第十二話:最初の授業
魔法学校で生徒として過ごす、最初の一日が始まった。
私としては今更学ぶ事も無いので、学生としての生活というよりは、自らの力で道を歩むアリエッタの観察一日目といったところだが。
「では、これより授業を開始していく。各自、魔法器具の忘れはないか」
しかしそれはそれ。学生としてこの場にいる以上は、学校側の指示には出来る限り従っておこうという気持ちはある。
今、私達は早速昨日ガーディフが演説を行った講堂へとやって来ていた。
広く、丈夫な空間はやはり魔術の修練場も兼ねていたようだ。
「本日は基本の魔術の扱いを学んでいく。こうして基本の魔術と聞いて、拍子抜けした者もいるだろう。だが安心しろ、基本の魔術とは言ったが、今日教えるのはそれをいかに応用するかという技術の方だ」
淡々としているようで、退屈そうにしている生徒達へと視線の棘を飛ばしつつ、授業を続けていく。
ヴァレンスの言葉に思い当たりがある者はハッと息を飲み、元より真剣に聞いていた者達は一層姿勢を正す。
よく見ているようだ。生徒が多くとも一人一人に気を配るのは、教師として優れている証拠だ。
多くの弟子を持つつもりはないが、ヴァレンスの教師としての手腕は、学ぶところがあると感じていた。
「昨日見た学園長の魔術は記憶に新しいだろう。あれは魔術の遠隔生成法と、魔力の操作を併せたものなのだが、今日はそれらの技術を学んでいってもらう」
また、こうして生徒達の意欲を擽るのもうまい。
ガーディフの演技は生徒達には大変な刺激だったようだが、その経験と、これから教える技術が結びつけられている。
昨日ガーディフの魔術に感動を受けたものには、その一言は良く効くだろう。
ここ特待クラスにいる生徒達は、いわば全員が成功者だ。希望溢れる彼らにとって、憧れの場所へやがて到達する技術というのは大きな意欲となるだろう。
「魔術の遠隔生成はまだ少し難しいかもしれんが、戦闘を行う上では必ず役に立つ技術だ。用途は多岐に渡るが、代表的なものとしてはやはり多角的な攻撃が行えるようになることだな。例えば、相手の背後から魔術を放てるようになれば、ぐっと戦術的に戦えるようになるだろう」
私は教師としてのヴァレンスを観察しつつ、生徒達はヴァレンスの教える技術を吸収すべく──理由は少し違うものの、特待クラスの全員がヴァレンスの話に聞き入っているようだった。
「では実技の方に入っていく。十分な距離を取り、まずは僅かな距離でもいい、少しずつ遠くに生成出来るようにしていくのだ。それでは始めよ」
そうしているうち、第一回目となる授業が始まった。
名門校という名前の割に厳しい雰囲気はなく、和気あいあいとしている。
「くっ、く……出来た! これ出来たんじゃね!?」
「それは身体から出したのを離しただけでしょ」
生徒のほとんどは、身体から離した場所に魔術を生成するという技術に苦戦しているようだった。
ヴァレンスの言うとおり、身体から離れた場所に魔術を生成するというのは高等技術なのだ。本来魔術学園に通い始めるのは十五歳から──しかしここにいる者達は名門校に合格すべく、それより前から事前に私塾などで魔術を学ぶ。が、魔術の遠隔発動を人に教えられるレベルで修めているものは少ないのだ。
事前にたっぷりと知識を学んできた彼らでも、高等技術となれば苦戦はするのだろう。
それでも、既にこの技術を扱える者はいる。
「わあ、シャーロットさんもう出来るんだ! 事前に勉強してたり?」
「……静かに、集中が乱れてしまいますわ」
「あ、ゴメン……」
アリエッタ以外では唯一、シャーロットがそうだった。一マートルほど離れた所に、雷の魔力球が浮かんでいる。
学生の身で既にこれほどの遠隔制御を可能としているのは、流石といったところだ。
だがこれはれっきとした高等技術。そこに余裕はなく、クラスメイトの賞賛にも苛立ちまじりの声を返す。
しかしこれではなんというか、不器用だな。それは魔術の話ではなく、人間関係の話だ。特待クラスの面々は明るいものが多いから良いものの、一般の社会でこれを行えば一瞬で孤立することだろう。人間というのは通常、たった一人で生きていけるようには出来ていない。嫌われるよりは好かれた方が得だとは思うが──
ともかく。ではアリエッタはどうか。
「わ、わ。スゴい、アリエッタさん! もう完璧じゃない!」
「ありがとうございます。この技術は既に習っていますので」
求められるに十分といえる水準を既に満たしている。
頭上高く、十マートルはある高さを、アリエッタが得意とする火の魔術が泳いでいた。
「素晴らしい。お前ほどの若さでこうも遠隔魔術を使いこなすものは中々いないだろうな」
「ありがとうございます、ヴァレンス教諭。でも、わたし自身は教わった事をしているだけです。先生が良かったのですよ」
この年頃の子供ならば、一マートルも離して生成できれば上出来だろう。しかしその十倍の距離を悠々とこなすアリエッタには、思わずヴァレンスからも賞賛の言葉が漏れる。
周りを取り囲む生徒達はヴァレンスが散らすまでアリエッタに尊敬の眼差しを向けていて──なんとも気分が良くなる一幕であった。
「うーん……難しいなあ……」
そうしてアリエッタを見守っていると、ふと近くで女子生徒が唸っているのを発見する。
普段であれば、気にもとめないだろうが──きっと、私
も上機嫌だったのだろう。
「身体から、魔術を生成したい場所に、魔力で糸をつなげるイメージをしてみるといい」
「えっ……て、テオドール君……? は、はい!」
「糸はどの様なものでもいい。細くとも、太くとも。感覚的にその位置と身体がつながっているように感じられれば──どうだ?」
見知らぬ女子生徒を相手に、柄にもないアドバイスなどをしていた。
すると──
「でっ……出来た! これ出来てるよね!」
「上出来だ。まずはそうして感覚を掴んでいくといい。慣れればより直感的に、遠くへと距離を伸ばしていけるだろう」
「ありがとーっ! こんなすぐ出来るなんて! テオドール君、やっぱり天才っ!?」
少女は私の手を握り、勢いよく上下させる。その度揺れる黒髪が活発な印象だった。
やはり、この特待クラスには明るい者が多い。
「あっ……いきなりごめんね。私エドナ。エドナ=ノートン! よろしくね!」
「ああ、私は──先ほど名を呼んだな、知っているか」
「有名だから、それはね。でもやっぱりすごいよ! こんな的確なアドバイスは無いって思ったな。テオドール君ももう出来るの?」
「それはまあ出来るが──」
「ねえねえ見せてよ! 一番凄いやつ!」
「あ、ああ……」
……いや、しかし随分と積極的だな。
つい肯定してしまったが、一番凄いやつと言われると困るな。
学生として適正と言えるレベルはアリエッタがとっくに超えてしまっているが、アリエッタよりも下というのは師匠として示しがつかないし──
見れば、ヴァレンスが此方を睨みつけている。分を弁えろと目が語っていた。学生の内はある程度従うつもりはあるのだが、やはり程度がわからない。
「……こんな感じでいいだろうか」
「す……すっご! 二つも! アリエッタさんくらいの位置に出してる!」
結局迷った末に行ったのは、初級の魔術を二つ、アリエッタと同じくらいの高さに出すというものだった。
アリエッタよりやや上を目指したつもりだったのだが、エドナの反応を見ると、少しやりすぎた位かもしれない。
「なになに?」
「うわ……テオドールさんすっげ……」
「やっぱあいつも出来るのか……?」
「くっ……またテオドールさん、ですの」
エドナの大きな声に、講堂中に散っていた生徒達の視点が集まってくる。
……これはいけない。
視線を集めるのは本意ではない。やはり気まぐれなど起こすものではなかったか。
「ねえみんな、テオドール君すっごいよ! アドバイスも超的確! 私もすぐ出来るようになっちゃった!」
だが、エドナの大きな声が、視線だけではなく生徒達の身体までも集めていく。
今ここでそれをやめさせたら、また警戒心が強くなってしまうだろう。なすがままに、私はそれを見ている他無かった。
「え? あの子テオドールさんに教えてもらってたん?」
「意外と怖くない……のかな?」
エドナの声に釣られてやって来る生徒達。
私はどうも試験での結果から恐れられているまではいかなくとも警戒はされていたようなのだが、それがかなり薄まっているのを感じられた。
視線は集まったが、警戒は薄くなった──長期的に見れば、目立たないようにと言う観点では得をした……だろうか。
「えー……テオドールさん、俺らも教えてもらっていいスか」
「良ければ私にもいいかなーって……」
集まってきた者の中から何人かが恐る恐ると声を出す。
恐れよりも向上心が勝った結果だろうが──それは大いに評価したい。
……ここまで集まってしまい、声までかけられては、今更断る事に得はないか。
「……構わん。一度、私の前で試してみろ。何か良い具合の助言が出来るかもしれん」
「あ、あい!」
「うん……!」
まだなんとなく警戒はされているようだが。
成功体験を得れば、それも薄れていくかもしれんな。
思い思いに遠隔発動魔術に挑戦する生徒達を見ながら、的確な助言を飛ばしていく。
「お前は、理詰めが得意のようだな。空間を箱で区切るように考えて、その箱の中に魔力を満たす、出来るのならば魔術を作るイメージがいいかもしれん。逆にお前は感覚型──短い距離でいいのならば、空想の腕の上に魔術を発動するイメージか。やってみろ」
「箱の中……こ、こうッスか……!? で、出来た! マジ!?」
「空想の手……あ、な、なるほど……っ!」
魔力の使い方を見れば、その者の流儀が何となく分かるというものだ。
それぞれに合ったイメージは調整させるつもりだったが、男女の生徒は二人とも魔術を完成させる。ここに来ている以上、彼らも程度は違えど天才に他ならないというわけだ。
少しばかり、感心した。しっかりと優秀な者を集められる学園のシステム、そしてそれらの篩に残った少年少女の優秀さに。
「な、なあ、俺達も……」
「行ってみるか……?」
その向上心もまた、中々大したものだ。遠巻きに見ていた者達も、此方へ向かってくる。
一部、そうではない者もいるみたいだが。
「……っ」
気づけば、シャーロットも私の方を見ていたようだ。目が合うと、意識してシャーロットが視線をそらす。
興味はあるようだが、彼らのように教えを乞おうというつもりはないらしい。それは決して向上心がないというわけではなく、ひとえに彼女の持つプライド故のものだろう。
これはこれで、私にとっては好ましいものだ。今後彼女がどういう成長を遂げるか、少しだけ気になるな。
しかし今はそれよりも、教えを必要とする生徒達の方だ。
気がつけば、私の周りにはクラスの三分の一ほどの少年少女達が集まっていた。これは目立たないという目的は大失敗だな。ガーディフやヴァレンスからはそのあたりを強く言われているが──
横目でヴァレンスを伺えば、なんとも味わい深くわかりづらくはあるが、口角を僅かに上げているのが分かった。
丸くなった、とでも思っているのだろうな。三界戦争当時の者達が見れば、多分そうなるだろうと私自身思う。
こうなれば、やるしかないか。
「えっと、テオドールさん。私はどうすればいいかな」
「お前は──どちらかと言えば感覚型と見受ける。手を寄越せ」
「う、うん」
思わぬ展開だが、物を教える事自体は嫌いではないのは、アリエッタで証明済みだ。
女子生徒に手を差し伸べると、戸惑いがちながらそこへ手が置かれる。
手を取った私は極微量な量に魔力を調整しつつ、少女の手に魔力を纏わせ、そこから宙へ魔力を伸ばす。
「魔力が伸びているのを感じるか。そこに自分の魔力を沿わせてみせろ。……いい調子だ」
「あっ……こ、こういうこと? わっ、わっ……! ホントに出来ちゃった!」
理論よりも感覚で魔術を使う者には、一度でも成功体験を作ってやれば簡単だ。
喜ぶ少女から手を放すと、戸惑いも何処かに吹き飛んで全力で喜びを表現してくる。
私は他人のおせっかいを焼くような人間ではなかったが、こうしてアリエッタと同じくらいの少年少女が喜んで感謝を伝えてくるのは、いいものだな。
こうなれば全員まとめて面倒を見てやるか──と、考えたその瞬間だった。
「あの……テオドールさん」
僅かに感じる袖の重みに、横へ振り向く。
が、その声を聞き慣れている私には顔を向けるよりも先に、誰のものかわかった。
「アリエッタか。どうした?」
「あ、いえ、なんとなく……その。ちょっとうらやましいなって見てました。わたしも、混ぜてもらっていいでしょうか……?」
アリエッタのものだ。何故だかいつもよりか響き方が重いような気がしたが、そこは私。それでも間違えるはずがない。にぎやかなのを見て、寄ってきたようだ。うむ、積極的にクラスの輪に加わっていくのは好ましい。
「断るなどあろうはずもない。丁度手が欲しかったところだ。そうだな……では彼女らに感覚を教えてやってくれ。理論派のお前となら感覚の相性もいいだろう」
「……! はいっ、テオさん!」
理論派の者を分けて、アリエッタに指導を任せると、アリエッタは満面の笑みを浮かべる。
誰かの役に立つ事が嬉しいのだろう。道徳的に優れた少女に成長して、嬉しい限りである。
「じゃあ皆さん、お願いしますね。テオさんから任されたので、わたしも頑張りますっ!」
「あっ、やっぱ可愛い」
「小柄でいいよね……アリエッタさん」
先程まで警戒されていた私とは違い、アリエッタは既にクラスの者達に受け入れられている。小柄で可憐であるゆえか、とりわけ女子生徒に人気が高いようだ。
最初は友人ができるかどうかというのも心配だったが、不要な考えだったようだ。
アリエッタも真面目な性格からだろうか、誰かに何かを教えるということを楽しんでいるようだ。
やがて集まってきた生徒達のほとんどが遠隔操作の魔術を扱えるようになった頃だった。
「しっかし、アリエッタさんとテオドールさんは流石だよなあ。コツが分かっても俺らじゃ一マートルも離せないってのに、らくらく十マートルは離しちまうんだから」
「大人の魔術師でもあれだけ放すのは難しいんじゃないの。五マートルも離せれば上出来って聞いたけど……アリエッタさん達は、もうそういうレベルじゃないもんね」
ふと、そんな話題が雑談のテーマに選ばれる。
それは紛れもない賞賛だった。一人がそれを口にすると集まった生徒達に一気に広がり、わっと賞賛の嵐が私達へ浴びせかけられる。
「わ、わ……! そんな、わたしなんてまだまだで……!」
「いやそんな事無いよ! 大人の人でも出来ないことが出来るって、十分スゴいって!」
「謙遜もしすぎは良くないよー? ねえねえ、アリエッタさん達は何処の予備校に通ってたの? 私も同じところ行ってれば少しは出来たかなー」
話題はその優秀さが何処から来ているかというものに移っていく。
問いかけに、アリエッタは嬉しそうな表情を浮かべる。
「あ、わたしは予備校には通ってないんですよ。魔術のお師匠様が居て、その方に全部教えてもらっているんです」
「予備校行ってないの!? それでその実力……っ!?」
「そ、そのお師匠様すごすぎない?」
「はいっ! わたしの先生は、世界一です!」
なぜ嬉しそうに答えたかと言えば、多分それは私の自慢を出来るからだ。
流石に少しばかり面映いが、アリエッタがこう言ってくれるというのは、師匠冥利にすぎるというものだ。
「スゴい魔術師のマンツーマンかー。羨ましいなあ」
「ちなみに、どんなことを学んでたの?」
「順序立てて、魔法の基礎技術を教えてくださっていましたね。ですがそれよりは、基礎の力を伸ばすための修行がメインでしたよ」
生徒達からの質問にアリエッタは、遠い昔を懐かしむかのように、愛おしげに語る。
彼女にとってもあの日々は良き思い出なのだろう。私と同じ様に過去を慈しんでくれるというのは、つながりのようなものが感じられて嬉しい。
「あー……それで試験のあの結果かあ。良ければ修行の内容とか聞いても?」
「そうですね……やっぱり魔力は使うだけ成長していくので、それにちなんだ内容が多かったですよ。炎の中で耐熱の魔術を使って立っているとか、逆に水が一瞬で凍るくらいの寒さを防ぎ続けるとか……実戦的なのだと三倍くらい魔力消費が大きくなる魔道具を付けて『サンダータイガー』の群れと戦うとかも有りました」
「さ、サンダータイガー!? って、危険度上級の魔物じゃん!」
「火の中って……マジ? 死ぬじゃん普通に……」
「そうなる前には先生が助けてくれますから。ですから安心して全力を出せるんです!」
かつて私が課した修行の内容を、にこやかに語るアリエッタと対象的に、青ざめる生徒達。
耐熱耐寒の魔術は、範囲攻撃に選ばれやすい火と氷の呪文に対する耐性を身につけるにはうってつけの魔術だ。そういった実戦的な魔術の扱いを熟達させつつ、魔力の絶対値も伸ばす。当然、アリエッタの身体に危害が及ぶようなヘマはしない。
安全でかつ効率的に、実戦的な魔術も学べるバランスの良い修行だと思うのだが。
まあ火の中で過ごせるほどの耐熱魔術はそこそこの修練が無くては出来ないだろうが……何をそんなに驚くことがあるやら。
「じゃ、じゃあそんなアリエッタさんよりヤバいテオドールさんは一体……?」
「わからねー……想像もしたくねー……」
しかし生徒達の顔は優れぬまま、話題は私の方に飛んでくる。
が、アリエッタとは違い、私がどういう修練を積んでいるか聞く素振りはない。
まあ聞かれた所で正直に答えるわけにもいかないのだが。主に先程から此方の動向を伺い続けている教師殿のせいで。
とはいえ試験では少しはしゃぎすぎたのは事実だな。何もしていなくとも、アリエッタに目が向けば放っておいても私の話題が上がってきてしまう。
「強くなるって、大変なんだなあ……」
生徒の一人が遠い目でそう呟く。頷く他の生徒達、首を傾げるアリエッタ。
彼女に取ってはすべての修行は『普通』なのだ。大変という自覚はあまりないのだろう。
だが、生徒が呟いた言葉もまた事実。強くなるというのは大変なのだ。そこそこ程度には。
「でも努力は裏切りませんよ。皆さん、一緒に頑張りましょう!」
「お、お手柔らかにお願いします……っ!」
意気込むアリエッタと、戦々恐々とする生徒達。
結局授業が終わってもその日は何もなく──生徒達がほっと胸をなでおろすのが印象に残った一日だった。




