謹慎中に
謹慎を解かれたミハルは、またもキャロルのルームメイトとなっていた。ただし、まだ正式に異動が延期となったわけではなく、本日は部屋に籠もりきりだ。訓練に向かうキャロルを見送ってから、自身は買ってきたおやつを戸棚から取り出している。
ミハルがクッキーの袋を開いたその瞬間、どうしてか部屋のチャイムが鳴った。
「んん? こんな時間に誰……?」
ミハルがこの部屋にいると知っている者は少ない。しかし、キャロルの友人である場合も考えられたので、不審に感じながらもミハルは応答に出る。
『ミハル、俺だ……。お前が部屋にいるってキャロルから聞いたんだ……』
声の主はジュリア・マックイーンであった。モニターに映る姿も間違いなく彼である。一応は安心するミハルなのだが、なぜに彼が部屋を訪れるのか少しも分からない。
「ま、入れば……?」
知らない中ではない。四ヶ月前は毎日のように訓練を共にしたのだ。要件は不明であったけれど、追い返すつもりはなかった。
扉が開くと見慣れた彼の姿。だが、微妙な期間が過ぎたミハルは適切な話題が思いつかない。
「あ……えっと、何?」
素っ気ない台詞は照れ隠しだろう。会見で泣いたことや謹慎を受けたこと。ここに来るまで色々とやらかしていたミハルは惚けるようにするしかなかった。
「いや謝ろうと思ってな。姉貴の勝手な行動で迷惑をかけたから……」
どうやら、からかうつもりはないらしい。ジュリアは姉の愚行を詫びようとやって来たようだ。
「まあいいよ……。別にジュリアのせいじゃないでしょ? 案内役のパイロットがアイリス少尉だった時点で悪い予感はしてたし……」
揶揄されるものと考えていたミハルは謝罪であったことに安堵している。泣いてしまったことは特に恥ずかしく感じていたから。
「姉貴は本当にどうしようもない。普通に送っていけば良いものを、無許可で戦闘に参加しちまうなんて。しかもゲートを越えるだなんて考えられないよ……」
「ゲート越えは仕方ないと思うよ? あの場面は完全に裏を取られてたし。私でも同じ機動を取ったはずだもの……」
擁護するつもりもなかったのだが、ミハルはアイリスの機動が間違っていないと話す。仮に問題があるとすれば、それまでの行動に他ならないのだと。送り届けるだけで良かったというのに、新型機の試運転を始めてしまったことだ。
「俺は異動するミハルの立場をよく分かってるつもりだ。ただでさえ厳しい目で見られるというのに、スムーズな異動を妨げた姉貴には呆れてものが言えねぇよ……」
ジュリアはミハルの立場が一層悪くなると考えているらしい。過去に同じような経験をした彼であるから、疎まれる姿が容易に想像できた。
「もうしょうがないよ。それに異動は延期となったから……」
「延期? それってどういうことだ?」
ジュリアはキャロルに詳しく聞いていないようだ。釈放されただけであり、今も謹慎中であると考えているのかもしれない。
「そのままよ。この度の異動はなくなったの……」
「嘘だろ……? そんな発表は聞いてないぞ?」
「まだ正式に決定していないことだもの。だけど事実よ。アイザック大将とクェンティン大将とで摺り合わせるまで私は動けないの……」
ジュリアは姉の愚行があらゆる方面に迷惑をかけたのだと知らされている。アイリスの操縦する機体に乗っていただけだというのに、ミハルの罪は重大なのだと思う。栄転ともいえる異動を延期せねばならない事態に発展してしまったのだから。
「すまんミハル……。どれだけ謝っても許されないのは分かっているけど……」
「だから構わないって。それよりアイリス少尉が私を擁護するなんて考えもしなかったわ。あの人って口はアレだけど、実のところちゃんとしてるのよ。弟のことも大事に思ってるし……」
少しばかり照れくさい話にジュリアは鼻を掻く。憎まれ口ばかり叩く姉であるが、確かに気遣われているのはジュリアも理解している。301小隊への配備から、前衛機を買って出たところまで。パイロットとして成長できる環境をアイリスはジュリアに与え続けていた。
「実際に俺は恵まれているな。俺にとって姉貴はずっと憧れだったんだ。どんな大会に出場しても必ず優勝する。親父も期待していたし、俺は姉貴と同じように飛びたかった……」
聞けばアイリスは幼少期からその才能を遺憾なく発揮していたらしい。トップレーサーになろうと彼女は努力していたという。
「軍部に入るといった日には親父に勘当されそうになっていた。家族の誰も姉貴の味方じゃなかったんだ。それでも姉貴は意志を貫き、軍部へと入ってしまう。今以上に成長するには軍部に入るしかないと言って……」
気になる話が続く。確かグレン教員に聞いた話だと、アイリスはレーサーを目指していたにもかかわらず、レーサー養成所の推薦を断ってしまったとのこと。
「そういえばアイリス少尉って、どうして軍部に入ったの? 学校の卒業生だったから、それとなくは知っているんだけど……」
「ああ、ミハルはセントラル出身だったな。姉貴は最終学年の地域振興レースで考えを改めたらしい」
ジュリア自身はマイと同じメンシス航宙士学校の出身。セントラル区画ではセントラル航宙士学校に次ぐ名門である。
「オープンレースで優勝した姉貴は浮かれ気分のままプロフェッショナルクラスのレースまで見たらしいんだ。タイム差によって自分のレース運びがどれだけ優秀であったのかを確認するために……」
もう嫌な予感しかしない。ミハル自身もプロフェッショナルクラスのレースを見て人生が変わったのだ。志望を変更までしたアイリスが何かを見てしまったのは明らかである。
「プロフェッショナルクラスにはグレック大尉が出ていたんだ――――」
予想は現実と化していく。健常であったグレックならば、アイリスの度肝を抜いたはず。学生風情にどうにかできる相手ではない。
「グレック大尉は圧勝したんでしょ……?」
問わずにいられない。義足であっても圧倒的だったのだ。彼が出場し、相手になるプロレーサーがいたとは思えなかった。
「もちろん圧勝だった。コースレコードだったらしい。そのタイムに姉貴は愕然とし、ずっと希望していたレーサーへの道を絶ったんだ……」
トップレーサーたちが手も足も出ない様はアイリスに何を感じさせたのだろう。恐らくはフライトの最高峰がレーサーではないと見限ることになったはずだ。
「グレック大尉は大人げないからね。あの人は加減ってものを知らないから……」
今思えばミハルは幸運であったのかもしれない。絶望を与えたのがグレックであれば、更衣室での邂逅など起きるはずもないのだ。
「姉貴はグレック大尉に師事したいと本気で話していた。幾ら軍部へ入ろうとも希望が叶う可能性はゼロにも等しかったというのに。まあ結果として、姉貴の願いは叶ったんだけど……」
ジュリアは小さく溜め息を漏らした。トップレーサーとなる姉の姿を望んでいたかのように。現状が幼少期に期待していたものとはまるで違うのだと。
「それであんたも軍部に入ったってわけ? 何だかんだでお姉さんのこと好きじゃない?」
「好きというか俺は今も憧れてんだよ……。常に独走し、必ず優勝する姉貴に。軍部に入ったのは違う意味合いもある。俺では親父の過度な期待に応えられないからだ……」
同じように育てられた二人だが、才能は異なっていた。ジュリアは軍部を志望した理由をそんな風に語る。
「後悔はない?」
「後悔なんてするかよ。もしもレーサーになったとして、俺はろくに活躍できなかっただろう。だったら人のためになる軍部で少しばかりでも貢献できる今の方がいい。お前こそ後悔していないのか? 事あるごとに姉貴に振り回されてるけど……」
その問いはジュリアの本心である。姉とかかわったばかりにミハルの人生はまるで違うものとなっていたのだ。
ミハルは直ぐさま笑みを浮かべ、冗談でしょと返している。どうにもジュリアの心配は的外れであったようだ。
「これ見てよ……」
立ち上がったミハルは引き出しからメダルを取り出している。
手渡されたそれは見覚えのあるものかと思いきや、ジュリアが知るものではなかった。かなり古い感じ。手に入れたのはずっと昔であるはずだ。
「銀メダル……?」
持ち歩いているものだから、きっと大切なものなのだろう。容易に推し量れていたけれど、どうしてそれが銀メダルなのかが分からなかった。
「それさ、初等学校一年生の時にもらったの。三年生が一位で私が二位だったわ。最初は凄く嬉しかったんだけど、家に帰る頃には悔しくて涙が止まらなかった……」
ジュリアには意味が分からない。低学年のレースとはいえ、一年生が入着するなんて稀なことだ。十分に誇れる結果だと思う。
「その銀メダルは私の所有物で最も価値がないものよ……」
続けられた言葉にジュリアは眉根を寄せる。価値がないものを持ち歩いている理由が理解できなかった。
「だけど一番大切なもの――――」
なぜだろう。ジュリアは気になっていた。価値がないというのに一番大切と話すわけ。ミハルが持ち歩く銀メダルの由来を知りたいと思う。
「お前なら金メダルやトロフィーを幾つも持ってるだろ? 最初にもらったメダルだから大事にしてんのか?」
聞いた側から矛盾を覚えている。最も価値がないと言ったのはミハルなのだ。それを彼女が大事にしているはずはなかった。
クスリとミハルは笑って、銀メダルを見つめている。鈍く輝くそのメダルに何らかの思い入れがあるのは明らかだった。
「これは敗者を識別する目印だから……」
理由を聞いた今も判然としない。六歳の子供がメダルを授与されて、喜ばぬはずがないのだ。しかし、悔し涙を流したという話を聞いたばかり。もし仮に決別したい過去ならば、持ち歩きはしないはずである。
「私はね、ずっと忘れていたのよ。子供の頃、あんなにも悔しかったというのに、時が過ぎて再び負けてしまうまで思い出せなかった。だから私は二度と負けないためにも、このメダルを持ち歩いている……」
彼女が持つ信念をジュリアは感じていた。強い心があるからこそ彼女は厳しくあり、成長し続けているのだと。
「やはり……二着じゃ駄目か?」
性格の違いが決定的な差を生んでいる気がした。どの位置に許容できるラインを引くかで、人は必要な努力を計算するだろう。けれど、あまりに高すぎるボーダーであれば、往々にして諦めが生じる。無理だと投げ出してしまうはずだ。
「馬鹿にしてんの? 二着に価値なんてないわ……」
ただの敗者よとミハル。かつて知らされたその話は今やミハルの持論となっていた。ジュリアの問いかけには即座に首を振っている。
「とにかく謝罪なんていらないから。私は別に昇進とか興味ないし、一番になりたいだけ。それはこのメダルに誓っているままよ。だから私はどこであろうと戦う。この銀河で一番のパイロットとなるためにね。まあそれに今回に関してはアイリス少尉に感謝すらしてるから……」
随分と逸れてしまったが、ミハルの話にジュリアは謝罪に来たことを思い出していた。
姉の暴挙によってミハルの経歴に泥を塗ってしまったこと。かといって、ミハルは謝罪が必要ないとし、どうしてか感謝していると口にしている。
「姉貴に感謝? 俺が聞いた話は滅茶苦茶だったぞ?」
「あの程度は想定内よ。私が有り難かったのは異動が先延ばしになったこと。どうせ一悶着あるに決まってるもの。いきなり大戦になると流石に厳しいからね。慣れた場所で戦えるようにしてくれた少尉には感謝しているの……」
異動は延期になったとジュリアは聞いたばかり。また延期となるのなら、ミハルの所属は今もまだセントラル基地だろう。だから謹慎が解けたのであれば木星に帰るものだと考えていたのに、彼女は大戦に参加するかのように話している。
「お前まさか……」
ジュリアは鼓動を早めていた。ミハルがイプシロン基地に留まっているわけ。それがただの謹慎ではないと期待してしまう。
「姉貴の代わりに戦ってくれるのか……?」
アイリスの一ヶ月という謹慎期間は小隊にとって不測の事態である。ベイルだけでなく隊員たちは全員が次戦を危惧し、ジュリアもまた前衛機不在という問題を抱えていた。
頷くミハルにジュリアは笑みを浮かべる。この四ヶ月ずっと望んでいたこと。姉のやらかしによって叶うのは複雑であったけれど、ここ数ヶ月の努力を披露する機会を得た。
「何番機……なんだ?」
問題はミハルの配置である。前回のように空いたところへそのまま入るのかどうか。まだ信頼を得られていないジュリアは不安だった。
「それは私が決めることじゃないけど、私は一番機がいい……」
今度もまた一番機に乗りたいと口にする。彼女は一番以外を望まなかった。
ようやくと鼓動の高鳴りは抑えられている。今更に編成を動かすなんてあり得ない。よって彼女の願いは叶うはずだと。
「なら、また頼むよ。俺はあれからもずっと訓練し続けている。お前が望む支援をできるようになろうとして……」
「それは楽しみね? 期待してるわ……」
本心かどうかは分からない。けれど、ジュリアは意気込んでいる。ずっと時間外の訓練を続けてきたのはこのときのため。ミハルと再び出撃し、自身の成長を見せつけるためだ。
アイリスに不適格だと告げられたジュリアだが、努力を続けた日々は彼の背中を押す。現実から逃げていた彼はもういない。努力という裏付けが自然と返答させていた。
期待してくれ――――と。
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