初めての地球
ミハルが地球へと向かう当日。バゴスの話に吹っ切れた彼女は意気揚々とセントグラードターミナルステーションに到着していた。
軍服だと目立つので私服である。大きめの帽子を深くかぶり、少しばかり伸びた髪を後ろで結わえていた。変装というわけでもなかったけれど、定期便の乗組員が怖がらせるものだから、一般に知られている格好と違う感じにしている。
「ミハルさん、こちらに!」
地球圏行きのホーム入り口で待っているとミハルは声をかけられていた。スーツ姿の男性はイプシロン基地にて軽く話をしただけだが、確かに見覚えのある人だ。
「お、おはようございます! アーチボルト准将!」
「ああいや、構わないよ。私に気を遣う必要はないから」
敬礼したミハルにアートボルトは楽にしてくれと話す。しかし、SPのような取り巻きを連れる軍部の重鎮に対して気軽な態度は難しい。
「特別客室を用意しています。さあ乗りましょう」
アーチボルトのあとをついて行く。手配してくれたのは特別客室とのことで個別カプセルなどではないみたいだ。
長い客車の一番後ろが特別客室らしい。一般入り口とは異なる通路を通って乗り込んでいく。
中は以前の車両とまるで違った。特別客室はそれ自体がカプセルの役目を果たしているらしく、まるでホテルの一室であるかのよう。広さはさほどもなかったけれど、椅子は全てソファであって後方には豪華なテーブル席まで設けられていた。
「すごい……」
「はは、ミハルさんは今や時の人ですからね。流石に一般席では問題になりかねない。好きな席でくつろいでください」
クェンティンとは異なり、非常に柔らかい物腰である。親戚にこんな人がいたら良いのにと思わず考えてしまう。
ミハルはリクライニングシートの角度を寝かせ気味にして着席する。一緒に乗り込んだ三人も各々がシートに腰掛けた。
『当機は間もなく地球圏NLAステーションに向け出航致します。カプセル及び室内の注意事項に従い……』
アナウンスが流れると星空が動き出す。三度目のシャトルライナー。これよりミハルは生まれて初めて地球へと向かう。
「どんなだろ……」
家族旅行はもっぱらエウロパにある別荘へと行くことが多い。過去には祖母の生まれ故郷である地球へ旅行する計画もあったのだが、その日に限って体調を崩したりして取りやめとなっていた。だからミハルは期待している。青き惑星がどういったものなのか。人類の生まれ故郷である惑星に思いを馳せていた。
ところが、ミハルは居眠りをしてしまう。セントラル基地は不規則であり激務である。よって身体が休みを求めていた。横になるだけで睡魔に襲われてしまうのだ。
『当機は間もなくNLAターミナルステーションに着港いたします。進行方向左手にありますのが地球です。減速航行中に是非とも地球の美しきその姿をご覧くださいませ……』
宇宙の旅を満喫しようと考えていたのに完全に眠っていた。しかし、到着アナウンスを聞くやミハルは飛び起きている。遂に地球の姿をこの目で見ることができるのだと。
ミハルは息を呑んだ。遠くにアースリングユニック群が見えている。だが、彼女が目を凝らしていたのはユニックなどではない。
「本当に……青い惑星なんだ……」
宙域に地球が浮かんでいた。こんなにも色鮮やかな惑星が存在するなんて。いつも木星を見ていたミハルには衝撃的だった。
初めて見るその惑星は想像よりもずっと青く、考えていたよりも遥かに美しい。
「これが……地球……」
子供のようにサイドウォールに張り付いてしまう。感動すら覚えるその姿はミハルを夢中にさせていた。一体何がどうなって青く輝いているのか。知識としては知っていたけれど、闇に浮かぶ幻想的な青い星はミハルを釘付けにしている。
程なくシャトルライナーはNLAターミナルステーションに到着。直ぐさま地上へと向かう昇降ポッドに乗り込む。ここも貸し切りのようで、四人は広々とした昇降ポッドを独占していた。
見る見るうちに大地が迫ってくる。ミハルたちを乗せた昇降ポッドはエレベーターのように揺れることなく静かに地上へと降りていた。
ハッチが開かれるや重力を感じる。身体に重くのしかかる力はユニックの比ではない。思わず倒れてしまいそうになるけれど、ミハルは両足に力を入れて踏ん張っている。
「これは大変だな……」
慣れぬ重力に驚きながらも、不思議な感覚が面白かった。立っているだけであるというのに、笑みを浮かべずにはいられない。
地球に近い重力をユニックも発生させてはいるけれど、やはり地球の重力は体験したことがないものであった。かといって、宇宙移民は小さな頃から足腰の筋力トレーニングを強いられている。それらは全て地上を想定したものであることを、ミハルはようやくと理解できたらしい。
「ミハルさん、地球は初めてでしたか?」
少しばかり苦労している様子のミハルにアーチボルトが話しかけた。
重力が予想外だっただけで、今はちゃんと立っているし歩くのも問題はない。だからこそミハルは弾けるような笑顔で答えた。
「初めてです! 惑星の美しさも、この今も言葉では言い表せません!」
「それは良かった。せっかくなので少し外に出てみましょう。駅の中ですが、展望台があるのですよ。チャーター機へ乗り込む前に地球の青さをその目に焼き付けてください」
アーチボルトは慣れた様子でスタスタと歩いて行く。ミハルは彼について行くだけであったけれど、待ち受けるものには期待を膨らませている。
「わぁあああっ!」
建物を出た瞬間に声を上げてしまう。
視界に拡がるのは一面の青だった。雲一つない大空と果てしなく続く海。重く感じる身体のことは忘れ、ミハルは駆け出していた。今ならば地球人が地球人であると主張するのも分かる。この景色を誇りに思わない人間がいるはずもなかった。
「季節が春であれば良かったのですけどね。ミハルさんのお名前にあるような……」
大自然に圧倒されるばかりのミハルにアーチボルトが声をかけた。それは意外な話である。名前に関して説明したことなどなかったはずだ。
「准将はご存じなのですか? 私の名前について……」
「ああいや、若い頃に少し囓った程度ですがね? 美しい春という意味ではないですか?」
ミハルは名前の由来を知る人に初めて会った。それは祖母から聞かされた内容のまま。アーチボルトは言い当てている。
「祖母が地球の出身だったんです。祖母が若い頃に過ごした場所。春という季節は本当に美しい景色であると話していました……」
残念ながら今は夏という時期であった。春はもう少し前。汗ばむような気候ではなく、一年で最も過ごしやすい季節である。
「いつか春に訪れてみたいです……」
「ハハハ、その折にはまたご一緒しましょうかね……」
しばし海と空を眺める。水平線が太陽光を受けて光り輝いていた。まるで宝石を散りばめたかのようだ。その煌めきは今までに見たことがないものであり、星の瞬きとは明確に異なる。美しい以外の感想が口にできないほどミハルは惹き込まれていた。
「さあミハルさん、行きましょうか。手続きを済ませましょう」
「あ、はい! すみません!」
「いやいや、想像していたより気に入ってもらえたようで良かった……」
同行者がクェンティンであれば満喫できなかっただろうなとミハルは心の内に思う。こんなにも美しい景色を見ては、はしゃがずにいられない。クェンティンであれば怒鳴られていたかもしれないと。
ミハルたちはカートに乗り飛行場へと向かう。またしても人生初の体験である。大型の航空機に乗るなんて考えもしなかった。
「あれに乗るんですか!?」
「ああいや、チャーター機だからね。残念だが向こうにある小さい方だよ」
大型の航空機に興奮していたのに、ミハルたちが乗り込むのは奥側にある小さな飛行機。先に大きな方を見てしまったから少しばかり悲しくなる。
「レセプションまで時間があるからね。少しばかり観光しようと考えています。それともホテルで休みたいですか?」
「いえ観光します! 私、山が見てみたいです! 地球と言えば海と山じゃないですか!?」
一応はミハルも下調べをしていた。青空と海は既に堪能したし、自然の山というものをミハルは体験したいと答える。
「それならロッキー山脈に行こう。雄大な景色を見ることができますよ……」
「ここってどこなんですか? どこの大陸なんでしょう!?」
「アメリカ大陸にあるロサンゼルスです。レセプションはセントルイスという街で行われます。ロッキー山脈はその途中にあるね」
「アメリカ大陸! 私、知ってますよ!」
アーチボルトは笑みを零す。まだ半日しか共に行動していないけれど、とても銀河間戦争で活躍したパイロットには見えなかった。どこにでもいそうな可愛らしい女の子。萎縮することもなく自然体だ。アーチボルトに娘はいなかったが、もしも娘がいたならばと思わず考えてしまう。だが、同時に彼女が担がれてしまう理由も分かった。成し遂げた実績との乖離が余計に興味を持たせてしまうのだと。
二人はロッキー山脈で大自然を堪能したあと、目的地であるセントルイスにやって来た。
もう夕暮れ時である。セントルイスレース競技場から離れた豪華なホテルへと二人は足を運んでいた。
「アーチボルト准将、それにミハル君ようこそ地球へ!」
出迎えてくれたのは何とゴードン首相であった。地球政府の代表者自ら迎えてくれるなんてこれ以上の待遇はないだろう。
「ゴードン首相、お初にお目にかかります。私はアーチボルト・フィッシャーと申します。どうぞよろしくお願いいたします……」
「ああ、結構。スイートルームを用意した。長旅で疲れただろう。レセプションまでゆっくりして欲しい」
何だか急にミハルは緊張してしまう。見たこともないような立派なホテル。歓迎会がここで行われると知り、少しばかり気後れしていた。場違いな場所に来てしまったのではないかと。
ところが、それはミハルだけの認識であった。彼女はまだ自身が星系を守ったという偉業にどれ程の価値があるのか理解していない。
パーティー会場に立つ瞬間までミハルは何も気付けなかったのだ……。
本作はネット小説大賞に応募中です!
気に入ってもらえましたら、ブックマークと★評価いただけますと嬉しいです!
どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m




