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第三十七話:大会前夜

 茜色の陽が人の世界を赤く染める夕暮れ時。

 今までは滅多に考えた事はなかったが、どうにも私はこの時間が好きだという事に、最近になって気がついた。

 何処か寂しくも、一日の終わりに色めきだつ人々の流れ。日中よりも夜間よりも目まぐるしく変化する世界の刺激。美しい夕日の光、沈みゆく寂しさ。

 千年以上無感動に眺めてきた世界は、私が考えているよりもずっと美しい。


「先生、今日もよろしくおねがいします」


 ──まあ実際のところはそんな夕日の美しさだのはどうでも良くて、一日の内で最も長くアリエッタと居られる時間というのがあるのだが。

 思わず緩みそうになる頬を引き締めるのは師匠としての威厳を保つため。

 魔術に関しては極めたと自負するものの、師匠としては目下邁進中である。


「ああ──と、いいたい所だが。今日は激しい運動は無しとしよう。若鳳杯に向けての戦闘訓練も、これで一区切りとなる」

「そう、なんですか? ……いえ、確かに疲れを残してしまって結果に影響してしまうのは本末転倒になってしまいますね」

「その通りだ。大会で結果を出すだけが修行の目的ではないが、ここのところは大会に向けて戦闘の訓練を増やしてきたのも事実。どうせならばよりよい結果を目指すといい」


 だが、弟子が優秀であるがゆえになんとか師匠らしくも出来ている、と思う。

 自分自身を魔術師としては紛れもなく最も優れた存在だとは思うのだが、ものを教えるという分野に置いては素人だ。弟子の優秀さに頼らず、優れた師匠になりたいものだ。


「そういうわけで、今日は体を休めることとする。代わりに、なにか疑問に思うことがあれば聞くといい」

「座学ですね。それだと気になっている事が幾つか──」

「ふっ……いや、そう身構えなくてもいい。雑談くらいの感覚でいいんだ」


 今のところは──真面目故に肩に入りすぎる力を、抜いてやるのが私の仕事だろうか。


「雑談、ですか。改めてとなるとなんだか少し緊張しちゃいます」

「そうか? いや、確かにこうした場をあえて設けた事はなかったな。では今日はそれに慣れる訓練としよう」

「ふふっ、なんですか、それ。先生が冗談を言うの、なんだか珍しいですね」


 慣れない冗談など飛ばしてみたが、反応は悪くない。

 いい感じに方の力も抜けただろうか?


「隣、来ないか。立ち話もなんだろう」


 ベンチに腰を降ろし、呼びかける。

 柔らかな風が絡んで、長い銀髪とふわりと膨らませた。


「はい、お邪魔しますね」


 僅かな逡巡の後、アリエッタは私の隣に座った。

 ……不思議と、甘い香りがする。香水などに由来する香りではない、もっと柔らかい香りだ。

 さて。誘ったものの、何を話したら良いかわからない。

 最近どうだ──なんて、直ぐ側で見ている同級生の言葉としては適さないだろう。


「先生は──」


 『同級生』との接し方に悩んでいると、アリエッタが何かを言いかける。

 話題を提供してくれるのならばありがたい。続きを待ち構えるが、言いよどんでいるのか、アリエッタの口から先が語られない。

 それでも少し待つと、言い直すかのようにアリエッタは言葉を紡ぐ。


「先生は、どうして私の事を気にかけてくれるんですか? きっと、もっと、ずっと沢山の事ができるのに。その中には、私の修行を見てくれるよりも楽しいことがあると思うんです」


 迷いながら口に出されたのは、何故自分の修行を見てくれるのか、という疑問だった。

 ……それに対する答えなんて、決まっている。

 アリエッタが私にとって何より大切だからだ。ただ一人、千年以上を凝り固まった考えで過ごした、孤独な魔術師。日々の退屈を呪詛の様に繰り返すだけの存在に、明日を待つ楽しみを思い出させてくれた、かけがえのない存在。

 アリエッタとの時間以上に大切な事などあるはずがない。そう口に出すのは、簡単だ。

 今の私がテオ=イルヴラムならば。

 だが、今の私は一介の学生のテオドール=フラム。紆余曲折あってアリエッタの師という立場ではあるものの、それは三年間を過ごした本当の、本来の師ではない。

 そこを踏まえると、アリエッタに効かれた理由の言語化は中々難しかった。

 だが──シンプルに、すんなりと納得させる言葉が、一つ見つかった。


「ああ──アリエッタが、好きだからだな」


 彼女が、好きだからだ。

 世俗に降りて、私は人との関係というものを少しだけ学んだ。

 人と人との関係には、個人の好き嫌いという感情が大きく関わっている。

 それこそ、好きな人間のためなら何でも出来るという者もいるくらいだ。時に、命さえかけられるほど。

 正直言って、私は自身の死というものがイメージ出来ない。私でさえ私を殺すには多少の月日を必要とするだろう。

 だからこそ軽々と死んでもいい、などとは言えないが──

 アリエッタのためならば、なんだって出来る。それは嘘偽り無い気持ちだ。

 たっぷりと自分の感情を咀嚼する。うむ、やはり学生のテオドールとしては『好き』は簡潔かつ適切な理由と言えるだろう。

 だが、たっぷりと時間を使って自分の心境に答えを出した割には、アリエッタの返事が無い事に気がつく。

 今の自分が学生のテオドールであることは理解しているが、流石に拒絶は傷つく──と。恐る恐る横目でアリエッタを確認する。


「あ……あわ……あ……」


 するとそこには、顔を真っ赤にしてうつむいた、珍しい表情のアリエッタが。

 何やら身を小刻みに震わせつつ、握りしめた拳を膝の上に置いている。

 明らかにいつもどおりとは言えない変化だ。

 熱があるのだろうか、風邪でもひいたか? 私自身に課したルールを破る事になるが、風邪をひいたのならば魔術で治したほうが──などと考えていると。


「あの、せん、先生。それは、どういう……?」


 震えた声で、なんとか私の言葉の意図を聞いてくる。


「どうもこうも、私はお前を好いていると言ったのだ。それよりも大丈夫か? 熱でもあるように見えるが……」

「だひ、だいじょうぶです。すうーっ……はあ」


 大丈夫と、そう答えるアリエッタだが、本当に大丈夫なのだろうか?

 深呼吸などしているあたり、よほど辛いのでは無かろうか。


「……ふう。先生、今のお言葉は──」


 だが深呼吸で多少なりと落ち着いたのだろう。

 アリエッタは体の向きを変え、正面から私の瞳を見つめる。

 そして意を決したように口を開いた──


「ちょっと待ってくださーい! ストップです!」


 ところで。乱入する別の声に遮られた。

 同時に物陰から飛び出してくる影が二つ。

 紅い髪を靡かせて、華麗な着地を決めたフレア。


「あー……いやその、悪いな、色々」


 そしてバツが悪そうに、物陰から出てくるのは師匠であるフレアに若干ながら引いた(・・・)のを隠そうとしないヴィオラだ。

 勇者フレア主従が飛び出してきた。


「ふっ……決まりましたね」


 フレアは決めポーズまで取っている。

 ……これが、天界はこれに世界を掌握する最後の一手を賭けようとしたのかと思うと、少々悲しくなってくるな。


「──ッ! 貴方達は、どうしてそう……ッ!」


 颯爽と登場したフレア達とは逆に、アリエッタは隠そうともしない怒りを噛みしめる。

 ……なにか大切な事を言おうとしていたのだろう。が、今となってはそれも泡沫の彼方。正直同情する。


「アリエッタさん、抜け駆けはいけませんよ。貴方、今テオさまが鈍感なのをいい事に一気に事を進めようとしていましたわね?」

「むっ……!? ……ふう。だったら、どうしたというのでしょう」


 とはいえ、彼女らの存在はアリエッタを冷静にさせたらしい。

 一瞬だけ動揺した顔を見せるも、アリエッタの表情はすんと色を失う。

 ……いやいや、今度は私が混乱しているが。突然置いてけぼりを食らった気がするぞ。


「それは卑怯というものではないでしょうか? 貴女は先程、テオさまの言葉に混乱するも、時間をかけて『そういう意味』では無いと気づきましたね? その上で、テオさまに言葉の真意を問うて意識させることで、自分の望むように事を運ぼうとした……違いますか?」

「……さて? いきなり現れて何を言い出すかと思えば。仮にそうだとして、貴女になんの関係があるのです?」


 話の内容は、やはりよくわからない。が、お互いがお互いを強烈に牽制しあっていることだけは、寒気として伝わってきた。

 これはどういう状況なんだ? 千年以上生きてきているが、この空気は初めてだ。どうしたものかわからない。

 しかし、先程のやり取りに触れているのはわかる。

 話の内容は聞いていたのだろうが、乱入してきたフレアが私よりもこの話を理解しているようだ、というのは遺憾である。

 人の世で暮らして人の心というものが分かってきた気がしていたが、やはり人の心の機微というのは難しいのかもしれない。


「関係ならば大アリですとも! 貴女が狙うそこ(・・)は、私が永きに渡ってずっと思い続けてきた場所! ぽっと出の存在に良いようにされてたまるかってものなのですよ!」

「くっ……なんてなりふり構わない……!」


 それにしても──フレアと言い争いを続けるアリエッタの様子は、尋常ではない。彼女がこんなふうに怒るのは初めて見たかもしれない。

 私の知らない一面を引き出したフレアに、少々の嫉妬を感じる。同時に、僅かな感謝を。

 やはり目上として扱っているのだろうか、アリエッタは私に対して清楚で丁寧といった振る舞いを崩さない。彼女がこの様に怒っているのを見るのは、並大抵のことではないだろう。

 貴重な一面を見られたことには、感謝せざるをえない。


「大体、貴女にテオさまの隣に居る資格があるんですか? 私は貴女がテオさまと出会うよりもず~っと前に知り合っているんですよ? テオさまの事はよく知っています」

「くっ……! ですが、資格ならあります! 先生が、そう望んでくださっているんですから!」

「な、なんと……!?」


 ……いや、貴重な一面を見られた事はいいんだが、野放しも良くない気がするぞ。

 なんかこう、私まで巻き込んで爆発しそうな危うさが在る。


「……あんたも大変だな」

「いや本当に……やはり止めたほうがいいのだろうか」

「それをオススメするよ。なんていうか、火傷しそうだろ?」


 ヴィオラからしても、私と同じ様な印象らしい。

 火傷、火傷か……


「あの人の良さは私の方が知ってます! 冷たい刃の様な瞳をしていたころのテオさまを、貴女は知らないでしょう!」

「そ、それは知りませんけど……! でもでも、私だって私しか知らない先生の良さはいっぱい知ってます! 私を褒めてくれる時の笑顔とか、作った料理で喜んでくれる顔とか……貴女は知らないんじゃないですか!?」

「褒めてくれる……笑顔……っ!? そんな、私はそんなの知りません……!」


 ……ああ、そうだな。これは確かに大火傷になりそうだ……

 なぜアリエッタ達の言い争いで私が恥ずかしい思いをしているのだろう。

 これが理不尽という感覚なのだろうか。よく言われたが、私がその様な感情を覚えることになるとは思わなかった。


「……その、少し冷静にならないか。落ち着かないと話が進まないだろう」


 割り込むようにして言い争う二人の間に入る。

 正直私に関する自慢大会の様な中に入っていくのはかなりためらう行動だったが、このままだと割を食うのはたぶん、私だ。


「先生っ!? ……それもそうですね」

「……いいでしょう。ここに来たのは盗み聞きのためではありませんし。今日は、提案があってここに来たんです」


 だが思い切った行動は功を奏したようで、二人は目を反らしながら言葉の温度を下げる。

 流石に当人の目の前で続けるのには思うところがあったのだろうか。

 ……いや、先程から居たのだがな!? すっかり存在を忘れられていたということか。まあ、それはこの際置いておこう。


「提案とは?」


 この混沌とした世界を抜け出す鍵。それはフレアの言葉の中にある。

 聞き返す私に、フレアは不敵な笑みを浮かべる。


「はい。ご相談なんですけど、その前にテオさま。ヴィオラちゃんの先生をしてみて、どうでしたか?」

「どう……と言われても」


 だが状況はあまり好転しなかった。

 なんとも答えにくい質問に、声が詰まる。

 それは、悪い気はしなかった。物覚えはいいし、私の交友関係では珍しい、快活なヴィオラとのやり取りは正直楽しさを覚えていたと思う。

 しかし何故か、それをアリエッタの前で言うことは憚られた。


「良いんです。仰ってください、先生」

「む……分かった」


 が、それを聞くことをアリエッタが望んでいるのならば、黙っているのは不義理である気もした。


「……正直に言えば、楽しかったよ。覚えはいいし、お互い気を使わない、明け透けな会話は中々新鮮なものだった」


 だからこそ、包み隠さずに感想を打ち明ける。

 私の言葉を聞いた者たちの反応はそれぞれだ。僅かに唇を結ぶアリエッタ、笑みを浮かべるフレアに──驚いた表情のヴィオラ。


「そうでしょうそうでしょう」


 フレアは満足げだ。

 私の返答を予想していた、勝ち誇ったような表情。


「そこで提案なのですけれど、これからもヴィオラちゃんの育成に手をお貸しいただけませんか? ヴィオラちゃんも貴方の事は気に入っていますし、ヴィオラちゃんのモチベーションを上げる一因にもなると思うんです♪」

「なっ……!?」

「っておい、フレア!?」


 フレアの『提案』に驚愕の声をあげたのは、アリエッタだけではない。思わぬところから弾が飛んできたヴィオラもだった。

 反応を見るとこの『提案』、ヴィオラの方は聞かされていなかったらしい。

 ヴィオラも私を気に入っている……というのは本当だろうか? わからないが──


「……ヴィオラの事は憎からず思っているが、私は飽くまでもアリエッタの師だ。彼女を疎かにすることは出来ん」

「先生……!」


 私にとってはアリエッタが全てだ。

 フレアの助け、ヴィオラの臨時教師というのはアリエッタに使うことが出来ない夜時間を使ってこそのものだ。

 ぱっと表情を明るくするアリエッタに対して、ヴィオラの表情は暗く沈む。……私の事を悪く思っていないというのに偽りは無いようだ。少しだけ胸が痛む。


「そうですか、それは残念です。でも、だからこその『提案』なんですよ♪」


 だがフレアはまるで堪えた様子がない。

 だからこその提案、ということはまだ本題に触れていないということか?

 この、知らずのうちに絡め取られていくような感触。今までの経験からすればフレアはここからだ。


「そこでです。『賭け』をしませんか?」

「賭けだと?」


 目を細め、妖艶に微笑んだフレアの言葉に、思わず聞き返す。

 ああ聞くな、と感じたのは言葉が口を出てから。嫌な予感が走る。


「今度の『若鳳杯』で、アリエッタさんかヴィオラちゃん、どっちが勝つか、です。ヴィオラちゃんが勝つようなら、テオさまのお時間をいただきます」

「なんだと?」


 少々語気を強めて、凄んでみる。

 が、こんな風でも付き合いは長い。フレアは気にした様子もなく続ける。


「アリエッタさんの事が大切なのは重々承知です。でもヴィオラちゃんの才能をより輝かしく磨きたいテオさまも心のどこかで存在しているんじゃないですか? 昔の貴方はとっても合理的だったでしょう? みすみす、優れた才能を手放すのは非常に非合理的に感じますね」


 めちゃくちゃな理論を得意げに語るフレア。だが、本人もおかしな事を言っているのは分かっているだろう。

 これは、明確に私に向けた挑発だ。腑抜けたのかと、そう言っているのだ。


「それにアリエッタさんも、テオさまの手ほどきを受けてその程度……というのでは弟子として不甲斐なくなってしまうのではないでしょうかね?」


 私だけではない、アリエッタに対しても、恐らくは彼女にとって最も有効な手段で神経を逆撫でしている。

 これで賭けを拒否すれば、奴は逃げたのかと囃し立てるだろう。

 アリエッタにとっての『私』は、逆鱗だ。


「そして、もしもアリエッタさんが勝ったら、そうですねえ……向こう三年間、私達は『テオ』さまの前に姿を現さない事としましょうか。こんな学校行事が無いとも限りません、偶然ばったり会ってしまうのは仕方がないかなと思いますけれど、私達の方から『テオ』さまに会いに行くことは禁じる、とかどうでしょう?」


 しかし今回のフレアは、挑発するだけではなかった。

 賭けに提示したフレア側の代償は、恐らく奴が最も強く避けてきた事のひとつ。

 三年間という期限付きとはいえ、姿を現さないとは大きく出たな。私の居場所が割れていて一つの場所に留まることまで知っている今は、フレアに取って最大限の好機だろうに。

 アリエッタが負けてもアリエッタの師をやめろ、と言われているわけではない事を考えると、此方よりも大きなものを天秤に乗せたと言ってもいいだろう。


「意外そうですね? でもおわかりでしょう。それだけ本気ということです」


 本気……か。確かに、フレアにとっては大きな賭け事だろう。それだけ、ヴィオラを信頼しているということだろうが──だが、なんだろうか。この粘つくような不安は。

 ちらり、とアリエッタを見やる。


「──やりましょう。私としてはそこまでしようとは思いません。けれど、そういう形で白黒付けたいというのならば、拒否する理由もありませんから」


 ……どうやら、やる気のようだ。

 眼光を鋭くし、フレアへとにらみつけるような視線を飛ばすアリエッタ。


「始めから、先生の弟子として、負けるわけにはいきませんでしたから。負けられない理由が一つ増えただけです」


 アリエッタは、はっきりと物事を分ける方が好みであるようだ。

 ならば、私もふらふらと意見を左右させるわけにはいくまい。


「──受けよう、その賭けを。私も、アリエッタを信じているからな。彼女がやるというのならば止める理由もない」

「……ふふ、本当にお弟子さんを信頼していらっしゃるのね。少々妬ましいですけれど、良いですわ。大会が楽しみですね♪」


 柔和に笑うフレアの意図は、わからない。

 が、なんだ? この余裕は……

 だから私はフレアが苦手だ。何処まで言っても手の上で転がされている気がすると言うか──表面上勝っているように見えても、何処かで遅れを取っている。彼女とのやり取りは、何時もその様な気分で終わる。


「じゃあ、言いたいことも言ったので──行きましょうか、ヴィオラちゃん♪ ではまた会いましょう♪『テオドール』さま♪」


 フレアの瞳が、妖艶なまでに嗜虐的な笑みを象る。

 戦えば問題にならないというのに、このプレッシャーは一体何だというのだろう。


「な、なんか悪かったな。それじゃ……」


 未だ困惑気味のヴィオラを連れて、フレアが引き上げていく。

 それを呆けた表情で見送る私に対して、鋭い眼光で見つめるアリエッタ。

 いかんいかん、気を引き締めねば。

 話の成り行きで、随分と大きな賭けをすることになってしまった。

 私は、負けるのは嫌いだ。だからこそ力を付けたとも言える。だがそれ以上に、手塩にかけた我が弟子が負ける姿は見たくないものだ。


「先生」

「なんだ?」

「私、負けません」


 しかしその心配は無用かもしれない。

 負けないと語るアリエッタの目には今までにない強い闘志が宿っていたのだから。

 図らずも、フレアの提案した賭けはアリエッタにやる気を出させる最後の一手になったようだ。


「ああ、頑張れ」

「はいっ!」


 労いの言葉をかけると、アリエッタは勢いよく頷き、破顔した。

 私が今こうしてアリエッタを激励するその意味を正しく受け取ったのだろう。

 フレアが何を企んでいるかは知らないが、勇者という称号に相応しく、あれで正義感は持っている人間だ。勝負に直接介入するような真似はしないだろう。

 となれば──何を企んでいようと、アリエッタが勝てばそれで解決する話だ。

 ならば深く考え込む必要はない。できの良い弟子を信じれば、それで。


「さ、今日はお開きにしよう。ゆっくりと体を休め、明日に備えよう」

「そうします。ふふ、見ていてくださいね。絶対──勝ちますから」


 アリエッタがこのように勝負にこだわるのは、多分初めてのことだ。

 彼女が自分の意思で『勝ち』に行った時、どうなるかは見ものだな。

 フレアは案外眠れる獅子を起こしてしまったのかもしれない。沈むゆく夕日を見送り、私はそっとほくそ笑んだ。



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