第二十六話:終息と休息
「まったく……何が精々大人しくしている、なのですかな。早速! とんでもない事を! しでかしてくれておるではありませんかッ!」
校外学習から三日ほどが経過した放課後。
私は呼び出された学園長室でガーディフに小言を食らっていた。
まあ一ヶ月もすれば真面目だった生徒達にも一部ボロが出るというもので、時折校内放送で生徒が呼び出されるのを聞いたりもしていたのだが。
まさか特待クラスで一番に呼び出されるのが私になるとは予想できなかった。
この歳で問題児かはっはっは。
「反省はしている。もう少し加減すべきだったな」
と傍若無人で居られるほど私も若くなく。
素直にそう謝罪を述べるのであった。私もアリエッタを教育する身として、常識の一つも身に付けねばならんのは分かっている。
人は間違いを重ねて成長する生き物だ。間違えてもそれを糧にし、もう間違えないようにすればよい。人生とはそういうものだと思う。恐らく。
「ほんとに……? ほんとに反省しておられます? はああー……魔術協会のほうは大騒ぎですぞい。まあテオ殿のお名前を出したら向こうも泣き寝入りするしかなかったようじゃが……」
「本当だ。私も教育者としてアリエッタに誇れる自分でいたいからな」
「それはまた……世界の命運があんな子供に握られているとは、皮肉なものじゃな……」
む、今そんな話をしていたか? と思いつつも、口は挟まないでおく。
校長の小言というのは黙って聞くのが礼儀だと聞いたからだ。
小言と言うよりは、愚痴なのだが。今回は弟子の前でちょっと良い格好を見せたいというのもあり、やりすぎてしまった事は自覚している。
自分への罰と思い、ガーディフの愚痴をしばらく聞いていると、ガーディフはおもむろに大きく息を吐き出した。
「ですが……世界を救っていただいたのは、お礼を言いませんとのう。魔造生物は十分な脅威であり、量産が成功していれば世界も危うかったとか。平和を享受する者に代わり、そして平和を愛するものとして、お礼を申し上げますぞ」
「あの程度は私がやらずとも事態が表面化すればお前が動いていただろうし、そうでなくとも何処かの誰かがわからせていただろう。が、一応は受け取っておこう」
転換された話題から飛び出したのは、意外にも謝辞の言葉であった。
他の誰かがやっていただろうというのは事実だが、述べられた礼をはねのける必要もないので素直に受け取っておく。
「しかし──魔族の復活とはのう。実のところ、ここ最近はそういったきな臭い話も多いのですじゃ。『奈落の谷』事件が無くとも、魔術協会は慌ただしく動いておりますわい」
奈落の谷事件と呼ばれたのは、今回の一件の事だ。『降魔の森』が一晩の内に、底が見えないほど深い谷になっていたという事でついた名前のようだ。
ここまで騒ぎが大きくなってしまっては下手に埋め立てたりしないほうがいい、と後片付けを免除されたのは私の記憶に新しい。
……と、まあ。喜劇のような終わり方をしたこの一件ではあるが、ガーディフの憂いは深い。
「のうテオ殿、そちらの方では何かわかりませんかの。小心者に昨今の世界の動きは不安でしてな」
それは私に対してだけではなく、きな臭い動きを見せる魔族が主な理由となっているそうだ。
……基本的に、私が動く際というのは受け身だ。
昔は魔術の力を試すために自分から動いていたのだが、それに飽きてからは問題が起こってから動くのが普通になっていた。
三界戦争がその最たる例だろう。百年続いた戦争が一週間で終わった──というのが、事情を知る者にとっての真実なのだから。
「さて、気にした事もなかったのでな。何かわかれば教えるが、期待はしないでおけ」
「テオ殿の仰る事となれば期待してしまうのが凡人の性というものですぞ。……はあ、せめて話の聞ける当人か、地下にあったという施設だけでも残っていればよかったのですが」
「地下施設に関しては申し訳なく思っているが、大したものは無かったはずだ。男の方に関しては、扱えるのはお前くらいになるだろうな。簡単には口を割らんだろうし、教育者が拷問というのはあまりよろしくないように思えるが」
「そのようですな……ああ全く、胃が痛い」
だが、今は私もその様な考えでは居られない。
やはりそれにはアリエッタの存在がある。あの子が悲しむ事は、極力遠ざけたいというのが私の思いだ。……そればかりでは、あの子の成長の機会を奪う事になってしまうのが、悩ましいところなのだが──
なんだ、世界の命運を握るのがあの子というのは、そういう意味か。
「まあ安心しろ。学費として、身の回りの問題くらいは解決してやろう」
「なんとも心強いお言葉ですな」
身の回り。それは長らく自分の近くの事であり、三年前からはアリエッタと私を取り巻く環境の事になった。だが今では、その範囲は少しだけ広い。
シュリオに、シャーロット。その他学友達も、今の幸福には必要不可欠のものだ。
「……変わられましたなあ」
「私もそう思う。……と、そろそろ小言は終わりだ。アリエッタを待たせているのでな」
「それはもう願ったりかなったりですぞ」
今にして思えば、この男とのこういう関係に愉快さを覚えていたのも、今の幸せに連なるものなのかも知れない。
だとするならば、少しは思いやりというものを見せてやっても良いかも知れない。
「ではまた。何かあったら呼べ。うまい菓子でも土産に用意しておけば、話は聞いてやる」
「おやそれはそれは。なるべくその機会は無いように祈っておりますがのう」
「ほざけ」
しかしそれも今は予定の話だ。
何もない方がいい、というのは退屈で仕方なかった私が聞けば、それだけで笑うだろうな。
くつくつという笑いに見送られて、席を立つ。
「ああそうだ。生徒を代表して伝えておこう。お前の話は長い。もう少し短くまとめろ」
「うぐ……最後に毒を残していくんじゃからもう」
ちょっとした意趣返しを添えて、私は校長室を後にする。
扉を出て教室に戻ると、夕暮れの中、私を見つけたアリエッタが駆け寄ってくる。
「先生! お話は終わったんですか」
「ああ、まあ大した用事でもなかったさ」
今日は彼女と夕食を共にする約束がある。放っておけば喋り続けるガーディフからさっさと逃げてこられたのは幸運だった。
遅い下校をする生徒の一部に紛れつつ、街へと出る。
夕暮れで焼けた石畳の街も、中々風情があっていい。
「今日はシャーロットさんも残念でしたね。彼女も来たがっていましたけれど」
「家の都合というのでは仕方なかろう。大きな事件の後ではな」
そう。本来はここにシャーロットも加わっているはずだったのだが、三日前の森で起きた事件が予想以上に大きくなってしまったため、家族に一時呼び戻されているらしいのだ。
「そう言えば、聞いたか? 『奈落の谷』のウワサ」
「聞いた聞いた! 何でも、魔王復活の企みっていうのも、あながち遠からずだったとか言うぜ。穴は兵器の実験だとかなんとか……」
流石にまだ三日目という事も有り『奈落の谷』の話題で持ちきりだ。
地形が変わるというのは現代の人々にとってはちょっとした──というのもはばかる様な、大事件にあたるらしい。
「でもまあ、アレで魔物ごと犯人も居なくなっちまったってんだから、間抜けな話だよなあ」
「あの穴が街にできていたらと考えれば、ぞっとしませんがね」
噂の内容は、簡単に説明すればこのようなものだ。
『魔王の復活を目論む魔族が、魔造生物を使って世界転覆を目論んだが、実験機材の暴走で施設ごと消え去った』。
要は魔物の心配も、魔族の心配ももう無い、と公開したのである。
細かい部分は違うものの、重要な情報は真実だ。
「この中に真実を知っている方がどれだけいらっしゃるんでしょうね。先生の事を知らなければ、あの穴を一人の魔術師が開けたとは考えられないでしょう」
声を顰めて、アリエッタが事件を語る。彼女の言う通り、事件の真相を知る者は少ない。
「ふふ、二人だけの秘密ですね、先生」
「……くく、そうだな」
だが少ないだけで、真相を知っている者が私達以外に居ないわけではない。
それでも私達だけの秘密というのがなんとも学生らしくて、否定できず笑ってしまった。
ああ、楽しいじゃないか。くだらないと断じていた事が、今では一つ一つが楽しく感じられている。それも全てアリエッタのおかげだろう。
彼女と出会ってはじめて、私の『人』としての生が始まったのだ。
「あの日の先生は本当に、凄かったです。わたしも、いつか先生の様になれるでしょうか?」
だからこそ、彼女が望む限り、できるだけ力になってやりたいと思っている。
──彼女が魔術を手にして望む事には、薄々気づいていた。
恐らくは、不老不死。この子は優しいから、永遠を生きる私に寄り添ってくれようとしてくれているのだろう。
本当の所を言えば、あの退屈と虚無をあの子に味あわせたくはなかった。
しかし──私にとっての彼女に、私がなれるならば。彼女が不老不死となっても、退屈なんて無いのかも知れない。
「なれるさ。目的と、真剣さがあればな」
「ふふっ、そうですか? ……じゃあ、その時までよろしくおねがいしますね、先生?」
アリエッタは魔術師としては未熟だ。だが私は──人として、未熟であると思う。
だから二人で成長していけたらと、そう考えている。
人生、何があるかわからんものだ。
そんな当たり前の事に気がつくのが、千と数百年も生きた今だとはな。
「これからもよろしくたのむ」
「はい、先生っ!」
ああ今この時が永遠に続けば──いや、違うな。不老不死を得た私が求めたのは、永遠に続く今ではなかった。
明日はもっと素晴らしい日になるだろうか? アリエッタといると自然とそう考えている自分に気がついて──
私は、そっと目を細めるのだった。
これにて一章はおしまいです
次回から二章を始めて行きとうございます




