尽きない悩み
急なイベント出演の通達から数日が経過している。ミハルは憂鬱な毎日を過ごしていた。
本日は特に出撃もなく、ミハルは何をするでもなくボウッと愛機を眺めている。
「どうした嬢ちゃん? らしくないの?」
ミハルに声をかけたのはバゴスだ。落ち込んだようなミハルを見ていられなかったらしい。
その声に振り返ったミハルは小さく息を吐く。
「バゴスさん、私はどうすればいいのでしょうか……?」
予想通りの表情をするミハルにバゴスもまた溜め息を漏らす。
配属から半年。短い期間に二度も異動させられるかもしれない。流石に可哀相だと思う。環境の変化は誰であってもストレスに違いなかった。
「嬢ちゃん、実をいうと儂の息子は地球におるんじゃ……」
問いに対する答えではなかったけれど、妙に興味が湧く話だ。何しろバゴスの家庭について聞くのはこれが初めてである。
「昨日、連絡があったんじゃが、レース協会のイベントに儂の孫娘が参加するらしい。儂が嬢ちゃんと同じ部隊にいると知って通信してきたんじゃよ……」
「お孫さんは地球人なのですか?」
「まあ一般的にはそう呼ぶが、太陽系に住む同じ人類じゃて。区別するから余計に溝が生まれるんじゃないかと儂は考えておる。じゃから孫娘に対して地球人という言葉は選んだことがない。儂らはどこにいようが家族なのじゃからな……」
ミハルも地球人という言葉は常々耳にしている。それこそ学校でも習う言葉だった。地球人と聞けば何か違う生命体のように感じてしまう。人類という括りとは明らかにイメージが異なっている。
「孫は航空士学校を今年卒業予定なんじゃ。卒業後はレーサーになって賞金王を取るだなんて大口を叩いておる。何でも特待生選定対象レースで一番になったらしくての。既に内定しておるんじゃ……」
「凄いじゃないですか? 私は二着でしたけど……」
「ああ、そうじゃったな……。じゃが孫は素人相手に勝っただけじゃ。もし仮にジュリア坊がいたとしたら負けておったじゃろう」
あまり思い出したくない記憶だ。でもあのレースはミハルにとって転機となった。あの日が異なる一日となっていたのなら、今この場所にミハルはいない。
「なあ嬢ちゃん、一つ孫娘の鼻を明かしてやってはくれんか? 今のままでは成長がない。本物のフライトを見せてやってくれ……」
正直にレースはトラウマである。あの敗戦が脳裏に蘇っていた。狭いフェアゾーンを怖がり、最後までジュリアの後塵を拝したこと。
「私にできますか? 正直にレースは自信がないのですけど……」
「ふはは! 嬢ちゃん、冗談が過ぎるぞい。今の嬢ちゃんに敵うレーサーがいるのなら紹介して欲しいくらいじゃ。儂から見ても嬢ちゃんは既に別人じゃて……」
自覚はなかった。けれど、誰よりも努力したと胸を張れる。ならばバゴスが話す通りに自分は成長しているのかもしれない。
「バゴスさん、ありがとうございます。少しだけやる気が出てきました。やはり負けたままより、勝った記憶に上書きしたいです。たとえ誰が相手でも圧勝してやろうと思います!」
「その意気じゃ。嬢ちゃんが本気になれば周回遅れがでるんじゃないかの? 儂は期待しておるぞ。木星のセントラル基地で放送を見させてもらうからの……」
悩んだときはいつも助けてくれる。本当にバゴスは人格者だと思う。ならば自分は期待に応えるだけだ。
「私は手加減しませんよ? あのとき私自身も絶望感を味わったんです。同じものを見せようと思いますが、構いませんよね?」
「もちろんじゃ。世間の広さを思い知らせてやってくれ」
俄然楽しみになってきた。更衣室での一件。アイリスに扱き下ろされたこと。まさか自分が逆の立場になるとは思いもしなかった。
「それで嬢ちゃん、ついでといっちゃなんだが老人の話を聞いてくれるか?」
どうしてかバゴスの話は続く。ミハルにやる気を起こさせる以外にバゴスは用事があったようだ。
「何ですか? お孫さんに言付けでしょうかね?」
「ああいや、儂の話は異動についてじゃ。口出しして良いのかどうか悩んだが、やはり儂は伝えておこうと思う……」
異動とはクェンティンの話であろう。だが、それはアーチボルト准将が同行することで拒否する流れであったはず。
「もし仮に異動を申しつけられたときのこと。儂はそれを伝えておきたい……」
何やら神妙な面持ちである。恐らく語られるのは冗談や雑談などではないはずだ。
「現状で嬢ちゃんが異動する確率は半々だと儂は考えておる。だから現実味がない話ではないのじゃ……」
ゆっくりと告げられていく。今もまだ躊躇いがあるのは明らかだ。二人の他には誰もいないのだし、他愛もない話であれば直ぐさま要件に入っていい場面である。
「個人的には異動を受けても構わんのじゃないかと思う。ただし受けるときには派閥を離れる話も済ませておくんじゃ。自ら派閥を抜ける権利。それを確約してもらえば良い。トップ3に入ったらとか条件をつけてやればいいの。そうすれば嬢ちゃんはそのまま残っても良いし、戻ることもできる。事前に取り決めておけばグレックのように行き場を失うことはない……」
語られたのはミハルの選択である。誰も乗り気でなさそうな話をバゴスは肯定していた。
「どうして異動したらいいと考えているのです……?」
「まず世界が拡がる。異なる環境を経験することで今よりも成長できるはず。それは腕前だけじゃなく、嬢ちゃん自身の成長も含む。401小隊に異動すれば間違いなく苦労するじゃろう。けれど、困難を乗り越えたならば、人は必ず成長できる。楽をして得たものより、ずっと確かなものが得られるじゃろう。グレックも言っておったが、若く勢いのある今じゃからこそできることもある。ただし、儂が正しいとは限らん。よく考えるんじゃ。どのような答えであろうと自分で決めること。此度の選択権は嬢ちゃんにあるのじゃから……」
どうしてかバゴスはミハルに選択権があるという。一兵卒でしかないミハルは四の五の言えない立場であったはずなのに。
「私が選べるって本当ですか?」
「当たり前じゃ。気に入らぬ命令であれば辞めると言えばいい。きっとアイザック大将もクェンティン大将も青ざめるじゃろう。軍部が嬢ちゃんを失うなど絶対にあってはならんことなんじゃ。派閥間の争いというつまらぬ問題でエースが辞めてしまうなど軍部として看過できんのじゃよ。銀河間戦争の最中にエースパイロットを辞めさせたなんてことになれば、両者とも責任追及は免れん。つまり徴兵制度がない太陽系にあってトップシューターには揺るぎない権利がある。決めるのは嬢ちゃんじゃ。拒否するにせよ条件付きの異動を認めさせるにせよ好きな方を選べば良い……」
バゴスの話はミハルの思考に幅を持たせるものだった。まるで賢者に諭されたような気がする。彼は何でも知っているし、どんな問題も解決してしまう。クェンティンの話を聞いてからずっと頭に合った悩みが一度に消え去っていた。
「本当に……私が選んで良いの?」
「好きにして良いぞ。嬢ちゃんはそれだけのことをしたんじゃ。うるさく言うしか能のない連中は頭を下げるしかない。実質、嬢ちゃんの大勝利じゃな?」
最後は笑顔になれた。一人で悩んだとして決して解答は見つからなかっただろう。バゴスには感謝してもしきれない。
「バゴスさん、ありがとうございました! おかげで吹っ切れた感じです!」
「ああ、構わん。儂にできることなんぞ、年の功による助言くらいしかないからの」
ワハハと笑うバゴス。どうやら彼の助言は大成功に終わったらしい。孫娘と近い年齢のミハルが悩んでいるのは彼としても辛かったのだろう。
「ああ、そうじゃ! 儂の孫はフィオナ・ハワードという。話す機会があれば爺ちゃんは元気だと伝えてくれい!」
ミハルはクスリと笑いながらも頷いている。最後までバゴスは気を遣ってくれた。だとしたらミハルの返答は一つしかない。
「絶対に伝えます!――――」
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