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ダイブ

「準備を始める」


 そう言うとナナミとリュウは敷地内を歩き回り、周囲の様子をうかがい始めた。その様はなにかを探しているようでもあり、なにかを確認しているようにも見える。


「問題ないな」


「こっちも」


 二人はお互いに確認しあうと、意外と早く戻ってきた。


「なにを調べてたの?」


「他に人がいないかどうか確認してたんだ。ダイブに巻き込んじまうかもしれないからな」


 よくわからなかったが、フィリアはとりあえず「なるほど」と頷いた。ナナミの口ぶりから察するに、彼らの間では常識なのだろう。

 ならば深く訊ねても無駄だ。

 きっとややこしい答えが返ってくる。いつのまにか彼女はそんな偏屈な考えにいたっていた。


「さてと……」


 準備運動とばかりに軽く伸びをすると、ナナミは背負った刀の柄に手を添えた。そして先程と同じように前方に抜き放つ。


「そんじゃ、ジッとしてろよ」


 ナナミは柄を両手で握ったまま真っ直ぐ腕を伸ばし、剣を地面と平行に構えた。そうして剣の先端は数分の狂いもなくフィリアの胸に向けられる。

 いくら木製の剣とはいえ、これでは緊張するなというほうが無理な話だ。


「ねぇ、ホントにだいじょうぶなんだよね?」


 ぴりぴりと指先から伝わる緊張に耐え切れず訊ねると、ナナミは心外そうに顔をしかめた。


「心配ないって。物理的に刺すわけじゃないんだ。痛みはないし、もちろん傷なんて残らない。だからさっきみたいに逃げ出したりしないでくれよ。めんどくせぇ」


 今度はフィリアが顔をしかめる番だった。


「そんなの! 説明もなんにもなしでいきなり剣を突きつけられたりしたら、誰だって逃げるに決まってるじゃない!」


「その通りです」


 心から同意したように、リュウはこれ以上ないというほど深く頷いた。


「おまえは黙ってろ! それに、おまえだったら絶対逃げないだろ!」


「逃げます。だって女の子ですから」


「うそつけ! おまえがそんなタマか!」


「逃げます。全長四十メートルのおばさんが剣を向けてきたりしたら逃げます」


「誰だって逃げるわ!!」


「それと同じことです」


「おれは全長四十メートルじゃないし、おばちゃんじゃない!」


「同じようなものです。全長四十メートルっぽいですから」


「そっちか! よりによってそっちか! せめておばちゃんっぽいって言ってくれ! いや、嫌だけ

どね! おばちゃんも嫌だけどね!」


 なんだか漫才みたいだ。

 と、いうかどう見ても性格正反対の彼らは、普段うまくやっていけてるのだろうか。

 などとフィリアはどうでもいいことが心配になってきた。


「あのさ、ケンカしてないで早くしてくれない?」


 フィリアが言うと、まるで宿敵を目の前にした闘犬みたいな顔で吠えかかっていたナナミは一瞬硬直。

 それから大きく咳払いして彼女に向き直った。


「わかってるよ。そんじゃ、いくぜ」


 剣を構え直し、ナナミは直前までの漫才が嘘のような真剣な眼差しを向けてきた。そして一歩、右足を大きく踏み込み、手にした剣をフィリアの心臓めがけて突き出した。


 刺さる!

 そう頭が判断するより早く、無意識に目をつぶっていた。それから数秒間……いや、実際はもっと一瞬のことだったのかもしれないが、とにかく時間が過ぎていった。

 すると不意に、なにかが輝くのを感じた。

 目をつぶっていてもまぶたを貫くような強い輝きだ。輝きは徐々に肥大化していき、自分とその周囲を包み込んでいく。

 だが突如、その輝きが消えた。それと同時に、自分を包んでいた空間が劇的に変化したのを感じず

にはいられなかった。


 空気がない。寒い。冷たい。これは……水?


 フィリアは一刻も早く夢から覚めようとするかのように目をカッと見開いた。だが皮肉にも彼女が目にしたのは、夢でなかったら説明のつかない事態だった。

 水だ。

 自分は水の中にいる。

 しかも水中のはずなのに地上にいるのと同じような速さで落ちていく。落下していく。深い水の中をどこまでも、どこまでも。

 このままではまずい。とっさにそう思ったフィリアは、なにか掴まる物はないかと周囲を見回した。

 だがなにもない。たとえ水の中を一キロ先まで見通せる視力を持っていたとしても、おそらくなにもみつけることはできないだろう。それほどまでになにもない、純然たる水の中だった。

 徐々に焦りの色が濃くなり、フィリアから冷静な判断力を奪っていく。ついに彼女はなりふり構っていられなくなり、手足をバタバタとめちゃくちゃに動かしてあがき始めた。


「落ち着いて。だいじょうぶだから」


 声は頭上から聞こえた。リュウだ。


「人は誰でも心に海を持っている。これはあなたの海。だから溺れるはずなんてない」


 いつも通りの淡々とした口調。しかし、彼女の落ち着き払った態度がこれほど心強く思えたことはなかった。


「ま、あんたが自分の心の海すら泳げないようなカナヅチだったらお手上げだけどな」


 驚いて横に顔を向けると、いつのまにかそこにはナナミがいた。こちらは相変わらず意地の悪い口調だ。

 フィリアは両手を胸に当て、落ち着くように自分に強く言い聞かせた。すると、今まで感じていた不安や焦りがスッと消えていく。まるで、周囲の澄んだ水が自分の淀んだ心を洗い流してくれるかのように。空気はないが、自然と苦しさも消えていった。


「そう。それでいいの」


「やればできるじゃねぇか」


 ありがとうという意味を込めて、フィリアは二人に笑いかけた。と、なんだか足下の方が明るくなってきたような気がした。


「この海を抜けた先があんたの心の中だ。着いたみたいだぜ!」


 ナナミの言葉が耳に届いた途端、意識が遠のいていくのを感じた。





「おい、起きろよ」


 頬を軽く叩かれ、フィリアは重たいまぶたを開けて目を覚ました。いつの間に気を失ってしまったのだろう。わからないが、とにかくここは水中ではないようだ。


「ここは?」


 半身を起こしながら周囲を見回してみると、そこは直前まで自分がいた造設地だった。つまりどこにも移動していないことになる。


「だから、あんたの心の中だよ」


 傍らで何事もなかったかのように腕を組んで立っていたナナミが、今さらなにを聞くんだというような口調で答えた。


「ここがそうなの? ホントに?」


「ウソついてどうすんだよ」


「いや、だって説明下手だから……」


「あんたまで言うか! そこまで言われるほど下手じゃないから! 地方局のアナウンサーくらいのレベルまではいってるから! だいたいこれ説明関係ないじゃん! 事実確認の問題じゃん!」


 なんだかよくわからない例えが入ったが、とにかく彼は必死だった。そこまで本気なら信じてあげてもいいだろう。


「でもなんか……ふつう」


 もう一度周辺の景色を見渡してみたが、やはりそこは先程の造設地だとしか思えなかった。他に誰も人がいないことも、置き去りのクレーン車も、放置された建築材料の束のようなものもそのままだ。とてもここが心の中だなんて考えられない。


「ねぇ、ホントにここがそうなの?」


 怒られることを承知の上でもう一度訊ねてみる。だが、意外にもナナミは笑っていた。まるで、いたずらを仕掛けた子どもが相手が引っかかる瞬間を待ち侘びているときのような笑みだ。笑ったまま、彼は上を指差していた。


「上見てみろよ」


「うえ?」


 言われたとおり、フィリアは首を後方に傾けて上を仰ぎ見た。

 あれは……海面!?

 そこにあったのは当然存在するはずの空ではなかった。海面だ。青い空の代わりに蒼い海が天を埋め尽くし、この世界を見下ろしている。


「すごい……」


 声と共に感嘆の息がもれた。圧倒的な光景だった。今まで信じてきた当たり前のもの、当たり前の世界。それが全部ひっくり返されたみたいな気分だった。


「これで信じたか?」


「うん」


 今度は素直に頷くしかなかった。こんなものを見せられては、ここがごく普通の世界だとはもはや言えるはずもない。ちょっと釈然としないが、ナナミの言うことを全面的に信じるしかなくなったわけである。


「でも、なんかちょっと荒れてるね」


 色は澄んでいてキレイだが、少し波が高いように思えた。

 こんなに広い海なのに、まるでなにかに怯えているようだ。それをずっと眺めていると、フィリアはなんだか自分も落ち着かなくなるのを感じた。


「この海はあんたの心だ。荒れて見えるのは、あんた自身の心が恐怖や疑問で荒れているから。だから落ち着けよ」


 なぜかナナミの言葉に素直に納得してしまった。これもまた釈然としない。


「ようするに、ここはもうあたしの心の中だってことよね?」


「そう」


 今度はリュウが答えた。


「ナナミの剣を使って心の海にダイブした。そして海を抜けたこの場所があなたの内面世界。ここがよく見知った場所なのは、あなたの記憶がこの場所を強く思い描いたから。だから内面世界はその人が住んでいる場所の姿をしていることが多い」


「あ、ダイブってのは、心の海に飛び込むことな。おれたちはそう呼んでるんだ」


 ナナミが補足のように言った。

 なるほど。すべてを理解できたわけではないが、なんとなく納得はできた。ようするにここはもう心の中で、よく似ているけど本物のサントヘルスの街ではないということだろう。うん、そうだ。それだけわかってれば十分なはず。


「よし! それじゃ、この街のどこかにその……時喰いってやつがいるのよね? そうよね?」


「そう」


「お、なかなか話がわかるようになってきたじゃねぇかフィリア」


 リュウはただ静かに頷き、ナナミはへらへらと軽口で返してきた。これだけいろいろなことが連続で起これば、いい加減耐性もつくというもの。フィリアは威勢よく立ち上がり、パンと手を叩いた。


「それじゃ、さっさとその時喰いってやつを見つけて倒してきてよ! あたしは安全そうなところで隠れてるからさ!」


 それで全部終わり。

 街のみんなにもあたしにも明日がやってきてハッピーエンドだ。そう思って元気よくはしゃぎ声を上げるフィリア。

 なんなら「がんばれ~」とエールでもおくってあげたい。

 だがフィリアはハッと気付いた。自分の発言を聞いたナナミとリュウが呼吸ごとピタッと動きを止め、絶句してしまっていることに。


「え? どしたの?」


 なにかまずいことでも言ったのかと思い、途端に額から汗が滴り落ちる。すると、目の前で数秒間硬直していた二人は、息がかかるほどの至近距離で顔を向かい合わせ、なにやらコソコソと小声で密談を交わし始めた。


「おれ……またやったか?」


「完全に説明不足です。いい加減にしてください。そんなに口で説明するのが苦手なら、もういっそ手紙とかで伝えた方が早いんじゃないですか?」


「早いわけあるかぁぁ!! いろいろ大変だろうが。切手代とか。配達員さんの手間とか」


「なんでポストに入れる気マンマンなんですか。手渡しすればいいでしょ、会うんだから」


「それじゃ手紙の意味がないだろうが。手紙はわざわざ手渡しされるために生まれてきたわけじゃないんだぞ! 手紙としての尊厳を考えろ!」


「これを説明してなかったのはまずいですね」


「流すな!!」


「今からでもいいから言ってください。ちゃんと謝ってから」


「なんでおれが謝るんだよ。だいたい、いつも通り最初に言ったぞおれは」


「あんなのじゃ相手に伝わらないと、何度言ったらわかるんですか? アホですか? バカですか? その銀髪は白髪ですか? もうボケが始まってるんですか?」


「誰が痴呆老人か!! この髪は生まれつき! おまえだって知ってるだろうが! だいたい……」


「ちょっと二人とも!!!」


 いい加減ツッコまないといつまでも漫才が終わりそうにないので、仕方なくフィリアは大声で二人を遮った。


「ナナミ……またなんか説明し忘れたの?」


 鋭い視線を向けて問いかけると、ナナミは気まずそうに目を逸らした。


「忘れたのね?」


「いや、忘れたわけじゃない。忘れたわけじゃないぞ」


 もう一度問うと、今度は弁解するような答えが返ってきた。

 この焦りっぷりを見ればわかる。忘れてたなこのやろう!


「フィリア、おれ最初に言ったよな。この物語の勇者はあんただって」


「言ったわね」


 フィリアはナナミたちと出会った直後のことを思い出した。たしかにそんなことを言っていた気がする。


「つまりそういうことだ」


「ぜんぜんわかんないんだけど!」


 我慢できなくなってフィリアがイラついた声を出すと、ナナミもカッとなったのか、髪の毛をかきむしって声を荒らげた。

 でも思う。それは逆ギレだ。


「だから! あんたじゃなきゃだめなんだ!」


「はぁ!?」


「時喰いを倒すのは、あんたの役目なんだよ!」


 数秒間、フィリアは思考が凍りつくのを感じた。そしてだんだんと視界がぼやけて頭がくらっとしてくる。

 

 もう一度気を失ってしまうのではないかと思うほどに……。

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