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第二十話:シャーロット

「たっ」


 飛びかかってきた山羊頭に、アリエッタが火球を放つ。

 あまり気の入っていない、実際に全力からは程遠いながらも密度は高く、正確な狙いでそれは放たれた。

 火球は三つ──それぞれが飛びかかってきた三匹の山羊頭の頭部を撃ち抜き、炸裂する。

 頭部を完全に破壊された山羊頭は、ぴくりとも動けなくなった。


「いい狙いだ。腕を上げたな」

「ふふっ、先生のおかげです」


 魔術云々よりも、その狙いの正確さがよい。高速で動く物体の、限定的な部位を撃ち抜くのは慣れぬうちは難しい。

 実戦でそれを容易く行うのは、彼女の成長の証だ。

 しかし、相手が相手。これくらいは出来て当然とも言える。

 この程度ならば、アリエッタで無くとも、特待クラスの三分の一程度は出来るだろう。


「さ、流石ですわね」


 それは未だに怯えてるシャーロットもそうであるはずなのだが──

 強がれる程度には気分が回復したようだが、声は震えており顔色も悪い。

 もしもこのクラスでアリエッタの好敵手になりうるなら、この子だ。そのくらい、私は彼女を買っていた。

 この程度の雑魚、百匹集まっても彼女の相手にはならないだろう。

 だと言うのに──


「何を恐れている?」

「恐れてなんて! いま、せんわ……」


 言葉で強がりつつも、態度は正直だ。

 優秀であるがゆえに負けん気が強い、彼女の印象はそう言ったものだったのだが、今では強がりさえままならないといった具合。

 彼女ほどのものであれば、力量もしっかりと把握できているはずだが──


「む」

「ひゃっ」


 考え事をしていると、山羊頭が飛び出てくる。

 同時にシャーロットの小さな悲鳴が聞こえた事に、やはりと思う。

 私は睨みつける要領で火の魔術を発動し、山羊頭の身体を炭に変えた。

 脅威は退けた──いいや、脅威と言うほどでさえない襲撃。

 にもかかわらず、シャーロットは怯え、魔物が動かなくなれば胸を撫で下ろす。

 臆病にしても、行き過ぎだ。

 抵抗の意思さえあれば、なんとでもなるというのに怯えるというのは、蟻を恐れる事に等しい。

 生理的な嫌悪というのならばわかるが、命がかかっている場で動けなくなるほどのものなのだろうか?

 生憎恐れという感覚はわからない。故に、なんとももどかしい。


 勿体ないのだ。

 魔力に恵まれなかったアリエッタも、今では世界中のエリートの中から更に一握り、その中で最も優秀とさえ言えるようになっている。

 確かに頭の回転の速さは重要だし、魔力は使えば使うほど容量が増していく。それでも下地の良さというのは、あるに越した事はない。

 名門の家の出と言うだけあり、シャーロットの魔術の才は稀有なものだ。

 何よりも、潜在魔力が高い。努力もしたのだろうが、現時点で使われていない魔力が多く眠っているのは才能の証左だ。

 天才と呼べる存在が努力し、頭も悪くないと言うのに──たかが山羊頭程度にこのざまというのは、なんというか悔しささえ覚えるほどだ。


「……どうかいたしまして?」

「いいやなんでもない」


 だが──飽くまでも私が最も優先するのはアリエッタだ。

 ジト目を向けて来るシャーロットにそう返すと、私は再び前を向く。

 そう、私にとってはアリエッタの成長こそが至上。弟子でもない者にかける時間はない。

 ないのだが、もしも彼女が戦う事が出来るのならきっとアリエッタにもいい刺激を与えてくれただろうに。

 これは恐らく私しか知らない事だろうが、シャーロットにはまだ見せていない力がある。

 形式だけとは言え、命がかかった実戦ならばその力を披露させ、アリエッタに見せる事が出来るかも知れないと思ったのだが。

 ままならんものだ。

 ふう、とため息を吐く。

 だが目的の一つは達成できそうだ。


「アリエッタ」

「はい先生」


 既に気づいていたようである。流石だ。

 山羊頭ではない、もう二つはランクが上の熊だ。特待クラスにとってさえ十分に驚異になりうる存在が、此方を捕捉している。

 示し合わせる私達に交互に視線をやるシャーロット。

 私達の様子に異常を感じ、一拍遅れで『敵』の存在に気付く。


「ひぃっ!」

「ブホォォォォッ!」


 少女の悲鳴と、獣の荒息が森に響き渡るのは、同時の事だった。


「アリエッタ。一人で行けるな?」

「勿論です」


 ふん、と小さな胸を張って、笑顔を浮かべるアリエッタ。

 明確に力量を把握しているが故の余裕。だがそれは、凶暴な合成魔獣には『油断』に見えたらしい。

 腕を広げ、身体を大きく見せてから、すぐさま四足歩行へと切り替える。

 『油断している小さな少女』から仕留めるべく、一匹の熊の魔物が駆ける。

 一般的な成人男性の、二十倍は重量がありそうな巨体が、早馬よりも早く木々の間を塗って走る──足場の悪さを物ともせず発揮する速さは、そのまま身体の頑健さと反射神経の良さを表している。


「行きます」


 だがアリエッタは慌てない。今の彼女ならば、この程度の速度は何ら問題にならない。

 静かな宣言と共に、駆け出すアリエッタ。

 地を滑るような、淀みない動きだ。身体の魔力強化と、意識の鋭化がちょうど良く釣り合っている事の証左だ。

 単に早いだけではない──歩法と併せた、視界から消えるための動きだ。なまじ目が良いだけに、熊の視線は、アリエッタの騙す動きに幻影を追ってしまう。

 まんまと熊の背後に回ったアリエッタが、得意とする短杖に魔力を込める。

 アリエッタが得意とする、炎の魔術だ。

 三つの火球が生まれ、捻れながら『凝縮』されていく──流石、少し教えただけで完璧にものにしている。


「『フレアディストーション』!」


 叫ぶようなアリエッタの『宣言』により、捻れ固まった焔の槍が解き放たれる。

 その声に熊が振り返るが、もはや魔術は発動している。

 焔の槍は回転しながら、熊の魔物へと向かう。高速度で射出された『フレアディストーション』は、強弩で放たれた矢の如し。この近距離では回避は不可能だ。


「ブッ! ゴォ!」


 放たれた魔槍は、熊を縫い止めるように角度を変えて突き刺さった。

 熊の因子を持つからだろう、この合成魔獣の身体は山羊頭とは比べ物にならぬほど頑強だ。が、焼き切りながら抉る鋭利な魔力の前では、無力に等しい。

 そしてそのダメージは、あまりにも決定的だ。物理的な損傷に加え、臓腑を焼く地獄のような灼熱。そして、再生さえも許さぬように焼き切りながら傷口を固めていく。


「ゴッ! ゴォッ!」


 もはや熊の魔物に出来るのは、うめき声を上げるのみだ。

 強靭な生命力ももはやこうなっては無為に苦しみを長引かせるのみ。


「アリエッタ」

「はい」


 私の声に、アリエッタが杖を掲げる。杖の先に強大な火球が膨らみ、そして凝縮されていく。

 早速実戦で『凝縮』を使いこなしているな。

 その上で捻れた槍という凝った造形へと形成する技術。やはりこの子の要領の良さは素晴らしい。

 何より──止めを刺そうとするこのアリエッタの目。

 冷徹、が最も適当な言葉になるだろう。揺れず、最短で目的を達成するための冷静さに徹する瞳。なんとも美しい。

 かつて気高くも脆くあった少女から脆さは消え、今ではその気高さが、冷たく磨かれている。

 それでいて──優しさも持ち合わせているのだ。

 恐らくは人間に対する憎悪と破壊衝動だけを与えられた改造生物。

 その悪意を感じ取りながらも、アリエッタは魔物がこれ以上苦しまぬようにと火球を放った。

 半径二マートルほどを飲み込む爆炎。

 破壊と焦熱の渦が膨らみ、去った後には何も残らなかった。

 小さく息を吐いて、アリエッタは目を閉じた。

 閉じた瞳を開くと、そこには元の柔和な笑みが浮かんでいた。


「終わりました」

「素晴らしい。もう完全に魔力の凝縮も使いこなしているな」

「まだ少しだけ時間がかかりますけどね。それでも、ちゃんと扱えるようになったのは先生のおかげです」

「いいや、このレベルの実戦で問題なく使えるのならば、ひとまず十分と言った所だろう。よく頑張った」

「はいっ!」


 目を細め、嬉しそうに笑う。この少女があれほど戦えるなど、誰が信じるだろうか?

 私からすれば未熟も未熟ではあるが、それでも同年代にはもはやアリエッタに比肩するものもおるまい。はっきりとそう言えるほど、良い戦いぶりだった。


「……すごい」


 アリエッタの魔術がどれだけ素晴らしいか、と語るのにシャーロットの反応は良い指標となるだろう。

 世界で最高と言われる魔術学校の中でも、選りすぐられた者が集められる特待クラス。その中でもアリエッタを除けば間違いなく最も優れていると言える、負けん気の強い少女にこの様な反応をさせるほどだ。

 見惚れるままに呟いたシャーロットははっと息を飲んだ。

 悔しそうに唇を噛み締めているのは、嫉妬からではあるまい。

 実力を出せない、というのは彼女にとってももどかしいはずだが。

 やはり勿体なく思う。……ここは少し強引な手で確かめてみようか。


「ブルゴルアアアアッ!」


 背後から、熊の魔物の雄叫びが響く。

 ──二匹目だ。

 私達の近くに居たのは、熊の魔物が一匹だけではない。此方の魔物は、息を殺して戦いを覗いていたのだ。

 先頭のアリエッタ、私を挟んで後方にシャーロット──班の背後から現れた熊の魔物の最も近くにいるのは、当然シャーロットという事になる。

 さあ、力を見せてみろシャーロット=ソーニッジ。さもなくば──


 山羊頭の雑魚には、その力を見せる事はなかった。何の理由があるかはわからぬが、戦いそのものを恐れている様子が見て取れる。それは相手よりも自分のほうが圧倒的に優れていると知っていてなお戦えないほどだ。

 ならば、命がかかっていればどうか。

 熊の魔物の攻撃は、山羊頭のそれとは全くの別物だ。魔力の防御が半端ならば肉は裂かれ骨は砕けるだろう。このまま魔力の防御を行わなければ、横薙ぎの爪で身体は上下に二分割されるだろう。

 動かねば、死ぬぞ。

 目を鋭く細めて、シャーロットの動向を見守る──


「やはり無理か」


 が、シャーロットは動く気配を見せなかった。

 先日の焼き直しだ。転移の魔術でシャーロットを庇う。無造作に立てた腕で防御をすると、石壁を叩くような音が響いた。如何に山羊頭より強くとも、しょせんろくな意思も持たぬ作り物。この程度では羽虫が触れるほどにも感じない。

 熊からシャーロットへ視線を移し、私はため息を吐き出した。

 失望──というのとは少し違うな。その言葉を使うのならば、私自身に対して、だ。

 そもそも山羊頭を相手に動けない時点で、それよりも余程強い熊の魔物を相手に動けるはずがなかったのだ。


「あ……あ……」


 その表情は恐怖と絶望。涙に塗れ、死を覚悟もできずにいる表情だ。

 特待クラス、という自信と希望に満ちた場所に居て、感覚が麻痺していたのかも知れない。この年頃の少女ならば、これも却って自然というものか。

 再び熊へと視線を移し、一睨みする。

 そうする事で、無色の魔力を熊の魔物へ叩きつけた。

 最も簡素な魔力は力場となって熊を襲い、その上半身を消し飛ばす。

 揺れた熊の巨体──いや、頭部を失った今は醜い亜人の様な──躰が、後ろへと倒れていった。

 決着とともにアリエッタが近づいてくるのを感じるが、今はひとまず。


「怪我はないか」

「ご、めんなさい。ごめんなさい……!」


 先日のようにシャーロットへと手をのばす──が、シャーロットは怯え、周りが見えていないようだった。

 私は屈み込むと、その瞳を覗き込んで見せる。びくりと震えたシャーロットを押さえつけるように肩へと手を置いて──


「もう、大丈夫、だ。落ち着いて息を吸うと良い」


 じっくりと言葉を区切りながら、言い聞かせた。

 呆然としながらも言葉を飲み込んで、シャーロットは深く息を吸い込んだ。

 すると、驚愕で引っ込んでいた涙がまた滲み、溢れてくる。


「怖かったな」

「あ、あああ……わたくし、わたくし……!」


 また声が震えてくるが──取り乱しているというわけでもないようだ。

 すがるように胸に飛び込んでくるシャーロットを抱きしめる。

 普段の彼女からは想像出来ないような、弱々しい嗚咽。

 ……ふむ。実戦への怯えには、何か根が深い問題があるのかも知れない。


「……」


 だからそんな顔をするものではない──アリエッタ。

 抱きとめたシャーロットの肩越しに見るアリエッタの表情は、見事なまでに無表情。虚無であった。


「お優しいのですね。わたし、そんなふうには──『テオさん』じゃない方の先生にも、された事がないです」


 この私が、圧を感じている──!?

 優しいという言葉を織り交ぜつつも、明らかに抑揚のない声! というかこれは実は正体がバレているのでは!?

 冷や汗をかくのなど、何百年ぶりの事だろう。いや、もしかしなくとも千年以上は無かった事のような気がする。

 いや、焦るな。似てはいるが今の私は若返った、決定的な別人。これはきっと連鎖的に私との記憶が思い出されただけだろう。通常、人は若返らないのだから。 


「あー……いや、話を聞く限り、頼めば喜んでしてくれるだろうさ」

「そうですか? じゃあ里帰りの機会に頼んでみます」


 弁明、というよりは弁護か。言えばする、と告げれば無感情が一転、笑みを浮かべてアリエッタは言う。

 だが、そうだ。考えてみればアリエッタを抱きしめる、というのはまだした事がなかった気がする。

 父のように私を慕う彼女に対して、娘のように彼女を想う私の行動としては、不誠実だったかもしれない。里帰りの際には、思う存分甘やかしてやろう。

 と、心に決めた所で抱きとめたままのシャーロットに気がつく。


「でも、どうしましょう。休憩にしましょうか?」


 アリエッタもそれほど本気で怒っているわけではない。

 シャーロットの事を心配に思ったからこそ駆け寄った、というのは事実だ。


「そうだな、それが良い。シャーロット、少し離れてくれるか」


 言葉は返ってこなかったが、胸の中で小さく頷いているのが感触でわかる。

 なるべく優しくシャーロットを放してから、私とアリエッタは手頃な石を錬金で椅子に変える。

 すすり泣く少女をどうしたものか。こういった場面に困っているのは、アリエッタも同じようで──

 私達は顔を見合わせて、肩を竦めた。


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