予期せぬ邂逅
ジュリアを見送ったあと、ミハルは競技場に戻っていた。パイロットスーツのまま着替えていないのはプロフェッショナルクラスの開始時間が刻一刻と迫っていたからだ。
「フルエイジクラスのラップタイムは私たちとそれほど変わらない……。でもプロフェッショナルってくらいだからそれよりは速いはず……」
自身のレース運びは評価できるものだった。ミハルとしてはミスなど一つもなかったのだ。よって他クラスとの差が僅差であればあるほど自信が持てるはず。それらの比較が技量を測る物差しとなっていた。
『さあ、いよいよメインイベントです! 百回目を数える記念大会にはトップレーサー六人に加え、GUNSのパイロットが四名参戦しています! 注目は学生時代にも優勝経験のあるアイリス・マックイーン少尉でしょう! 対するトップレーサーは……』
実況放送が始まるや、大歓声が巻き起こった。それはミハルたちのティーンエイジクラスがただの前座であったことを明らかにしている。メインイベントに恥じないだけの熱狂がレース前から溢れていた。
『トップレーサーのプライドか、或いはエースパイロットとしての意地が勝つか! さあ、グリーンシグナルが灯りました! レーススタートです!!』
レースは序盤から圧倒的すぎた。混戦が予想されたプロフェッショナルクラスだが、結果は至ってシンプルなもの。一周目の中盤からトップに躍り出たアイリス・マックイーンが順位をキープし、独走態勢のままゴールラインを通過していたのだ。
ミハルは愕然としていた。今ならばジュリアがこだわるわけも理解できる。他の追随を許さない圧巻のフライトはミハルに衝撃しか与えない。
「どうして……? これって同じコース……? どうやったらこんなに…………?」
一周目は約一秒。二周目以降のラップタイムは二秒近くも速かったのだ。レースにおいて、そのタイム差は決定的だった。
放心状態でミハルはインタービューを眺めている。ただし、何も頭に入ってこない。完全にレベルが違うレースを見てしまっては、呆然とするしかなかった。傑出したレース結果はミハルに思考する隙すら与えなかったのだ。
頭が真っ白になったままミハルは更衣室へと来ていた。静かに扉を開け、俯きながらロッカーの前へと進む……。
どう考えても絶対的な差があった。自画自賛のレースより、一秒以上も短縮できるなんて想像もできない。負けたとはいえ、ジュリアとの差は0.01秒。対してアイリス・マックイーンとの差は1.2秒もある。それは差というには大きすぎた。
ミハルは大きく溜め息をついて、ロッカーに倒れ込むような姿勢で頭を押し付けている。
「あんなの無理だよ……」
珍しく弱音を吐く。元来の負けず嫌いも鳴りを潜めている。航宙機に関しては誰にも負けないと考えていたミハル。本日は負けたばかりか、自身が如何に凡庸であるのかを思い知らされていた。
溜め息ばかりが漏れる。他に誰もいなかったからか、ミハルは着替え始めることもなく項垂れたままだ。
だが、不意に更衣室の扉が開いた。レースに出場した女性選手は全体でも三人しかいない。同じティーンエイジクラスのパイロットは既に着替え終えているはず。だからこそミハルは人目を気にせず目一杯に落ち込んでいたのだ。
ミハルは完全に忘れていた。三つのオープンレースの内、最後のレースにはもう一人だけ女性パイロットがいたことを。
「アイリス……マックイーン……?」
現れたのは悩みの根元であるパイロットだった。彼女のレースを見てしまったばかりに、ミハルは自信を喪失しているのだ。
「如何にも私がアイリス・マックイーンだ。しかし、呼び捨ては聞き捨てならないな。君はティーンエイジクラスのパイロットだろう? 年上には敬意を払うものだぞ?」
「す、すみません! 私、動揺しちゃって!?」
ポツリと漏らした呟きを聞かれてしまったらしい。驚きのあまり敬称を付けずに呼んでしまった。これには流石のミハルも恐縮するしかない。
「まあ別に気にするな。年上として指摘するべきかと考えただけだ。そんな私も上下関係は得意な方ではないからな……」
以降はミハルを気にすることなく着替え出すアイリス。彼女はミハルのことを知っていたようだが、黙々とパイロットスーツを脱ぎ私服に着替えている。
「思い悩んでいたようだが……?」
ところが、着替え終えたアイリスはミハルに声をかけた。先程までは、まるで気に掛ける様子もなかったというのに。
「先ほどのレースなら良かったぞ? 気に病むことではない……」
見透かしたようにアイリスが続けた。
褒められたみたいだが、何だか苛っとする。ミハルは眉を顰め、睨むようにアイリスと視線を合わせた。ミハルにはアイリスの話が皮肉にしか聞こえなかったのだ。
「何が良かったのです!? 私は受け入れ難い現実を突きつけられただけです!」
感情的になっていたミハルは心のままに言葉を返していた。それこそ遣りきれない想いをぶつけるようにして。
「慰めてやろうというわけじゃないぞ? 私は事実を述べただけ。専門学生にしてはよくやったと褒めているのだ。素直に喜ぶ方が可愛げがあるというものだぞ?」
「可愛げとかいらないんです! 私は完璧に飛んだはず! なのに私は負けてしまったし、アイリスさんとは一秒以上も離されていたんです!」
一秒という日常での一瞬。しかし、レースにおける一秒は決定的な差であった。褒められる要素を見つけられない。そのタイム差に納得できるはずはなかった。
「あれが完璧? 笑わせる……。まあ相手が悪かったな。市民大会レベルではジュリアとて上位者だろう。それにこの私とタイム差を比べるなど愚の骨頂だよ。何しろ私は太陽系で最速だからなっ!」
学生相手にアイリスは勝ち誇っている。対するミハルは当然のことたじろいでいた。凡そエースパイロットと聞いて想像するイメージに彼女は当て嵌まらない。
「まあしかし、ざっくりと褒めたのは悪かったな。どうも誤解を招いたようだ……。具体的に褒めるのなら、第一コーナーでの機動……」
ミハルを褒めたのは取って付けた嘘ではなかったらしい。アイリスは具体的な評価ポイントを口にする。
「あの進入ラインは素晴らしかった。恐らくジュリアでは見つけられなかったはず。あのフライトラインは一握りの感覚者にしか体現できないものだ……」
思い出すように目を瞑ってアイリスが言った。それはミハルも覚えている。内か外かで悩んだ末に見つけたルート。大丈夫だと確信を持って突っ込んだものだ。
「時間差で生まれる隙間を繋げていくのは簡単じゃない。大抵の者は繋げられんのだ。一瞬のうちに全機の動きをシミュレートしなければならんからな。また仮に一本の線が組み上がったとしても、それを信頼して飛び込む勇気がある者は少ない。あくまで予測であり、正確な動きであるとは限らないからだ。しかし、君はそのラインを見つけ、実行に移している。それは称賛されるべき機動だったよ……」
ミハルは驚いていた。実弟が参加したレースであるから、観覧したのは間違いないだろう。けれど、ミハルのレース運びまでアイリスはちゃんと見ていたのだ。特に第一コーナーは各機が入り乱れていたというのに。
「だが、それだけだ。他に褒めるところは一つもなかった。平凡で下手くそ。私には二位狙いのフライトにしか見えなかったな……」
「えっ!? 下手くそ!?」
突として落としにかかるアイリスにミハルは声を荒らげていた。褒められたのも学生にしてはという前置きがあったし、何だか釈然としない。
「何を驚く? 仕掛けなかったのは君だぞ? 若しくは仕掛ける腕がなかったか? ジュリアを抜き去る場面など幾らでもあっただろうが?」
ティーンエイジクラスはたったの一周である。彼女のいう仕掛けられるコーナーが幾つもあったとは考えられなかった。
「君はレース中盤に手を抜いていたんじゃないか? 狭いフェアゾーンに臆していたんだろう? 私ならあそこでジュリアを差していた……」
「いや、でもあの中盤に抜き去るスペースなんてありませんでしたよ!?」
「馬鹿いうな。私はあの中盤で三機を抜き去ったぞ。それこそ時間差で生まれるラインを読み取ったのなら、如何に狭かろうが突っ込めたはずだ」
初めての立体コースであったことを差し引いても、ミハルには難しかった。追い抜くにはフェアゾーンが狭すぎたのだ。けれど、実際にレースが行われる競技場であることを考えれば、追い抜けないようなコースを設営するはずもないと分かる。
「君は集中力が足りない。第一コーナーのように研ぎ澄ませておれば、悠々と勝てただろうに。それとも前を飛ぶのが一機だけであれば、君は集中できないのか?」
気を抜いたなんてことは決してない。しかし、アイリスの目にはそう映っていたらしい。褒めるところがあったからこそ、余計に目立ってしまったようだ。
「集中ですか? 私はずっと集中していましたよ!?」
「本当にそうか? ジュリアの影をトレースしていただけだろう? コース全体を見たか? ジュリアの機動を予測していたか? スロットルを踏み込んでいたか?」
詳しく問われると反論できなかった。確かに影を追っただけだ。前を飛ぶ機体のことは軌跡しか見ていなかったし、自身の操縦に集中していた。加えてミハルはそれだけで勝てるものと考えていたのだ。
「まあ専門学生にしては良くやったよ。君は良いパイロットになれるだろう……」
扱き下ろされたわけではなかったが、まだ何か苛立ちを覚える。それはアイリスの話す良いパイロットが褒め言葉ではないと気付いたから。
「最後まで集中して挑めば、私は勝てますか……? 私は勝ちたいんです!」
鋭い視線を投げるミハル。根っからの負けず嫌いが顔を覗かせている。どうにも感情を抑えきれずに、ミハルは胸につかえる疑問を真っ直ぐにぶつけていた。
「ジュリアにか? まあ、君ならば枠によっては勝てるだろうな……」
「違います!!」
一際大きな声が更衣室に響く。ミハルは軍部が誇るエースパイロットに堂々と告げた。
「アイリス・マックイーンにです!――――」
何を思ったのか、ミハルは銀河連合軍のエースに勝ちたいと口にした。それも本人に直接。太陽系で最速を名乗ったアイリス・マックイーンその人に。
アイリスにとって、それは意外な問いかけだった。もう何年も勝負を申し込まれた記憶がない。玉砕覚悟で挑むような者すらいなかったのだ。
しばらく呆けるようにしてミハルを見ていたアイリスだが、クスリと笑みを作り、
「馬鹿を言っちゃいけない……」
ミハルの啖呵を受け流すように軽く答えた。
どんなに手を抜いたところで学生には負けない。またそれはプロであっても然りだ。ところが、今はプロどころか一介の専門学生に挑発されている。何だかアイリスはこの状況がおかしく思えて仕方なかった。
「万が一にも君が勝つ未来はない! 残念だが私は最速にして最強! この銀河に君臨する究極のパイロットが私なのだからなっ!!」
またもアイリスはしたり顔である。落ち着きのあった弟とは正反対だ。大人げなく啖呵に対して啖呵で返していた。
「絶対に勝ちます! 私はこの宇宙で一番上手に飛びたいから!」
「言うは易しだよ! 血反吐を吐くほど努力しようが無駄なことだ! 君はその背丈に合ったパイロットになりたまえよ!」
最後までアイリスは大人らしさの欠片もない。けれど、その言葉とは裏腹に彼女は大きな笑みを浮かべていた。
「それでも君が挑むというのなら、私は逃げも隠れもしない。そのときには君を叩きのめすためだけに、私は全力を尽くそう……」
言ってアイリスは更衣室を後にしていく。軽く手を挙げながら、振り返りもせずに。
ミハルはただ彼女の後ろ姿を見つめていた。ミハルよりは背が高い彼女の背中も決して大きくはない。手を伸ばせば届くほどの距離にあるこの背中が、追いかけようとすればするほど大きく離れていくことをミハルはまだ知らなかった……。
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