第二十七話:日常の裏で
人間の暮らす場所から遠く離れた何処か──
青い炎が揺らめく薄暗い部屋に、一つの影があった。
背丈は成人男性ほど。黒いフード付きローブに隠された体は正確に測ることは出来ないが、細身に見える。
特徴が覆い隠されたシルエットからは、特段変わった点は見られないが、纏う空気とでも呼ぶべきか──背筋を撫でられるかのような『予感』が、黒衣の者を危険視させる。
幽鬼の様に歩く男が、青い炎に飾られた祭壇へ指を添わせる。
「お早いお着きじゃあねえか。そんなにお姫様の目覚めが待ち遠しいか?」
そこへ、威勢のいい男の声が掛けられる。
黒衣の者が振り返ると、隈取の様な入れ墨を入れた──魔族の男が、薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「ザインか。……貴様とて、同じではないのか。『魔王』の復活は、我らの悲願。違うか?」
「ヘッ。生憎俺はあんたほど敬虔じゃあねえもんでな。……人間界なぞ、俺やお前がいれば滅ぼすには十分だろ」
魔王の復活。それが悲願であることを否定はせずとも、現れた男──ザインと呼ばれた魔族はつまらなそうに用意された椅子に腰を降ろした。
「ですが、人間界も一筋縄では行かないようですけれど。ねえフリード」
「あァ? そりゃどういう──」
そこへ、新たな声。こちらは女性の声だ。
「ギルディオがやられた」
ザインの疑問の声を遮るようにして、フリードと呼ばれた黒衣の男が答える。
不敵に笑みを浮かべていたザインの顔から、感情の色が失われる。
「……何?」
「こちらから呼びかけても連絡が無い。森にあった研究所も消滅していた事から、何者かに破れたのは明白だ。……『術式』にも強大な魂が充填された」
「馬鹿な。格落ちするとはいえ、アイツだって仮にも俺達『四災』の一人だぞ? 日和った人間界の魔術師共に殺られるとは思えねえが」
「私は事実を伝えているだけだ」
「……」
フリードの言葉に、ザインは入れ墨に彩られた表情でなおわかりやすい驚愕を浮かべる。
だが一つ息を吐き、顔を塗りつぶすように手を沿わすと、そこには再び不敵な笑みが張り付いていた。
「まあ、問題はねえだろ。所詮ギルディオは魔物遊びだけが能のガリ勉野郎だ。俺やお前がいれば何の問題もねえ」
「だが警戒するに越したことはない。ギルディオは確かに未熟者だが、それでも人間界で奴を倒せる魔術師は少ない。恐らくはガーディフか……あるいは『勇者』が動いたのだろうと考えているが、不確定要素の存在も否定できない」
「ケッ、『三界戦争の英雄』かよ。……『勇者』に『大魔術師』か? 一応聞いておくが『天魔』が動いた可能性ってのはねえのかよ」
「否定はできない。が、可能性は薄い。奴が動くのはなにか大きな事が起きてからだ。歴史を鑑みても、事が起きる前に動いたとは考えられない」
「……チッ! 顔も出してねえのに鬱陶しいったらありゃしねえ」
舌を打つと、ザインの顔には明確な怒りが浮かんでいた。
彼の脳裏に浮かぶのは、今から三百年も前になる戦争で見た、一人の男の姿だ。
奴さえ居なければ。魔界に住まう者達の考えは多種多様だが、魔族であれば大なり小なり、一度は考えたことがあると断言してもいい。
『天魔』テオ=イルヴラムさえ居なければ、歴史は違うものになっていた。
邪悪なイメージのつきまとう魔界だが、多すぎる領土を欲さず現状に満足している者も少なくない。それでも、テオ=イルヴラムは子供を怯えさせるお伽噺の存在であるし、不倶戴天の敵とする者も、また少なくないのだ。
「けれど、だからこそ私達は三百年の間動いて来たのでしょう」
「……まァな」
「ああ。今の私達ならば──テオ=イルヴラムにだって勝てる」
だからこそ、魔族の中でも過激派に位置する彼らは三百年の間、陽の当たらぬ場所で動いてきた。
「しかし現在でも『賭け』の域を出ないことは確かだ。賭けを計画とする為に、我々は魔王を復活させるべく『術式』に魂を賭した。そうだろうザイン」
「ああそうだよ。……契約した者の殺めた者と、死した契約者の魂を捧げる儀式か。我ながらとんでもない話に乗っちまったもんだぜ」
「進むも地獄、退くも地獄といった所ね」
「地獄ならばまだ温いがな」
ザインの言葉に、女性の魔族が同調する。
彼らの組んだ『術式』。それは魂を捧げることで魔王の封印を打ち壊す魔術のエネルギーとするものだ。
彼らが死ねばその魂は術式を発動させるためのエネルギーに変換され、消滅する。そこには死後の世界も輪廻も無い。
一度契約した以上、この契約が解除される時は来ない。仮に術式を発動し魔王を解き放った後でも、魂は既に消えた術式に導かれ、完全なる虚無を迎える。
死後の安寧を犠牲に、彼らは魔王の復活を望んでいるのだ。
人の世界の終わりを、テオ=イルヴラムへの復讐を。
再び祭壇へと向き直り、フリードは瞠目する。
「我らは長年耐え忍んだ。時を経るごとに無限の力を得るという我らが王、その復活は目前だ。──ここで、一気に駒を前に進めるとしよう」
そして、その計画は──直に、成就を迎えようとしている。
「何かアテはあるのかよ」
「近く、人間界で魔術師達が腕を競い合う祭りが開かれると聞いた。そこに集まった魔術師達と、『大魔術師』、『勇者』の両名を捧げ、大量の強い魔力を持つ魂を集めるのだ」
眼を見開いたフリードが、大仰に振り返る。
ザイン、そして魔族の女性は口角を上げる。
「ザイン、エイナ! お前達が行くのだ。失敗は許されない。これまで幸運だったというだけの豚共を、我らが王に捧げよ!」
高らかな叫びに呼応するかのように、ザインが立ち上がる。
エイナと呼ばれた女性は、恍惚と顔に朱を差した。
「おうよ!」
「ええ、全ては我らが王の御為に……」
闇に蠢く魔の信奉者達。
その魔の手は、人間界を覆い尽くさんとしていた──




