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第三十一話:勇者フレア

「テオ様、此方に降りてきているのなら何故教えてくださらないんですか? 私、寂しかったのに」

「お前がもう少し落ち着いているのならば古い馴染みに伝えるくらいはしても良かったのだがな。……機を窺うのはやめろ。二度目は通じんぞ」


 未だ混乱の最中にあるアリエッタを置いて、フレアは久々に会えた喜びを隠すことなく雑談に興じようとしてくる。

 正直誤算であった。顔を合わせること自体は覚悟していたが、それは早くとも『若鳳杯』の前後になるかと考えていたのだ。

 抱きつこうとしてくるフレアを牽制しつつ、ため息を吐く。

 『テオドール』が『三界戦争の英雄』と知り合いなんて状況は不都合に他ならない。

 アリエッタにはできるだけのびのびと学園生活を過ごしてもらいたい。それには師匠の眼があるなどと思わせてしまってはならないのだ。

 私とテオドールが同一人物だと考えてしまう様な情報は不都合極まりない。三人しか該当しない『三英雄』というくくりでの寄り合いは勘弁願いたいものだったのだが。


「え、ええと……随分とその、仲が良さそうに見受けられますが、先生と──フレア様はどういう関係なのですか?」


 混乱しつつも、それ以上の疑問が渦巻いているのだろう。

 それは、聞きたくもなる。先程授業で学んだばかりの偉人と、クラスメイトが知り合いというのでは……


「それはもう! 運命の……という言葉は嫌いなので使いませんけど、お互いに愛し合った仲と言いますか……ね?」

「あっ、あい……っ!?」


 アリエッタが私達の過去を知らないのをいい事に、フレアは好き勝手言っている。

 見てわかるほど狼狽しているアリエッタの姿を見るのは、久しぶりだ。

 ……いや、少々考えれば気づくだろう。十五歳の少年が三百年以上生きているフレアと愛し合った仲、であるはずがあるまいに。


「……幼い(・・・)からの、ただの古い知り合いだ。根も葉もない嘘を、呼吸のように吐き出すな」


 だがそれで誤解されても困る。

 余計なことを言うフレアには釘を指しておいて、ひとまず本当のことを言う。

 嘘は、言っていない。事実私とフレアは幼い頃からの知り合いだ。フレアが『聖女』としてこの世に生を受けてから、何度か様子を見に行った過去がある。

 学生に扮した今の状況では『私が』幼い頃にフレアと知り合った、という文面に聞こえることだろう。悪くはない手なのではないか。


「もう、冷たいんですから。あんな情熱的な事を仰ってくださったのです、その責任くらい取ってくれてもいいんじゃないですか?」

「なっ……!? じょじょ、情熱的な事とはどういう事ですか、先生っ!?」

「おいおいおい、違う、違うぞ。勘違いするなよアリエッタ。フレア、貴様はもう黙れ」


 とりあえず私とフレアの関係についてはぼかせたが、この暴走する炉の様な女を放置しておくのはまずい。

 勇者という肩書の所為だろうか? 純粋なアリエッタはひとまず何を言われても信じてしまう。いちいち否定するのもキリがない……


「どっ、どういう事なんでしょう!? 先生が、勇者さまと……!? だとすれば私は、一体どうすれば……!?」


 と思ったのだが。アリエッタはアリエッタで何やら色々と考えを巡らせてしまっているようで、勝手に混乱を極めていく。

 ……頭が痛い。痛みなどというものは、私には無縁のものだ。だからこれはそういう気がするだけなのだろうが──気分が重いなどというのはいつぶりのことだろう。


「落ち着けアリエッタ。いいか、落ち着け」

「は、はひ……!」


 揺れるアリエッタを止める様に、両の肩を両手で掴む。

 目がぐるぐると回っている。少し間が抜けていて可愛らしいが、それはこの際置いておかないと話が進まない。


「一度しか言わんぞ。恥ずべきことかもしれないが──私は今日まで、特定の女性と懇ろになったことは、ない」


 ……何が悲しくて自身の女性関係が寂しかった事を言い聞かせねばならないのだろう。

 いや、不要だと思ったから、関係を持たなかったのだ。恥ずべき事はなにもないはず……なのだが。

 こうして人間社会──特に学校という、色々と感情豊かな者達に囲まれた環境で暮らしていると、やはり色恋の情報も少しばかりは入ってくる。

 それによると、年が行っているのに女性関係がない男性には思う所がある者も居るらしい。

 今の私は十五歳の少年という事になっているのだから何も問題はないのだが、それでも恋愛経験が豊かな事はこの思春期という年代の少年少女達に取ってはステータスともなるようで

──ああ、なんだろう。何故私はこんな気持になっているのだ……?


「え、あ、そう、なんですか? ……えへへぇ、安心しました……」


 だが、その情報はアリエッタを落ち着かせるには極めて適当な情報だったらしい。

 目に見てわかるほどの安堵! そして朱が差す頬。恥じらう様子は可愛らしいが、こんな事で見たくはなかったな……


「あら……寂しいですね。でも良い事を聞きました♪」


 そして此奴には聞かれたくなかった……

 いつもこうだ。フレアと話していると、いつの間にか私が損をしている。


「っはぁー……もういい、もういいからさっさと本題に入れ」

「ええー、久しぶりなんですからもうちょっとお話をしていてもいいじゃないですか。でも、そうですわね。今回はちょっとしたお願いがあって訪ねてきたんです♪」


 何か手を打たなければ……と考えていると、フレアの方から話を進めていく意思が見える。

 また此方に抱きつこうとしているのが見えたが、兎にも角にもまずはアリエッタに余計なことを言わないよう釘を差しておきたい。

 仕方がないのでここは甘んじて受け入れようとする。


「はっ……! 待ちなさっ……!」


 が、寸で正気に戻ったアリエッタが、接触を読んでフレアを阻止しに動く。

 それを更に、阻止する者が居た。

 アリエッタの行く手を遮るように、黒く冷たい気を纏った槍が突き出される。

 ……すっかり忘れていた。フレアだけでなく、彼女が伴ってきた少女がもうひとりいることを。

 唐突に刃が突き出されたことで、アリエッタの瞳が一気にその温度を下げる。


「邪魔を……する気ですか」

「こんなんでも、あたしの師匠でね。弟子って立場なわけだし、師匠への無礼は見過ごせないだろ?」


 殺意とさえ取れる威圧を込めたアリエッタの魔力を受け流しつつ、槍を持つ小柄な少女が言い放つ。

 ……細身の小柄な体、可愛らしい顔立ち。よく手入れのされた黒い髪に、ベレー帽と行儀の良い制服の着こなし。清楚という言葉を体現したかのような見た目に不釣り合いな、男勝りの口調。

 なかなか存在感のある少女だが、フレアの人物が強烈過ぎて視界に入っていなかったな。


「……師匠への無礼は見逃せない、という点は同意します」


 ……存在感があるのは、フレアだけではなかったようだが。

 冷酷に研ぎ澄まされた『敵』を見据える瞳は猛禽類のソレ。敵意を隠そうともしないアリエッタは……意外にも、初めて見るかもしれない。


「へえ? ……やる気かよ」


 だがフレアが連れた少女もまた、一歩も引かない。

 これだけわかりやすく発された魔力を身に受けて、眉一つ動かさないとは。

 アリエッタの魔力は胆力だけで防げるものではない。どうやらなかなか腕が立つようだ。

 それに──


「──その槍」


 この黒髪の少女が持つ、槍。私はそれに見覚えがある。


「ええ、やはりお気づきになりましたか♪」


 一言で、フレアは私の言わんとする事を察し──


「そう、『祀神器』です。天低の槍──覚えていますか?」


 こともなげに、言い放ってみせた。


「なっ……」


 祀神器。その単語に、アリエッタが驚愕の表情を浮かべる。

 まあ、それはそうか。師匠、つまりはテオ=イルヴラムが作った武器のうち一振りともなれば、警戒するのは当然だ。

 最大限に高められる緊張をみやり、黒髪の少女は不敵に笑う。


「これを持たせたのはお前か? まったく古いものを掘り起こしてくる」

「そのとおりです。可愛いヴィオラちゃんに何かあったら困りますから、護身用の道具は必要でしょう?」

「そういう目的ならば確かにこれ(・・)は向いているがな」


 何故『祀神器』がここにあるかというのは、どうでもいい。祀られる神の武器とは名ばかりで、雑に放置されたままになっているモノもある。そのうちの一つを引っ張り出してきただけだろう。

 しかし──こんな少女がそれを持っているというのは、少しばかり気になった。

 『天低の槍』は祀神器の中でも少々特殊な部類の武器だ。

 具体的には、この槍は誰にでも使えるわけではなく、適性が問われるのだ。封じ込められた力と波長が合い、更にある程度の力を持つ者のみが、この槍を操ることが出来る。

 『祀神器』とはそもそも私が戯れに作った魔道具の数々だ。しかしそれらは自分の優秀さの確認として作った物が多く、誰が使ってもある程度強い魔道具が多い。

 天底の槍はそういった祀神器とは違い、適性を要する上に使いこなす上にある程度の力量が必要、更に封じ込められた力は特殊など、『戯れ』の部分が非常に強く出た魔道具となっている。

 要するに──こんな少女が使えるものだとは思えないのだが。


「ふむ……少し興味が湧いた、場所を移そう。フレア、お前の話に付き合ってやる。アリエッタ、先に教室に戻っていろ」


 何にしても、これは話が必要だ。

 それにはアリエッタに聞かれると困る話もいくつか絡んでくる。

 特に私がテオ=イルヴラムその人とわかってしまっては、学校で羽を伸ばしてもらおうというのにアリエッタの心が休まなくなってしまうだろう。


「……っ、先生!」


 しかし──得体のしれない二人組と私が消えることに危機感、あるいは疎外感を覚えたか、普段よりも幾分か高い、悲痛な叫びを上げる。


「心配するな。少し個人的な話をするだけだ。私は、いつでもお前の事を一番に考えているよ」

「それは……もったいないお言葉です。でも、だからこそ……信じます」

「あらまあ、仲がよろしくて羨ましいですわね」

「貴女は黙っていてくださいっ!」


 私としては事実の確認くらいなものだが、アリエッタの態度を見ているとまるで今生の別れのようだ。

 とはいえ茶々を入れてきたフレアにしっかり噛み付くあたりは賑やかだ。すっかり敵として認識しているようだが、小動物が威嚇するような可愛らしさを残している間は、アリエッタも本気で憎んでいるわけではないだろう。

 ……さて、ならば余計な心配をかけるのは好ましくないな。徹底的にこじれる前に、さっさと終わらせて安心させてやらねば。


「では、また後ほど教室で」

「はい。待ってます」


 まだ少し心配そうな眼をしながらも健気に頷くアリエッタにほほえみかけると、こくりと頷いてアリエッタは教室の方へと戻っていった。

 ……さて。少し面倒だが、フレアと話をつけなければ。

 アリエッタが離れた事を感じ取った後、私は遮音と人払いの結界を周囲に施す。

 これで、ここで何が起きても周囲に悟られることはないだろう。例えオーケストラが盛大に演奏をしたとしても、音は聞こえない、空間を意識できない。人が死のうと、中の出来事は世界の埒外だ。


「……これなら落ち着いて話が出来るな」

「相変わらず凄い。こんな結界があったら、どんな警戒も用をなさないでしょうね」

「そういうことだ。……それで、話とはなんだ。私もいくつか聞きたいことがあるが」


 こんなのでも古い知り合いだ。苦手ではあるが嫌いではないのでフレアをどうこうとするつもりはない……が、牽制しておいて少しでも話し合いを有利に運びたいのは事実。

 くすりと鼻を鳴らすフレアに通じている様子は無いが、聞かれたくない話を外に漏らさないという効果は果たせた。

 どの道この女相手に言葉で勝てるとは思っていない。


「あら、そういうことでしたらお先にいいですよ。多分──ヴィオラちゃんのことでしょうから」

「ああそうだ。と言ってもお前が思っているのとは少し違うかもしれんが──そのヴィオラとやらが、今度『若鳳杯』に参加する少女か?」

「確かに意外な質問ですね? そうです。セレスタス魔術学園の代表として参加する──私の弟子の、ヴィオラちゃんです♪ よろしくお願いしますね」


 やはり、この少女が『ヴィオラ』だったというわけだ。先程フレアがこの少女をヴィオラと呼んだ時、もしやとは思ったのだが。

 ここまで揃っていて偶然一致していただけということもあるまい。『勇者フレア』が師についているのならば、武力を重視するセレスタスの代表という事も納得ができる。


「そういうアンタは一体誰なんだよ。師匠と仲がいいみたいだけど、どう見てもあたしと同じくらいのガキに見えるけど」


 一人得心していると、そのヴィオラから棘のある言葉が投げかけられた。

 ぶっきらぼうな様子ではあるが師匠のフレアへの尊敬の念が所々に混じっているのが見えるのは、アリエッタのそれを見てきたからか。


「私は──いや、私の口から聞くよりも、師から聞くほうが納得できるだろう」

「はあ?」


 だからこそ、信じがたい事実というのは師匠であるフレアの口から聞かせたほうがよいと判断した。

 調子の外れた声を上げるヴィオラに、フレアは柔和に笑いつつ、告げる。


「うふふ、ヴィオラちゃん、この人はね──私の初恋の人よ」

「ああ?」


 と、思ったら。フレアは想像以上に調子の外れた事を言い放った。

 ……いや、その事自体は何度か聞いているのだが。今このタイミングでそれを言うか?


「おい」

「本当のことなんですもの。……もう、わかりましたよ。ヴィオラちゃん、この人はね──三英雄最後の一人、テオ=イルヴラムその人なのよ~」

「はっ……はああああ!? テオ=イルヴラムって……『天魔』!? コイツが!?」


 言葉の重みが失われて流されるかと思ったが、それなりに師を信頼しているのだろうか。

 ヴィオラからは中々いい反応が見られた。

 フレアと私を交互に見て、素っ頓狂な声を上げる。

 こうして私の正体を明かして驚かれるのは久々だ。名を知る者は大体が古い知り合いだし、若いものはそもそも私のしてきたことを知らない場合が多い。

 この娘の場合は──


「テオ=イルヴラムって……! 三界戦争を実質一人で終わらせたり、伝説の魔獣を何匹も狩って、星まで砕いたってあのテオ=イルヴラムかっ!?」


 多分、フレアが色々と吹き込んだのだろうな。

 やたらと輝いた眼で、詰め寄るヴィオラ。

 今挙げた話は事実だが、この分だと有る事無い事吹き込まれていそうだ。


「そうよ~、だからあまり失礼のないようにね? この人がその気になったら──世界だって、瞬きの間に消えてしまうわ」

「……!」


 こういう具合にな。

 やろうと思えば出来るが、私がそれをすることはないだろう。少なくとも、アリエッタがいるうちは。


「そのつもりは当面ない。それよりも、さっさと話の方に入れ。今の私は学生の身、午後には授業だってあるのだぞ」

「テオさまが授業? ……なんだか知らない間に、面白い状況になっているのですねぇ」


 それにアリエッタがいるからこそというのはあるものの、学校の方もある程度は楽しんでいる。

 これでも世界というものには愛着があるのだ。


「わかりました、では早くに済ませてしまいましょう♪ ……ねえヴィオラちゃん、少しだけ外してくれないかなー?」

「でも……いや、わかったよ。危なくなったら呼べよ。あたしの力なんて、足しにもなんないだろうけどさ」


 世界さえ破壊できる──そんな一言を警戒しているのだろうか、ヴィオラは一度だけ私とフレアとの間に視線を泳がせて、結界の中から立ち去っていった。

 足音だけが響いた後の、一瞬の沈黙。


「本当にお久しぶりですね。ずっと探していたのに、どちらにいらっしゃったのですか? いえ、それよりも何故今になって此方に降りてこられたのでしょう?」


 何処か切り出し難い空気の中、先に言葉を発したのはフレアだった。

 その声は明朗に紡がれつつも、悲しみの色を湛えている。


「自宅だ。こことは違う位相にある館なので、見つけられないのも当たり前だろうな。……何故降りてきたかに関して言えば──アリエッタ。一重に我が弟子のためだ」


 何処かすがるような声に突き放すように、私は淡々と事実のみを述べた。

 ……これが、苦手なんだ。悪いことは何もしていない、と思う。だと言うのに罪の意識が這い登る、幼子の様な声が。


「戦争が起きでもしなければ降りてこられないあなたが、たった一人の女の子の為に、ですか。その女の子は、随分と幸せな娘ですね?」

「不幸な境遇にあった身だ。少しぐらい人並みの幸せを感じてもいいというものだろう。とは言っても、あの娘は『わたし(テオ)』がここにいることは知らんが」

「そう……なのですか? いえ、あまり多くは聞きませんけど……」


 フレアの声に明らかな困惑が交じる。

 ……? なにかおかしな事を言っただろうか。まあいい。


「ねえ、テオさま。覚えていらっしゃいますか? 私と貴方が、初めて合った時の事」

「記憶能力には自信がある。それは覚えているが──あの頃のお前と比べると、随分と感情表現がうまくなったものだな」

「ふふ、そうなんです。あの頃の私は、文字通り作られた存在──決まった動作に決まった反応を返すだけの、人形の様なものでしたからね」


 糸を手繰る様に記憶を思い返すフレア。

 もう三百年以上も前のことだ。私にとってはさほど遠くない記憶だが、フレアにとってのその期間は、生涯そのもの。私とは感じ方も違うのだろう。


「でも、そんな人形に貴方が心と生きる意味をくれた」


 覚えているとも。

 天界が造った、人を導くための存在。ありとあらゆる魔術的な『祝福』を受けて生まれた存在。

 それがどんなものか、興味があって会いに行ったのが最初だ。

 そこで見たのは、彼女の言う通り人形だった。まるで台本を読むように高潔であらんとする、人の形。それが当時の『聖女フレア』だったのだ。

 そんな彼女の姿を──当時の私は、ひどくつまらないものだと感じた。あるいは私の敵たりうる存在にならないだろうかと期待して見に行ってみればそこに居たのは天界の操り人形。勝手に期待して、勝手に失望した私はその腹いせに──操り糸を切ってみせた。


「『好きに生きてみるがいい。聖女ではない、ただのフレアとしてな』。あの時に言ってもらった言葉は、一時も忘れたことはありません──」


 ……そう、そんな事を言った。

 天界もつまらない事をする。ならば、力を与えられ心を奪われた少女が枷を外された時、どういった生き方をするか。当初の目的とは違う、立てた棒がどちらが転がるか、という程度の遊び心を満たすことにしたのだ。


「だから私、好きに生きることにしました! 私をあんなふうにした天界の頬を引っ叩いてやりましたし、あんなに不気味な子供だった私を愛してくれた両親のため、大好きな人たちを守るために戦いました! 人形のときにはできなかった恋だってしましたよ。……でも、まだまだそれは成就してないんです」


 半ば狂気じみたまでの笑みで、凄まじい開放感が伝わってくる。

 恋はまだ成就していない──そう語るフレアの瞳が、熱を持って私を捉える。


「ねえテオさま。せっかくこうしてまた会えたんです。改めて、私と一緒になってくださいませんか?」


 そうして生まれたのが──これである。

 ずっと抑圧されてきた少女。フレアが望んだのは──思うがままに生きること。

 幸いにしてその願いは可愛らしいものだ。人々を守りたい、助けたい。周りの人間に恵まれた彼女は己を取り戻してなお、人々を救うことを望んだ。

 思うがままに人を救ってきた彼女はやがて英雄と呼ばれるまでになった。

 だが少々、行き過ぎたのだ。抑圧されてきた反動で、彼女は自分の欲求を抑えきれない。

 一件柔和に見えるがその実非常に頑固で融通が効かず、人々を救わずには居られないし──私を手に入れなければ、気がすまない。

 天界の施した戒めから解き放った後に生まれたのが、欲求を満たさずには居られない、そのためならば躊躇も恐れも感じない『勇者』だったというわけだ。


「何度も言うが、私はお前の思いには応えられん。お前に恋愛的な感情を抱けない以上、共に過ごしてもよい方向には転がらないだろう」

「それでも好きなんです! 私に本当の生き方を教えてくれたヒト、戦争でも何度も助けてくれました。おかげで今こうして私は笑っていられます。でも──傍にあなたが居ない。いつまでも、かけた最後の一ピースが埋まらないんです。ねえ、そろそろいいお返事を聞かせてくださいませんか」


 そして私は、だからこそ彼女が苦手だった。

 嫌いではないだけに、思いに答えられない歯がゆさもある。縋る様な口調はやはり罪悪感のようなものを掻き立てるし、それでいてなお諦めないこの心の強さが厄介だ。


「少なくとも──今は、無理だ」

「……そうですか。でも今は、と仰るのならば、少しは私にも希望があるのでしょうか?」


 そういって、フレアの顔に浮かぶのは普段の立ち回りからは想像出来ない、儚げな笑顔。

 普段爛漫と笑う彼女の顔に影が落ちるのは、中々心に来る物がある。

 だから、なるべく会いたくなかったのだ。毎回毎回こういうやり取りをしていては、此方も気が滅入ってしまう。

 それでも、今回はやたらと聞き分けがいいほうだ。

 普段ならばここから二三やり取りが続くのだが。


「じゃあ、代わりにお願いがあるんですけれど、どうでしょう?」


 ……などと考えていると、やはり裏があったらしい。

 形だけでも納得する言葉が出るのは終わりの合図だ。今回はそれが早いと思った。


「言うだけ言ってみろ。ある程度ならば聞く」


 既にこの問答が終わるなら……という気分が胸に満ちてきている。

 今の私に願い事をする難易度は、非常に下がっていることだろう。

 何を言われるかと身構えているのは変わらないが。


「では単刀直入に。テオさま、臨時でいいのでヴィオラちゃんの先生になってくださいませんか?」


 フレアから飛び出したのは、予想さえしていない『お願い』であった。


「ほう?」


 思わず、関心から声が出る。

 てっきり此方の良心に訴えてくる、応えられなくもない絶妙なラインの頼み事をしてくるかと思ったのだが。

 手応えを感じたのだろうか、フレアの笑顔に企んでいるような色が交じる。


「知っての通り、今ヴィオラちゃんにはテオさまのお作りになった『天底の槍』をもたせてあげてます。武器の扱いはこれでも専門ですから教えてあげられるんですけど、祀神器の力についてはやっぱりテオさまに教わった方がいいなあって考えてたんです♪」


 手を合わせ、軽快になった語り口からは楽しそうな様子が伝わってくる。

 意外といえば意外だ。彼女が──私以外の──特定の人物にこれほど入れ込むとは。

 通した『お願い』を弟子のために使うのは、ちょっとした事件だ。

 ……ヴィオラは『若鳳杯』でアリエッタと戦うであろう相手だ。

 フレアのお願いを聞いてヴィオラを強化するのならば、それは敵の手助けをする行為に他ならない。


「空いている時間であれば扱いを教えるくらいは構わん。……その方が『若鳳杯』も面白くなるだろうからな」


 だが、私はこれに乗り気であった。


「あら、やっぱりお見通しです?」

「無論だ。そのものの力量などひと目見てわかる。アリエッタを十とすればあのヴィオラという娘は七といったところだ。だが『天底の槍』を使いこなせば勝負はわからなくなる」

「その通りだと思います。でも、なら何故手を貸してくれるのでしょう? お弟子さんの事、随分と可愛がっておられるようでしたけれど」

「わかっていないな。可愛がっているからこそだ」


 理由は一つ。そうすることでヴィオラという娘がよりアリエッタのレベルに近づくからだ。

 これで持たせている祀神器が『災禍の剣』の様なタイプならば逆に現在のアリエッタではどうしようもなかっただろうが、今彼女が持っているのは使い手が強ければ強いほどに其の力を増す、優れた武器に過ぎないモノ。

 ヴィオラが地力を上げれば、アリエッタにも並び、アリエッタにとってもこの大会が実りあるものとなるだろう。


「なるほど。単に甘やかしているだけではないということですか」


 得心行ったというように、フレアが手を叩く。


「師匠という存在なれば、弟子の成長を第一に見るものだろう。……お前もそうなのではないのか? 面倒がった私に願い事をするというのはよくあったが、その機会を弟子に使うとは思ってもいなかった」


 意外そうにいうフレアだが、むしろ意外に思ったのは此方だ。

 天界の傀儡となっていた期間の反動で、彼女はただただ自分の欲望に忠実だ。

 それを満たすことが出来る場面で、弟子とはいえ他の誰かの為に機会を使うのには、本当に意表を突かれた。

 だが私がその驚きを口にすると、フレアは指を唇に添えて言う。


「わかってないですね。テオさまがヴィオラちゃんを見ている間なら、自然に一緒にいられるじゃないですか♪」


 ……なるほど、してやられた。

 それを禁じていない以上、ヴィオラの傍にフレアが居ないのも逆に不自然だ。

 なんてことはない、誰かの為に願いを使ったのではなく、誰かのために願いを使ったというわけだ。


「これから若鳳杯までの間、私達はしばらく此方に滞在しますから。ヴィオラちゃん共々、是非宜しくお願いしますねー♪」

「なっ……いや、わかった」


 私にとっては不都合になる言葉をいたずらっぽく告げるフレアは、楽しそうであった。

 ……どうも、こいつには良いようにされる事が多いような気がする。

 なんだかんだと使い使われのガーディフとは違い、一方的に言い負かされる事が多いような──

 今にして思うと、こういうやり取りの拙さも私が人との会話に慣れていないからなのだろうか。

 こういう権謀術数も、不要とせずに学ぶべきなのかもしれない。


「そういう律儀な所も本当に好きですよ♪ それじゃ、お暇な時には会いに来てくださいね~」


 ひらひらと手を振って、去っていくフレア。

 ……どっと疲れた。

 体力も魔力も無限のハズの私が疲れを感じるのは、フレアと会話した後くらいのものだ。

 ともあれ、これで今回の襲撃も防いだというわけだ。

 妙に重い体を引きずるようにして、教室へと戻る。

 なんとか授業の開始前に戻ってこれたようだ。時計を見れば、時間ぴったりにやってくるヴァレンスがやってくるまで五分ほど猶予があった。


「あの、先生……」


 席について少し眼を瞑ろうとした矢先、アリエッタが何か聞きたそうに声をかけてくる。

 ……それは、気になるだろうな。

 もとより睡眠の必要がない私だ、アリエッタ以上に優先することでもない。

 私は体ごとアリエッタへと向き直る。


「お前の聞きたい事は分かっている。フレアのことだろう」

「……! はいっ」


 この流れならば如何に鈍感な私でもわかる、というかそれしかあるまい。

 なるべくならフレアに興味を持ってほしくはなかった。何故ならば──


「アレは、やめておけ。フレアの『不老不死』は、天界の術だ。不老不死を目指す上では、かなりの回り道を選ぶことになる」


 フレアの得た不老不死は特殊なモノだからだ。

 あの技法は通常、天界でしか行えない大掛かりな儀式を、出来る限り若いうちに施す必要がある。

 準備・技法の面倒さを考えるともっと良い方法が沢山あるというべきか──人間界で普通の魔術師が行うならば最後の手段に限りなく近い方法と言ってもいいだろう。

 せっかく得た不老不死のヒントが使えないという落胆。アリエッタにはそれを味わわせたくなかったのだが。


「え? は、はあ……」


 アリエッタの反応は、私が予想していたものとは少し違うものだった。

 落胆──の様な色は感じるのだがさほどではなく、どちらかといえば混乱が近い様な……?


「落ち込んでいないのか?」

「い、いえ。残念といえば残念ですけれど……」


 なんだか煮え切らない態度に、私の方も首を傾げる。

 ……不老不死のことではないのなら、一体何を聞きたかったのだ?


「……わからん」


 小さく呟いたところで、入り口のドアが開きヴァレンスがやってくる。

 この話題は──少なくとも、放課後まではお預けになりそうだ。


「そらお前達席へ着け。授業を始めるぞ」


 ヴァレンスの言葉にアリエッタはやや未練を感じさせつつ、席へ戻っていく。

 ……ふむ。何やら悩んでいるようだが──若鳳杯に向けて悪い影響がでないと良いのだが。

 物で釣るというわけではないがなにか一つ、励みになる褒美でも考えてみようか?

 疲れた頭と、渦巻く考え。この日私は珍しくヴァレンスの授業を聞き流した。



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