3. せまい
夏休みには毎年、田舎のおじいちゃんの家に泊まりに行く。僕が小さい頃からの、我が家の夏の恒例行事だ。僕も何だかんだ毎年楽しみにしている。
おおじいちゃんの家はある山の麓にあって、家も森で囲まれてる。家の裏なんかはそのまま山に繋がってて、僕はそこを裏山と呼んでいるが、裏山は小さな川が流れていたりカブトムシがたくさん捕れたりするから、裏山で遊ぶのが僕は大好きだった。
家の前にはコンクリートの道路があるけど、狭い道だ。小学生の頃に道の向こう側まで何歩で行けるか競争を妹としたけど、僕が目一杯大きく歩いて5歩とちょっとぐらいだった。妹は9歩ぐらいだったかな?
お父さんがその道を車で運転しておばあちゃんの家に行くときなんかは、反対側から車が来るとすれ違えなくなっちゃう。お父さんは道の横の森のところに上手に車を寄せるんだけど、お母さんは運転が下手だから「向こうから車が来ませんように・・・」って祈りながら運転する。それぐらい狭い道。
その狭い道の向こう側は少しだけ下に降りるようになっていて、道路より低い場所に田んぼが広がってる。うちの前に広がってるのは、おじいちゃんの田んぼ。前にGWの時、ちょっとだけトラクターに乗せてもらったこともある。おじいちゃんの広い田んぼのお隣は、歩いて5分ぐらいにあるお隣の家のMさんの田んぼなんだって、おじいちゃんは言ってた。
おじいちゃんちとMさんの家の間には森しかない。狭い道路を右手に田んぼ、左手に森を見ながら真っ直ぐ歩いて行くと、Mさんの家と庭の畑が見えてくる。Mさんは家の前で野菜の売ってるから、時々僕がおつかいで買いに行くこともある。真っ直ぐな道だけど、ちょっとした冒険気分で僕はそのおつかいが好きだった。
そういえば、何もないって言ったけど、道の途中には小さな祠があるんだった。森の中に埋まるみたいに、ぼろぼろの小さな神社みたいなお家がある。周りには雑草もすごくて、手入れはされてないみたい。おじいちゃんもおばあちゃんも、いつからあるか分からないんだって。
これは秘密なんだけど、じつはこっそりその祠の扉を開けたことがある。中はからっぽだった。
祠は神様のお家なんだって、おじいちゃんが言ってた。きっと昔の人が、お米がたくさんできますようにって神様にお祈りしたり、お米がたくさんできたら、ありがとうございますって感謝したりしたんだろうって。
でも今はこんなにぼろぼろなの?って聞いたら、おじいちゃんが小さい頃に、別の場所に神様に引っ越してもらったんだって言ってた。お祓いをして、綺麗なお家に引っ越してもらったんだって。
そういえば、Mさんのお家のそのまた奥に、綺麗に掃除された小さな祠があったような気がする。
つまり、この祠は今、空き家らしい。それなら中身が空っぽなのも納得だ。
ある年も、夏休みにおじいちゃんの家に行った。でも、いつもと違う道路を通っていった。
その年は雨がすごく降って、いつも通る道路の側にある山が土砂崩れを起こして道路が通れなくなちゃったらしい。いつもの道よりすごく時間がかかったから、僕も妹も車の中が退屈で仕方がなかった。
おじいちゃんの家に着いたのは、午後のおやつの時間を過ぎたぐらいだった。その日も天気はあまり良くなくて、空は灰色でなんだか辺りが少し暗かった。
僕も家族も長い時間車に乗ってたからくたくたで、おばあちゃんが「大変だったでしょ」って麦茶とお菓子を出してくれた。僕と妹にはアイスをくれたので、僕たちは喜んで食べた。
アイスを食べながら、なんとなくおじいちゃん達の話を聞いていた。
「だれも巻き込まれなくて良かったね・・・」
「人が住んでるとこじゃあなかったのが幸いだよ・・・」
「あそこらへんは古いお社と山しかないからね・・・」
「お社は崩れちゃったみたいだけどね・・・」
アイスを食べ終わった後、僕はMさんの家まで野菜を買いに行くことになった。妹も行きたがったけど、アイスを食べたら眠くなったみたいで、結局僕だけで行くことになった。
おつかい用のポーチに200円を入れて、僕は家の前の道路に出た。買ってくるのはトマトとナスだ。
毎年夏に見る、見慣れた景色を見ながらMさんの家までちょっと早足で進む。雲の色がさっきより重くて暗い灰色になってる。雨が降るかも知れない。急がなきゃ。
そう思って急いで歩いてたら、どこからか、
「おーーい」
って聞こえた。
僕は思わず立ち止まった。おじいちゃんかおばあちゃんが呼んでるのかと思って後ろを振り返る。でも家の前の道路には誰もいなかった。
「おおーーーい」
また聞こえた。不思議な声だった。
男の人か、女の人か、大人か、子供か、お年寄りか、
大きい声なのか、小さい声なのか、よく分からない。
Mさんの家から聞こえてくるのかな?と思って、僕は進む方向に視線を戻してまた歩き出した。
Mさんは時々、あまった野菜とか果物とか分けてくれるから、僕が来るのがどっかから見えて呼んだのかもしれない。
でも、Mさんの家に着いても、誰も家の前には居なかった。いつもみたいに道路の側に木の机と色あせたパラソルが出てて、その上に袋詰めされた野菜とお金を入れる箱が置かれてる。
気のせいだったかな?と僕は思って、箱に200円を入れて、トマトとピーマンの袋を片手に抱えて家に帰ろうとした。
「おおおーーーい」
また聞こえた。
五月蠅い蝉の声に混じって、やっぱり不思議な声が聞こえてくる。
僕はどこから声が聞こえてくるのか探りながら歩き出した。
「おおおおーーーい」
田んぼの方じゃなくて、森の方から聞こえる。
「おおおおおーーーい」
後ろじゃない、もうちょっとおじいちゃんの家の方だ。
「おおおおおおーーーい」
あ、祠だ。と僕は思った。
あのぼろぼろの祠の中から、声が聞こえる。
僕は去年より増えた雑草の中でほとんど見えなくなってる祠の前に立った。
去年よりまた少しぼろになったかもしれない、神様の空き家。
「おおおおおおーーーいぃ」
何度か聞いて思ったけれど、なんだかこの声はちょっと寂しそうな声だと僕は思った。
野菜を右の小脇に抱え直して、僕は祠の扉に手をかけた。ゆっくりと、開いてみる。
大きな顔が、祠の中にぎゅうぎゅうに詰まってた。
狭いところに一生懸命押し込んでるからか、顔は歪んじゃってるし、目がちょっと前に飛び出しちゃってる。男の人か、女の人か、大人か、子供か、お年寄りか分からない顔だったけど、すごくすごく狭そうだった。
大きくて飛び出した目からは、裏山の川みたいにさらさらと涙が流れてた。
「おおおおおおおーーーーいぃ・・・」
すごく寂しそうな、悲しそうな声だった。
狭い祠から、悲しい声が響いて消えていく。
僕はそっと扉を閉じて、そのまま早足でおじいちゃんちに帰った。
その日の夕ご飯は、夏野菜のカレーだった。
次の年の夏も、おじいちゃんの家に行った。
道路はもう直っていて、山は削れていたけれど、崩れた所はコンクリートで補強されてあった。
妹と一緒に車の中から山を見上げてたら、木と木の間から新しいお家みたいなものがちょっとだけ見えた。
おじいちゃんちに着いたら、今年もアイスが待っていた。
「綺麗に直ってましたね・・・」
「あそこら一帯、綺麗にするみたいだよ・・・」
「お社も新しくしたみたいでね・・・」
また今年もお使いを頼まれた。今度は妹も一緒だ。
「おにーちゃん、はやくー」妹が張り切って先を走って行く。
僕は五月蠅く鳴いてる蝉の声に耳を澄ましてみたけど、今年はあの声は聞こえなかった。
祠の前で立ち止まる。また去年より雑草が伸びて、もう屋根のほんの一部しか見えなくなってた。
「これなに?」と、妹が僕の横まで戻って来ていた。妹の低い背でも、なんとなく屋根の一部が見えるらしい。
「ちいさいおうち?」「うん、神様のお家だっておじいちゃんが言ってた」
「えー、ぼろー。神様ほんとにいるの?」「うーん」
僕はもう一度耳を澄ましてみる。さすがにここまで草が生えてると、そこに手を入れてまで扉を開けようとは思えなかった。
神様の泣き声は、もう聞こえなかった。
「いないみたい。本当のお家に帰ったんじゃない?」
僕だって、突然家がなくなったら泣いちゃうし、きっと寂しくなるだろうと思う。
仮住まいだとしても、体が入りきらないぐらい狭い家なんて、絶対嫌だ。
なにより、やっぱり自分の家が一番だ。
神様もきっとそうだったんだろうなって、僕は思った。
終