第十五話:放課後のふたり
放課後。それはこのセントコート中央魔術学園が最も賑わいを見せる時間である。
名門として名高いセントコートの学生達はその殆どが根から真面目な者達だ。授業に対する姿勢は真剣で、サボタージュ等も殆ど見られないこの学園では、昼の間は静まり返っている。
しかしそんな彼らだからこそ、放課後は存分に自分たちの時間を楽しんでいるのだ。
学園の敷地は広く、中には飲食店が立ち並ぶエリアもある。ここの学生たちは、そういった所で学友と親睦を深めたりしているようだが──
「……では、先程学んだ事を、実戦を交えて行っていくとしよう。準備は良いか」
「はい、万全です。……お願いします!」
私とアリエッタは、人気のない場所で修練を行っていた。
如何に真面目な特待クラスの者達でも、放課後まで自主訓練を行う生徒は多くない。この学園にアリエッタを通わせているのは休暇と一般常識を学ばせるのが主な目的だ。
何も他の者が遊んでいる間にまで鍛錬に打ち込まずとも、と私は思うのだが、どうもアリエッタには目標があるらしい。
目標を達成するために、力はあるほどいい。そう言っていた彼女に私が提案して設けたのが、この時間だ。彼女は真面目すぎるので、休める時には休んだ方が良いと思うのだが、弟子の力になってやりたいのが師匠心というものだろう。
「来ると良い。目標は戦闘中に一度でも『凝縮』の技術を使った魔法を放つ事だ」
「……行きます!」
そうして、今回の修行が始まった。
結界の中で戦闘を行い、魔力を『凝縮』する技術を使った魔法を放つのが今回の課題だ。
宣言と共に、アリエッタの身体に魔力が漲る。
が──一瞬だけ、アリエッタは眉を顰めた。覚えた違和感に眉を顰め、結界内で何が起きているかを理解するのに一瞬。我が弟子の素早い戦闘思考に満足を感じる。
「はっ!」
そしてそのまま、距離を詰める事を選択するまでに瞬きにも及ばぬ時間を。やはり、この子の頭の回転は早い。
距離を詰める最中、アリエッタは私が与えた短杖に魔力を纏わせる。火の魔力を通しやすい触媒のルビーに魔力が満ちると、突き出した短杖から五つの火球が飛び出した。一つ一つ、それぞれが岩を砕く程度の力はあるだろう。
私は立ったまま、軽く念じる事で魔力の力場を生み出した。威力は最小限に抑えたものだ。
しかしその間に距離を詰めたアリエッタは、私の懐に潜り込んでいた。
勢いを付けて振り払わんと構えられた腕の奥に、研ぎ澄まされた瞳が見える。
「『ファイアネイル』!」
魔術の名前を叫ぶと、アリエッタの持つ短杖に炎が集い、刃を成す。
『収束』の技術を使った魔力の武器化だ。特定の形に魔力を集中する事で、形状を固定し、通常使った側から失われていく魔力を安定させる『凝縮』の基となる技術である。
これもそれなりには高度な技術なのだが、アリエッタはだいぶ前から使いこなしている。
ともあれ、武器化された炎が勢いよく振り払われた。込められた魔力は多く、既に鋼鉄を焼き切る程度の力は持つだろう。
それでも私に傷を付けるには遠く及ばないが、これは実戦を想定した模擬戦だ。避けるか防ぐかしなければ体をなさない。
私は盾のように固めた魔力を発生させ、炎の斬撃を防いだ。
これが防がれると、アリエッタは大きく後方へと飛び退く。もう一度短杖を振るえば、今度は炎の刃が杖から抜けるようにして私に飛んできた。
なるほど、よく考えるものだ。戦闘において、武器を投げるというのはそれなりには厄介な行動である。
しかも先のように『ファイアネイル』を使えば再び武器が復活する──が、アリエッタの目的はそこにはない。
投げつけられた刃を防ぐという私の『隙』を利用し、既に次の魔力を構築し始めている。
膨れ上がった魔力が、シャープに、あるべき形に押し込められるように『凝縮』していく──思わず、私は口角が上がるのを感じていた。
「『フレイムランス』!」
習ったばかりの技術を戦闘というハイレベルな思考と技術の連鎖の中で、流れるように使ってみせる。その戦闘勘に、感心せざるを得なかった。
『凝縮』というのは魔力を定めた形に押し込める技術だ。同じ様に魔力を形成する技術である『収束』と違う所は、『凝縮』がより大容量の魔力を小さな形に押し込めるようにする事。
この技術を用いる事によって魔術はより精密に、大きな力をコントロール出来るようになるのだ。
例えば障害物の多い場所で狙った位置に大火力を発揮したい場合。巨大な火の玉を用いては障害物に触れてしまうだろうが、小さな火球ならば障害物の間を縫って目標地点に到達させる事も出来るだろう。あるいは、より一点に破壊力を集中したい場合。
今アリエッタが狙ったのがまさに後者であった。
細い槍の形に『凝縮』された火の魔力。それは防御を一点突破するための鉾だ。
アリエッタが杖を振るい、炎の槍を投げ放つ。
それは例えるのならば爆薬で出来た槍だ。鋭く硬い刃先で鎧を突き破り、内部で爆裂する、効率的に相手の防御を破るための武器である。
投げ放たれた槍は私の眼前にある盾に突き刺さり、炸裂する。轟音と爆炎が吹き荒れ、結界内に熱が満ちた。
「合格だ。技術そのものもさる事ながら、運用方法も素晴らしいものだった」
「……! ありがとうございます」
その爆炎が晴れる頃、私は笑みを浮かべてそう告げる。
アリエッタは恐らく私が無傷でいる事に驚いたのだろう、一瞬だけ目を見開いてから、柔和な笑顔を浮かべた。
「よく復習と実践を繰り返していると見た。流れるように扱うさまは見事だったぞ」
「そんな……まだまだですよ。まだ複雑な形状を作る事は難しいですし、なにかに触れれば、込めた魔力も解き放たれてしまいますから」
今の戦闘での技術の運用は見事だった。しかしそれでも完璧というわけではない。アリエッタは自分自身でそれを把握し、今後の課題も見えているようだ。
本当に優秀な弟子だ。まったくもって、可愛らしくて仕方がない。
「謙遜する事はない。今は離れた所にいるというお前の師匠も誇らしいだろうな」
「そ、それは褒め過ぎですよっ……す、すごく嬉しいですけれど……」
「いいや私には解る。師であれば、何よりも勤勉な弟子が可愛いもの。お前くらい真面目な弟子を持ったお前の師匠は幸福者だな」
「う、うぅ……あ、りがとうございます……」
またこの謙虚な事よ。アリエッタにはまだ学んでいない事も多いとは言え、基礎力は既に超一流と言ってもいい。その上で弛まぬ努力を続け、自らを未熟と言える向上心。彼女のような弟子を持った師匠が幸福でないわけがない。
だというのにアリエッタは耳まで赤くして、俯いている。誇らしげに胸を張るくらいしても、誰も文句は言わないだろうに。というか私が言わせん。
だが、ある意味ではこの謙虚さも無理はない事かとも思う。この学園に来るまで、彼女が自らを比較する対象は修行で戦った魔物の他には私しかいないのだ。自分を未熟と思うのも仕方がない。
「……ふむ」
常に上があると考え、向上心を持つのは良い事なのだが──しかし、そればかりで成長を実感できないというのは良くない。
修行を続けるには、やはりなんらかのモチベーションが必要だ。
「アリエッタ」
「なんでしょうか、テオさん」
まだ顔は赤いが、呼べばちゃんと目を見て話すあたり律儀な子である。
「何か、私にしてほしい事はあるか。あるいは欲しい物でも良い。学友として近づいた印として、言ってみるといい」
「え、ええ……!? そ、そんないきなり、どうしたんですか?」
「一応は指導者の真似事をしているわけだから、何か褒美でもと思い立っただけだ。同年代が言うには少し不自然かもしれんが、これがモチベーションになれば、私自身の後学にもなるかと思い立った」
そんな律儀なアリエッタだからこそ、褒美の一つもやりたくなるというものだ。
突然の申し出にアリエッタは驚いているようだったが、一つ大きく息を吸うと、少し気分が落ち着いたようだ。
「こうして稽古を付けてもらってるのに、そんなの悪いですよ。それに真似事だなんてとんでもありません、わたしにとってテオさんは、立派な指導者です」
「ならばなおさらだ。そう思っているのならば、褒美の一つでも出させろ。弟子の頑張りに報いないようでは、収まりがつかん」
「そう、ですか……? では、ううん……どうしましょう」
立派な指導者という言葉につい嬉しくなる。そうした信頼もまた、余計可愛がりたくなってしまうのをこの子は理解しているのだろうか。
だがそこまで言えば、真面目なこの子だ。褒美について考え始める。
一分ほど悩み唸って、アリエッタは目を開けて私の顔を見つめる。最後に深呼吸をして、胸に手を置いた。
「で、ではその……先生とお呼びしても構いませんか? テオさん、とわたしなんかがお呼びするのはなんだか恐れ多くて……それにテオさんはすごく『先生』って感じがするんです」
まっすぐと見つめたまま、柔らかで暖かな笑みを湛えて、アリエッタはそう願った。
「その方がやりやすいというのならば、好きにするがいい。恐れ多いなどと気にする必要もないと思うがな」
「……! ありがとうございます。えへへ……何だかとても、気持ちが温かいです」
正直に言えば、テオドールを縮めた『テオさん』という愛称は私にとって新鮮なもので、そう呼ばれる機会を失ってしまうのは惜しかった。
だが館に居た時以来の先生呼び。これもまた私に取っては特別な響きであるようだ。
一応は別人という事になっている『テオドール』がそう呼ばれるのは少しばかり悔しい思いもあるが……若返っただけで大して弄る事もなかった姿だ、アリエッタもある程度私に『先生』を重ねているのだろう。
そういえば、アリエッタはヴァレンスを『先生』とは呼ばない。彼女がヴァレンスを呼ぶ時には『教諭』呼びだ。
先生、というのは、彼女にとっても特別な響きなのだろう。
……ならば、私もそれに答えねばなるまい。
「そう呼ばれたからには、これからも力になろう。何かあれば、遠慮なく言うと良い」
「はい、ありがとうございます! 今日も楽しかったです、先生っ!」
楽しい、か。思い浮かべれば、私も確かに『楽しい』と感じていた。
彼女と合う以前、私はどれだけそう感じた事があっただろうか。
その暖かな感覚に、目を細める。退屈で始めた師匠の真似事だが、今ではすっかり退屈という事も無くなってしまったな。私も師匠として、少しはまともになってきた証拠だろうか。
「先生!」
「む」
帰り支度を整えていると、背中からアリエッタの声がかかる。
振り向くと、夕日に照らされた満面の笑みが見えて──
「これからずっとずっと、よろしくお願いいしますね、『先生』」
つい、心臓が跳ねた。
少女らしい可愛さに満ちた満面の笑みが、尋常ならざるほど妖艶に見えたからだ。
ふとまばたきをすれば、いつものアリエッタに見える。……夕日になにか別のものを幻視したのか。
「あ……ああ。よろしく頼む」
「ふふっ、じゃあ帰りましょう」
後ろ手に組むアリエッタの後をついていくように、私は寮に向けて歩き始めた。
夢でも見ていたような感覚を覚えながら、私はふと今アリエッタはどんな顔をしているのだろう、と考えるのだった。




