混沌の解読はスズランの香りの声で-4-
「夜架さん、先生が倉庫から何か持ってきてくれとおつかいを頼まれたんだけど、倉庫に行ったことがなくてさ。 ちょっと手伝ってくれるかな?」
「あ~?めんどくさいな······」
運命のいたずらだろうか、夜架は倉庫の整理担当だった。
思ったより簡単に、夜架と2人きりで話し合う機会を作ったようだった。
夜架と私は何も言わずに学校の裏にある倉庫に向かった。
「さあ、 早く持って帰ろう。」
夜架は鍵を開け、倉庫に入って電気をつけた。
倉庫は思ったより広くて、整理ができていなかった。
最大限深いところに入った。
「夜架さん悪いけどこっちに来て一緒に持ってくれる?」
「え······?なんだよ?」
机と椅子が高く積まれているところを回って、夜架が奥の方に入ってきた。
夜架が私の方に十分近づいてきて、私はそれまでの抑えつけられていた感情を爆発させた。
野球選手のように大きく、思いっきり腕を振り回して夜架の頬を打った。
「やあああっ!!!」
夜架は壁の方に押し出されて、私はその前に立った。
「何やってんだよ!痛いじゃん!」
「どしてだ。」
「は?!何言ってるの!」
「なんでそらにあんなことしたんだよ。」
「急に人を殴って何を言ってるんだ!」
「お前が最近までいじめていた子。 山下そら。 あの子にどうしてそうしたのか聞いてるんのだよ。」
「は?お前があいつと何の関係なんだよ?」
「お前がしたことのせいで、そらがどんなに苦しがったのか、苦痛を受けたのか知ってる? お前がどんなにそらを傷つけたのか、知っているのかよ。」
「そんなやつ私が知ってるもんか?そんな役に立たないやつらは私みたいな人にでも少しでも役に立つように私が作ってあげたんだよ!お前だって私にこんなことして大人しく学校生活できると思······」
私の胸の中から今にも出てきそうな怒りの感情を結んでいたひもは、ついに切れてしまった。
私はすぐそばの床の蛍光灯を拾って、たたき下ろした。
けたたましい音を立てて蛍光灯が破裂したあと、あっという間に倉庫の中は静かになり、私の右手には赤い血が流れていた。
中学生の時だった。
今と同じように、友達などいない、教室での会話すらしない、無口で暗い子供だった。
うちのクラスにはゴウキという名前の子がいた。
ひとびとより少し大きいずうたいと険しい顔立ちだけを頼りに、自分の楽しさだけのために暴力を振るうのもはばからない、そんなやつだった。
でも面倒なことに巻き込まれるのは嫌だったので、私とは関係ないという考えで他の友達と同じでただ無視するだけだった。
しかしその日は、運悪くもあいつの目に私が入った。
「おい、お前のお母さん死んだんだって? 幼い頃から教育も受けられずに育ったんじゃないの? だからそんなに口数も少ないの?」
私ではない他の友達だったら、親の死を笑いものにするゴウキに怒っただろうか。
そうでなければ、自分の傷があざ笑われて悔し涙を流したのだろうか。
母に対する特別な感情がなかったので、無視しようとした。
「で、どうしよう。 うちのクラスにはお母さんにちゃんと教育も受けられずに育った子供は必要ないのに? お前そのまま家に帰ったらどうだ?」
私の目に映ったあいつの顔には、笑いが映し出されていた。
それは「悪」だった。
身体的にも精神的にも、他人を傷つけて喜びを感じる純粋な悪。
私としてはあの悪に対応する術がなかった。
「いい加減にしたら?」
ある男子生徒が割り込んだ。
「あん?お前は何だ?」
「両親のことを悪口を言う君がもっと学べないみたいだけど、バカなことを自慢するわけでもないし。」
「打ちのめす前に迫れろ······」
「お前の両親が、お前にやったみたいに?」
その瞬間、ゴウキはその友達に飛びかかって胸ぐらをつかんだ。
「誰だ······あるやつが言ったんだ!!!」
「お前の体にある傷、お前みたいなやつが学校で殴られそうにないから一度言ってみたんだけど合ってるみたいね。」
ゴウキはその友だちを押しのけて、げんこつを振り始めた。
かれは頭を腕で覆って保護しているだけで、何の抵抗もしていなかった。
何の動きもないのは、この状況を見守っていた周辺の皆が同じだった。
一方的に暴力が続くこの理不尽さの海に誰も入ろうとしなかった。
ある意味では当然のことだった。
目の前に暴風雨が見えるのに、自ら危険を招いて出港を決める船長はいないだろう。
けれども、なぜだか私のからだは動いた。
無意識的だった。
私の体は教室の窓際に向かった。
そこにあった小さな植木鉢を取り上げた。
そして、ゴウキの後ろに向かった。
ゴウキの殴り合いは続いており、私に全く気づいていないように見えた。
私は、少しのためらいもなく、ゴウキの頭に持っていた植木鉢を思いっきりたたきつけた。
「くはっ······!」
短い断末魔が聞こえ、ゴウキは横倒しになった。
頭を絞ってはうめき声を流した。
「痛ってな······大丈夫?」
「あ······うん······」
「勇気を出して助けてくれてありがとう。その······」
「心紀。」
「あ、うん。心紀さん。ありがとう。」
さっきまで倒れて殴られていた割には平然と立ち上がって私に感謝を表した。
「どうして割り込んできたの?」
疑問に思った。
誰も気にしてくれなさそうだった私に。
誰も共感してくれなさそうだった私に。
誰も覚えてくれなさそうだった私に。
先に手を差し出した。
わたしを気にして行動してくれた。
「うん?あ、僕のお母さんも 僕が幼い頃亡くなってさ。 じっと見ているのは何か… 自分自身が許されそうになかった······っていうか。」
「どうして何の抵抗もしなかったの?」
「お母さんが何があっても暴力は駄目だと言ったんだよ。 生きていた頃は言うことを聞かなかったから、今からでも言うことを聞かなければ。」
私とは違って、お母さんという存在をもっと有意義に思っているようであった。
「実は僕も僕がどうしてそうしたのかよく分からない。 無意識的に行動が先だったようね。」
「あの、鼻血······」
「あ、本当だ。トイレ行ってくるね。」
やがて学級委員長が先生を連れてきた。
先生はゴウキを連れて保健室へ向かった。私はただこの状況をきょとんと見ることしかできなかった。
止まっていて動き出した振り子のように、混乱した心情で心は揺れ動いており、なかなか静まらなかった。
学校が終わるまでドキドキする心臓は治まらなかった。
ぎこちなく、ためらったが、私の気持ちをはっきり伝えなければならない人がいた。
「あの······」
「うん?あ、心紀さん」
「その······ありがとう」
「あまり気にしないで。僕も自分勝手に行動したのだから。心紀さんは僕を救ってくれたりもしたし。」
「うん······」
「ゴウキ、転校が決まったんだって。」
「うん。」
「あいつの顔もっと見なくてもいいのですっきりするね。」
みんなが出て行った教室に気まずい沈黙が漂っていた。
「心紀さん、普段友達とあまり付き合わないよね?」
「え?うん······」
「いろいろ似ている立場だね。 僕たち。 僕も実は友達いないんだ。」
「僕は暁そら、よろしくね。」
「うつむいて床を見ていた私の目の下に、そらは本人の手を差し伸べた。」
「え?」
「こうなったのも縁なのに、これから親しく過ごそう。」
普通ではない縁だった。
だからこそ大切なものだった。
ちょっと変わったあの縁は、ソラとの思い出の始まりだった。
今は私を導いてくれる力になってくれるのだ。
私が蛍光灯にたたきつけたのは、夜架ではなく、壁だった。
右手の手のひらでヨルカの頭のすぐそばの壁を打ち下ろし、割れた蛍光灯の破片が肌に食い込むのを感じた。
しかし私の怒りは、私に痛みという弱さを許さなかった。
乾燥した灰色の壁が赤く染まる。
目の前の夜架は、座り込んで何も言わずに震えていた。
姿勢を低くして、揺れる瞳に血まみれになった私の右手を照らした。
「見える?見えてるでしょ?あちこちを引き裂かれて傷ついてめちゃくちゃだよ。でしょ?お前がそらにしたことだ。お前がそらの気にしたことだとこれが!!!」
「へ······う······うっ」
夜架の口から震える声が湧き出し、その後、目からは涙が一滴ずつ落ち始めた。
「謝れよ。ソラのところに行って、 ひざまずいて謝れ。 摩擦熱で肌が剥げるまで両手をこすりながら。 」
「ごめん······なさい······ごめんなさい······ごめんなさい······」
夜架はすすり泣きながら謝罪の言葉を口にした。
「私じゃないでしょ······謝られるべき人は······」
私は夜架をそのまま置いて倉庫の外に出た
苦痛より先んじていた感情が一瞬にして消えると、あっという間に右手に痛みが押し寄せてきた。
その痛みは、進んで行こうとする私の意志さえ押さえ付けるようなものであった。
足に力が抜け、左手に右手を握り締めるんで座り込んだ。
力が入らなかった。
頭を地面に打ち付けてうめき声をあげるしかできなかった。
助けを求めなければならなかったが、体は全然ついてこなかった。
視野がだんだん曇ってきて、ゆっくりと意識を失っていった。
目が覚めたのは純白のベッドの上だった。
気を取り直して周辺を見渡し、保健室で横になっていることに気付いた。
右手には包帯が巻かれていた。
ベッドから起き上がってカーテンを閉めたら、保健の先生が待っていた。
あ、起きたんだ。 大丈夫?君、叶先生が見つからなかったら危ないかもしれなかったよ。
「叶先生、ですか?」
「そうよ。 叶先生が君のこと本当に心配してたよ? 時間があれば、しっかりありがとうと申し上げなさい。」
どうも叶先生にもう一度恩を着せられたようだった。
「何をしてそんなにけがをしたの? 気をつけて通ってね!」
「あっ。」
保健の先生は私の頭を軽く打った。
「美しい女子高生の体をそんなにむやみに扱ってはいけない。 包帯は当分ほどかないで巻いて。 かゆいからといってほどかないで、シャワーする時もなるべく水を入れないようにして。」
「はい。」
「次からは気をつけてね。」
「はい。ありがとうございます。」
保健室を出た後携帯で時間を確認してみたらもう学校が終わった時間だった。
教室に上がると教室は空いていてカバンを持って家に帰った。
右手を使わずにご飯を食べたりシャワーを浴びたりするのは少し不便だった。
寝ようとして電気を消してベッドに横になると、ユキからメールが来た。
「怪我したと聞いたけど、大丈夫?」
「大丈夫。心配してくれてありがとう。」
「返事を出すやいなやユキからすぐメールが来た。」
「本当?よかった。 本当に心配したんだよ〜。 じゃ、また明日。」
「うん。また明日。」
包帯が巻かれている右手をユキが見たらまた小言がいっぱい聞かされそうだった。
いやでもなかった。
「そらから連絡もらったよ。 ちゃんと謝ってくれたみたいだね。」
「······うん。」
「これからは, そんなに誰かを傷つける行動はしないだろうね?」
「······うん。」
「ありがとう。」
「······え?」
ちゃんとそらに謝ってくれて。 過ちを反省し、勇気を出して行動してくれて、ありがとう。
「どうして······?」
「うん?」
「どうして、そう言ってくれるの······? 私が憎くない?」
「どうしてそう思う?」
「だって…他人を傷つけるようにして、心紀ちゃんの手も私のせいでそうなったんだから…
夜架はうなだれて泣き出した。」
落ちる透明な涙の向こうに、変化した夜架の心が映し出されるようだった。
「憎くないよ。」
「······え?」
「夜架は心から自分の過ちを悔やんでるから。 そんな人をこれ以上叱咤するわけにはいかないでしょ。 傷ついてもいい気持ちなんてないから。 そらも、夜架も。」
その日、カウンセリング教室の日光は、いつもよりずっと暖かく感じられた。
「心紀、今日学校終わったらちょっと相談教室に寄ってもいいかな?」
相談教室から出ようとしたその時、叶先生からメールが来た。




