第三十三話:ヴィオラ
フレアの襲来からそろそろ一週間が経過しようとしていた。
始めはただただ慌ただしくなると思っていた日常は、意外にも穏やかで中々に心地の良い日々が続いている。
最近の私の一日は、朝起きて授業を受け、放課後はアリエッタの修行。そして夜はヴィオラの臨時教師……と。忙しいことには忙しいのだが、それぞれが私にとっては良い刺激となっていた。
臨時教師とは言っても、やることは口出しだけだ。寮の部屋でシュリオと喋っていた時間の代わりに、此方に来ていると思えばさほど変化はない。
ヴィオラは槍に意識を集中させ、闇の魔力を込めている。
それを槍に巡らせることで刻まれた術式を付与し──放つ。
槍の穂先から放たれた『ダークブレット』には、細かな光が付随していた。
「……出来た! なあ、出来てたろ今の!」
紛れもなく、それは『天底の槍』の真の力であった。
防御することの出来ない『魔力ダメージ』の術式。
「不完全ではあるがな。魔力の通し方にムラがありすぎる。効果は半分と言ったところだろう」
ただし、未完成ではあるが。
闇より派生した『星』の力。彼女の生み出す力がそこに到達するのは、あとほんの少し時間を要するだろう。
「いまのでかよ! ……いや、テオが言うならそうなんだろうな」
悔しそうだが、楽しそうに弾んだ声。そこに出会った時にはなかった、信頼の色。
心の底から槍の修練を楽しんでいるようだ。
……正直、これほどまでに上達が早いとは思わなかった。
若鳳杯までに最低限扱えるようになれば上出来かと思っていたが、予定の三分の一程の時間でここまで来るとは。
「だが見事だ。槍の力で簡略化されているとは言え、かなり高等な魔術だ。最低限扱えるようになるまで、少なくともあと一週間はかかると思っていたのだがな」
「……! へへ、あたしにかかればこんなもんだよ。テオのアドバイスもよかったしな!」
歯を見せて爽やかに笑うヴィオラ。
浮かんだ汗がなんとも健康的な印象だ。
テオ、と呼ばれるのもこれはこれで新鮮で悪くない。
友人というのがこういう関係なのだろうか。呼び捨てに飾らない喋り方。物怖じしない態度──どちらかと言えば敵対関係にあるものに多かった態度が親しい態度から向けられるのは良い気分だった。
「すっかり仲良しさんになりましたねー♪ 私としても嬉しいですよ」
「はあ? ……あー、いや。そうかもしんないな、うん」
そんなわけで──この一週間で、お互い大分打ち解けたと感じていた。
こういった話題に敏感に反応するヴィオラも、くすぐったそうに肯定する。
いくらフレアの言葉でも、こういった話題に肯定するのは少し意外に思った。
最初の頃は茶化される度に声を荒げて反論していたものだが、それも仲が深まったからこそだろう。
「……最初の頃は随分と突っかかってきていたが。どういう心境の変化だ?」
「テオが悪いやつじゃないってわかったからな。それに色々教えてもらってんのに感じ悪いままじゃ失礼だろ、フツーに」
あとは、彼女の律儀さによる所も大きい。
恩には礼を、当たり前の事ではあるが、それを当たり前に行えるのは人柄と言ってもいいだろう。
だからこそ私も彼女を気に入り、彼女も私の接し方を見て態度を軟化させる。
この一週間は、その積み重ねだ。
「よし、感覚を忘れないうちにもう一度やってみろ。より丁寧に、均一な力を流せ。最初はなるべく出力を低めにしたほうがいいだろう」
「ん、やってみるよ」
またこれが、中々覚えがいい。
言われたことを漠然と繰り返すのではなく、試行錯誤を加えていく。
「『ダークブレット』! ……っくそ、失敗か」
それが良い方向に行くばかりではないが。
「低く低くを意識しすぎて逆にムラが出来ているな」
「ふん、わかってるよ」
ぶつぶつと何やらをつぶやきながら、再び槍と向き合う。
ぶっきらぼうな返しだが、口から出ているのは文句ではなく改善点の様だ。自分に言い聞かせながら、真剣に集中を高める。
……うむうむ、こういうのもいいな。悩みながらも腐らず、何度も試行するその姿は、私達の様な魔術師が忘れてしまった感覚だ。
「……『ダークブレット』! あっ、今の良かったんじゃないか!?」
結果に一喜一憂するその様は、ただただ眩しく映る。
「お前がヴィオラを可愛がる理由がよく分かるよ」
「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」
自慢気に胸を反らす。
どういう経緯でフレアとヴィオラが師弟関係を結ぶに至ったかは知らんが、お互いに信頼しているというのはここ数日でよく分かった。
悩みながらも成長を続け、好意には好意を返してくる。
入れ込むのもわかるというものだ。それだけのものを返してくれるのだから。
「どうです? よければ私と一緒にヴィオラちゃんの師匠になりませんか?」
自分よりも低い位置にある私の顔を覗き込みながら、フレアはそんな提案をしてくる。
前までの私であれば一も二もなく飛びついただろうな。それだけ、彼女の監督をするのは楽しい。
「遠慮しておこう。私にはアリエッタがいるからな」
だが、そうはならなかった。
何故ならば私にはアリエッタがいるからだ。
確かにヴィオラにものを教えるのは楽しい。しかしアリエッタが居なければこうして彼女にものを教えることはなかった。
今私を取り巻く環境の全ては、アリエッタに与えられたものだ。その上で、最も優先すべきと考えている物事の中心が、アリエッタなのだ。
「ふふ、いい表情をなさるようになりましたね。……本当に、羨ましい。テオさまにこれほど愛されているなんて」
「あい……っ!? い、いや。そうなるか。確かに私はあの子を我が子のように思っている。生憎子供を持ったことはないがそういう意味では、まさしく愛していると言えるかもしれんな」
気がつけば、緩んだ顔をしていたようで、フレアに茶化されてしまう。
が、ヴィオラから影響を受けたか、咄嗟に否定をしようとしていたのをやめて肯定する。
愛……といえば、それは紛れもなく愛、と言うべき感情なのだろう。
アリエッタのことは何よりも大切に想っているし、彼女の喜びは私の喜びだとはっきり言うことが出来る。もしも、彼女を喪う様な事があれば、私は世界を対価に捧げても取り返そうとするだろう。
アリエッタも、私を師として慕ってくれているのがよく分かる。この通じ合った気持ちを否定してしまうのは、ひどく不誠実だと想ったのだ。
「……アリエッタ、か。そういえばあの一回きりで、まだちゃんと喋ってないんだよな。どういう奴なんだ?」
「一言で言えば、素直で勤勉な良い子だ。気も利くし、人懐こく、家事も万能と来てる。あらゆる面で少女然とした少女といえる」
先程まで槍の扱いを練習していたヴィオラが会話に混ざって、アリエッタの事を聞く。
弟子としてのアリエッタを聞かれるという経験があまりなかったということもあり、ついつい饒舌に語ってしまった。
「ベタ褒めじゃねーか。……あんたにそこまで言われるのは、ちょっと羨ましいな」
自分でも親ばかがすぎるか、と思ったのだが茶化されることはなく、拍子抜けに思う。
少しは信頼されているということだろうか? まさか羨ましいとは。
「そうは言うが、私はお前の事もそれなりに評価しているぞ。覚えはいいし、フレアの弟子とは思えんほど素直だ」
「むっ、どういうことでしょう。私ほど素直な人間も居ないと思うんですけど」
だが、羨ましいとは言うが私もそれなりにヴィオラの事は評価している。
アリエッタほどベタ褒めとはならないが、賛辞の言葉程度は惜しくない。
抗議するフレアは無視しつつ、続ける。
「それに、明け透けの無い性格は好んでいる。お前と会話するのは中々新鮮だ」
「お前っ……そういう所がさあ……いや、いいんだけどさ」
とは言え単に褒めれば、それはそれで何か思うところがあるようで……恨みがましい視線を向けてくる。
難しい年頃とでも言うべきか。いや、恥ずかしがっているだけだろう。
「羨ましがる必要も無いだろうという事だ。お前とアリエッタは違うが、どちらもそれぞれ優れた部分を持っている。口に出して伝える事が好みならば、そうしよう」
「……ふん、そうかい」
頭に優しく手を置くと、拗ねたように目をそらす。
少しだけこの子の事がわかってきたのだが、多分今はこれで機嫌が悪くはないのだと思う。
アリエッタとは逆に甘え下手と言うか、自分を強く見せたがるというのか。褒めると恥ずかしそうにするが、褒められること自体は嫌いではないのだと思う。
「まあ飽くまでも私はアリエッタの師だ。何時も此方に居るわけではないだろうが、居る時くらい何かあったら言うと良い」
そんな不器用な彼女だからこそ、手を貸したくなるのは人情という奴なのだろうか。
臨時とは言え、ものを教える立場として、もう少し奔放に生きる手助けをしてやれると良いのだが──と。
「またアリエッタ、か」
ちょっとしたお節介くらいで発した言葉に、ヴィオラの声のトーンが、ふっと落ちた。
うつむいた顔が、再び上がる。
「フレアじゃないけど、随分入れ込んでるみたいだな」
「それはそうだ。あの子と出会ってから、私の価値観は一変した。あの子が居なければ、今の私もなかっただろう」
「ほんとに変わられたんですよー。前のテオ様はもっと冷たい感じでしたけど、私としては今のテオ様の方が温かい感じがして好きですね~」
「前の私しか知らん者にとっては意外に感じるだろうな。私も前の私が今の姿を見たら──と考えることが多々あるよ」
肩をすくめて見せると、フレアが笑う。
こんなやり取りも、前はなかったのだろうと考えると少々感慨深いものがある。
おかげで先程まで妙だった空気が少々温まったような気がする──が、ヴィオラは相変わらず何かを考え込んでいる様子だ。
「どうかしたのか?」
「ん、いや。やっぱテオにそこまで言わせるアリエッタってのが気になっただけだ」
どうやら、アリエッタに興味があるらしい。
まあそれもそうかもしれない。自分で言うのもなんだが、私が評価する魔術師とあれば興味を惹かれるのも無理はないだろう。
「今度会う機会を設けるのもいいかもしれないな。いや、そう急がずとも、若鳳杯になれば何処かで必ず当たるか」
「なるほどね。そうか、それでもいいな」
若鳳杯で当たる──その言葉に、獰猛な笑みを浮かべるヴィオラ。
興味だけではない、敵意が先行しているような──好敵手の存在を喜んでいるというだけにも見えない。
フレアに食ってかかろうとしたのを止めた、というだけでいがみ合うようなやり取りはなかったはずだが。
そういえば、アリエッタの方も一度だけ強烈な敵意を見せていたような……?
「ふふふ~、大変ですねえ」
「切磋琢磨してくれるのは私としては嬉しいことなのだが……」
微笑ましい様子の弟子を見る目……ではない。フレアの声は笑っているが、よく見ると眼が笑っていなかった。
……なにか、気づくべきことに気がついていないような。
アリエッタに持たせた鈴が鳴っていないうちは動く必要がないはずだが、なんだか不安になってきた。
まだまだ私は人の言葉や表情から情報を読み解く能力が未熟らしい。
不気味に笑うフレア師弟。なんだか不穏な予感を覚えつつも、ひとまず私は解決を後回しにするのだった──




