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第四十話:若者たちの時代

「お待たせしました皆様! これより若鳳杯決勝戦を開始いたしますッ!」


 硝子越しの視界の先、音を広げるための魔道具を強く握りしめた男が叫ぶ。

 男に煽られる観客席の興奮は最高潮──壁と硝子で守られたこの特別観戦席でさえ、声による揺れが伝わってくるようだ。

 この外では、海さえ割る様な歓声が響いているのだろう。

 それが私にはよく分かった。何故ならば、私でさえ気分が高揚しているのだから。


「お疲れ様でしたのうテオ殿。此方葡萄のジュースです。よろしければ如何ですかな」

「あの程度で疲れたということもないがな。飲み物の方は貰おう」


 腰を低くして飲み物を持ってきたガーディフから、コップを受け取る。

 明らかなご機嫌取りに苦笑するが、こんな事をされずとも今は機嫌が良いと言うに。


「とうとう始まりますなあ」

「全く、随分と待たされたな。が、その甲斐はありそうだ」


 途中何やらしょうもない邪魔が入ったが、それも今となってはこの瞬間を焦らしていたと思えばよい。


「それでは選手の入場です! 所属はセレスタス魔術学園! 使用者が少ない闇の魔術を操り、卓越した槍術を見せる少女! ヴィオラ選手!」


 しかしまあ、随分と盛り上げるものだ。

 いや、演出としては嫌いではない。腕を突き上げる者も珍しくない観客の反応を見れば、きっとアレで正しいのだろうとも思う。

 当人がどう思うかは別として、だ。

 顔を真っ赤にして顰めているヴィオラ。何やら口を動かしている。愚痴の一つも言っているのだろう……どれ。


「く……んだよこれ、バカじゃねーのか……恥ずいったらない……」


 『魔術師の眼』の耳版とでも言うべきか。耳を近づけてみれば、予想通りヴィオラの小さな口は愚痴をたれ流していた。

 なんとも微笑ましい光景に笑みが溢れる。

 人の目も慣れると気にならなくなるのだが。多感な年頃でこれは中々効くだろう。

 顔をうつむかせて歩いてきたヴィオラは、それでも開始線にたどり着くと勢いよく顔を上げた。その凛々しい姿にまた歓声が湧くが、もうヴィオラの顔は崩れなかった。

 なんとも胆力のある娘だ。アリエッタの力はここまで見てきて、思うところがないわけは無いだろうに。まっすぐと前を見つめる瞳は眩しい。


「続いてセントコート魔術学園所属! アリエッタ=ペルティア選手! その魔術の出力は圧倒的! 一回戦の『ファイアボール』で度肝を抜かれた方も多いのではないでしょうかッ!」


 ヴィオラの入場が済んで、アリエッタの名が呼ばれる。

 此方もまた凄まじい大歓声だ。

 申し訳無さそうに縮こまりながら、やはり観客から寄せられる支持に手を振って返す。

 少し恥ずかしそうだが、対応が丁寧なのはアリエッタらしいというか。


「さあ、両者揃いました! ではお二人に意気込みを聞いてみましょう!」


 司会の言葉に、アリエッタとヴィオラ、二人の表情が驚愕に染まる。

 ここまではそういう事もなかったので、完全に虚を突かれた形になるのだろう。

 くつりと喉が鳴る。意外な一面を見たと言うか、見慣れぬ一挙一動が微笑ましい。


「まずはヴィオラ選手! 決勝戦に臨む意気込みはありますか!?」


 しかしそんな事はどこ吹く風、司会は拡音の魔道具をヴィオラへと突きつける。

 ぐっと息を詰まらせるヴィオラだったが、詰まった息を飲み下すと、眼に決意の光が灯る。


「あー……なんのことかわからないと思うけど、この試合にはちょっと賭けてるもんがあってね。……いや、ちょっとじゃないな。すごく大切なもんが賭けられてる。だから絶対に負けない。こんなもんでいいか?」


 緊張も戸惑いもなく、ヴィオラはそう言い切った。

 その視線は司会でもアリエッタでもなく、特別観戦席の私を貫いている。

 ……これは、予想外だった。これはアリエッタへの宣戦布告ではない。

 私への宣戦布告だ。アリエッタに対しては、挑発行動と言ってもいいだろう。


「気合十分という言葉が聞けました! それでは、アリエッタ選手にお気持ちを伺ってみましょう!」


 それを受けて、アリエッタはどうするか。

 瞠目したアリエッタが、静かに眼を開く。


「……」


 そして、眼を開いた。


「私には、最高の先生が居ます。魔術だけではなくて、私という人間にとって、何よりも大切な事を教えてくれた、かけがえのない人です。だから、絶対に勝ちます。先生の為に、そして自分のために」


 決意を込めて、勝つと。そう言い切った。

 私にとって、少しだけその言葉は意外だった。

 謙虚で、自分に対する自身のなさを時折垣間見せるアリエッタが、強い言葉で前向きな言葉を発したことに。

 ……これは、予想だにしない事になった。

 この一戦、私が考えているよりも遥かに大きいのかもしれない。


「アリエッタ選手もやる気に満ちているようです! これは若鳳杯の歴史に残る名勝負が期待できそうですね! それでは、決勝戦の方始めていきましょう!」


 更に煽る司会──だが、最早この二人にそれは必要あるまい。

 お互いに漲る魔力を見れば一目瞭然だ。

 この試合は、ここに至るまでのどの試合とも『違う』。


「お互い、構えて! 若鳳杯決勝戦──試合、開始ィッ!」


 大歓声の中、試合場から退避した司会が腕を振り下ろす。

 本当の戦いが、今幕を開けた。


「まずは小手調べといくぞっ!」


 瞬間、観客たちは悟っただろう。

 彼女らが、今までのどの試合でも本気を出していなかったことを。

 そして今も。

 槍を回転させながら、ヴィオラが構える。弓を引くように下げられた槍に魔力が満ちていく。

 ここで、早速使うか。いや、ここをおいては他にあるまい。

 ヴィオラの槍に宿った魔力が、祀神器『天底の槍』を通して、別のモノに──『星』の魔力に変換されていく。

 ぴくりとアリエッタの眉が動く。魔力の変質を感じ取ったのだろう。僅かな困惑により、最大限の警戒が呼び起こされる。

 地を擦るようにして、低い位置から勢いよく天底の槍が振り上げられる。


「『グレイブウォール』!」


 まるで、地をひっくり返すよう。少なくとも、観客の眼にはそう映ったろう。

 槍の動きに合わせ、放たれたのは暗黒の波だ。高くそびえ立つ様な闇の力場が、広く高くアリエッタへ押し寄せる。

 試合開始そうそう超範囲、高密度の魔力が放たれる──それだけでも、凄まじいモノだ。だが、それだけではない。

 気付け、アリエッタ──! ふと、祈るような思考でいる自分がいた。

 凄まじい威力の魔術だが、この程度ならば今のアリエッタならば一息で返せる。防御だって、容易いだろう。だからこそ『星』の魔力が活きてくる。

 普通は、相手の攻撃魔法を前にした場合、攻撃魔術による相殺か、魔力の盾や鎧を纏っての防御を選択するだろう。

 だが、星の魔術と対するのならば、そのどちらも無意味となる。

 星の魔術の性質。それは『攻撃力を持たない魔力ダメージ』だ。

 攻撃魔術による相殺を狙えば、星の魔術自体が攻撃力を持たないため、お互いが素通しとなる。防御魔術の場合は防御に使用された魔力というリソースそのものを食らい、その上で力が余れば対象者の魔力をまた減らす。

 つまり──方法を問わず、あらゆる『防御』という行動ができないのだ。

 星の魔術への対策はたった一つ。『回避』のそれのみだ。

 言うならば初見殺し。相殺も防御もすり抜ける攻撃というのが、天底の槍を開発した際のコンセプトだ。

 『初見殺し』を狙うのならば、回避が困難な程の超範囲攻撃というのは優れた選択といえるだろう。広範囲攻撃というのは効果範囲を絞っていないぶん、力が分散するため防御が容易くなり、当然回避は面倒になる。

 手の内の明かされていない、この貴重な初回を使うのに、これ以上の選択肢はほぼ無いと言っていい。学生レベルを超えた高難度の技術を選択肢に含めれば──『必中』の性質を持つ攻撃が候補に上がるくらいだ。

 迫る津波を前にして、アリエッタの視線が鋭く研ぎ澄まされる。  

 杖に魔力が集う。『シールド』はアリエッタの得意な魔術だ。が、しかし──

 はっとした表情。後にアリエッタは、凄まじい速度で飛び退き、結界を足場にしてヴィオラへと飛びかかる。壁の更に高くから、杖に炎の剣を纏わせたアリエッタの姿が飛び出ると、ヴィオラは一瞬だけ驚愕の表情を浮かべた。


「よし……!」


 私は思わず、拳を握る。

 あの初撃をよくぞかわした……! それもシールドを生成しかけたあのタイミングから回避を選択したのは見事だと言う他無い。

 少々の違和感を残しつつも、私は歓喜していた。


「ほ……! アレを避けるとは……!」


 ガーディフも思わず驚愕の声を上げていた。『天底の槍』の性能は奴も知っている。

 これで終わりだろうと考えていたのか、試合がまだ続くことへの歓喜も混じっていた。


「やあッ!」


 試合はまだ続く。それを再認識したのは、ヴィオラもだろう。

 気合と共に炎の剣が振るわれる。

 ヴィオラはそれを、魔力を纏わせた槍の柄で防ぐ。咄嗟のことで反応が遅れたのだろう、流れるように繰り出されるアリエッタの蹴りが腹部を打つ。


「けっほ……! てめぇっ!」


 悪態を吐くヴィオラだが、既にアリエッタは剣を振りかぶり迫っている。

 振り下ろしを再び柄で防ぎ、踊るように回転を交えてもう一度振り下ろされる剣を、なんとか体を反らして回避、意趣返しの様に蹴りを放つ。

 しかしアリエッタは落とす剣に身を預けるように体勢を落とし、蹴りを回避する。

 右肩の辺りへとやられた左手に、魔力が灯る。


「『スカーレットニードル』!」


 左手が一気に振り払われると、三本の炎の針が放たれる。

 ヴィオラは後方へ飛び退きつつ、槍を回して針を打ち払った。

 こうなると、武器による戦いはヴィオラに分が出てくるか。


「そらそらッ! いくぜっ!」


 天底の槍のリーチを活かし、間合いを調整してからの突きの連打。

 初撃を避け、アリエッタは『シールド』を発生させる。

 が──


「っ」


 突きの連打が止まない。横に降る雨の様に不規則かつ高速の連打に盾が削れていく。

 このままでは防御を突き破られると判断したアリエッタが取った選択は、槍の一突きを見極めて盾を消す事だった。

 突きによる衝撃の拘束から解き放たれ、飛び退くことで雨のような連打から身を逃す。


「ちっ……やるじゃん」

「貴方も。流石はフレア様のお弟子さんですね」


 互いに交わすは称賛の言葉。しかし僅かにヴィオラが眉を顰める。


「いい気になるなよって!」


 戦いの苛烈さは変わらない。

 ヴィオラが槍を掲げると、槍を巡る魔力が穂先に集う。


「『シャドウレイ』!」


 すると、穂先からアリエッタに向かって星の煌めきを持つ光線が放たれた。


「!」


 しかし、アリエッタはサイドステップでこれを回避した。

 ……明らかに、槍を通した魔術を警戒している!

 掲げられた槍からは二度、三度と光線が放たれるが、アリエッタはこれをやはり横へ跳ぶことで回避しつつ、少しずつ距離を詰めていく。

 そして一足で届く距離へと到達すると、炎の剣を振るい、刃を放り投げた。


「やべっ……!」


 慌てて身を屈めるヴィオラ、しかしこの距離でこの隙は致命的だ。

 併せて跳ねたアリエッタの蹴りが、ヴィオラの顎に突き刺さる。


「~ッ!」


 軽々と体を浮き上がらせるヴィオラに、すかさず炎の剣を再出現させて斬りかかる。

 しかしまだ終わらない。ヴィオラの双眸は未だにアリエッタを捉えている。

 なんとか槍を立てて構えたところに、アリエッタの剣が柄を叩く。

 無防備な状態、踏ん張りの効かない空中での衝撃に、ヴィオラの体が弾き飛ばされる。

 地面に叩きつけられるも、同時に地面を殴るようにして乱暴に体勢を立て直す。

 かなり痛かったと思うが、逆に闘志はみなぎっているようだ。


「やりやがったな……!」


 槍を構え直し、今度はヴィオラが駆ける。

 薙ぎ払いからスタートし、叩きつけ、突き──その動きはまさに変幻自在。

 近接攻撃の連続──しかしこれが中々厄介だ。


「……近接戦闘も教えておくべきだったか」


 ヴィオラの『槍術』。まさしく驚異と呼ぶべきだろう。

 魔力で勝るはずのアリエッタが、防戦一方になっている。

 効率的な体捌き、槍を持つ場所を変えることで遠近を自在に変化させるヴィオラから、逃れることが出来ないのだ。


「ッ、く……!」


 そして下段への薙ぎ払いを跳んで避けてしまう。

 無防備な空中に追い詰められたアリエッタの腹部に、強烈な蹴り。


「あがっ……げほっけほっ……!」


 なんとか着地するも、苦しそうだ。傷自体は軽症だろうが、腹部への攻撃は効く。

 冷や汗が浮かぶ思いだ。気がつけば、拳を握りしめて応援していた。

 だがこれは勝負。相手が弱ったところこそ好機。


「食らえよッ!」


 大上段からの槍の叩きつけ……!

 なんとか炎の剣で防ぐアリエッタだが、上から押さえつけられる形は少々形成が悪い。


「ぐ、ぐ……」


 噛み締めた歯の奥から声が漏れている。

 お互いに力を抜けない状況──だが、今不利な体勢でいるアリエッタにはその辛さもより大きいだろう。

 だが、アリエッタもまた、負けん気が強い。

 徐々にだが、膝が伸び、立ち上がる様にして槍が持ち上げられていく。

 体術では勝てない、がやはり魔力ではアリエッタが勝っている。

 なにより──困難に置かれても立ち向かう心が。


「は、ああああっ!」


 とうとう立ち上がったアリエッタが、叫ぶ。

 裂帛の気合とともに、剣が振り払われて槍を打ち払った──!


「なっ……!」


 こうなると不利になるのはヴィオラの方だ。

 槍を跳ね上げられる形で弾かれた為、腹部がガラ空きになる。

 そこへ、アリエッタが手をかざす。

 手に集めた魔力を、放出する。名前さえない技術。

 だが凄まじい速度で打ち付けられる魔力の塊は、拳と一緒だ。

 「ごほっ……!」


 ヴィオラの体が屈むように曲がる。

 しかしアリエッタは追撃を加えず、力なく距離を取る。

 今のやり取りで、大きく消耗したようだ。無属性の魔力を攻撃に使うというのは、非常に燃費が悪い。拳で殴りつけるほどの威力を持たせるには、かなりの魔力を消費したはずだ。


「はあっ……はあ……」


 呻くヴィオラを注意深く観察しつつも、息を整える。

 知らず、私も大きく息を吐いていた。

 二転三転する戦いに、息継ぎを忘れていたらしい。

 戦いというものに緊張感を感じた事はほぼなかったが、これは自分のもの以上に心臓に悪い。


「流石、ですね……まさか、これほどまでとは思いませんでした……」

「……へへ、それはどうも。あんたも大したもんだよ。流石は──あいつの、弟子だ」


 またも、お互いを認め合う言葉。

 本心の言葉だろう。しかし、先程以上の緊張感に包まれている。


「それでもあたしは……勝ちたい。あんたに勝てば、あいつに、認めてもらえるかもしれない」

「勝ちたいのは──私も一緒です。あの人が期待してくれている。だから私は……勝つんです!」


 相手を称賛することで、奮い立つ。

 境遇こそ似ているものの、二人は正反対だと考えていたが、案外二人共似た者同士なのかもしれない。

 勝ちたいという言葉は、負けたくないという言葉の裏返し。障害が大きいほど、燃え上がるのだろう。


「これで、決めます……!」


 だが、既に限界は近い。

 ヴィオラとの近接戦闘は、大きくアリエッタの体力と魔力を削っていた。

 魔力では『天底の槍』による増幅を考慮してもアリエッタに分があった。しかし燃費の良い近接攻撃による戦闘ではヴィオラが大きく勝っていた様だ。

 結果として──現在の魔力量はヴィオラがやや有利と言った所。

 このまま続ければ、アリエッタが押し切られる形となるだろう。

 アリエッタもそれに気づいているのだ。

 だからこそ、勝負を決めに行った。

 絞り出された魔力に、火の力が付与されていくのがわかる。アリエッタは、火の魔力を『思い入れが深いもの』として使い慣れているとこぼしたことがある。魔術において慣れとは重要だ。この局面だからこそ、最も信頼の置ける力で挑むのだろう。

 一方で──ヴィオラは、僅かな逡巡を見せた。

 槍に眼を落とし──そして、鋭くした眼光を、上げる。


「させるかよッ!」


 ヴィオラもまた、最も信頼する技術を信ずることとしたようだ。

 ……私であれば、僅かに勝った魔力量を利用し『天底の槍』の魔術による魔力切れを狙うだろう。

 だが、星の魔術は今日一度も決まっていないからだろうか、ヴィオラが選んだのは明確に勝る槍術での近接戦闘。

 これがどういう結果を生むかは──未来を覗かねば、私でさえわからぬこと。

 駆け出すヴィオラが槍を構える。

 しかしその瞬間、アリエッタが魔術を完成させた。


「『ファイアボール』……!」


 アリエッタが選んだ魔術は──ファイアボールだった。

 だがただのファイアボールではない。アリエッタの体を守るように、五つの火球が漂っている。

 違う。これは、ファイアボールではない。


「……!? 構うかよッ!」


 異様な光景に歯噛みするも、ヴィオラは構わずに駆ける。

 槍を片手に駆けるヴィオラに対して、アリエッタはにらみつけるようにしてヴィオラを見た。

 その瞬間、火球の内の一つがアリエッタの意思に従って放たれる。


「わっ!?」


 突然放たれた火球に驚愕し、ヴィオラは即座に足を止め、後方へと跳んだ。

 なるほど、良い魔術だ。

 アリエッタを守るようにして漂う五つ、いや今は四つの火球。それらはアリエッタが念じることで放たれる、というわけか。

 『球状に成形された火の魔力』は確かにファイアボールと呼ぶべきものだが、これはそれを非常に高度に操作することで生まれる、新しい魔術と呼ぶべきだろう。


「はは……すげえ魔力の操作だな。……でも」


 超絶技巧と呼ぶに相応しい魔術を前にして、ヴィオラは笑って見せた。

 やはり、この子は障害が大きいほどに燃えるタイプのようだ。


「あたしにはあたしのやり方があるんだよっ! はあああっ!」


 槍を構え直し、駆けるヴィオラ。

 アリエッタは何も言わず、ヴィオラの姿を目に映す。

 当然といえば当然だろう。あれほどの魔力のコントロール、凄まじい集中力を保たねば出来るはずがない。

 魔力はともかく、精神の疲弊を考えればこれが最後の魔術になるはずだ。

 ヴィオラもそれを肌で感じているのだろう。これを防げば勝ちだ、と。

 駆けるヴィオラに対し、二発目の炎弾が放たれる。高速で飛来する火の玉を、ヴィオラは槍を振るって打ち払う。

 そのまま間合いを詰め、横薙ぎの一閃。

 アリエッタはこれを炎の剣で防御し、そのまま微動だにせぬまま炎弾を放つ。

 ヴィオラは驚愕するも、首をそむけて炎弾を交わし、そこから下段の薙ぎ払い。

 先程の様にアリエッタは跳んで下段を避ける。先程の焼き直しになるかと思われたが──先ほどとは違い、アリエッタは炎弾に守られている。にらみつけることで炎弾を放つと、ヴィオラは槍の柄で防御せざるを得なかった。

 アリエッタの体に捻りが入れられ、打ち下ろす蹴りが放たれる。炎弾を防御したばかりのヴィエラにこれを防ぐ手立てはなかった。


「ぐぅ……っ!」


 肩に強烈な蹴りが入る。魔力を纏っただけの物理攻撃とは言え、この局面でこれは効くだろう。

 しかし身を守るファイアボールはあと一発──これが、どう使われるかに試合の勝敗が掛かっていると言ってもいい。

 攻撃か? あるいは防御か? 少なくとも、蹴りの追撃はその用途から外れたようだ。

 地に足を付けたアリエッタが選んだのは、剣による刺突。

 だが、ヴィオラの立て直しが早い。ヴィオラは間合いを取りつつ、絡め取るような円の動きで剣を巻き込み、痛烈にアリエッタの体勢を崩す。

 やはり体術はヴィオラ──! これは、最後の一発を切らざるを得ない。

 ──私を含め、戦いに付いてゆける観客は、誰もがそう思っただろう。だがアリエッタは、最後の一枚を場に出さなかった。

 体勢の崩れたアリエッタの腹部に、蹴りが突き刺さる──


「かはっ……!」


 勝負、あったか。私でさえ、そう思った。

 だが、違う。

 アリエッタが最後の一枚を切ったのは、ここだった。


「な──!?」


 蹴りの隙。いや、本来ならばそれは隙と呼ぶべきではないものだ。一対一のこの状況、成立した攻撃に隙もなにも無い。

 だが、アリエッタはそこに勝機を見出した。

 正気か、と言わんばかりにヴィオラの表情が歪み──直後、着弾したファイアボールが爆裂。

 炎と煙がヴィオラを覆い隠す。

 僅かな沈黙。誰もが煙の奥の光景を待った。

 そして現れたのは──既で体を纏う防御魔術を完成させて立つヴィオラの姿。

 会場の何処かで、女性の歓喜の声が上がっただろう。

 だが私は凍りついた。


「……私が、読み間違えるだと」


 会場の誰もがヴィオラを見ていた場面で、私だけはアリエッタを見ていた。

 そして、ヴィオラが遅れて目の前の光景を瞳に入れる。


「ウソ、だろ」


 自立がやっとの、曲がった足を震えさせながらも立つアリエッタ。

 そして──頭上に掲げられた、大きな火球。


「『ファイア』……『ボール』……っ」


 最後の五発──ではない。存在しなかったはずの六発目が、その名と共に放たれた。

 限界、だったはずだ。

 震えるアリエッタの体は蹴りによるダメージだけではない、魔力が枯渇したことによる虚脱感から来るもののハズだ。

 五発の火球を生み出した時点で、魔力はほぼ尽きていた。そのはずだったのに。


「私の想像を、超えていったというのか」


 最後の最後で、私の想像を超えた。

 アリエッタが隠していた本当の最後の力。大きな火球が、ヴィオラに向かって放たれた。


「う、ああああッ!」


 叫ぶヴィオラ。限界ギリギリだったのは彼女も同じだ。それほど、五発目の火球は効果的な場面で放たれていた。

 衝撃は体を地面へ縫い付け、魔力はもうごく僅かにしか残っていない──

 迫る火球が、ヴィオラへと接触し、爆炎と共に巨大な火柱を立てた。

 先程ヴィオラが爆炎に包まれた時、観客の予想は様々だったろう。

 だが今回は皆同じだ。


「あ、ぐ……」


 爆炎の中から、ヴィオラの姿が現れる。

 同時に、膝が砕け、糸が切れる様に地面へと吸い込まれていく。

 少女の体が軽い音を立てて地面へ倒れ込む音が聞こえるほどの静寂。

 瞠目。そして──集中が切れて、荒い息を吐き出し始めるアリエッタ。


「けっ…………着ゥゥゥ! 若鳳杯決勝戦! 夢か幻の様な、しかして目まぐるしい戦いを制したのは──アリエッタ=ペルティア! セントコート魔術学園所属、アリエッタ=ペルティア嬢だァァァっ!」


 たっぷりと時間をかけて、司会の男が勝ち名乗りを上げた。

 それほど、息さえも忘れさせるほどの戦いだった。

 勝ち名乗りを受けて、アリエッタの体から力が抜ける。ぺたんと地面に座り込むと、ようやくアリエッタは笑みを浮かべた。

 ……本当に、よくやったものだ。

 弟子のことは信じている──が、途中体術で盤面をひっくり返された時はもうダメかと思った。

 それはアリエッタに対する信頼どうこうではない、私の師としての未熟さへの失望だ。

 魔術だけではなく、戦闘を、アリエッタの身の安全を考えるならば体術も教えておくべきだったのだと。

 しかし、アリエッタはその不利を打ち破ってみせた。最後には、私の想像さえも超えた力を見せて──


「なあ……聞かせてくれよ」


 感動に打ち震えていると、試合場に飛ばした『耳』が呟くようなヴィオラの声を拾う。

 アリエッタは首だけを動かして、ヴィオラの問いかけを捉えた。


「槍の『星』の魔術……おまえははなから守る気もなく、全部避けようとしたのはなんでだ……?」


 ヴィオラの疑問は、私も疑問に思っていたことだった。

 祀神器『天底の槍』の星の魔術。これほどギリギリの戦いだ、一回でも受けていればヴィオラが軽々と勝利していただろう。

 だのに何故、アリエッタは避けづらい範囲攻撃さえ防御を捨てて回避を選んだのか。


「簡単ですよ、『祀神器』だからです。槍を通した魔力がなにか異質な力に変換されているのは、なんとなく感じましたから」


 静かに、アリエッタは独白する様に何処か遠くを見ながら言葉を紡ぐ。

 何処か遠い所にいる誰かに、伝えるように。


「『先生』が作った武器ですからきっと私の想像さえ出来ないような力が込められているんだろうなって思ったんです。だから受けようとは思わず、全力で避けました。それに──」

「……それに?」

「出来る限り、攻撃は回避するのが理想だと先生に教わっています」


 穏やかに微笑みながら、アリエッタはそう返した。

 私が作った武器だからこそ、アリエッタはただの一度も魔術を受けないよう立ち回ったというのか。なんとも信頼されたものだ。

 ……いかん、なんだろうか。

 眼が熱くなってきて、じわりと眼が滲むような感覚に襲われる。

 これは……涙か?


「ほほ、想われておりますな」

「ウルサイ。追い打ちをかけるな」


 落涙するという程ではない、浮かんできただけの涙。それでさえ、私の記憶にはなかった。

 それだけ心が震えたと言うのだろうか。なんとも小恥ずかしい。

 人に涙を見せたことなど、思えばなかった気がする。それだけにガーディフに見られたのは不覚だ。

 しかし私を茶化すとはいい度胸をしている。付き合いが長くなければ仕置をしていたと思うが、今回は不問に処そう。

 涙を見られたくないのもあって、再び試合場へと眼を移す。

 アリエッタの答えは、ヴィオラに取ってはどの様に聞こえたのだろうか。


「……なんだ、そうか。勝てなかった理由が分かったよ」


 寝返りを打って、空を見上げるヴィオラがぽつりと零す。

 勝てなかった理由を詳しくは語らなかったヴィオラの顔は──随分と、清々しい笑みを浮かべていた。




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