第二十一話:親交を深める
「ご、ご迷惑をおかけいたしましたわ……」
それから暫くして。
私はアリエッタと並んで、ようやく泣き止んだシャーロットと向かい合う様にして座っていた。
まだ声は濁り、時折しゃくりあげて震えているが、精神の方は大分落ち着いたようだ。
しかし私達は、シャーロットの様子に言葉を選びかねていた。
その姿は弱々しく、もはや強がってさえいない少女に対してどう声をかけたものかわからなかったのだ。
「構わん。あの程度なら手間にもならん」
「わたしも大丈夫ですよ。直接シャーロットさんをお助けしたのは、先生でしたから」
結局迷った末、謝罪を素直に受け入れられるくらいだった。
シャーロットはそんな私達に、謝罪を重ねる。
……あまりにもしおらしくてやりづらいが、このままでは話が進まんな。
「しかし、説明は欲しい所だな。実戦が恐ろしいという気持ちが存在する事は理解するが、お前の実力ならば山羊頭程度ならば蟻の一匹を怖がるようなものだろう。その必要があるとも思えんが」
なので、シンプルに聞く事にする。
言葉を飾り立てるのは苦手だ。あれこれと考えても、どうせ器用な言葉は出ない。
「それは……ううん、そうですわね。ここまでご迷惑をおかけしたんですもの、お話いたしますわ……」
だがシャーロットは少し迷ったものの、素直にその理由を語り始めた。
それが意外で、私はまたアリエッタと目を合わせる。
シャーロットが語り始める事で、私達は視線を戻した。
「仰るとおり私は、実戦が怖くて怖くて仕方有りませんの。怯えている状態でも、相手との力量はなんとかわかりますわ。山羊の頭の魔物になら、普段の力を出せれば問題ない事もわかっております。それでも──怖くて、動けなくなってしまいますのよ」
やはり、私が考えた通りだったようだ。力量は、把握していたのだ。
優れた魔術師、あるいはそれを目指す者ならば、戦闘の際互いの力量を測る事は必須だ。
大成するには何よりも決定的な敗北を回避する事が重要なのだから。
それでいえば、臆病というのは悪い事ではない。度が過ぎなければの話だが──
「何か理由があるのか」
だが力量を測れるというのならば、なおさら動けなくなってしまうほどの恐怖というのは想像し難い。
蟻を相手に怯えるようなものだ。
シャーロットは私の問いかけに、僅かな逡巡の後、答えた。
「……生来臆病というのもありますけれど、油断から大きな怪我をした事がありますの。と言っても、治癒の魔法があれば痕も残らないようなものでしたけれど──その時の痛みを思い出すと、どうしても『敵に立ち向かう』という事が出来ませんの」
返ってきた答えは、想像しうる中でも単純な部類のものだった。
即ち痛みによる心の傷跡。心的な傷というのは、単純であるほど衝撃も強いものだ。
「ふむ……なるほど。それは難しいな」
「克服しようと、努力はしていますわ。でも、どうしてもあの時感じた死を打ち払う事が出来ませんの」
「死、ですか。わたしも、死ぬのは怖いです。何よりも」
「ですがアリエッタさまはあんなに強い魔物にも立ち向かっていけるではありませんか。私には、出来ない事ですわ……」
死。それは誰しもが恐れる、あるいは恐れていたものだ。
こればかりは、どうしようもない。恐ろしいものは恐ろしい。死を魔術でねじ伏せた私でさえ死の恐怖というものはわかる。
私の場合死の恐怖というのは決定的な時間切れとして存在していた。不老不死となる前から大凡敵と呼べる存在は居なかったが、それでも近づいてくる終わりを恐れた日はあった。
ろくな心の準備も無い子供の内から、死神に頬を撫でられる。そんなもの、心が耐えられるものではないだろう。
「ソーニッジの家の者として、家名に恥じぬよう努力してきたつもりですわ。ルールが整備された模擬戦などの形式ならば、それなりに動けると自負しております。それでも、実戦というのは怖いのです」
だが努力はした。それもまたわかる。
彼女の身に秘められた魔力は才能だけで身につくものではないと、私には解るからだ。
心中で、私はシャーロットが気にかかる理由に説明が付き始めていた。
一言で言えば、この子はアリエッタと逆の存在なのだ。
魔術の才に恵まれながらも、強い心を持つ事が出来なかった少女。その存在はアリエッタと真逆であるがゆえに、光と影のようにその存在が強調される。
「一通りは、わかった。それで、お前はどうしたい」
「どう、と言われますと?」
「死を恐れる気持ちはわかるし、咎めるつもりはない。この森にいる間は、私とアリエッタでお前を守ってやる事も出来る」
「えっ、ですが……」
「わたしは構いませんよ。怖いものは怖い、わたしにもわかります」
「アリエッタさま……」
だからなんとなく、放ってはおけないのだろう。
「それでもこの森の環境は辛かろう。安全と分かっていても実戦が出来ないくらいだ、守られていると分かっていても、恐ろしい事には変わらないはず。もしも帰りたければ、護符を破っても構わん」
「あっ、先生は厄介払いをしたいわけではないですよ。純粋にシャーロットさんを思っての事です」
「は、はあ……」
何故か補足するアリエッタになんとも言えない気分が湧き上がっていたが、言っている事には間違いない。強調してくれるというのなら、それでいい。
ただその行動の異質さに、シャーロットの方が一歩引いてしまっているが。
せり上がってくるため息を飲み込んで、続ける。
「だが一つ言わせてもらうと──私としては、お前の才能を眠らせておくのは勿体ないと感じている。この実習を機に、少しずつでも恐怖を克服していく気はないか。戦えとは言わん、まずは見ていようとするだけでいい。目を逸らしてしまっても、それが出来るよう努力をするだけでも良い」
「えっ……」
最初はその才能に興味を惹かれただけだったが、学生として過ごすうち、私にも人情というものが湧いたのだろうか。心的外傷に悩んでいるというのを聞かされた今では、一人の学友として、彼女の力になってやりたいと感じていた。
「……そう、させてくださるのならば、私としては嬉しいのですけれど……よろしいのですか?」
「先程アリエッタが良いと言っていた事だ。それが実りになるというのならば、積極的にそうすべきだろう」
だから、こういうおせっかいをするのも偶にはいいのではないか、と思う。
「そうですよ。折角今まで努力したんです、報われてもいいじゃないですか。そのお手伝いができるなら光栄です」
「お、お二方……!」
私としてはアリエッタに文句がないのならば、それ以上に問題などあるはずもない。
私がそうすると決めた以上、シャーロットに危害が及ぶ事はありえない。そうなれば、後はシャーロットの気の持ちよう一つ。
「是非、是非よろしくお願いいたしますわ! またご迷惑をおかけしてしまうと思いますけれど……私、精一杯頑張りますわ!」
こうしてやる気を出せば──また一つ、何かが変わるかも知れない。
アリエッタと出会う前の私だったら、敢えて寄り道のような事をする事はなかったろう。そもそも、学園に通うなどという発想には一生──これから先何千、何万と続いていくかも知れない人生の中でさえ一度も至らなかったはずだ。
凝り固まった考えを持っていた私でさえ変わりつつあるのだ、若い子たちの変化というのは、きっと計り知れないものになるだろう。
「そうか。では──お前が克服する意思を見せる限り、私も協力すると約束しよう」
「わたしもです。先生に比べればずっと微力ですけれど、視線の高さが近い分、何かわたしにだけ見えるものもあるかも知れませんしね」
「うう……テオドールさま、アリエッタさまぁ……っ!」
また涙ぐむシャーロットだが、その涙は悲しみによって滲んだものではないだろう。
こういうのもたまには良い。そんな思いつきから始めた『師匠』だが。現状を鑑みるとこの子との付き合いも長いものになるのかも知れないな。
「ならば今から私達は『友達』だ。生憎弟子と言える存在は定員が過ぎているのでな」
「と……友達……! なんて新鮮な響きなのでしょう……!」
「じゃあわたしも友達、ですね」
アリエッタの言葉で涙腺にとどめを刺されたシャーロットが体中を震わせる。臨界点を超えると同時に、シャーロットは堰を切って出てきた水のように、私達へと押し寄せた。
私とアリエッタの二人を囲むように広げた腕で抱き寄せると、シャーロットは声を上げて泣き始めた。
「あ……ありがとう……ありがとうございますぅ~……っ!」
おん、おんと、抑える事もなく声を上げて泣くその様に、私達はどうする事も出来ない。
何処か遠い思考で、なんとも癖のある泣き方だ、と考えつつ──私達は二人揃ってなすがままにされるのであった。




