第九話:特待クラス・前編
入学式である。過ぎてみればやはり一ヶ月という期間は短く、気がつけばこの日が来てしまったという感覚だ。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ。しっかりな」
入学試験を受けた日のように、私達は校門で別れの挨拶を交わしていた。
アリエッタにとっては、三年の別れの始まりでもある。
ここの所は特に甘えてきていたので、別れは辛いだろうと考えていたが──その顔には活力がみなぎっており、瞳には強い意思の光も感じさせている。
学校へ通う事を嫌がっていた期間もあったが、今ではすっかりと学校を楽しみに思う心も戻ってきたようである。
私の心配事の一つは杞憂に終わったというわけだ。我が弟子を見くびっていた事を恥じねばならないな。
それを寂しく思う気持ちはあるが、弟子の成長は素直に嬉しくもある。
「今のお前ならば心配する事もないな。存分に楽しんでくるといい」
「はい! これも、先生のおかげです」
──まあ、少しばかり謙遜が過ぎるきらいもあるが、それもここで己の力を確認すれば改善されていく事だろう。
私は何もしていないというのに、なんとも謙虚な事だ。思えば、試験の日からめきめきと明るく、前を向くようになった気がする。あれも一周回って、己の実力を正しく評価するための糧になったという事だろう。
アリエッタはもう一度、私に大きく手を振りながら行ってきますと残し、学園へと歩いていった。
これで一つ、師匠としての私にも区切りが付いたというところだろう。
ここからは『テオ=イルヴラム』はしばらく休業だな。
認識阻害の魔術を使い、人々の目を遠ざけながら若返りの魔術を使う。
そうする事で『テオ=イルヴラム』は暫しこの世界から姿を消し、代わりに学生の『テオドール=フラム』が学園を訪れる事になるのだ。
認識阻害を解き、じわりじわりと私は周囲に認識されていく。仰々しいローブを纏っていた先程の姿とは違って、私へ振り返る者は居なくなっていた。
どうやら違和感なく溶け込めているようである。
早速私は入学式の待機場所として知らされている教室へと向かった。
横開きのドアを開くと──そこには少年少女たち。
同年代の中でも特に魔術師として優れた『特待クラス』の面々が目に入ってくる。
その中には当然──
「テオドールさん、お久しぶりですね」
「アリエッタか。試験以来だな」
我が弟子、改め我がクラスメイト。アリエッタ=ペルティアの姿も有った。
駆け寄ってくるアリエッタ──テオ=イルヴラムならそれを抱きとめる事になるのだろうが、ただのテオドールではそれも出来ない。こればかりは少しもどかしいな。
だが、やはりアリエッタもテオドールに私と近しいものを感じているのだろうか? その表情は笑みに染まり、非常に友好的だ。
「お互い、同じクラスになれたな。よろしく頼む」
「はいっ! 本当に嬉しいです。おかげで、楽しく学校生活を送る事ができそうです」
人懐こい笑顔に、つられて私も笑みを浮かべる。
弟子として迎えたばかりの頃に比べて、明るくなったものだ。
これならば、友人も沢山出来るだろう。これほど可憐だと悪い虫の存在が心配ではあるが。
ふと、先程まで活気に満ちていた教室が、静かになっている事に気がついた。
違和感が気になり辺りを見回してみると──特待クラスの生徒達が、私とアリエッタに視線を向けている。
「あの二人が唯一課題を達成したっていう……」
「男の方は結界ごと破壊したそうです」
何事かと思ったが、なるほど。聞こえてくる密かな話し声を拾えば、話題に登っているのは概ね試験の日の事だった。
少しばかり力を見せすぎたようだ。当然ながら私のあとに魔石を傷つける者はいなかった。受験者一万人以上で達成者が二人、とあっては注目を集めるのも当然の事か。
受験者は一万人を超え、合格者はその二割程度。その中でこの特待クラスに在籍しているものは僅か三十名──その中にあってさえ異質な二名の存在だ。視線の種類は様々だが、警戒する気持ちはわからんでもない。
が、このままではアリエッタが身を置く環境としては好ましくないな。
なんとかクラスに馴染めるよう取り計らいたいが──人付き合いは自信がない。私が取れる手段など魔術による洗脳くらいしかないので困ったものだ。
こういう視線に慣れている私ならばともかく、アリエッタには好ましくない──と考えていると、教室のドアが音を立てて開いた。
「そろそろ入学式が始まります。生徒の皆さんは出席番号順に列を作ってください」
どうやら、入学式が始まる時間になってしまったようだ。
ひとまずこの問題は後に置いておくとしよう。
名前の頭文字で決まっているらしい出席番号に従って並ぶと、私の前には見覚えのある金髪が揺れていた。
この少女は、気になった生徒の内一人だ。
筆記試験では恐らく全問正解、実技でもアリエッタに──大きく離れているものの──次ぐ結果を出していたと記憶している。
まじまじと金髪の揺れる様を見つめていると──
「……! っ」
視線に気づいた少女が振り返り、驚いた顔をしてから、私を睨みつけて再び前へと振り返った。
……ふむ? 視線が鬱陶しく感じたのか、はたまた他の理由か。あまり好かれてはいないようだ。
まあ、よい。
アリエッタ以外の者にどう思われようと、私にとってはどうでもいい。
それきり少女を観察する事もなく、私は列について歩いた。
そうしてたどり着いたのが──強固な防御魔法が施された講堂だった。
要人が集まる場所でもないのにこれほどの防御魔法を施すからには、講堂といいつつも普段の用途は修練場のようなものなのだろうと推測できる。
同じ方へと集められた生徒たちの視線の先には壇が有り、その上には学園の教師陣が立っており──その中、一際目立つ位置にガーディフが立っていた。
「諸君、よくぞ参った。ようこそ、このセントコート中央魔術学園へ。我が名はガーディフ=ゴードリック。この学園の長を勤めておるものじゃ」
入学式とは何をするのかと思えば、何の事はない。これからの心構えや生徒たちへの激励が目的の会であるらしい。
特待クラスの面々を見るに、心構えなどはとっくに済ませている者達ばかりだろう。その存在意義については疑問的なものだ。
だが──
「本物のガーディフ=ゴードリックだ……!」
「あ、あれが世界最強の魔術師……!」
「王都を包囲する竜を一人で撃退したっていう、あの!」
生徒達にとって、ガーディフ=ゴードリックという名前はそれだけで効力があるようだ。
三界戦争で名を馳せた、文字通りの生ける伝説。勇名はそれだけに留まらず、何度も世界を救っている最強の魔術師にして平和の象徴──というのが、人々にとってのガーディフだ。
生徒達のざわめきを満足気に見つめたガーディフは両腕を掲げる。
すると講堂の中に赤の、青の、緑の──地水火風、氷と雷。あらゆる属性の魔力球が発生し、踊るように動き始める。
「すっげえ……! 全属性の魔術を、こんな数……!」
「キレイ……なんて優美な魔術なの……」
多種の属性の魔術を、同時に、精密にコントロールする。しかもそれは広範囲に、自らの身体から離した状態で生成されている。魔術を使う上で難しいとされる高等技術を全て詰め込んだような、称賛に値する演技だ。
これだけ精密な動作が出来るのは、表の社会には二人と居ないだろう。
「皆、厳しい試練を、長い研鑽の日々を超えてよくぞ我が校へと参った。わしらは揃って君達を歓迎し、全力を以て力になると宣言しよう!」
世に二つとないような技術と共に激励をかけてみれば、講堂の中は歓声に満たされた。
誰かの技術に湧く、という経験はもう長い事覚えがないが、苦労して入った名門でこの様な経験をすれば気分も高まるというものだろう。
「で、あるからして──諸君らには決して気負わず、伸び伸びと自らを育んでほしいと──」
そんな英雄の話も、なんて事はない老人の長話なのだが。
それでも生徒達の殆どが熱心に耳を傾けているあたり、ガーディフという男の存在の大きさを垣間見る事が出来る。
だが私には少しばかり退屈だ。
私は知っているぞ。年寄りを好き勝手に喋らせていれば、話が止まる事はないのだと。
「(話が長い。要点だけ伝えろ)」
「(……テオどの! そんなご無体な……わしの一年に一度の楽しみだというのに……)」
念話でガーディフにさっさと話を切り上げさせると、私は久方ぶりに感じる疲れにため息を吐き出した。
「……では、わしの話はここまでとしよう。これより先は年寄りの冷や水、後は諸君らの物語じゃ」
さも潔いだろうと言わんばかりに話を打ち切るガーディフ。私が言わねば延々話を続けていただろうに、なんとも見栄っ張りというか。
だが周りの生徒からは好評のようだ。『多くは語らないという事か』といった声が聞こえてくる。
「これにて入学式は終了とする。各々の教室へは上級生の皆さんが引率してくれるぞ。来年は諸君らが彼らの立場となるので、その姿をよく見ておくがよい。それでは皆、良い学園生活を!」
そそくさと会を終えたガーディフは、努めて威厳を保ちながら壇上を後にした。
周りの反応は興奮冷めやらぬと言った様子で、年寄りの長話でも威厳の貯金は残ったらしい事が伺える。
会も終わり、教師達が何やら話し合っている一方で、生徒達は先輩らしい生徒達に釣れられて会場を後にしていく。
「君たちの引率は俺達が任された。特待クラス二年のルード=ヴォディスだ」
「同じく二年のターナ=メルシェンだよ。よろしくね~」
私達特待クラスを引率するのは、やはり特待クラスの上級生のようだ。
歩きがてら、力を測ってみれば──なるほど、それなりには質の良い教育を受けていると見える。二人の魔力量は一年特待クラスの平均を大きく上回っている。二年特待クラスの中でも一番、あるいはそれに準ずる実力の持ち主なのだろうと察するが、一年時はこれほどのものではなかったのだろう。
それでも、アリエッタに比べると数段見劣りするが──
「では、俺達はこれで。君達の成長を祈っている」
「またどこかで会ったらお話してね~」
ともあれ、一年特待クラスの誰かがこのレベルまで成長できると考えれば、最低限アリエッタの実りになる事は期待ができた。特待クラスを受け持つ教師は、それなりの実力があるのだろうから。
教室に帰ると、板書用の器具には机の並びに番号が振られていて、各々の出席番号に対応しているのだとわかる。
「席が離れているな」
「はい。残念ですが、また後ほど」
それによると──アリエッタとは大分離れている席だ。
これはいけない。どうせなら、やはり近い席を確保したいところだ。席を決めるのにくじ引きでもあれば結果を操るくらいは容易いのだが──
辺りを見れば、皆行儀よく座っている。直に担任の教師が来るらしいので、それを待っているのだろう。
私も周りに倣い、自分の番号が割り振られた席へと腰をおろした。
微かに聞こえてくる生徒達の会話に耳を傾ければ、話題は担当教諭の話で持ち切りと言ったところだ。
これには私も少しばかり興味があった。
教師を待つ心境は他の生徒達とは違うものだったが、それでも興味を惹かれ、待っているのは同じ事だ。若返ったような不思議な心地よさに、口の端が笑みを作る。
さて、やって来る教師はどの様な者か。
世界最高峰の教育機関、その中でも特に優れた者を集めたクラスを担任する教師。まだ見ぬその姿に想像を膨らませていると、ドアが開いた──