裏切者
「ぎゃあ」
叫んだサラの口は、クロエの手が塞ぐ。
「次に叫んだら、口で塞ぐから」
口を塞がれながら、サラが頭を横に振る。
霊廟の地下にある聖殿の穴の上に飛び上がったのだが、着地した時にクロエがサラの首を舐めたのだ。しかも、「あー、美味しい。全身舐めたいな」と言ったのである。叫んだサラに非はない。
クロエはグラマラスで、妖艶な美女だが、言われて嬉しい言葉ではない。
私の聖殿か、とクロエは周りを見る。
彫刻を彫られた祭壇、敷き詰められた赤い絨毯、壁には太い蝋燭の灯りの燭台、偶像や飾りの類はなくシンプルな聖殿。
壁際には上に続く階段。
祭壇の奥にあるのが、贄を落とすための穴である。
聖殿といっても、霊廟の地下にある訳ありで、秘匿された聖殿だ。
人間の贄を必要とするのを、聖獣と言えるのか。
この聖殿を知っている人間は、王族と限られた人間だけになるのだろう。
サラが落ちて大人数で確認しているかと思ったが、静まりかえっている。
聖獣の穴に落ちて、助けに行くすべはなく死んだと確認されたのかもしれない。
「クロエ、堂々と正面から出ましょう。
聖獣様の生贄になりました、なんて言えないだろうから、私がいないのは周知されていないはず」
こっちよ、とサラが階段を登って行く後を、クロエも続く。
階段の先の扉をそっと開けると、そこは王族の棺が並ぶ霊廟の中だ。
王宮の庭園にある霊廟の地下に、聖殿があったのだ。
霊廟ならば人の出入りを止められ、警備もつけられる。
式典だといえば、王族が集まっても目立つ場所ではない。上手く考えて作っているなと、今なら思える。サラも神聖な霊廟と思っていたのだから。
霊廟の中は警備兵はいない、外を巡回しているだけだ。
タイミングを合わせれば、見つからずに霊廟から出られる。
「近くに人の気配はないぞ」
クロエの言葉で霊廟の扉を開けると、外は夜の帳に包まれていた。
サラは、この霊廟には何度か献花に訪れていたから、宵闇の中でも迷いなく庭園の道を歩ける。
その下が聖獣の聖殿になっているとは、知らなかったが。
シッ、とサラの後ろを歩くクロエがサラの手を掴み、歩みを止めた。
庭園に誰かいるようだった。
距離がある為、向こうもこちらの存在を気が付いていない。
クロエがいなければ、サラも気が付かなかった。
クロエの指がサラの指に絡められると、遠くの声が聞こえて来た。人間より広範囲に音を拾えるクロエがサラにも聞けるようにしたようだ。
「そん・・」
女性の声のようだ、さらに集中するとハッキリ聞こえて来た。
「サラ様がいなくなって、屋敷は大騒動なんです。
サラ様を庭園で見失ったと言ってありますが、旦那様は護衛の騎士もお疑いのようです。
ほとぼりが冷めるまでお待ちしますので、早く私を迎えてくださいませ」
自分の名前が出てサラは緊張を高め、声の主に聞き覚えがあることを確信する。
ドンッ!
「ぎゃああ・・、フィルベリー殿下、どうして・・私を側妃にするって・・」
「ロミーナ、バカだな。お前ごときが側妃になれると思ってたのか。
サラが行方不明になった責任で、お前はここで自害するのさ」
サラの侍女のロミーナと、婚約者のフィルベリー殿下の声。
倒れる音、揺れる葉の音といくつもの足音。
「終わった?」
「アマンダ、出て来なくてもいいのに。後は短剣を握らせるだけだ」
「胸を自分で突いたにしては、女の力では無理があるんじゃない?」
「ちゃんと手を回してある。それより、オーデア公爵家の財力は必要だからな、必ず手に入れろ」
聞こえる会話に吐きそうになる。
「ねぇ、クロエ。王子を殺せる?」
「王子? ただの人間だろう。首を千切ってやろうか?」
サラが聞けば、クロエはフフンと答える。
「ごめんなさい、言ってみただけ。
ここで殿下を殺したって、ロミーナみたいなのが逃げてしまう。
私を裏切って殿下に売ったのが、他に何人いるんだろう」
殺せる?と聞いた時とは違って、可愛らしい表情を作ってサラは言う。
容姿に似合う、明るく可愛い雰囲気をだしている。
「お前、ずっとこうやってきたのか?
いろいろ分かっているのに、可愛い振りをして」
クロエはサラが泣いているのに気が付いて、その涙にそっと指を添える。
「殿下の浮気の報告を受けた時も、アマンダが殿下を誘惑したと思いたかった。
私、殿下を好きだったみたい。可愛いと思われたかった。8年も婚約者だったのに」
クロエが、ペロっとサラの涙を舐めた。
「美味い、これは極上だな。汗よりいい」
「もぉお、好きな人に殺されかけて、侍女にも裏切られても、落ち込ませてくれないの?」
泣きながらサラが笑い出した。
「そうだよ。今殺さないなら、侍女の死体が見つかる前にここを離れよう」
クロエが、侍女のロミーナを死体と言い切るというのは、フィルベリー王子に殺されたということなのだろう、とサラは察する。
ロミーナは、王宮に行く時も同行させていた侍女だ。
殿下の手紙を取次させていたこともあった。
いつから、どうして、と考えても仕方ない。
サラは暗闇の庭園を進むために、クロエの手を引いた。
一つ分かっているのは、決して許さない、ということだ。
憎くて仕方ない。