第三十四話:慌ただしい日々
昼食の時間。
若者達特有の活気に満ちた学園はこのとき、喧騒の頂点へと到達する。
ある者は学食で、ある者は購買で。その若さを最大限に解放する。
学食は席取りの戦争になるし、購買は人気商品の奪い合いだ。
数百年間を一人で過ごした私には、まだまだこの煩さは慣れないものだ。
が、不思議と悪くない。
「あら、何やら感慨深そうな顔をしていらっしゃいますわね」
「少し考え事をしていた」
まだまだ私も若いのかもしれない──そう続けた半ば独り言を聞いて、難しそうな顔をしたのはシャーロットだ。
……いかんな、そう言えば今の私は十五歳という事になっているのだったか。
千年以上で培われてきた自意識というのは中々改革が難しい。まだ若い、なんて言うのは老いた者の口からしか出ない言葉だろう。今の私にはそぐわない。
「アリエッタさんは?」
と。自分の愚かさに眉を顰めていると、シャーロットが自然にトレイを降ろしつつ言う。
すっかり私とアリエッタはセットで考えられているらしい──
「あちらの喧騒に巻き込まれているよ。どうも、ああいう慌ただしさは苦手なようでな」
まあ、その通りなのだが。
指を指す方には、人混みに揉まれてせわしなく体を動かすアリエッタの姿がある。
シャーロットは苦笑いをして、スープで口を湿らせた。
「ところで。今日の授業で気になったことがあるのですが──」
「ほう? 話して見るといい」
アリエッタが来るまで、まだ時間がありそうだ。
シャーロットの方もそう考えたのだろう、自然と雑談の流れとなる。
雑談というよりは質問か。
こうして授業の内容を聞かれたのは、今回が始めてではない。
最初に出会ったときからすると随分と打ち解けたものだと思う。
「……なるほど、良い質問だ。それは当然問題点として挙げられるので──」
「……そうですのね! やはりテオさまのお話は参考になりますわ」
シャーロットの質問は、授業の内容をより踏み込んだ際に考えられる欠点について、だった。
正しく授業を理解していないと出てこない疑問だ。
要領が良く、思慮深い。シャーロットとのテンポの良い会話は、楽しい。
ついつい興が乗って話し込んでいると──
「おまたせしました、先生。……何をお話していたんですか?」
ようやく食事を手に入れたアリエッタが戻ってきた。
自分が居ない間にされた会話が気になるようだ。
とはいっても、所詮は一年次生の授業。やや踏み込んだ内容ではあるが、アリエッタは既に放課後の訓練で済ました箇所の事だ。
「今日の授業について少しな。お前とは既に学んだ箇所のことだよ」
「となると、詠唱を省略した魔術で一定以上の威力を出すには、というお話でしょうか」
「まあ……それだけで分かってしまいますのね」
アリエッタが聞いていないはずの会話の内容への理解を示したことで、シャーロットが目を丸くする。
開いた口が抑えた手の奥に覗いているのを見ると、大分驚いた様子が見て取れる。
シャーロットは、優秀な子だ。十を聞けば十を理解する力を持っている。だがそれで例えると、アリエッタはその半分ほどの五を聞いて十を理解する優秀さがあるのだ。
なんとも鼻高く、無意識のうちにわずかに胸を反らしてしまう。やはりこの子は自慢の弟子だと。
「それにしてもテオさま……は少し特殊にされても、アリエッタさまは凄いですわ! 私も──苦手な事以外のお勉強はそれなりに出来る方だと自負しておりましたが、この学園に来てからは未熟さを思い知らされるばかりです」
自分で褒めるほどの弟子だ、他の者から称賛を得られれば、それは更に私を上機嫌にさせる。
それがシャーロットほど優秀な子からの称賛であれば尚更だ。
「そんな。何度も言いますけれど、私の場合は先生が素晴らしいだけですよ。先生が居なかったら、私なんて普通以下だったと思います」
だが、それでもアリエッタの自己評価は低い。
確かに私も生まれ持った魔力の低さから才能は精々が中の下という評価を下したこともある。が、それは無意識に私を天秤の片側に載せていた故のものだ。
アリエッタの応用力は一般の魔術師と比べれば目覚ましいものがある。教えを理解する、という事もまた才能なのだ。
そのあたり、もう少し自分で正確に把握をしてもらいたいものなのだが──そういった事も有っての若鳳杯だ。
「如何に優秀な教えでも、それを吸収する力がなければ無意味だろう。教本が一つあったところで、それを読み解けなければ意味はない。お前にはその力が備わっているのだ、自信を持つといい」
「ふふ、そうですか? 先生に言われると、自信が持てます」
口ではそう言いつつも、自己評価の低さが変わらない事は知っている。
基本的にアリエッタは私かテオドール(わたし)の言う事ならば聞く良い子なのだが、こういうところだけは妙に頑固というか。
とはいえそれも圧倒的多数の人間に認められれば改善されていくだろう。通常であればそれで驕る事を心配するが、アリエッタに関してはその心配もいらないというのはいい。
「本当に、テオさまとアリエッタさまは私の憧れですわ……」
「よ、よしてください。恥ずかしいです」
「ああ。それにお前も私の知る限りでは特に優秀な子だと言っているだろう?」
まあ自己評価の低さに関して言えば、シャーロットも少々問題なのだが。
この子の場合は自分の欠点を大きく捉えすぎているのが原因なので、アリエッタとはまた別の方法で解決していく必要があるのだろうな。
「うーん……そう、でしょうか」
「私は、嘘は吐くが煽てたり気を持たせるような嘘は吐かんぞ。全て事実だ」
「ではそういう事にしておきますわ」
煮え切らない様子だが、これ以上は続ける気も無いらしい。
シャーロットもこの辺りは模擬戦の形を取る若鳳杯で改善されるといいが。こればかりは彼女のクジ運に依るだろう。
アリエッタとヴィオラ、どちらかと一回戦で……なんて展開はよしてほしいものだ。
「……あっ、ではちょっとした疑問なのですけれど」
いっそクジの操作を──と思いつくも、運命の操作に類する手法はアリエッタの参加する大会には使いたくない……などと悩んでいると。
シャーロットが小さな手を合わせる。
「テオさまの見てきた中で、どなたかこの者は優秀だ! っていう人とかいらっしゃいましたか?」
シャーロットが口にしたのは、本当にちょっとした疑問から出た問いかけであった。
すぐさま脳裏に浮かんだのは、最近良く接していた事もありガーディフとフレアだ。
が、そんな当たり前の事を聞きたいのではないだろうし、彼らを凌駕する様な闇の魔術師を一介の学生である私が知っているというのも不自然だ。
「まずは当然アリエッタだな。シャーロットも学生という枠組みならば群を抜いているし、シュリオもそれに追随する。模擬戦ならば僅差でシャーロットが勝つだろうが」
そこで、私は同年代の知り合いを中心に名前を出していくことにした。
これもまた聞きたい趣旨からは外れているだろうが、学生のレベルならばシャーロットを超えるものは殆ど居ない。
世界最高と言われる魔術学園のセントコートでさえこれだ。おそらく世界中を探しても学生の中ならばこれ以上を探すのは難しいだろう。
……だが、例外が一人。
「ああ、しかし『勇者フレア』の弟子はかなりやるな。ヴィオラと言うのだか、彼女が中々飲み込みが早い」
最近接するようになった少女の名前が突如浮かび上がり、私はぽんと手を打った。
言葉遣いは荒っぽく、一見粗野だが思慮深く。しかして直感的に物事を覚える才がある。
「アリエッタとは真逆のような娘なのだが、それが逆にいいのかもしれないな。感覚で物事を覚えていく、面白いタイプの少女だ」
脳裏にその姿が思い浮かぶ。
論理的なアリエッタと、直感的なヴィオラ。二人が揃い道を歩めばお互いが良い刺激になるだろう──と。
「勇者フレアさまのお弟子さんですか。それは流石と言った所なのでしょうか」
「いや? 奴……じゃない、彼女の言葉を信じるのならばだが、結構行き当たりばったりで弟子を取る事になったらしいが──」
ついつい上機嫌で語ってしまってから、失言だと気がついた。
よく考えれば、一介の学生である私と『三英雄』のフレアとではそもそも接点が想像出来ないという事を忘れていた。それは弟子が相手でも同じことだろう。
この間、昼食時に奴らが訪ねてきた時は有耶無耶に出来たが、自分から語るに落ちては愚かという他ない。
言葉を途中でとどめて、横目でアリエッタを見ると──
驚くほどに、無表情。
「随分と、親しげにお話なさるんですね。先生が──あの、槍を持っていた女の子と接点を持っていたとは、知りませんでした」
言葉は丁寧なれど、悲しみの中に怒りが混ざって私を責め立てる。
不味い。こんなアリエッタを見るのは初めてのことだ。
肌は熱いが骨は冷たい。心の混乱が体に変調をきたす。
こんな感覚は初めて──? いや、遠い昔に感じたことがあるこれは、焦り……?
どうするべきか、混乱する私が導き出した答えは──
「あ、ああ。ヴィオラが持つ魔道具に、たまたま造詣が深くてな。若鳳杯までの間、空いた時間で少しアドバイスをすることになった」
正直に話すことだった。
アリエッタからすればヴィオラは若鳳杯で対峙するかもしれない敵という言葉が当てはまる存在なのかもしれない。
ともすれば、アドバイスという行為は敵の手助けをする、裏切りにも相当する行為とも取れるため出来れば黙っておきたかったのだが──
「……私の見立てでは、アリエッタの実力は若鳳杯の参加者の中でも飛び抜けている。実力が近しいヴィオラに手を貸す事によって力を近づければ、アリエッタにとってよりよい経験が得られると考えていた。気に触ったのならば、許してほしい」
こうなった以上、それを黙っているのもアリエッタを軽んじていることに繋がるだろう。
気は進まなかったが、打ち明ける。
沈黙。数秒が引き伸ばされて感じる。アリエッタの瞬きさえもがゆっくりに感じる中──
「そういうことだったのですね。……一言仰ってください。秘密にされるのはなんか、寂しいじゃないですか」
アリエッタが拗ねた様に言う。
寂しいという言葉通り、言葉には若干の棘と悲しみが混ざっていたが、怒りはなくなっている様に感じられる。
「……すまない。裏切りと取られるのが怖かったのかもしれない。何か企むのならば、極力話す様にする」
「いいんです。先生が私のことを考えてしてくださったことだとわかれば、それで。ただちょっと怖かっただけなんです。私よりも、そちらのお弟子さんの方に興味を持ってしまったらどうしようって……」
なんとか、許してくれた事に心中で胸を撫で下ろすが、同時に心が傷んだ。
この子に不安を覚えさせてしまっているようでは、まだまだ師匠としては未熟もいいところだ。
「……お前との時間は、彼女よりも多くとっているし、ヴィオラの修行も口出しをするだけだ。いつでも、私はお前を一番に思っているつもりだよ」
今の私には、こうして安心させる言葉を吐くしか出来ないが、嘘偽りのない気持ちを口にしているつもりである。
……テオドールではなく、本来の私であれば、肩を抱いてやるくらいは出来るのだが。なんともままならないものだ。
「……ふふっ、ありがとうございます。先生が私を大切に想ってくれるのは、知っていたんですけれど……不安に思ってしまうのが、情けないです」
しかしそれでもしっかりと誠意は伝わったようだ。
穏やかな笑みが戻ってきた事を確認し、心の底から安堵した。
「ええと、なんと言ってよろしいか……既に夫婦の様なやり取りですわね」
安心すると少々周りも見えてくる。
シャーロットが、何やら呆れたような感心したような様子で呟くのが聞こえた。
夫婦……とはこの状況には適していない喩えに聞こえるが、とにかく仲が良く見えるということだろう。
「ふ、夫婦だなんてそんな……まだ早いです」
アリエッタも否定しつつ嬉しそうだ。
テオドールとして活動している私にこうした顔を見せるのは正直複雑でもあるが、その分テオとして会っている時に甘やかして見ようと思う。
「……っと」
茶化す友人、慌てるアリエッタ。
こういう和気藹々とした空気は私とアリエッタだけの時にはあまり無いので、この機会に楽しんでおきたくもあるのだが。
「先生?」
椅子から立ち上がると、アリエッタが疑問を浮かべる。
「少々野暮用が会ったのを思い出してな、一足先に出る。ああ、誤解がないように言っておくのだが誰かに会いに行くとかではないんだが」
「わかりました。食堂には戻られますか?」
「いや、少々時間がかかりそうだ。時間が余れば顔を出すが、教室へ戻るのならば私を待つ必要はない」
野暮用。そう、野暮用だ。
アリエッタ達を置いて、食堂を出る。そのまま人気のない場所へと移動し、ズボンのポケットから取り出したのは、とある魔道具──『鈴』。
震えているそれを、確認するように手に取る。
……これは、アリエッタが屋敷を出る時に持たせたものと対になるものだ。即ち鈴同士で通話ができるという簡単な魔道具。だがもう一つこれには機能がある。
それはアリエッタに迫る危機を知らせるというものだ。
その鈴が、先程食事の時に震え始めた。
隣にアリエッタがいる状況だ、通話の機能を使ったのならば気づかないはずがない──という事は。
手を打つべき何らかの危機がアリエッタに迫っているということだ。
アリエッタとの会話以上に優先するべきことなど、私には一つしか無い。即ちアリエッタ自身の存在だ。
「昼食の歓談を邪魔した罪は重いぞ」
念じることで、鈴の知らせる危機を読み取る。
「……なるほど」
一言だけ呟いて、私は『門』の魔術を起動した。




