みんなの明日
着替えを終えると、フィリアたちバスケットボール部一同は校門の前に集まった。
「みんな、明日はがんばりましょうね」
チームキャプテンのセーヌが声をかけると、一同は「おー!」と握りこぶしを掲げた。
全員うら若き女子生徒のはずなのに、その声は剛健な武道家のような気迫に満ちていた。
「明日のために今までがんばってきたんですもんね!」
女子生徒の一人が弾んだ声で言った。すると、周りの生徒たちも一斉に騒ぎ始める。
「あたし暴れちゃうよ~」
「そうだね。明日は力いっぱい暴れちゃおう!」
「明日は、絶対に一番得点取るんだから」
「な~に、言ってるのよ。あんたがセーヌ先輩に勝てるわけないでしょ」
「うっ……そりゃそうだけどさ」
彼女たちの話を聞き、セーヌはいつもの上品な笑みを浮かべた。
「あらっ、そんなのわからないじゃない。明日は勝負ね」
セーヌが言うと、女子生徒は「光栄です!」とばかりにうれしそうにぴょんぴょん飛び跳ねた。
楽しそうに語らう仲間たち。その輪から一人だけ外れ、フィリアは彼女たちの様子を眺めていた。
みんな、明日の試合を楽しみにしている。今日が終われば明日がやって来ると信じている。
光り輝く明日が待っていると信じている。微塵も疑っていない。
明日がやって来ないなんて……。
ここにいるみんなだけじゃない。この街の人全員がそうだ。
ごく自然に明日がやって来るのを、一ミリも疑わずに信じている。信じているから、どんなに辛い
ことがあっても今日を生きていける。
でも、明日は来ない……。
「どうしたのフィリア?」
不意に声をかけられ、フィリアは思い切り仰け反ってしまった。
「なんか顔色悪いみたいだけど」
少し膝を曲げ、セーヌが心配そうに顔を覗き込んできた。
「いや、だいじょうぶです。なんでもないです」
「ホントに? 無理してない?」
「だいじょうぶです。ホントに。ホントに」
心配をかけまいと無理して笑顔を作ったが、自分でもうまくできていないのがわかった。口元はひきつっているだろうし、目だって笑えていない。
だが次の瞬間、その作り笑顔さえも凍りついてしまうことが起こった。
校門から少し離れた先にある体育館の壁。その壁の一部が黒く歪んだのだ。歪みはだんだんと集まり始め、同時にフィリアの胸に緊張が走る。どうしよう。こんなところで。みんながいるのに。
考えがまとまらないうちに、黒い影はもう形を成してこちらに向かって進み始めていた。
だがそのときフィリアは気付いた。あまりの殺気で充血したような赤い瞳は、真っ直ぐに自分だけを直視している。まるで他の人など見えていないかのように。
フィリアは自分を囲うチームメイトたちの顔をうかがった。位置的に見えていないはずはないのに、彼女たちは黒い影に気付いていないようだった。どうやらみんなには見えないようだ。そして向こうもあたししか見えていないのだろう。
だったら!
「みんな、セーヌ先輩! それじゃ、また明日!」
軽く手を振ると、フィリアは怪訝そうにしているチームメイトを振り切って全力で地を駆けた。背後から自分を呼ぶ心配そうな声が聞こえるが、今は気にしていられない。
一刻も早くここを離れないと!
とにかく走った。人のいない方へ。誰もいない方へ。
今度は背後を振り返らなかった。
そんなことに時間を費やすよりも、少しでも遠くへ走りたかったからだ。
やみくもに走っていると、小さな造設地に出た。なにか巨大なビルでも建てる気なのか、敷地はか
なり広く、何台かのクレーン車が無造作に停められていた。
ここなら大丈夫だ。ここなら自分に巻き込まれて、他の人まで襲われたりする心配はない。
そう思った途端、フィリアの膝からがくんと力が抜けた。練習の直後だというのに酷使しすぎたらしい。しばらくは一歩も歩ける気がしない。そこで初めて彼女はうしろを振り返った。
黒い影は、思いのほか至近距離まで迫っていた。今にもその鋭い牙で噛みついてきそうなほどに。
「ふせろ!!」
側面から飛び込んできた大きな声に驚いている暇はなかった。声と同時に、その声の主本人が飛び込んできたからである。
ナナミはフィリアの肩を抱きかかえるように掴むと、そのまま自分を上にして強引に体を伏せさせた。
その刹那、筒状の水流が自分たちの上をかすめていくのが目に入った。そして響く、なにかを射抜く音。フィリアが慌てて身を起こすと、そこにあったのは胴体の中心がきれいに貫かれた黒い影。どうやら自分めがけて飛びかかってきたところを、リュウの銃で撃たれたようだ。
「助けるのはこれで何度目だ?」
「ありがとう……」
呆れたように言われてついお礼を言ってしまったが、ふと気付いた。リュウはともかくとして、ナナミに助けられたのなんてこれが初めてだ。
「まったく、あんまり手間かけさせんなよな」
服についたほこりを払いつつナナミが言うと、リュウが腰に銃を収めながら近付いてきた。
「いいえ。あの場合はナナミが悪いです」
「なっ、しつこいぞ、お前!」
「でも事実」
目の前で言い合うナナミとリュウだが、正直そんなことはどうでもよかった。自分は死ぬところだった。執拗に追いかけられて、死ぬところだった。その事実が今になってフィリアの体を芯から冷や
し、身の毛がよだつのを感じた。
「ねぇ、どうしてあいつらは、あたしだけを狙うの?」
まだ立ち上がることができず、地べたに腰を据えたままのフィリアが恐々とした声で問う。すると、言い合っていた二人の動きがピタッと止まり、一呼吸置いてからナナミが口を開いた。
「そういえば、それを言い忘れてたな」
「やっぱり説明下手」
ナナミは壮絶になにか言い返したそうにリュウの顔を見たが、結局は舌打ちだけしてフィリアに向き直った。
「この時間異常が発生したのが夜十一時。それから一時間の経過……つまり零時になったとき、この街の明日は永遠に奪われる。それは話したよな? わかるか?」
フィリアは必要以上に大きく頷いた。
「だがもう一つ、時喰いがこの街の明日を奪う方法があるんだ。それは宿主を……あんたを喰い殺すこと」
体の全神経が凍りつくのを感じた。それと同時に、牙を剥き、大口を開けて襲いかかってきた黒い影の姿が脳裏に蘇る。
「あんたを殺すということは、つまりその先にあったはずの未来を奪うことにつながる。あんたの明日が永遠に奪われたとき、この街の人全員の明日も奪われるんだ」
まだ体中がぶるぶる震えているのを感じたが、これで納得はいった。そしてわかった。
逃げ道なんて……初めからなかったんだ。
「ねぇ、ナナミ」
「なんだよ?」
「時喰いってやつを倒さなかったら……この街のみんなには永遠に明日が来ないんだよね?」
ナナミはすぐには答えなかった。一瞬……のはずだけど永遠に感じられる沈黙を通り過ぎ、彼はようやく真摯な目を向けて頷いた。
「そうだ」
その答えを聞いたとき、息が詰まるのを感じた。胸の鼓動が高鳴り、そのせいで心臓が空気を送るのを忘れてしまったかのような感覚だった。
みんなの笑顔が思い浮かぶ。明日がやって来ることを疑わず、楽しみに待っているみんなの笑顔が。でもこのままじゃ永遠に明日はやってこない。あたしのせいで……。
そんなのダメ。
「あたし……がんばれるかな?」
震える声で言ってから、顔を上げてみた。ナナミは微笑んでいた。あと一歩の勇気を与えてくれるような、優しい笑みだった。
「それを決めるのは、あんただろ。フィリア」
笑顔のままちょっと首を傾け、彼は言った。その笑顔を見ていたら、自然と笑うことができた。まるで冷め切っていた心が、温められていくみたいな感触。だから思えた。
あたしは、がんばれる。