第四話:アリエッタ=ペルティアは邁進する
「先生っ!」
試練を終えたら帰ってこいと指定された場所にたどり着くと、そこには既に先生が待っていた。
そのお姿を確認したわたしはいても立ってもいられなくなって駆け出す。
思い切り飛びつくと、先生は事も無げにわたしを受け止めてくれた。
「魔術師の目で試練は見ていた」
「結果は如何でしたか?」
このままずっとそうしていたいのを我慢して、うずめた顔を上げると、わたしよりも高い位置にある先生の瞳と目が合う。
──切れ長の瞳。その美しさに、思わず息が漏れる。先生の強い意思を感じさせる瞳は一見無感動のようにも見えるけれど、その実感情の動きで様々な形に変化して、アレキサンドライトのよう。
今もこうしてわたしを見つめる瞳は親愛の情でわずかに角が取れており、確かな愛情を感じさせてくれる、大好きなものだ。
先生自身が外見に無頓着なので茶髪は無造作に整えられているだけだけど、それがまた格好いい。
輪郭は細いながらも力強く男性的で、よく整った目鼻立ちとお互いを引き立てるよう。
何度見ても、見惚れてしまうくらいだった。
先生は不老不死なので二十代の頃の姿に保っていると言うけれど、きっと十代のお姿も、五十代のお姿も変わらずに美しいのだろうと時折夢想してしまう事がある。
先生に見とれていると、先生はまた表情を変えた。
ぶっきらぼうな時は、少し恥ずかしがっているときだ。不老不死、変幻自在の無敵の魔術師だと言うのに、そうした様はまるで同年代の少年と話すのはこんな感覚なのかなと思わせる。
それがまた可愛らしくて、思わず頬が緩んだ。
「合格の他あるまい。此度の試練は力を示す事が目的だ。討伐しろとも追い払えとも言っていない以上、竜を圧倒する力を見せただけで十分にすぎる」
「ありがとうございますっ!」
先生はきっと、わたしの選択をお許しになると思っていた。
それでも先生が認めてくれた事が嬉しくて、わたしは顔をうずめるように強く抱きついた。
すると、自然と先生の手が頭に伸びてきて、優しく撫でてくれる。
わたしは、これがたまらなく好きだった。
──はじめに自覚したのは、親としての『好き』だった。
奴隷にその身をやつす前、わたしは弱小貴族の一人娘だった。
魔力も力もない、人脈もないペルティア家は没落寸前で、お家にはいつも険悪な空気が漂っていたと思う。
だからこそ、年長者としての先生の愛情が愛おしかった。
こうして褒められる事が、何よりも楽しい事になっていた。
褒められるのが楽しければ、より魔術の修行に打ち込む事が出来る。魔術の修行に打ち込めば、先生がもっとわたしを好きになってくれる。
それが、何よりも嬉しかった。
けれどある時、わたしが先生に抱く感情は親に向けるそれとは違う事に気がついた。
先生は何でも出来るけど時折、特にわたしと接する際には不器用である事も多く、何でも出来る史上最大最高の魔術師にも苦手な事があるなんて、と微笑ましく思ったものだ。
でもそれは違うと気づいた。先生が不器用なのは、わたしを大切に思ってくれているからだと。わたしを大切に思うからこそ傷つけないように、楽しめるようにと気を回してくれているのだと。
それに気づいてしまった時──わたしは、恋に落ちていた。
「これならば、魔術学園でも恥をかく事はないだろう。どころか、学業の範囲内ならばなんでも思うがままに出来るはずだ。しばしの休暇と割り切り、羽根を伸ばしてくるがいい」
だから、これから三年間、魔術学園に通わなければいけないのは憂鬱だった。
はじめは確かに、一度奴隷に身を落としたわたしが学校に行けるなんてと舞い上がったけれど、今は違う。魔術は先生から直接教えてもらった方が遥かにしっかり学べるし、三年間も先生と会えないのはあまりにも辛い。
確かに先生の言う通り人間の社会の事は学べるけれど、出来る事ならばわたしは先生とずっと一緒に二人きりで過ごしたいと思っている。
そう、ずっと一緒に。だからこそ、本当なら遊んでいる時間なんてないのだ。
「本当は先生のもとで魔術を教えていただきたいけど……先生の仰る事ですから、この機会に楽しんできますね」
「……うむ。それでいい。今の自分がどれほど優秀であるか、確認してこい」
けれど、これも先生の優しさだ。それを無下にする事は出来なかった。
だから考え方を変える事にする。これもまた、わたしが目指す存在になるために必要な事なのだと。
──わたしには、目標がある。
最初は先生に褒められたい一心で頑張っていた魔術だけれど、今はとある一点を目指して魔術の道を邁進している。
その目的とは『先生とずっと一緒にいる事』だ。
でも、今のわたしではそれは出来ない。なぜなら、先生は不老不死の存在だからだ。
だからこそ、わたしがわたしの道を歩む時の事を考えてくれている。どうしても『先に行く』わたしの人生というものを考えてくれている。
そんな優しい先生が大好きだからこそ、先生と一緒に居たいと思う。
──だからこそ。
わたしは、不老不死を目指している。
先生に頼めばきっと、その願いは叶えてくれるだろう。……いや、先生は飽くまでもわたしの自発的な成長に期待しているし、時折不老不死も退屈だと口にする事もある。わたしの事を思って、不老不死の法を施してはくれないかもしれない。
……そんなこの人に寄り添いたいからこそわたしは、自分の力でそれを目指している。
情報を集めるために人の世界で生きる知識を学ぶというのは、無駄にはならないはずだ。
すべては、ずっとずっと、先生と一緒にいるために。
「それではそろそろ帰るか。ここは暑いだろう。今日は修行は休みにするので、涼むといい」
「お心遣い痛み入ります。でも先生さえよろしければ、修行をつけてもらえませんか? わたしにとっては、先生との修行が何よりの楽しみなのです」
「ム……いや、そういう事ならばよい。休憩をはさみ、今日の授業を行うとしよう」
「はい先生! ありがとうございます!」
こうしてわたしが修行への意欲を表すと、先生は喜んでくれる。それがまた嬉しくて、修行にも身が入ってしまう。
神話に残る伝説の魔法使い。その何人かは、先生の事を指しているという。先生はそれだけ長い時を生きて数多の偉業を残している、偉大な魔術師だ。
わたしは、そんな彼の隣に寄り添いたいと思った。運が良くて拾われただけのわたしだけど、追いつくなんておこがましいけれど、せめて自分の力でその隣を歩きたいと思う。
それがきっと、一番の恩返しになるだろうから。
それがわたしの、アリエッタ=ペルティアが魔術の道を歩む理由。
先生に連れられて『門』の魔術で屋敷へと帰る。
平凡なわたしの寿命は、きっと魔術を極めるには短すぎるくらい。だから一秒たりと時間を無駄にしないよう、アリエッタ=ペルティアは邁進するのだ。