第三十八話:嵐の前の……
アリエッタの試合をもって若鳳杯の一回戦が終わってしばらく。
試合場の修復や、各種準備を終えて、今二回戦が始まっていた。
二回戦の第一試合は、一回戦の平均よりもレベルは上がっていた──が、既に見た選手同士ということもあり、私にとっては消化試合といった感想のものになってしまった。
選手たちの気迫は凄まじく、学生なりに優れた技術は感心させるのだが、やはりそれ以上にレベルが高い選手たちの存在を知ってしまえば、少々退屈に感じてしまう。
……と、感じたところで、暇であるが故か私はこの間の事を思い出していた。
この若鳳杯にはアリエッタ以外にも、セントコート学園の学友──シャーロットとシュリオが参加している。
それは一回戦を見た通りわかることなのだが、参加する選手たちの思いは様々だ。
アリエッタは私の期待に応えるため、そしてフレアとの賭けに勝つため。
シャーロットは模擬戦でならば自分は戦えるという事を再認識するため、この若鳳杯に出場している。
ならば、きっと他の参加者たちにもこの大会に出る際に抱いた思いがあるはずだ。
それを思うと、アリエッタの試合以外にも見どころはあるのだろう。
と、それは話がそれているか。
まあとにかく、私が言いたいのはだ。選手にはそれぞれの思いが在るのだろうということ。そして──不運な奴というのは、居るのだなあということ。
「それでは引き続き二回戦の方始めていきましょう! 二回戦第二試合──ヴィオラ選手対シュリオ選手! セントコート対セレスタスという名門同士の試合です! これは白熱した戦いが期待されます!」
二回戦の第二試合は、一回戦の第三試合と第四試合の勝者達の戦いだ。
であれば三回戦と四回戦を見た時点でこの組み合わせにも気づくべきだったのだが。
注目選手の一人、ヴィオラと対峙するは我が学友シュリオ=レントハイム。彼がこの大会に抱える思いは一つ、自信を取り戻すことだ。
不運だというのは、その目的は恐らく達成できないだろうということ。
……いや、私も彼とこの事を話す前にヴィオラの事を知っていればまた別の言葉をかけたのだが。
「くそっ……マジかよ、ツいてなさすぎだろ……! いやでも、アリエッタさんと戦うよりマシなのか……!?」
「あ……? アリエッタ、だって?」
その上、相手の怒りのツボまで正確についていくのだからもうどうしようもないというか……
アリエッタの名前を出されて、ヴィオラは明確に顔を歪める。
幼気で可愛らしい顔つきは、見てわかるほどの皺を浮かべている。
さらばシュリオ。お前は良いやつだった。ただ運が悪かったのだ。
「それでは両者構えて!」
無情にも、審判が死刑宣告にも似た指示を出す。
捨てられた子犬のような目で審判を見ている。『え? マジ?』と言ったところだろうか。
対して、ヴィオラはやる気満々で『槍』を構えている。
シュリオは最早激突は避けられないとようやく悟ったようだ。
「始めッ!」
審判の合図がくだされる。
瞬間、シュリオが跳ねた。
「チクショー! やるよ! やればいいんだろッ!」
飛びかかる──様に見せて、ヴィオラの攻撃を釣り出すのが目的だろう。
カウンター狙いだ。
「『シャドウレイ』!」
それに対し、ヴィオラは呪文を唱えつつ槍を振るう。
『星』の魔力ではない、闇の魔力だ。
アリエッタまで『天底の槍』の力を隠しておくつもりだろうか。
……いや、単純にシュリオにムカついたのかもしれない。
が、シュリオもさる者。完全に噛み合ったな。
「うぉらッ!」
前方への宙返り──重さをまるで感じさせない軽やかな動きで、横薙ぎのレーザーを避ける。
そこから、魔力を纏ったナイフを投擲。武器を自分から手放すとは──と思ったが、違うな。その不利を承知でこの一撃に賭けた──?
いや、まだあるな。
「聞くかそんなモン……!?」
ダガーの投擲攻撃──ではない。シュリオは空中で風の魔力を纏い、自らをダガーに向けて射出した。
空中でダガーを回収し、近接攻撃を狙う!
が。
「……ちょっと驚いたよ。ナメてて悪かったな」
あっさりと、槍の柄で防御される。
……まあ、そうなるな。
狙いは良かった、タイミングも良い。が、速さが足りない。
いや、遅いとは言わないが、ヴィオラの反応を超えられないのだ。
「いっ……」
「そらっ!」
自らの運命を悟り、シュリオの顔が歪む──と、同時に、ヴィオラが槍を振るってシュリオを弾き飛ばす。
そこへ、地面に突き立てた槍の石突を支点に、大きく体を動かして──
「ぶっへぇっ!?」
強烈な蹴り。
魔術ではないが、強大な魔力を纏って叩き込まれた蹴りの威力は凄まじい。
錐揉み上に回転しながら吹っ飛ぶシュリオが、結界に叩きつけられる。
「悪いな、アンタ程度で『使う』わけにもいけなかったんでね」
着地したヴィオラが、つま先で石畳を叩き、靴のズレを直す。
「あがが……俺、やっぱ弱えのかも……」
地面で呻くシュリオは遺言を残し、沈んだ。
いや頑張ったほうだろう。ただ相手と運が悪かっただけだ。
回避・投擲からの一連の流れは見事だったと言わざるを得ないのだが、対する相手が学生レベルを大きく超えていた。
これに腐らず是非次の機会に頑張ってほしいものである。
「うーむ……素晴らしかったのじゃがのォ。ヴィオラという娘、やりおるわい」
「ヴィオラとアリエッタが居なければ優勝も狙えただろうにな。不憫なものだ」
残念そうにしているガーディフだが、相手が悪かったことは重々承知。やはりその言葉もシュリオに同情するものとなる。
学生のレベルを大きく超えた者が二人も参加しているのだ。遅かれ早かれこうなるとはいえ、一回戦で付いた自信もあと一回くらい持つことを願っていたのだが。
……なってしまったものは仕方がない。
気を取り直して観戦に戻ろう。
当然ではあるが、二回戦の試合はどれも一試合目よりハイレベルだ。
それでも第一試合ヴィオラ対シュリオには遠く及ばないが。
やはりアリエッタ・ヴィオラの両名が居なければシュリオは少なくとも決勝戦まではコマを進めていただろうと断言できる。
ならば何故『決勝戦まで』なのか?
「二回戦の試合もこれで最後! シャーロット選手入場です!」
それは、シャーロットの存在があるからだ。
名家の出ではあるが、それが関係しているとすれば良質な教えを受けられたかどうかだけだろう。
シャーロットの才能は本物だ。
もしも世が世なら、三英雄──とまでは行かなくとも、その魔術の才を活かして何らかの形で歴史に名を刻んでいただろう。いや、この後そうなる可能性もまだ否定できない。
だが何故だろう。
持って生まれたものが大きければ、より大きな試練が課されると言うべきか──運が悪いのは、シュリオと共通しているようだ。
「対するはアリエッタ選手! 共にセントコート学園から参加しております! 一体お二人はどの様な勝負を見せてくれるのかッ!」
その相手は、アリエッタ。
……まさか期待の新星二人が、多かれ少なかれ私が育てた者達と当たるとは。
ガーディフに聞いた所試合の組み合わせは無作為だと言うが、それならばやはり才能に恵まれた分、運を手にすることはなかったとでも言うのか。
「ふふ、まさかこんなに早くアリエッタさんとお手を合わせる事になるとは思いませんでしたわ。未熟な身ではありますけれど、どうぞよろしくおねがいします」
「ええ、よろしくおねがいしますね。……いい試合にしましょう」
だがシュリオとは違い、シャーロットは自分の実力そのものには自信を持っている。
アリエッタとの戦いは飽くまで胸を借りるという感覚なのだろう。その表情には笑みが浮かんでいた。
「両者、構えて!」
審判の合図で、構えるアリエッタ。目の前に構えた細剣を下ろすようにして、構えの完成とするシャーロット。儀礼的なものだろう。あるいはこれを『模擬戦』とするルーティンの一つだろうか。
「始めっ!」
審判が掲げた腕を振り下ろす──が、この試合の立ち上がりは、今までとは一線を画する異質なものだった。
速攻を好んでいた今までの者達とは違い、アリエッタとシャーロットはお互いの隙を探り合うべく睨み合っている。
先に動くのはどちらか? その沈黙を破ったのは、シャーロットの方だった。
細剣を振るい、魔術を発動しようとする──が、その様子を見て先に動けたのはアリエッタの方。
「『ラピッドファイア』!」
魔力を集中した手をかざす。火の魔術の中でも非常に単純、故に素早い『ラピッドファイア』の魔術は、指先から小さな炎弾を連射する魔術だ。
威力は求めていない、しかし直撃すればただでは済まないだろう。
狙いは、シャーロットの魔術を邪魔することだ。
「っ」
小さく息を飲みつつ、構築仕掛けた魔術を捨て、全力で飛び退くシャーロット。
そこへ、アリエッタが追撃をかける。杖に纏わせた炎の剣が、紅い軌道を描いてシャーロットへと迫る。
剣で受けようとするシャーロットだが──
「『ライトセイバー』っ! ……ふう、危ない所でしたわね……っ!」
咄嗟に光の魔力を纏わせ、剣を防いだ。
良い判断だ。全力ではないとは言え、アリエッタの魔力で作られた炎の剣だ、魔力を流しているだけの細剣で受けきれるものではない。
二人の表情に笑みが浮かぶ。アリエッタはシャーロットの判断を、シャーロットはアリエッタの魔術の強力さを。互いを認めあっているのだろう。
「流石、ですっ!」
だが地力の強さはアリエッタが圧倒的に上だ。
鍔迫り合いを無理やり押し切るように剣を振り切ると、シャーロットは後方へと大きく弾かれる。
だが地面をテンポよく、細かく跳ねることで段階的にその勢いを殺していく。
流石に名家の訓練を受けていたというだけはあるか、体術の方も良く学んでいるようだ。
アリエッタは体勢を崩して一気に決めるつもりだったのだろうが、結果的に距離をとらせる羽目になった。
そうとくれば──
「『グリッタードレス』!」
魔術を使う程度の隙になる。
最初に発動しようとした魔術はこれだな。魔術の名を叫ぶと、シャーロットの身に光が纏われる。
さて。ただ身にまとうだけの防御魔術ならば仰々しい名前も付けないのだろうが。
不敵に笑うシャーロット。
その姿が一瞬にして、消えた。
「ほう」
なるほどこれは予想外。シャーロットという少女の性格を知っているがゆえに、私は意表を突かれる。
そしてそれはアリエッタも同じだ。
「……!?」
突如として目の前から姿を消したシャーロット。頭が真っ白になったことだろう。
が、魔力を感知し、背へと剣を回す。
その瞬間、光と炎の剣がぶつかり、魔力と魔力がせめぎ合う、鳥の囀りの様な音が響く。
「これは……っ」
再び剣を振るい、シャーロットの身を弾き飛ばす、が今度は空中でその姿が消えた。
今度は、アリエッタが自らの真横にその姿を捉える。体勢を立て直したシャーロットが横薙ぎに剣を振るうと、アリエッタは身を屈めて躱す。
……これは意外だった。
グリッタードレス。その魔術は防御魔術ではなく、限りなく早い超高速移動を可能とするもの。
言うなれば──強化魔術。実戦を恐れるシャーロットだからこそ、私達はこの場においてそれを防御魔術だと勘違いしていたが、その実態はアグレッシブな攻めを可能とする強化魔術だったというわけだ。
「意表を突かれました。凄まじい魔術ですね」
「うふふ、お褒めに与り光栄ですわ。……出来れば、いまので決めたかったのですけれど」
そう、凄まじい魔術だ、が。称賛を受けとるシャーロットの表情は芳しくない。
グリッタードレス。その実態は光の”如き”高速移動といったところか。上下左右への直線的な高速移動を可能とし、連発もできる。
……だが実際に光と化したわけではない。ならば攻略法は少なくない。
これだけ強力な魔術にも関わらずシャーロットが一撃で決めたがったのがその証左だ。
アリエッタは何も答えない。ただ、表情の温度を下げることで、真剣さを表す。
「……行きますわ」
仕掛ける意思を告げると同時に、シャーロットの姿が消える。
狙いは背後だ。一箇所経由し、二回目の発動で背後に回る──とても目では捉えられない動きだが。
「ふっ」
アリエッタの背後に現れてから突き出した剣は、いともたやすく躱される。
弱点その位置。体を光に変換してから再構成しているわけではないので、現れてから攻撃するまでには時間があること。
移動は一瞬でも攻撃の準備から実際に攻撃へと移る時間は必要だ。
上級の魔術師の戦いでは、魔力で相手を感知するのは基本中の基本と言える。目に見えない程度の移動では、勝負を決する要素にはならない。
「此方の番です!」
「くうっ……!」
剣を突き出したシャーロットの隙に、アリエッタが反撃を試みる。
が、シャーロットは既で『グリッタードレス』の効果を発動すると、瞬きの後には離れた場所にいた。
なるほど、攻防一体というわけだ。非常によく考えられている。
この速さはアリエッタにとっても中々骨だろう。正直に言って、移動の速さだけならばアリエッタさえも凌駕していると言っていい。
「そう来ますか」
しかしそれだけではダメなのだ。
やはり魔術師の戦いというのは総合力で相手を超えてこそ。少なくともアリエッタにはそう教えてある。
一芸に秀でるというスタイルは確かに有用だ。
が、それ故に崩された時は脆いもの。命を賭けた戦いでは有用と言えば有用だが、魔術師戦というのはそういったものに対する対策から始まっている。
そういった時に手札の数を増やすのは──結局の所、総合力なのだ。例えば、無敵の力を手に入れたから、操られる事が最も恐ろしい。だったら精神防御の対策を固めておこう──など、やろうと思ってできる自由さこそが『強さ』だ。
アリエッタの反応の速さに対し、シャーロットが選んだ方法。
それは剣を振りかぶって、振り下ろす一連の動作からの高速移動だった。
改めて攻撃の準備をしておくことで、姿を表した瞬間に攻撃に移れるという効果を期待したのだろう。
だが、それではダメだ。
「もらいました……!」
再びアリエッタの背後に、シャーロットが姿を現す。
アリエッタは、これを読んでいた。
「甘いです……! 『フレイムバースト』!」
姿を現した瞬間の事。アリエッタが魔術の名を叫ぶ。
これは、自分を中心に爆発を広げる、全方位攻撃の魔術だ。
落雷の様な音が轟き、炎がうねりを上げ、広がっていく。。
「ああっ!」
剣を振りかぶっていた無防備なところに、爆発の熱と衝撃が殺到する。
これが弱点のその二。タイミングさえ読めれば反撃は容易ということ。まして剣を振り降ろした瞬間とあればそのタイミングは非常に読みやすい。
こうして全方位攻撃を放てば、どこに現れようが関係が無いというのもまた弱点に数えられるかもしれない。
「くはっ……! うぅ……」
吹き飛ばされたシャーロットは、そのダメージからか受け身も取れずに地面に背中を打ち付ける。
決着だろう。戦闘自体は続行可能だろうが、それは模擬戦だからこそ。実戦ならば倒れたシャーロットに追撃を加えるのはわけがない。
追撃がなければ立てるだろうが、そんな意地を模擬戦で張っても意味はない。
「負けました……えへへ、やっぱりアリエッタさまは、強いですわね……」
清々しい表情で、天を仰ぐシャーロット。
アリエッタはゆっくりと近づき、優しげに微笑んで手を差し伸べる。
「私には最高の先生がいますから。立てますか?」
「加減してくださったのでしょう? お手を借りれば……っと」
シャーロットは迷いなく差し伸べられた手を取る。
あっけに取られていた審判が、ようやく我を取り戻した。
「っ勝者! アリエッタ選手!」
勝ち名乗りが大分遅れたようだが、無理もないだろう。
それほど、今の戦いは学生レベルを超えていた。
学生の、それも一年生の戦いと聞いてここに来たものは等しく開いた口が塞がらない思いだろうな。
アリエッタは兎も角、シャーロットに勝てると感じたものがどれほどいるだろうか。
「素晴らしい試合でした……っ! とても学生レベルとは思えない! シャーロット選手の超魔術! 冷静に、しかし苛烈に対処するアリエッタ選手! 二回戦からこのレベル! まさに驚愕というほかありませんっ!」
審判に変わって出てきた司会の興奮っぷりは凄まじいものがあった。少々引くが、言っていることは観客の総意と言っていいだろう。
うむうむ、弟子と学友が褒められているのは悪い気はせんな。
シャーロットも、予想以上に健闘したが、それを超えていくアリエッタ。大満足といえる試合内容だった。
「少し出てくる」
「ほ。左様でございますか」
アリエッタとシャーロットが試合場を後にするのを確認して、私は席を立ち上がる。
これは是非とも直に称賛を贈らねば。
居ても立っても居られないとはこの事だ。観戦席を去り、向かうは控室。一度通った道ともなると、呼び止められることもなく目的の場所へとたどり着く。
「邪魔するぞ」
「先生っ! ようこそいらっしゃいました!」
控室へと顔を出すと、アリエッタが駆け寄ってくる。
犬の尾を幻視するような嬉しそうな様子に、苦笑が浮かぶ。
なんとも可愛らしいものだ。先程の試合で戦っていた少女とは似ても似つかない様子のせいか、他の選手から驚愕の表情が浮かぶ。
「先程の試合、しかと見ていたぞ。シャーロットも、此方へ」
「は、はいっ」
少し離れたところで見守っていたシャーロットを呼び寄せる。
緊張に上ずった声を出したが、素直にやってきたのは断る理由もないからか。
「あの光の魔術は、見事なものだった。ほぼ独力であれほどの魔術を身に着けたのは称賛に値するよ」
「まあ……! テオさまにそう仰っていただけるとは、私も鼻が高いというものです」
先ずは、称賛を。シャーロットの若さであれほどの魔術を使っていた者は、数えるほどしか知らない。その誰もが伝説級の魔術師達だ。そういった者達の若い頃と肩を並べる実力は、称賛する他無い。
「それでも一つ付け加えさせてもらうのならば、特化した魔術を磨くよりは総合力を伸ばせという所だが、これは重々承知だと思うので多くは言わん。あとは場馴れが全てだ。長い目で見ていこう」
「はい、承知していますわ。これからもよろしくお願いいたします」
それでも一応はアドバイス……というよりも老害の小言に近いが。課題を残して、本題へと入ろう。
先にシャーロットを褒めたせいか、アリエッタが頬を膨らませているからな。
「そして何よりアリエッタ。あれほどの魔術を冷静に、的確に、よくぞ対処したな。一撃くらいは受けるのも許容範囲だと思ったが、完璧にさばいたのは見事の一言だ」
「……! そ、そうですか? えへへ、ありがとうございます」
とは言え一言褒めれば一転、その表情をほころばせる。
この純粋さがまた可愛らしいもので、ついつい可愛がってしまう。
「厳しい言葉の一つでも贈ろうと思ったが、正直現状では言うことがない。この後も驕らず努力を続けることは知っているしな。強いて言うのならばその調子でいけ、というくらいだろうか」
「そ、そんな褒め過ぎですよう。でも、嬉しいです……」
褒めてやれば、喜んでくれる。だとするのならば良い働きに対して称賛を贈るのは当然のことだ。
やはり不出来な師匠だ、弟子の出来は良すぎるくらいで丁度いい。
ついつい頬を緩めて居ると──
「ふうん、そんなふうに笑うんだな、あんた」
「ヴィオラ。お前も素晴らしい試合だったな」
騒がしくしているのに気づいたのだろう、私達の元へヴィオラがやってくる。
「ふん、そうかい」
褒めているというのに、此方は何やら不満げな様子。
……それはまあ、現状では敵同士もいいところ。こうもなるか。
「気に食わなかったか?」
「そうじゃないよ。ただ……」
ただ──言いかけて、ヴィオラは首を振るう。
「何が何でも勝ちたくなった。どうせ、決勝で当たるのはあんただろ、アリエッタ」
「そうでしょうね。貴女が途中で落ちるとも思えませんし」
気がつけば、和気あいあいとした空気はぴりぴりとした緊張感に変わっていた。
ヴィオラの挑発を真っ向から受け止めるアリエッタ。
また何か置いていかれている感が襲ってくるが、まさかフレア不在のアリエッタとヴィオラの会話でそれを覚えるとは。
「……お行儀のいい子かと思ってたけど『先生』の事になるとギラついた眼をするんだな。そういうのは嫌いじゃないぜ」
「それは、どうも」
「だが勝負はあたしが勝つ」
「負けませんよ?」
両者の視線の中間で、火花が散っている気がする。
一触即発。乱闘でも始まりそうな空気に、そろそろ止めるべきか、と考え始めた頃だった。
ふっと表情を崩し、ヴィオラが笑う。
「いいや勝つさ。あたしの持ってる武器はテオ=イルヴラムが作った『祀神器』なんだからな」
そして、知らぬものにとっては驚愕に値する事実を告げた。
遠巻きに此方を見守っていた他の選手達も、思わず声が出るものも居る始末。
「……なっ! ほ、本当ですか、先生!?」
当然、それと相対する事が決まっているアリエッタもこればかりはただ事ではない驚きようだ。
「ああ──そうだ。かつて……じゃない、書物で見たことがある」
ついうっかり私が作ったものだ、と口が滑りそうになるが、既で思いとどまる。
いかんいかん、聞かれてつい自然に答えてしまうところだった。
今の私はテオドール、だ。多分、ヴィオラもその辺を気にして敢えてテオ=イルヴラムのフルネームで告げてくれたのだろう。
私の口から真偽を確認して、アリエッタはヴィオラへ顔を向け直す。
「……何故、それを私に?」
困惑から、問いかける。だがそれは尤もだ。
私とて、敢えて黙っていたのだ。それはアリエッタが恐れると思ったからではない、その性質上、事前に知らせていてはヴィオラの真の実力が出せなくなると考えたから。
それは使い手のヴィオラこそよく分かっているはず。ならば何故それを打ち明けたか。
「あんたより、優秀な所を見せるってのが本題なんだ、圧倒的に有利な状況でただ勝ったんじゃ、意味がないだろ?」
憎まれ口を叩いているようだが──私にもなんとなく人の心というものが分かってきた。
ヴィオラはフェアな勝負を望んでいるのだろう。もちろん今言ったことも本心ではあるだろうが、彼女は多分強敵を前にして燃えるタイプの人間。
武人気質とでもいうのだろうか。勝つことそのものよりも勝利の価値を求める人間だ。フレアも正々堂々を好んでいたし、こういう所はフレアの影響もあるかもしれないな。
「それを伝えに来ただけさ。じゃあな」
どうやら、本当にそれを伝えるのだけが目的だったらしい。
私達から離れていったヴィオラは、小柄な体で風を切るように歩いて、離れた場所の椅子にどかっと腰を下ろす。
豪快と言うかなんというか。フレアが見ていたらその仕草を咎めていたろうか。なんとも見た目と行動にギャップがある娘だ。
「話の通りだ。ヴィオラは強敵だぞ。仮に『祀神器』がなくてもな」
「……大丈夫です、油断はありません」
今更ながら、私がヴィオラを褒めるのが気に食わないのだろうか。
少々頬を膨らませつつ答えるアリエッタ。
しかし私が言うことは承知しているはずだ。
一人、椅子に座るヴィオラは周囲を威嚇するように、魔力を放出している。まるで狂犬だ。ある程度魔力を感じ取れるものならば、近づこうとも思わないだろうな。
紛れもない宣戦布告に、膨れつつもアリエッタは──笑みを浮かべた。
「少しだけ、楽しみになってきました」
アリエッタは、同格の相手と手を合わせたことがない。
同年代には最早敵はおらず、魔物も今や竜でさえ彼女の相手にはならない。三百年以上生きた魔人には遅れを取るものの、その胆力で活路を開いて見せた。
そんな彼女が、始めて同格の相手と、本気の戦いを繰り広げる事ができるのだ。
アリエッタの本当の力を知っているのは私だけ。彼女は今日、ようやくそれを知ることになる。
もしかすると、それはアリエッタをもう一つ上の次元へと進ませることになるかもしれない。
ヴィオラに本来期待していた役割は、手を貸した理由はそれだったが、まさかここまで上手くハマることになるとは。
……ううむ、惜しいな。
フレアの態度を少々改めさせたかったのは確かだが、今にして思うと三年間彼女らと交流を持たない、というのには不利益もある。
アリエッタとヴィオラは互いに良い好敵手となったろうし、お互いに与える好影響は計り知れない。
精神的にはどうしてもアリエッタを応援してしまう、が。もう少し軽いものを賭けさせておけば良かったという気もする。
「……頑張れよ」
「……! はい、見ていてください、先生!」
それでも、やはり私はアリエッタが勝つ所を見たい。
今までに無い心の震えだ。敢えて未来を見ていないという事もあるが、物事がどちらに転ぶかわからないというのは、私にとってほとんど未知の出来事である。
勝つか負けるかわからない相手に、勝ちを望む。
……なんとも、高揚するものだな。
「選手でない私がこの場に居座るのもなんだ、私は一度観戦席に戻るが──最後に一つ伝えておこう。賭けだのなんだのは関係なく、私はお前の勝利を願っているぞ、アリエッタ」
なるべく優しい声色で、気負わせぬように伝える。
アリエッタは顔を真っ赤にして、俯きながらも頷いた。
……声色は選んだつもりだが、それでも気負わせてしまっただろうか? どうせ何を言っても威圧になってしまう──といういい加減さも最早捨てねばなるまい。弟子への接し方にはもう少し勉強が必要だな。
「ではさらばだ。後ほど若鳳杯が終わる頃にでもまた会おう」
セントコートのマントを翻し、私は控室を後にする。
やはりと言うべきか、選手でも無い人間が選手用控室に居座るのは、人の眼を引くようだ。
「……なにもんだ、あの男子生徒? あのアリエッタに先生とか呼ばれてたけど……」
「ヴィオラ選手にもなにかねぎらいの言葉を賭けていた様子だけれど」
「いや……本当に何者だ?」
控室からは未だざわめきという形で無形の声が届く。
何を言っているかはわからないが、さっさと退散するとしよう。
シャーロットもシュリオもトーナメントを後にした今、他の試合は消化試合もいいところだろう。見どころは最早アリエッタとヴィオラの決戦のみだ。
「くく……はっはっは……!」
思わず漏れ出る高笑いを響かせながら、私は闘技場の廊下を歩いていった。




