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第四の魔女:消えた痕跡  作者: Test No. 55
第1巻 - ハンター編(獵人篇)
15/85

9.1影姉の怒り(2)

挿絵(By みてみん)

 翌朝、マルクィス城の空は厚い煙に覆われ、太陽の光さえもその闇を貫くことができなかった。

 街の通りには、まだ炎の余熱が蒸気となって立ち上り、焦げた臭いと、血と絶望の気配が入り混じっていた。昨夜の火災は、まるで一幕一幕が絶望を描いた演劇のようだった。燃え落ちた瓦礫と崩れた壁が、息を呑むような惨状を形作っていた。


 二十か所以上で同時に火災が発生し、それはまるで四方八方から吹き上がる業火――何か邪悪で神秘的な力が、街中を焼き尽くすかのようだった。

 かつて栄えていた街区も、今は焼け跡と骨組みだけが残る。風が吹くたびに、灰と煙が空中を舞い、それはこの惨劇の最後の悲鳴のようだった。

 市民たちは悪夢から目覚めたものの、目の前の現実は夢以上に恐ろしかった。焦げた地面を踏みしめながら、彼らが目にしたのは、黒く焼け焦げた死体と、歪んだ廃墟だけ。

 生存者はいない。目撃者もいない。あるのは、灰となった過去と、沈黙に包まれた未来だけだった。この惨劇は、まるで精密に仕組まれた大量虐殺。炎と煙のひとつひとつが、まるで刺客の刃のように正確で冷酷だった。


 事態が明らかになるにつれ、報道や噂が瞬く間に広がり、人々の間には恐怖と憶測が渦巻いた。

 ある者は、これは組織犯罪だと言った。闇に潜む集団による復讐の一環ではないか、と。別の者は、裏社会の抗争――「闇が闇を喰らう」血塗られた粛清だとささやいた。

 無数の噂と推測が交錯し、恐怖と不安を捕らえる蜘蛛の巣のように、街全体を包み込んでいった。


 だが、尽きぬ憶測と恐怖のなかで、真実はあまりに単純で、そして――背筋が凍るほどに冷酷だった。

 街を揺るがしたこの破壊と死、そのすべての発端は――たった一人の、止めようのない怒りだった。

 彼女の復讐は、無秩序な狂気ではない。計算された、静かなる粛清だった。

 彼女は炎を刃として、一夜にして、ある組織が二十年かけて築いた基盤を――灰に還した。



 空が白み始めたころ、通りには誰一人としていなかった。聞こえるのは風の音と、遠くでくすぶる残り火の微かな音だけ。イヴェットは人気のない大通りを早足で進みながら、心臓の鼓動が早まるのを感じていた。頭皮がじんわりと痺れ、冷たい汗が背筋を伝う。

 昨夜の惨劇が、何度も何度も脳裏をよぎる。そのたびに、思考は乱れ、彼女は心の中で自問する。

「まさか……これ、本当に影子一人でやったの?」


 夜明け前、部下が慌ただしくやってきて、昨晩の被害状況を報告してきた。わずか一夜で、街の中で命を落とした者は二百人以上――あまりにも凄惨な数字だった。

 それは、まるで音のない虐殺。犯人の手口はあまりにも完璧で、追跡に繋がる痕跡はほとんど残されていなかった。

 イヴェットは拳を握りしめながら、必死に頭の中で可能性を計算した。

「夜鷺の構成員が全員、最上級の戦士というわけじゃない。でも……それでも、たった一人で、こんな短時間でこの規模の殺戮なんて……そんなの、あり得ない。」

「……あり得ない!」

 そう思えば思うほど、心の奥底で不安が膨れ上がり、ついには堪えきれず、彼女は仰向けに顔を上げて叫んだ。

「――あああああああああっ!!!」


 その叫び声は、静まり返った街にひときわ大きく響き渡り、通行人たちが一斉に振り向いた。イヴェットは我に返り、顔が熱くなるのを感じると同時に、慌てて気持ちを抑え、平静を装って歩みを進めた。

「違う……彼女はララを連れて帰ってきた……彼女は“あの人”の配下だったはず……」

 その思考に至った瞬間、イヴェットはゾクリと背筋が凍る感覚を覚えた。昨夜、自分が軽率に行動しなかったことを、再び心から安堵した。もし少しでも攻撃的になっていたら――結果はどうなっていたか、想像もしたくない。



 遠くに尖った屋根が見えてきた。そこは、城主が政務を執り行う議事堂だった。

 その建物を目にしただけで、イヴェットは思わずうんざりとした気分になる。彼女にはわかっていた――あの面倒くさい男、マルコムの顔がそこにあることを。どうせ今日も、大勢の部下を連れて執務室を占拠し、陰謀論を延々と語ってくるのだろう。

 本来なら、公会のほうからすでに通達が届いているはずで、わざわざ足を運ぶ必要はないはずだった。しかし、昨夜の事件のせいで、議事堂側は誰ひとり欠席を許されない状況となっていた。

 ため息をつきながら、イヴェットは頭の中で煩わしい事務作業を思い浮かべた。とはいえ、彼女の気分はさほど沈んでいなかった。むしろ、少しだけ嬉しさすら感じていた。

 ――だって、昨夜はあの人が再び愛の言葉を囁いてくれた。

 今朝も、ベッドの中で甘えるようにして、政務を代わりに頼まれたのだ。

 その甘く穏やかなひとときが、彼女の中の陰りを、すべて吹き飛ばしてくれていた。


 議事堂は周囲の建物よりわずかに高く、二階建ての木造建築。外観は地味で質素だが、それはまさに城主の性格を映し出している。

 まだ朝早いというのに、議事堂の前にはすでに人だかりができていた。マルコムがその中心に立ち、群衆の注目を集めていた。

 イヴェットの姿が見えるや否や、周囲の人々がささやき始めた。

「城主が昨日、重傷を負ったって話、ほんとかな?」

「フン、ハンターでもないくせに公会長の座に座ってるなんて、情けないよな。」

「オットー家ってのは、本当に役立たずばっかりだ。」

「どうせ、運よく良い女を嫁にもらっただけの男だろ?あの奥さんの家の力がなけりゃ、あんな地位につけるわけがない。」

「それにしても、あの奥さん……子どもを産んだ後でもあんなに美人だなんて、うらやましいよな……」

 だが、その中のひとりがふと、冷たい殺気を感じて顔を上げた。そして目が合ったのは――氷のように鋭い、イヴェットの視線だった。

 その男は青ざめ、慌ててその場から逃げ出した。


 これが、街の人々が語るトムリンの評価だった。

 この世界では、姓を使う習慣はあまりない。人々は通常、「東通りの大工の◯◯」や「警備隊の◯◯」といった形で、自分の所属や関係を名乗るのが一般的である。

 だが、トムリンの一家は違った。彼らは、自身を「マルクィス城主家」あるいは「オットー家(Otto)」の名で呼ぶことを選んだ。


 その名にある「オットー」(Otto)とは、トムリンの兄であり、一族の象徴的存在だった。

 オットーはかつて「武器の達人」として名を馳せ、あらゆる武器を自在に使いこなす最年少の上級ハンターとして、多くの武勲を立てていた。

 かつては誰もが、彼こそが次の城主になると信じていた。

 しかし、伝説級の黒潮と相対した「Code-0作戦」の際、オットーは先代の城主――つまりトムリンとオットーの父・ソルダンと共に、命を賭して戦い、共に戦死したのだった。

 トムリンの母・アメリン(Amelyn)、一時は家名を変えることも検討したが、トムリンはそれを拒否した。

 彼は、兄オットーの名を残し、後世の人々にその存在を語り継ぎたいと願っていたのだ。

 ちなみに、長城の南にある唯一の安全地帯――「オットーキャンプ」は、かつてオットーが築いた拠点である。

 だが今ではその名も徐々に忘れ去られ、地図上のただの地名と化しつつある。



 イヴェットは険しい表情のまま、ざわつく群衆の中を通り抜けていった。心の中では静かに毒づいていた。

「うちの旦那がいなきゃ、マルクィス城なんて今頃崩れてるし、ハンター公会だって存在してないわよ。

 あんたらみたいなバカ共、あの人が“気にするな”って言うから黙ってるけど、ほんとだったらとっくに全員始末してるところよ。」

 怒りの炎は内側で燃えたぎっていたが、表情はあくまで冷静を装っていた。


 そこへ、体格の良い、けばけばしい服を身にまとい、金の匂いをぷんぷんさせた中年の男が近づいてきた。

 彼こそがマルコム(Malcolm)――ハンター公会の副会長である。イヴェットを目にすると、彼は深々と頭を下げ、恭しく議事堂の中へと案内した。

 イヴェットは、城主代理としてこの会議に臨んでいたが、何一つ心配はしていなかった。

 というのも、彼女の「ベッド上の軍師」ことトムリンが、すでに事態の全貌を整理し、綿密な分析を彼女に伝えてくれていたからだ。

 イヴェットの心には迷いなど微塵もなく、疑いの声を上げる者たちを論破する準備はすでに整っていた。



 先代の城主――ソルダン(Soildan)、つまりトムリンとオットーの父が政を司っていた時代、この大陸にはまだ「ハンター」という存在はいなかった。

 当時、人類は黒潮に対抗するため、長城と軍隊に頼るしかなかった。

 たとえ最も低位とされる黒潮(Code-3)相手であっても、討伐には多大な犠牲を伴い、長城の防衛は常に危機的状況にあった。


 そんなある日、幼いトムリンがソルダンの執務室に忍び込み、遊んでいたときのこと。

 彼はふと机の上に置かれた数枚の資料に目を留めた。

 幼いながらにその内容を読み、彼は突拍子もない発想を口にした――それが、「ハンター制度の創設」だった。

 トムリンの考えはこうだ。

 軍隊による人海戦術で黒潮に立ち向かうのではなく、少数精鋭の人材を育成し、黒潮に特化して研究・対処する。

 敵を理解し、最適な戦術を見出す。そして、黒潮の遺骸を使った産業の構築を提案したのだ。

 黒潮の動力石だけでなく、その他の残骸も加工して製品化すれば、他地域との交易も可能になる。

 そうなれば、黒潮はもはや「災厄」ではなく「価値ある獲物」となり、ハンターたちを呼び寄せる存在へと変貌するだろう――と。

 やがて設立されたハンター公会は、ハンターの利益を保護し、彼らの戦利品を買い取る機関となった。

 公会はそれらを加工・流通させることで、経済的循環を生み出したのだった。


 まだあどけなさの残る少年トムリンのその大胆な構想に、父ソルダンは言葉を失った。

 その後、彼は妻アメリンと共に、この計画の実現可能性について幾度も議論を重ねた。

 最終的に、ソルダンはトムリンの案を全面的に支持することを決断した。

 彼はまず、鍛冶の都として知られる北東の都市――バレン城(Baren)と提携を結び、黒潮素材の加工を依頼。

 さらに、その製品を北方各地へと輸出するルートを整備した。


 その結果、マルクィス城は急速に発展を遂げることになる。

 ハンター制度は、瞬く間に大陸中の冒険者たちを惹きつけた。

 彼らは黒潮を狩ることで富を得ようとマルクィス城へと集まり、得た戦利品を北方市場へ流す。

 この流れが定着するにつれ、マルクィス城は北方の中核都市――ドゥク城をも凌ぐ、南部最大級の繁栄都市へと成長した。

 この繁栄こそが、トムリンの構想によるものであり、彼は幼い頃から父ソルダンの政務を補佐し、

 城主の座を継いでからは、その手腕で都市の秩序と発展を見事に支えてきた。

 しかし――

 トムリンは、決して自らの功績を誇るような人物ではなかった。

 彼はただ、自分の仕事をきちんとこなし、家族と穏やかに暮らすことを望んでいた。

 それが、彼という男の本質だった。


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