追想
少々疲れていたミハルだが、パイロットスーツを着替えねばならない。このあとはアイザック大将と会う約束をしているのだ。パイロットスーツでは流石にマズいと更衣室へ駆け込んでいる。
扉を開きロッカーへと歩き出す。しかし、ミハルは急に立ち止まる。
ミハルは目撃してしまった。ロッカーへ倒れ込むように項垂れるパイロットの姿を……。
これには既視感を覚えてしまう。ひょっとするとアイリスにはこう見えていたのかもしれない。鮮明に記憶が蘇っていく。この現状はある種、追想といえるもの。ミハルは自身の姿を客観的に眺めることになっていた。
「っ……!?」
ミハルに気付き顔を上げたのはフィオナ・ハワードであった。彼女もミハルと同じように戸惑いを隠せない。
ミハルを待っていたはずがないのだ。フィオナは時間を忘れてしまうほど落ち込んでいたに違いない。
何を話せばいいのだろう。ミハルは考えさせられている。同じ心境を経験したミハルであるから落胆は容易に理解できたけれど、慰めの言葉を必要としていないのも彼女には分かった。
「ミ……ミハル・エアハルト……?」
ミハルが固まっているとフィオナが先に口を開く。向けられた言葉も記憶にあるものと変わらない。ミハル自身が思わず口にしてしまったそれである。
「確かに私はミハル・エアハルトだけど、呼び捨てはなくない?」
どうしてか記憶にあるがままを返してしまう。アイリスの対応が正解だなんて思わなかったというのに、フィオナの緊張をほぐす台詞を考えていたら自然と口を衝いていた。
「あ、すみません! あたし考えごとをしてて……」
フィオナが自身の能力に疑いを覚えているのは明らか。異なるレースならまだしも、彼女は同じレースを飛び、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
ロッカーが違う列であればと願うも、残念ながらミハルのロッカーは彼女の二つ隣だった。かける言葉がないミハルはロッカーを開き着替え出す。
嫌な沈黙が続く。一応は着替えを終えたミハル。このまま立ち去ることも手であるが、ミハルはロッカーを閉めるやフィオナを振り返る。
沈み込ませたまま彼女と別れてはならない。再び彼女の心に火を灯さねば地球まで来た意味はないのだと。
「悩んでたみたいね……?」
言葉にできたのは、またしてもアイリスと同じである。けれど、それ以上は口にできない。何しろアイリスとは違って、ミハルは彼女のフライトを少しも見ていないのだ。最終コーナーを回ったあと、少しばかりその機影を見ただけである。
ミハルの話にフィオナは表情を強張らせた。どうにも反論せずにはいられない様子だ。
「悩み!? そんな温い言葉じゃ言い表せませんよ! あたしはどうして負けたのですか!?」
心に突き刺さる台詞が返されていた。痛いほど理解できる彼女の心情。慰められたいはずがない。ミハルは推し量っている。
「あんなものよ……? 世界は貴方だけじゃない。学生時代には決して見えないものがある……」
何だか自己嫌悪に陥ってしまいそう。まさに体験したことである。航宙士学校で一番となっただけで誰よりも航宙機を極めたと考えていた。
「あたしは航空士学校でも一番だったし、予選会もトップタイムだったわ! なのに相手にもならない! あたしの六年間はなんだったの!?」
溜め息を吐くしかない。本当にかつての自分がそこにいるようだった。同じような思考に囚われているのは間違いないはずだ。
「それだけ世界が狭かったのよ。私だってそうだもの……。似たようなオープンレースに出場し、言い訳できないほど打ちのめされたわ。どれだけ頑張っても追いつけそうにない圧倒的な差というものを感じた。私はあのとき絶望していたの……」
今思えばミハルはまだマシだ。一周一秒という差に愕然とさせられただけ。しかし、フィオナは十秒以上も離されていたのだ。
「私は打ちのめされたけれど、救われてもいた。自身がどれほど思い上がっていたのか。狭い世界の中で、どれだけ粋がっていたのかを思い知らされたの……」
強くあれたのは輝きを見たから。再び心を燃え上がらせる言葉をもらったからだ。
「貴方はどう? 強い意志がある? もしも絶対に心が折れないというのなら、私は貴方を奮い立たせることができる……」
一応は聞いておく。自身と同じようにできないのであれば話すべきではない。仮にもバゴスの孫娘である。ミハルの一存で才能を潰してはならなかった。
鋭い視線を向けるフィオナ。彼女は頷くと同時に返答している。
「問題ありません。あたしはその助言とやらを聞きたい。どのような嘲笑だって受け止めて見せます」
決意は感じ取れた。だとすればミハルは告げるだけだ。絶望し思考の全てを止めてしまう言葉を……。
「貴方は下手くそ――――」
増長した人間を見つめ直させるには的確な言葉に違いない。ミハル自身がかけられたままをミハルは返していた。
丸く大きな目を一層見開いている。意外だったのかフィオナは小さく顔を振るだけで、受け入れようとしなかった。
「下手くそ!? あたしは地球で一番レース機を操れる! 今まで負けたことなんかなかったんですよ!?」
「学生の大会でしょ? 私だってそうだった。だから思い上がっていたの。それに気付けないのよ。勝っているうちは……」
負けて初めて気付くことがある。勝っているうちは怠けていることにすら気付けないのだ。負けなければ自身を思い直すことなどない。
「死にたくなるほど努力しなさい。私を超えようと日々を過ごしなさい。その一念はきっと実を結ぶ。私は喚くことも泣き出すこともなく、この一年を過ごした。絶対に見返してやろうとして。必ず勝とうと努力し続けた……」
アイリスに勝とうと努力した日々は決して無駄じゃない。一途な想いはミハルを成長させている。精神的に辛いときも悔しさが彼女を支えていた。もう二度と負けたくないと心が訴えていたから。
「じゃあ、あたしが懸命に努力すれば勝てますか!? 大敗北を喫したあたしは貴方に勝つことができるのですか!?」
同じような性格だと思う。ミハルは小さく笑みを浮かべた。自身と似ているならば返答は決まっている。記憶にあるがままの言葉で構わないはずだ。
「それは無理よ……」
自信満々にフィオナを見る。彼女を今以上に奮い立たせるよう。反発させるような態度でミハルは彼女に告げていた。
「私は銀河連合軍のエースだから――――」
しばらくは何も返事がない。しかし、直ぐさまフィオナの口元がキュッと結ばれている。ミハルの言葉を彼女は消化できたはずだ。
「だとしたら、あたしは貴方に挑みます! 貴方と同じ場所まで辿り着きます! もう二度とあたしは負けたくない!」
これで良かったのだろうかとミハルは思う。焚き付けたのはバゴスに依頼されたからだ。けれど、このままでは自身と同じような道をフィオナは歩もうとするだろう。レーサーが目標であった彼女。夢を諦めさせるつもりもなかったけれど、ミハルは異なる返答を選べない。
「私は逃げも隠れもしないわ。貴方が挑んでくるのなら、全身全霊で跳ね返すだけ。エースは他の誰でもない私なんだから……」
ミハル自身はエースという実感がなかった。だが、ミハルはエースになろうとしている。アイリスを叩きのめして、自他共が認める存在になりたかった。だからこそフィオナには予定にある姿を伝える。自分を目標とするのなら、いつでも追いかけて欲しいと。
対するフィオナは唇を噛んでいる。単純なところもそっくりだ。きっと彼女は上手くなる。ミハルはそう思えて仕方がない。
「待っていてください! あたしは戦闘機パイロットになります! どこにいようがミハルさんを追いかけます!」
期待通りの言葉にミハルは微笑む。素直で自分に正直。彼女なら成長できるはずと疑わなかった。
「私は待ってるから。貴方がここから見上げた遥か先の宙域に私はいる。青い空のずっと向こう側に。辛くても今日の悔しさを思い出すの。絶対に勝とうと努力したならば、貴方は成長できるはず……」
これで全ての依頼を達成できたと思う。ミハルは一人のパイロットを次のステージへと導いたのだ。満足げに笑みを浮かべながら、彼女は更衣室から出て行く。
「ああ、そうだった……」
どうしてかミハルは直ぐに立ち止まっている。そういえば依頼がまだ一つ残っていると思い出した。ジッと自分を見つめるフィオナの眼差しを受け流すように、彼女は最後のミッションを達成する。
「貴方のお爺ちゃんは元気にしてるからね?」
唐突すぎる話にフィオナはポカンと呆けている。まるで予想していない話にどう反応して良いのか分からない感じ。彼女はただ小さく頷きを返すだけである。
「じゃあね、フィオナ!」
ミハルは手を振って別れを告げる。不安は少しもなかった。ミハルはフィオナを信じている。負けん気を出すフィオナはこのあと決意を固めるはずと。
最後までアイリスの真似である。あの日見た背中の大きさをミハルは彷彿と思い出していた。チビで申し訳なく思うけれど、フィオナがこの背中を追いかけてくれるようにと期待している。
ミハルは彼女の成長を望みながら更衣室をあとにするのだった……。
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