍い音を立て、その度に馬車が大きく揺れる。
道の険しさが、車内にもそのまま伝わり、ラフィールの顔色はすっかり青ざめていた。
彼は座席にしがみつきながら、胃がひっくり返るような感覚に必死で耐えていたが、ついに我慢できず、窓の外へ頭を出して苦しそうに吐いてしまった。
トムリンは息子の背をさすりながら、心配そうに優しく声をかける。
「もうちょっとの辛抱だよ、すぐ着くから。」
片手でラフィールの肩を支えながら、もう片方の手で背中をぽんぽんと軽く叩く。
ラフィールは気分の悪さに眉をひそめ、身体を縮こませていたが、それでも歯を食いしばって文句を言うことはなかった。
山道はまるで終わりがないかのように続いていた。
一つひとつのカーブが新たな試練のようで、馬車は揺れながら、じりじりと進んでいく。
山中の空気はひんやりとしていたが、ラフィールにとっては少しも心地よくなかった。
頭はふらふらし、身体も重く、ぐるぐると回る世界に引きずられるような感覚だった。
しかし、やがて太陽が空の中ほどに昇り、馬車が森を抜けると、視界の先に開けた場所が現れた。
そこには、静かで穏やかな小さな村が、ひっそりとたたずんでいた。
村の入口にある年季の入った建物の前では、四人の若者が地面に膝をつき、きちんと並んで頭を下げていた。
「アメリン先生、今までありがとうございました!」
彼らの声ははっきりと大きく、その口調には決意と敬意がにじんでいた。
四人が声をそろえて叫ぶと、その場の空気は引き締まり、まるで儀式のような厳かな雰囲気に包まれた。
少し離れたところから、ひとりの優しげな老婦人が、早足で彼らのもとへやってきた。
顔には穏やかな笑みを浮かべているが、手をぱたぱたと振りながら言った。
「はいはい、もういいわよ。ほら、立ってちょうだい。先生はね、そういう別れの儀式って大っ嫌いなのよ。」
その声には、場を和ませようとする温かさが滲んでいた。
四人はその言葉を聞くと、すぐに立ち上がり、膝についた土を払い落とした。
立ち上がった三人の背中には、それぞれ武器が背負われていた。彼らが狩人であることは明らかだった。
ただ一人、質素な服装で装備も持たぬ青年がいた。どうやら彼は普通の学生のようだ。
アメリンの視線がひとりひとりに向けられ、最後に年長と思われる狩人の一人で止まった。
彼女は微笑みながら声をかけた。
「あなたね、今回のメンバーの中じゃ一番年上なんだから。ちょうどいい機会だし、後輩たちの面倒をちゃんと見てあげて。
マルキス城まで、よろしく頼んだわよ。」
年長の狩人はきりっと背筋を伸ばし、自信に満ちた目で立ち上がると、敬礼のように答えた。
「はい、アン先生!」
その口調には責任感と尊敬の念がしっかりと込められていた。
短い挨拶を交わした後、一行は新たな旅へと出発する準備を整えた。
村人たちに別れを告げると、彼らはイヴェットに向かって軽く会釈し、数回の視線を交わした。
それはまるで言葉を使わない、互いの無事を祈るような目のやり取りだった。
やがて彼らの背中は遠ざかり、村には再び静けさが戻った。
風がそよそよと吹き、村の小道にやさしく触れていく。
馬車の中では、ラフィールが依然としてぐったりしていた。
身をよじらせながら、苦しそうな表情で窓の外を見つめており、今にも馬車から飛び出してしまいそうだった。
そんな様子を見て、トムリンはすぐに彼の肩にそっと手を置き、やさしく声をかけた。
「ララ、もうすぐだよ。あと少しで降りられるから、我慢してね。」