第十一話:特待クラス:後編
「席の移動は済んだな。これで本当に今日は終わりだ。これより男女に別れ寮へと移動する。女子の引率の教師を呼んでくるので、その間歓談でもしているといい」
私が要求した席替えをもって一日の行程が終わったと言い残し、ヴァレンスが教室を後にする。
ヴァレンスが出ていってドアが閉じられた瞬間、教室は一気に歓喜に満たされた。
世界最高の学校で一日を終えたという充足感、それによる緊張からの解放、強面ながらも優しさを垣間見せる優秀な教師──この一日は、今日のために邁進してきた少年少女にとって最高の物となっただろう。
ヴァレンスからの言いつけを忠実に守る生徒達は、各々が好きなように歓談をしている。
試験で意気投合した者同士、席が近い者同士、珍しいものとしては予備校からの付き合いで──教室中で、会話が巻き起こっている。
「ねえねえ、アリエッタさんは何処から来たの?」
「どこの予備校に行ってた?」
中でも、アリエッタは男女問わずにクラスメイト達から囲まれていた。
可憐さ、優秀さ──この特待クラスにあってなお、明らかに秀でた要素は人を惹き付ける。
「ええと、学校に通うのはここからです。とっても素晴らしい先生に、一対一で修行をつけてもらっていました」
「尊敬するお師匠様って人?」
「予備校行ってなかったんだ! すっごい!」
今日が始まったばかりの空気の中では嫉妬さえ引き起こしたような解答も、今ではアリエッタへの羨望の眼差しを更に深めていく。
悪い空気を変えたのは、明らかに先程の自己紹介だろう。
なんというか……アリエッタは、守ってやりたくなるのだ。同年代と比べても小柄な身体に、丁寧な物腰。優秀でありながら決して驕らず。
弟子ではあるが、学生としては私も見習わねばなるまい。
「好きなタイプは!?」
「気になる人とかいる?」
「わわっ……一気に聞かれると、困りますっ」
それにしても──くくっ、中々いい姿が見られた。
学生達に押し寄せられるアリエッタは明らかに困惑している。彼女が困惑するのは珍しい姿だ。
私の館に迎え入れたばかりの頃はそうでもなかったが、近頃は心身ともに強く育ってくれ、慌てふためく事などとんとなかったからな。
愛弟子の姿を脳裏に焼き付けんと、私は冷静を装ってアリエッタを観察していた。
「うっわ、すっげー人気だな、アリエッタさん」
そんな折、頭上から声がかけられる。
軽い調子で、つぶやくような内容は独り言かとも思ったが、ふと見上げてみれば声の持ち主と目が合う。
やはり私に向けて言葉を発していたようだ。
「確か、シュリオといったか」
「おっ! 覚えててくれたのか! さっすがぶっちぎりのトップ合格……ってちょっとイヤミっぽいなこれ?」
そこに居たのは、私が興味を惹かれた者の一人、シュリオ=レントハイムだった。
軽薄な態度に、人懐こい笑顔。
嫌味っぽいと付け足された言葉には、しかしすぐに悪意がないとわかるほど軽快な口調。
この少年も、中々に人とのコミュニケーションがうまいのだろうとすぐに分かった。
「いや、そうでもない。それよりも、何か用か?」
「用ってほどでもねーんだけど、ちょっと気になったみたいな? っていうか代理? アリエッタさんとも親しげだったし、トップ合格者二人が知り合いってみんな気になってるみたいだから俺が聞きに来たっつーか」
私の不器用な返答にも嫌な顔をせず、話を広げてくる辺りかなりのツワモノの用だ。
しかし言っている事には偽りがないらしく、気がつけばシュリオの言葉通り、生徒達の注意が私に向いているのが感じられた。
……ふむ、試験ではガーディフへの意趣返しを優先するあまりに目立ちすぎたようだな。
「彼女とは試験で会ったのが初めてだ。尤も、その時から優れた魔術師だと気にはなっていたが」
「え、マジで? 大分仲良さそうと思ってたけど……」
「それは彼女の人柄によるものだろう。見ての通り私自身は会話が──苦手でな。態度と表情で誤解されやすい。気にせず会話出来る者の存在がありがたかったんだ。そういう意味だとシュリオ、お前も中々話しやすくていい」
「おお? なんか予想外のキャラだな。でも悪い気はしねーなぁ」
どうやら相当警戒されているようなので、シュリオとの会話を通してその印象をぼやかそうと、私はなるべくおとなしめに返答する。
彼と会話しやすいのは事実だった。まったく対等な視線から交わされる会話というのはかなり新鮮な感覚で、話題を引き出してくれる事もあって自分でも饒舌だと感じてしまうほどだ。
「なんか、もっと怖い奴だと思ってたから意外だな。笑ってると印象違うし、他の奴らにもそうしてやるといいぜ」
「参考になる」
「へへっ、なら良かった! んじゃ、俺は他の所行ってくるわ!」
彼が私に話しかけてきたのは、クラスメイトへの挨拶の途中で──と言ったところだろうか。
ついでの様な扱いではあるが、悪い気はしない。どころか、感心できる。ああいったマメさは、意識しても私には難しい。
それに、シュリオが話しかけてくれたおかげで生徒達から私への視線も大分和らいだようだ。
アリエッタに向けられていたそれとは違い、私にかけられるのは恐怖と警戒で十割だったので、少し居心地が良くなった。
視線を集めれば、それだけ動きづらくなるからな。
そう言ったところを考えると、やはり私の方から警戒を解くよう動くべきだろうか。
シュリオの様に挨拶回りをするのは理想的なのだろうが、私はあのようには動けんな。
「テオドールさん、と仰ったかしら。よければ少しお話しません事?」
「お前は──確か、シャーロット=ソーニッジ」
「あら覚えてらっしゃったのね。光栄ですわ」
などと考えていると、今度はシャーロット=ソーニッジが話しかけてきた。アリエッタ以外にはシュリオとあと一人、名前を覚えていた数少ない同級生の一人だ。
予想外の人物から話しかけられて、眉が動く。
率直に言って、彼女から話しかけられるとは思っていなかったからだ。先程、講堂へ向かう際に睨みつけられた事が印象に残っている。
しかし彼女は私に良い印象を持っていなかったようだが──という私の考えは、間違っていなかったように感じられる。
シュリオとよく似た声のかけ方であったが、その声にはシュリオのものに含まれていなかった敵意が感じられたからだ。
「その分だと親交を深めに来た──というわけではなさそうだが」
「わかりまして? ええそうです。本日はご挨拶に参りましたの」
挨拶とはいうが、穏やかに細められた目は友好の笑みではない。
親交を深めに来たのではないのならば──目的はやはり、宣戦布告といった所だろう。
「試験では目覚ましい活躍をしておられたようでしたが──ソーニッジの家の者として、一番でない事は許されませんの」
あくまで微笑みを浮かべたまま、シャーロットが言う。
僅かな怒りと、薄皮一枚の下に巡らせる青い怒り。他者から向けられるものとしては、なんとも新鮮な感情だった。
悪くない。試験で見た彼女は筆記も実技も優秀であった。今感じられる潜在魔力も、天才と言って憚りがないものだ。
故に、先程は優秀な彼女に興味を引かれた。私が目をかけるほどだ、実技試験での私を見ていれば、実力の差が途方も無い事だけはわかるだろう。にもかかわらずこうして絡んでくるという事は──愚かだ。だが、それがいい。
「ほう、ならばどうする?」
「貴方を超えますわ。もうおわかりでしょうけど、今日はその宣戦布告です」
次元の狭間に引きこもっていたというのもあるが、若い敵意を向けられるのは本当に久々な事だ。
ガーディフあたりが見れば、顔を青くするのかも知れないが──敵という存在を久しく見ていない私にとっては、これもまたよい彩りだ。
「そうか、楽しみにしている」
「……ふん」
心から出た一言だった。
またそれに腹を立てているようだが、楽しみなものは楽しみなのだから仕方がない。
と、そんな彼女の様子に口角を上げると──
「……テオドールさん? 今、お忙しいでしょうか」
生徒達の囲みを抜け出してきたアリエッタが、近づいてきた。
……しかし、何故だろう。穏やかな笑みを浮かべているはずのアリエッタには、無意識に、薫るような魔力がにじみ出ていた。
「ひっ」
滲出しているのはほんの僅かな魔力だ。常人ならば余程神経を使って感知力を高めていなければ感じ取れないようなものだが、別の『圧』として感じ取ったのだろう、シャーロットが引きつった声を上げた。
「あ、アリエッタ=ペルティアさん。貴方も、私にとっては超えるべき壁ですのよ。どうぞ、油断なきようお願いいたしますわ」
だがすぐに持ち直すと、シャーロットはそれだけを告げて去っていった。
……ふむ。優秀ではあるが、高飛車なようで、実の所は気が小さいのかも知れない。
「ええと、確か……シャーロット=ソーニッジさんでしたか?」
「ああ。私達を超えるから見ていろ、との事だ」
「……へえ。面白い方ですね。わたしはともかく、テオさんを超えるというのは」
にこやかでありつつも、なにか違和感のある表情に首を傾げる。
しかしまばたきをすると、アリエッタはいつもの柔らかい笑顔に戻っていた。
「ふっ……まあいい。それよりもどうだ、学校ではやっていけそうか」
「はい。皆さん大変良くしてくれます。にぎやかで、少々困惑しましたけど……」
アリエッタがちらりと視線を送った先では、大きく腕を振るう少女たちが見える。
こんなににぎやかな場の経験はあまりないだろうから、無理もない。
かくいう私も、珍しく居づらさのようなものを感じていた。
しかし最も気になっていた遠巻きな視線は、今では落ち着きを見せていた。
「それにしても、皆さん明るいですね。もっとエリート、って感じの人が多いのかなあと思っていましたけれど」
「ああ──ここに集まっているのは各地の予備校でもトップという者達だったのだろう。本質的に明るい者が多いのかも知れないな」
アリエッタとの話題に昇ったのは、特待クラスの生徒達の事だった。
言う通り、私もこういった場所の特待クラスとあってはもう少し選民思想的なものが染み付いているかと思ったがそれは事実ではないようだ。
優れた魔術師が強烈な自我を生成するのは珍しくない。が、ここにいる子どもたちの中にはそれらの負の感情は少ないようだった。
当然そういったものも無いではないが──今述べたとおり、特待生の殆どは各地の予備校でトップだった者達、羨望を受ける側だった者が集まっていると言っていい。
私の下で修行を受ける前のアリエッタは、輝きを羨む側に居た。本人の気高さから嫉妬などは無縁だったようだが、彼ら『持つ者』が選民思想的なものを持っていると考えて緊張していたようだ。
アリエッタとの会話は、途切れる事なく続いた。
しかしその間、アリエッタはずっと落ち着かない様子で居る。
これだけ親しげに会話していて、私が『持つ者』の選民思想を持っているとは思わないだろうが、見慣れぬその姿に一体どうしたのだと私が考えていると──
「あっ、あの! テオ……ドール、さん。実はお願いがあるのですが……」
改まって、アリエッタがそう切り出す。この様な姿は館に居ても見た事がない。
「……? 言ってみるといい」
私がアリエッタの願いを無下にするなどありえない。
考えるまでもなく返すとアリエッタはわずかに逡巡して、息を吸い込んで心を整える。
「その、テオさんって呼んでも、いいですか?」
そしてたっぷりの勇気を振り絞って、そう伝えてきた。
……なんとまあ。どうやら『テオドール』は大分懐かれていたようだ。
おそらく、テオドールの姿に私の姿を重ねていたのだろうと推測するのは難しくない。
平気そうにしていてもやはり緊張してたのだろうか。
愛称で呼ばせて欲しい──というのは彼女なりの、友人になってくれというメッセージと契約なのだろう。
親愛の情であるそれを受け入れる事をもって友達という関係を結ぼう、と。
私はそれを嬉しく思いつつも、心中で眉を顰めていた。それ自体は大歓迎なのだが、テオさんというのは私の本名そのものだ。
同じ名前を呼ばせ続ければ、姿と名前が重なっていって、私を本人だと気づく事もあるかも知れない──それは、少し好ましくなかった。
「ああ──構わん」
「……! ありがとうございます!」
だがそれはそれ。アリエッタから愛称で呼ばれるという経験には代えがたい。
素晴らしきかな学園生活。結果が見えているといきらずに、何事も新しい事には挑戦して見るものだ。その感動に打ち震えていると、やがて試験で見かけた女性教諭を伴ってヴァレンスが戻ってくる。
当たり前ではあるが、残念ながら寮は男女別々だ。魔術師の眼も覗きという言葉の存在を考えると使えんし、私生活を保証する意味合いでも私の眼が届かない時間は必要だろう。
そればかりはやはり寂しいが──今は、それ以上に学園生活が楽しみである。
くつりと喉を鳴らすと、またヴァレンスが警戒を強めるのが分かったが今の私は機嫌がいい。この気分に水を差さない限りは、せいぜい大人しくしておくとしよう。
新しい生活は、鮮烈な彩りを持って始まろうとしていた──




