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第三話:『力試し』の試練

 先生と分かれてから、数十分ほど。

 わたしは『竜の谷』を一人で歩いていた。

 竜の谷は、人里離れた土地にある荒れた渓谷だ。

 草木は見当たらず、あっても枯れ木だけ。谷を作る岩は全てが六角形に整っていて、その不思議な光景には思わずため息が漏れる。

 整然とした形が立ち並ぶ光景は綺麗だけどあまりにも整いすぎた光景はなにかの意思を感じさせて、不気味でもあった。


「ふう……暑いですね」


 竜の谷の暑さに、つい息が漏れる。

 先生の屋敷は魔術でいつも心地よい室温に保たれているけれど、ここにはそんなものはない。

 街にいた頃の夏も──奴隷として押し込められていた部屋だってこんなに暑くはなかったんだけど。

 こんな場所があると本の知識では知っていたけれど、実際に来てみるととてつもない暑さで──耐熱耐暑の魔術がなければ、数十マートル歩くのにも苦労するだろう。


「それにしても、本当に静か。先生の仰るとおり、魔物も全然いない……」


 少し歩くと、静けさがまた不気味で独り言が漏れる。

 この暑さととある理由から、この竜の谷には人だけではなく魔物も殆ど訪れる事がないという。

 けれど、暑いだけで不毛の大地かと言えばそうでもない。ここには高密度の魔石がたくさん埋まっているとか。

 ひとかたまりを持っていくだけでしばらく不自由ない生活が送れるらしいけど、それでもここに人が来ないのにはわけがある。

 それはやはり、地名を見ればすぐに察しが付くだろう。

 殆ど魔物が寄り付かない中、ここを根城とする『主』の存在があるからだ。


「……ドラゴン。実物を、自分の目で見る事になるとは思いませんでしたけど」


 ようやく目的地にたどり着いたわたしの眼前には、全身を紅い鱗で覆った巨大な竜──レッドドラゴンが自らの腕を枕に眠っていた。

 防護の魔術無しでは肌が焦げるような暑さの中も、この渓谷を居城とする彼にとっては心地よい日差しくらいなものなのだろう。

 ──先生がわたしに課した試練の内容。それは『竜の谷』をたった一匹で治める魔物、レッドドラゴンを退治する事だった。

 このドラゴンは、魔石を狙った魔術師や──その仇討ちに訪れた者をもう何人も返り討ちにしているという。その所業は地名になるほどに恐れられる、まさしく伝説の存在だ。

 けれど、先生はそんな恐ろしい怪物を『丁度いい相手』と仰っていた。──そう言ってもらえるのならば、わたしに恐れはない。先生の言葉が間違っていた事はないのだから。

 身に纏う魔力を、更に引き上げる。すると、眠っていたドラゴンは鎌首をもたげるように頭を上げ、わたしの姿を捉えた。


「コォルルルルル……」


 喉を通った空気が炎と化して、竜の口の端から漏れ出る。 

 ドラゴンは知性が高いと聞く。そのためだろうか、その表情はどこか人間的で、怒っている事がすぐに伝わってきた。

 ドラゴン。竜種とも呼ばれる彼らは様々な種類がいるが、その多くがいろいろな場所で王者として君臨する、生態系における絶対強者だ。

 その脅威度は人間にとっても非常に高く、彼らが人の生活圏の近くに現れれば、国が凄腕の魔術師を何人も集めて討伐に向かうという。

 レッドドラゴンはその竜種の中でも上位に位置する、強力な魔物の代名詞だ。

 地域によっては悪い事はレッドドラゴンを呼び寄せると言って、子供を躾けたりもするらしい。

 幸いにして個体数は少ないらしいけど、その存在はこの渓谷で確認されてから長い、伝説に最も近い竜種だ。


 そう──少なくともそれは、この間まで奴隷だったごく普通の女の子が勝てるような相手ではない。

 国が定める魔術師の等級、その中でも一番上か規格外とされる凄腕の魔術師を最低でも十人以上集めてはじめて討伐に向かうような存在だ。

 たかが十五歳の娘が一人、彼のおやつにもなれないだろう。

 そう、普通ならば。


「オオオオオオォォッ!」


 レッドドラゴンが人一人を丸呑みにするような大きな口を開けて、咆哮を轟かせる。

 彼はわたしを明確な敵として認識したみたいだ。といってもそれはまだ命を脅かす外敵としてではなく、縄張りを侵した侵入者としての話。

 四足で立ち上がったドラゴンは上げた首を更に反らし、魔力を溜めている。

 魔力は喉の下にある『竜胆』と呼ばれる機関に収束され、炎の魔力に変換されていく。

 ドラゴンブレスと呼ばれる、竜種の扱う魔術だ。中でもレッドドラゴンのそれは、凄まじい高熱によって一瞬にして命を炭へと変え、暴風を持って塵と砕く地獄の火炎『ファイアブレス』と呼ばれる。

 けれど、わたしは慌てなかった。もちろんそれは死を覚悟したからじゃない。

 それがわたしには通じない事を既に知っていたからだ。

 集められた魔力が一気に膨れ上がり、喉を通ってわたしへと放たれる。

 わたしはそれに対して、右手を翳した。

 炎の魔術は、わたしだって得意だ。


「『フレイムスロワー』」


 その魔術の名を呟くと、わたしの手から放射状に広がる炎が飛び出した。

 これは炎を放つ簡単な魔術だ。攻撃範囲の広さから、面への攻撃に対する防御や、一体多数の戦いで役に立つわたしの得意な魔術。

 それは放たれた地獄の火炎を飲み込んで、レッドドラゴンをも包み込んだ。

 レッドドラゴンは炎に包まれ火だるまとなり、激しく暴れている。

 そこらの魔物なら、あるいは他の属性の竜ならこれで勝負はついていただろうけど──


「ガギィッ!」


 魔力を込めて大きく翼をはためかせる事で、レッドドラゴンは炎を打ち払った。

 ところどころ焦げているが、ダメージは少ないだろう。ただし、その表情は先程までのものとは違い、より深く激しい憤怒を宿していた。

 炎を扱う魔物と言えば、と名前が上がるレッドドラゴン。炎属性の魔術に対する耐性は凄まじいものだった。


「やっぱり──すごい対魔力ですね」


 ついその防御力に称賛が出る。

 最も伝説に近い──いや、生ける伝説ともされるほど有力な魔物だけはある。

 膨大な財宝が眠る場所を棲家としながらも、今日に至るまで場所を譲らずにいた永く生きた魔物の力は、確かにちょっとやそっとではなんともならないものだと思う。


「ゴァルガァァァッッ!」


 激しい怒りを咆哮に、そして魔力へと変えたレッドドラゴンが、二足をもって立ち上がる。

 開いた両手で、広げた羽で凄まじい魔力を集め、巨大な火球を形成する。

 竜の体躯よりも大きな火球──だがそれは谷の幅いっぱいになった点から急速に小さくなっていく。

 しかしこれはしぼんでいるのではない。凝縮されているのだ。魔力を高密度に固める事で、精密な制御や豊富な応用を可能とする技術。

 ……流石、知性が高いとされるレッドドラゴン。その技術は高等と呼ばれる技術の一つだ。まずは基本からという事で、わたしも未だに習っていない技術である。

 先程の『フレイムスロワー』を見て、放射状に広がる魔術を一点突破で貫く事を考えたのだろう。高度な魔術を扱い、頭の回転も早い。なるほど、竜種が驚異とされるわけだ。


「でも」


 しかし──そこまでだ。

 いかに高等な技術とはいえ、戦略とはいえ──

 今は、わたしのほうが強い。


「ギャガルアアァッ!」


 竜が広げた腕を交差し、また開く事で高密度の火球は放たれた。

 わたしは両手を前に突き出して、それを迎え撃つ。


「『ペネトレイト』っ!」


 両腕の中心から魔力の塊が放たれる。

 『凝縮』する事はまだ出来ないが、予め『収束』した魔力を放つ事はわたしにも出来る。

 凝縮のそれと比べれば収束の魔力密度は低い。だが──


「グギャッ!」


 そもそもの魔力の質が、量が。わたしの方が彼よりも上なのだ。

 光線のように放たれた魔力は火球を打ち消して、竜の腹部を貫いた。狙いを絞ったぶん傷は小さいが、完全に貫通した傷は致命傷となるだろう。

 体勢を崩したレッドドラゴンが倒れ込み、わたしに向けられた瞳が射殺すような視線を送ってくる。


 勝負あり、だろう。

 先程の火球はおそらく、彼の全力を込めたものだ。

 倒れ伏すレッドドラゴンが動けない事から、それはわかる。もしも動けるのならば彼はきっとすぐに立ち上がってわたしへと向かってきただろうから。

 でも、彼はそうしなかった。しかし、逃げる事も選ばなかった。

 竜種は皆誇り高いと言う。彼もきっとそうなのだろう。

 その気高さには、憧れを感じた。


 ──あの日、わたしが奴隷だった頃。わたしは気高くあろうと強がっていた。

 どんな責め苦にも決して声を荒げてみせるものかと、身体はどんなに汚れても、心だけは綺麗であろうと。

 だけどそれは、あの日先生に買われなければすぐに砕け散っていた脆い覚悟だったと、今では思う。

 幸いわたしは汚れを知らないまま先生のもとに来る事が出来て、大きな苦しみにも絶望にも会う事なく、今でははっきりと幸せだと言えるくらいになった。

 だからこそ、わたしはあのまま奴隷でいたら出会っていただろう苦しみが、怖い。

 その中で一番怖いものの一つが──『死』だ。

 わたしが最も恐れるものの一つを前にして、逃げようともしないレッドドラゴンの姿は、わたしにとっては眩しくも思えた。


「静かに暮らしているところをごめんなさい。許してくれとは言わないけれど、わたしはもう邪魔しませんから」


 だから──わたしはレッドドラゴンに歩み寄る。敵意の視線が貫いてくるが、わたしは意に介さずレッドドラゴンの身体に触れた。

 そして、治癒の魔術を発動する。

 レッドドラゴンの胴体に空いた風穴がみるみるうちに塞がっていき、すぐに消えてなくなった。

 レッドドラゴンが目を見開く。

 震えながら立ち上がろうとする彼からそっと離れ、わたしは最後に一度だけ振り返った。

 試験の内容はレッドドラゴンを倒す事。

 どうしろとは言われていないので、頓智を好む先生ならこの結果も笑って受け入れてくれるだろう。


 ……できれば彼を殺したくなかった。

 彼がこの場所に住み着いたのは、上質な魔石という最高の食料があるからだ。

 魔物は魔力さえ摂取すれば生きていけるという。魔力を摂取するために効率が良いのが大きな魔力を持つ生物を食べる事だけど、魔石というもっと上質で大量の魔力を摂取できる食べ物がある彼には、人を襲う理由がない。

 わたしが知る限り、このレッドドラゴンがもたらした被害というのは、魔石を狙ってやってきた人を返り討ちにしただけだ。

 それだって良い事ではないけれど、奪われるものを守るというのは、全ての者に等しく与えられた権利だと思う。

 それに今では、彼よりもわたしの方が強い。

 虐げられてきた過去があるからこそ、過度に誰かを虐げる事はしたくなかった。

 きっと先生も、わたしの考えはわかってくれると思う。


「できれば──やってきた人にも少しだけ優しくしてくれると嬉しいです」


 偽善なのかもしれないけど、過去の事を考えるとわたしは人間至上主義者にはなれない。

 彼の持つ土地で何が起こっても、それは自然の摂理だ。

 癒えた傷が馴染んだか、レッドドラゴンはわたしを見つめている。

 この分なら、大丈夫そうだ。ほっと一つ息を吐いて、わたしは先生が待つ場所へ帰るために踵を返す。

 背後からの攻撃は、やってこなかった。本当に気高い生物だ。


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